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少年が仲間に加わった。



 檻に入る経験も、なかなかないものだ。

 ただの誘拐だと思っていたら、奴隷売買に回されると判明し、大変に戦々恐々。

 需要のなさそうなこの僕を売ろうというのかね。肉体労働は不向きなのに、鉱山とか放り込まれたら即死なんだけど。

 あぁ、連休なんて取った自分を殴りたい。部屋に帰ってゴロゴロまったりしたい。旅行は禁忌だと、幼い頃にあれほど学んでいたのに。

 脳内で幼少時の思い出が駆け巡る。夏休み。冬休み。子供に一人で留守番などさせられない、楽しい旅行ができるのに何が不満なのかと言う家族。長期休暇の初日から連れ回される強行軍。宿題は全て乗り物の中。提出物はいつも読めないような字で、教師には嫌な顔をされた。自由研究に観察日記なんて選んだことがない。旅人のような暮らしではアサガオ一つまともに育てることはできないからだ。僕に観察できるのは、常軌を逸した旅行好きである家族だけだ。読書感想文だって移動中に読書しないといけない段階でゲロ酔いだ。酔い、力尽き、家族の邪魔と集中力の不足に悩まされながら全く頭に入らない文章を必死に辿る。乗り物に乗る時間の長さ、歩かなければいけない距離。足は棒、ケツは平らになった気しかしない。観光地を引き回されたところで疲労で何も記憶がない。身体中がギシギシと悲鳴を上げ、休暇という言葉の意味を見失う。そうして最終日の夜遅くに帰宅。宿題ができていなければ泣きながらベッドの中で朝まで奮闘しなければならない。最悪、持ってくるのを忘れました作戦で一日猶予を伸ばすのだ。何が楽しいものか。部屋だ。自分の部屋こそが一番いいのだ。パラダイスとは家にしかない。ゴロゴロ最高。

「随分落ち着いてるね」

 隣の檻の子供が呟く。僕のほうを見ないから、話しかけられたのか確信が持てず、ちょっと戸惑う。

「…そうか、変な言葉しか喋らない種族で、言葉がわからないって言ってたっけ」

 ちらっと視線を向けられた。変な言葉の種族って。せめて外国語とか言ってほしい。

 言葉もわかるんだよ、話しても通じないだけで。そう思いはするけどどう伝えていいかわからず、僕は後頭部をかきつつ片手をヒラヒラと振って愛想笑いを浮かべる。少年は驚いたように僕を見た。その目の周りが赤くなっているので、彼が既に泣きはらした後なのだと知れた。そんな彼からすれば、僕はのんびりして見えるのかもしれない。

「…本当はわかってるの?」

 その言葉には頷いて見せ、口の前に指でバッテンを作って見せる。

「…わかってるけど喋れないの…? どうして?」

 …まぁ、それはいいじゃない。説明できないよ。

 空腹はピークを越えて落ち着きを見せ、身体も休憩と共に若干元気になりましたので、現状打開に勤しみたい次第。

 それにしても、異世界に余計な興味を持たないようにしてきた結果がこれだ。

 常識どころか、土地勘もなく魔物の危険さも知らない僕は、こちらでは子供よりも世間知らずなのだろう。失敗したな。次からははぐれても帰れるように、地図で周囲の都市や状況…せめて方位くらいはわかるようにしておきたいな。

 …いや、でも二度もあるかな、こんなこと。ないんなら備えるだけ無駄というか…ううむ、悩む。

 目立たないよう腕時計を家に置いてきたから時間がさっぱりわからない。

 それでもディーとはぐれてから確実に一夜は明け、見知らぬ町まで馬車で運ばれること数時間。はぐれた森からは結構な距離が開いてしまったものと思われる。そして賊と奴隷商は商談中のため、檻に入れられて早数十分。早くも日が暮れる気配。一日が終わってしまうことに、焦りがないわけじゃない。

