ソロライブへようこそ!
お腹が空いたのにお金がない。
言葉も通じないから少年に借りることもできない。…まぁ、あの流れでお金なんて持ってないと思うし、あったところで子供に借りる気なんかないけどね。それでも、一息ついてしまえば空腹は深刻だ。ぐーぐーと音は鳴り続けているのだが、幸か不幸か広場の喧騒にかき消されて目立たない。
言葉が通じないとバイトもできないしなぁ。
何かいいアイデアはないかとキョロキョロと周囲を見回すと、一人の男が目に入った。
空き缶を自分の前に置いて、声を張り上げて歌っている。
…ストリートパフォーマー…?
「そんなに上手いわけでもないけど、お金は貰えてるな…」
常連で固定客がついているのだろうか。ギターさえもないアカペラの歌い手。あれなら、真似できるかも。歌は好きだし、肉体労働よりずっと向いている。
ただし、僕の言葉は全く通じない。
こちらの人々に、洋楽的な感じで受け入れられるのかどうか…わからないな…。だけど構わないだろう。受け入れられなかったとしても、不利益があるわけじゃないし。財布は最初からないので懐は痛まない。白けた目で見られて、痛むのは僕の心だけ。僕の心は決して鋼鉄ではないが、その材質が何であれ、忘却という名の魔法をかけるのが得意なので問題はない。
よかろう。僕は面倒くさがりで部屋が好きな空気の読めない社会不適合者なだけであって、決して非社交的なわけではないと見せ付けてくれる。友達がいないんじゃない…いるけど遊ばないだけだ。
僕は隣に座る少年の肩をつついた。
「はい、何?」
「あれって僕にもできると思う?」
アカペラ青年の声は、高音で苦しそうに上擦ったりし安定していない。合わないキーで無理をするとそうなるよね。
小遣い稼ぎなだけで本職ではないのかもしれない。もしくは修行中。それでも通りすがりに小銭を投げ入れる人もいれば、足を止めてしばらく聞いている人もいる。きっと、これは貴重な娯楽なのだ。
「…詩人…興味があるの? もっと側に行って聞く?」
僕は首を横に振る。もう一度歌い手を示し、それから自分の胸を叩いて見せた。
「…詩人が何…、まさかっ、歌いたいの?」
「っていうかバイトがしたいんだけど」
細かいことは伝わるわけないか。うん、そうそう、歌いたいんですよ。金のために。
僕がこくこくと頷いて見せると、少年はふへぇ、と妙な溜息をついた。
「…まぁ…あの人が終わった後か、もう少し離れた場所でなら大丈夫だとは思うけど…」
煮え切らないな、なぜ…。あ、アレか。ディーも僕の歌を意外だと言っていた。くそっ、僕は音痴じゃないっ! 音痴顔ってもの自体が理解出来ないっ!
そうこうしているうちにアカペラ青年はいなくなった。
少年は実に心配そうに僕を見て、言う。
「あのね、失敗しても、落ち込まないでね。大丈夫だよ。これだけ人が多ければすぐに忘れてもらえると思うから」
やはり歌う前からの音痴評価。大変に失敬ですよ、少年…。
数カ国で好まれる歌ならばと昭和の名曲を選曲しかけたが、日常視聴の範囲外なので途中で歌詞がわからなくなりそうだ。国内外で人気の曲を探そうとしたせいか、英語曲ばかりが脳裏に浮かぶ。まぁ、僕は演歌もロックに歌い上げてしまう残念なタイプなので、何でもいいか。幾秒にも満たない逡巡の後、スタンドでバイなアイツにすることにした。もう、ウケとか考えてなかった。とりあえず熱唱して過度に溜まったストレスを発散したい。しばらくカラオケ行ってないし、久し振りにダーリンダーリンしたい。
歌い始めるとぽつりぽつりと足を止める人が出た。
始めはちょっと嬉しかった僕だが、次第にそれが増えてくると、ちょっと引く。うわぁ、囲まれてる感、ハンパない。奈良の鹿を思い出した。歌手志望でもない人間が手を出していい領域じゃなかったんだろうか。いや、あの、なんかこの程度の歌唱力で足を止めさせてすみません。ちょっと稼げればいいだけなんで、気にせずお買い物続けて下さい。あの辺の露店の串焼きとか買いたいだけなんで。
緊張してきたから途中でやめますというわけにもいかないし…そうだ、目を瞑ったらどうかな。見えなきゃ緊張しないかも。さすがに他人をジャガイモやらカボチャ扱いできるほどの妄想力はないしな…。
しかし、僕は思い至ってしまった。
そういう奴、いたなぁ…カラオケで目を瞑って、ラブソングを気になってる子に歌っちゃうような奴。ああいうナルシスティック熱唱を習得するのか…キツイだろ。いや、緊張してミスることを考えれば背に腹は代えられない。勇気を出してカンチGUYになりき…れないよ、無理だよ! 僕の心はそこまで強くないよ! 大体、そういう奴の歌が上手かったためしがない、大事なとこ引っ繰り返しちゃったりしてた。喜んでた女の子は見たことがない。ビッグでトールな時計の歌とか歌う人なら瞳を閉じるのが様になっても、俄か野郎じゃ痛々しいだけだ。
…なんて考えていた僕は、くわっと目を開いたまま、むしろ閉じられなくなった。強迫観念で、歌ってる最中に目を閉じること自体が辱めに思えてきた。うおぉ、目が乾く。
己の心が総ツッコミを起こしたお陰で、緊張はどっか行きました。
歌い終えた僕は、溜息一つ。笑顔を浮かべて、ぺこりと頭を下げてみる。ストリートパフォーマーの正しい所作はわからない。
けれども結構な拍手をいただいた。拍手よりお金下さい。あ、空き缶を設置してない。しまった、お賽銭ボックスがないとタダ働きになるんだろうか。困ったな、代わりになりそうな入れ物も持ってない。まさかおもむろに腹のポーチを外して、さぁここへ!ってワケにもいかないだろうし…。
「兄ちゃん、もう一曲歌ってくれ」
すぐ側でジュースの屋台を営んでいた男が、ニコニコしながら大きめの空き缶にコインを入れて僕の前に置いた。つられるようにそこに小銭を放り込む人が続く。僕がこくりと頷いて見せると、ついでのようにそこの屋台で飲み物を買って待機する人が出始めた。成程、さっきのは客寄せ料ですね。
もはや外国人にウケるかどうかを考えなくなった僕は、自分が歌いたい曲をチョイス。カラオケだとその場の様子を見て、盛り上げだの流行だの被らない曲だのと考えなきゃいけないからな。
頼まれるままに続けてもう二曲ほど歌うと、空き缶は結構いっぱいになった。これが全て一円玉だったら串焼きは買えないかもしれないが、コインは数種類入っているから、きっと大丈夫だろう。切り上げ時と見て、周囲に幾度か頭を下げて少年にアイコンタクトを送る。次のリクエストが来ないうちに缶を手に取ると、周囲にも意図が伝わったようだ。
人が散っていくと、入れ替わりで寄ってきたジュース屋さんがもう一度お金を入れてくれた。缶もいただいたのに、すみませんね。笑顔で頭を下げておく。
「元々、吟遊詩人だったの?」
少年の言葉に首を横に振る。
「すごいね、みんないっぱい入れてくれてるじゃない。詩人でこんなに稼げるなんて知らなかったよ」
どうやら僕の缶は優秀な成績のようだ。
仏陀は鹿に初説法したという。僕は鹿っぽい人達に初パフォーマンスだ。何か仏陀的ご利益があったのかもしれない。
「ねぇ、少年。ちょっとあの店で串焼き買ってきてよ。わかる? あれ」
「ん、何? …串焼き欲しいの? 幾つ?」
「とりあえず僕が五本。少年も五本で。美味しいかわからないし、足りなかったらその後また考えよう…むしろお金足りるかな…」
自分の胸を押さえた手を少年の前にかざし、いち、に、さん、し、ご、と指を折り込んでいく。続けて少年を示してから同じように五つ数えて見せた。
「ぼくにも買ってくれるの?」
僕は頷いた。喋れないから、少年に買いに行かせようとしているのに…そんな嬉しそうな顔をされると罪悪感が掠めます。缶を渡すと、少年は立ち上がってきょろりと遠目に店を見た。僕に向き直り、缶の中からいくつかコインを摘み出す。
「行ってきます」
「うん。…ん? それだけ? 足りるの? 缶ごと持ってけば?」
「座っててね、いなくならないでね! お金を渡して追い払おうとしてもだめだからね!」
缶を差し出す僕に対して、両手で僕をその場に押し留めようとする少年。
無情なすれ違いを感じる。お金で追い払うって…なんだ、その成金。成金になった覚えはない。腕輪しか。
それにしても、お金が入った缶を剥き身で持っているのも何だか嫌だなぁ。
少年はこちらをチラチラと振り返りながら、露店で串焼きを購入している。逃げないよ、串焼きが欲しくて歌ったのに。逃げるならせめて食べてからにするよ。っていうか、なんで僕は逃げると思われてるの?
商品を受け取った途端に走って戻ってくる少年を無感動に見守る。
「買ってきたよ」
「ありがとう。はぁ、お腹空いたー」
ご飯だ、ご飯だ、いただきます。
あれ、そういえばコレ、何の肉だろう。ぴたりと動きを止めた僕はしかし、少年を問い質すのは無理であろうと頷く。名前さえ聞けそうにないから自己紹介もしてないのに、これが何の肉かなんてどうやって聞けばいいのかわからない。…原材料のわからない肉か。懐かしの牛鬼じゃないといいな…。
唐突に脳内に甦ってしまった記憶に怯えながら、そっと謎肉を口に入れる。うん、大丈夫、美味しい。
僕らはあっという間に串焼きを食べ尽くした。少年もお腹が空いていたようだ。そんなこと全然言ってなかったのに…我慢強い子なんだな、子供なのに偉いね。
身振り手振りで、缶を入れる袋が欲しいことを伝える。お金がジャラジャラ入った缶を捧げ持ってうろうろすることは少年にも憚られたようだ。小銭を幾らか引っ掴むと「待っててね!」と叫んでどこかへ駆け出していった。はい、待ってます。でも、なんか使いまくっててごめんね。子供を駆け回らせて自分は座りっぱなしというのも大変に居心地が悪い。
溜息をついて座り直すと、とことこと寄ってきた人がいる。顔を上げてみると、ジュース屋さんだった。
「どうかしました?」
無視するのもいかがかと思い、通じないことは承知で口を開く。聞き慣れない言葉に少し怯んだジュース屋さんは、しかし笑顔を取り繕ってジュースと新たな空き缶を差し出した。
「…えっ、と…?」
「暇ならもうちょっと歌わないか、兄ちゃん? ジュース奢ってやるから」
差し出されたジュースを受け取る。串焼き食べたから、ちょうど喉が渇いてます。
ジュースに口を付けた途端に、ジュース屋さんは周囲に向かって叫んだ。
「さっきの詩人が歌うぞー! 不思議な異国の歌を聞きたい奴は集まれー!」
ええー。
じわじわと狭まる包囲網。僕は再び鹿達に囲まれた。
少年をパシリに使っている居心地の悪さに、珍獣見物と同等の目線をいただく居心地悪さをプラスされた。
既にジュースは口を付けてしまった。今更断ることはできない。
…うん。どうせ今夜はどこかに泊まらなくちゃならないんだ。二人分の宿代まで稼げるとは思えないが、少年くらいは泊まれるように頑張ってみようじゃないか。大人だから僕は野宿でも我慢するけど、子供は可哀想だもんな。ましてや檻に入ってたのに。少年くらいは安心できるとこで寝かせてやりたいな。
よし。では始めようか。柾宏のソロライブへようこそ! 気をつけないと何を歌ってもロックになっちゃうけど、楽しんでいってね!
学生の頃に開催された六時間耐久カラオケを思い出しながら、僕は望まれるまま次々と歌を披露した。ジュースで喉が潤っていたので、さっきより楽に歌えました。ジュース屋さんは「あいつのお気に入りのジュース」などと僕に渡した種類のジュースを示し、購入者に対し「声が良くなるかも」「歌が上手くなるかも」と過剰な宣伝をしていた。景品表示法違反だよ、誇大広告はいけません!…でも、異世界にはない法律かな。じゃあ、いいのかな…いや、良くはないよな…?
「…随分いっぱい、歌を知ってるんだねぇ…本当に元から詩人なんじゃないの?」
鹿に阻まれて近づけなかったらしい少年が疲れたような声を出したのは、既にとっぷりと日が暮れてからのことだった。
大盛況だった柾宏ソロライブ・イン・異世界の興行収入により、僕らは無事に宿に泊まることができた。しかもお客さんの中には宿屋経営者がいて、僕が身振り手振りで少年に宿を探して欲しいことを伝えていると、横から素早く出てきて案内してくれた。お陰で辺りが真っ暗になる前に無事に鍵のかかる部屋で一休みできることになり、大変助かった。
しかし、事は深刻だ。ツインを一つ、ご飯はつけてください…そんなことも満足に伝えられない僕である。言葉の壁もさることながら、貨幣価値についても知識のない僕は、少年を多大に活用している。まるで従者のごとく細々と働いてくれるので、給料を払ったほうがいいレベルだ。喜ぶと思ったのに「このジャラジャラ硬貨を二人で山分けしようよ!」という僕のパントマイムにははっきりとしたノーが突き付けられた。
「助けてくれて、食べ物もくれて、宿にも一緒に泊めてくれて。それで、どうしてぼくに、稼いだお金を半分も寄越そうとするの? ぼく、ちょっと心配だよ。もう少し気をつけたほうがいいよ」
…好意のつもりが、子供に説教される始末で。何だか悲しくなりました。