 それでも僕がわめき出さないのは、逃げ出すことに可能性を見出し始めたからだ。

 誘拐犯と奴隷商の会話の中で、こんなことを耳にした。目立つことは避けてくださいよ、お互い捕まりたくはないでしょう…。それはつまり、騒ぎが起きたり、不特定多数の人が集まったらまずいってことなんだろう。後ろ暗いところのある人は、目立つことが嫌いなのだ。これは、きっと非合法な奴隷売買。

 ならば、是非とも聞き慣れない大音量を用いて警備兵とか呼び寄せましょう。そうしましょう。あの森に居続けたならまだしも、商品として町に入った以上はできないことじゃない。

 ズボンの前ポケットでは深すぎて出し入れできないので、尻ポケットに浅く入れて待機した防犯ブザー。すぐ出せるように位置を確かめていると、少年が憂鬱そうに呟いた。

「わかった。お金持ちなんだね? 言葉の通じる人さえいれば交渉できるから、悲観した顔もしないんだ?」

 僕は首を横に振る。正直、悲観しかしてません。機を窺っているところではありますが、逃げるにも体力というものは必要なんだよ。

 効果的なタイミングで防犯ブザーを鳴らそうとは思っているけれど、トントン拍子に進んで警備兵が来て檻を開けてくれたとしても、言葉の通じない僕はどうなってしまうというのか。身元不明、通訳不能の僕は結局奴隷身分のままになりそうじゃないか。助けてもらったら、それはそれで即行撤退しなくてはいけないのだ。

 水晶の森を探して行けば、ディーには会えるだろう。

 何とか情報を手に入れて町を出るしかないよなぁ。彼らは一応お仕事だから、きっと僕を探して道を戻ったりはできないだろうしな。

「じゃあ、どうして?」

 …少年は口を開く様子のない僕に困惑しているが、言葉が通じない以上は開いても無駄なので、何も伝えようがない。

 そう思っただけで無視したつもりはないのだが、僕が会話に乗らないことが不安をかき立ててしまったようで、彼は目を潤ませ始めた。まずい。

 僕はもぞもぞと緩んだ縄の位置を調整し、左手首の腕輪を握り締める。ヒビ割れが何とかくっついて聞き取れてくれないかな。

「ごめんね、僕はどうも不親切なんだ。意地悪したんじゃないよ」

「えっ?」

「翻訳の腕輪が壊れたから言葉が通じないんだよ、無視したんじゃないからね」

 少年は不思議そうに目を丸くした。

 やはり通じなかったか。そうだよね。精密機械…じゃないけど叩いて直るようなもんでもないだろうしな。

 溜息をついて手首から手を離すと、欠片が零れた。ヤバイ。強く握ったら余計に壊した。

 あちゃー、という顔をする僕に、少年は意外なことを言った。

「腕輪が壊れた?」

「通じたの?」

 驚く僕に、相手は首を傾げた。

「…腕輪が壊れた…。どういう意味? それだけしかわからなかった」

 一部だけ翻訳されてしまったらしい。慰めるための「ごめん」のほうが重要だったのに。なんで弁解のどうでもいいところだけ翻訳されたんだよ。相手は「腕輪…」と繰り返して意味を考え続けている。謎を解く意味深な台詞みたいになってるけど、全然違います。すまない、少年。

 接触不良だけど、頑張れば通じるのかな。

 僕は壊れる覚悟で、もう一度腕輪を強く握った。ぴきっと小さな音がして絶望した。はい、やめればよかったね!

「水晶の森に行かないといけないんだ」

「…水晶…?」

「行き方、知ってる?」

「ねぇ、何言ってるの? 水晶が何?」

「森だよ、水晶の森」

 力の入れ加減に気をつけながら、腕輪を握る。うまく回路が繋がったときだけ聞き取れるんだろうか。さっき零した破片は、もう小石や砂と混ざってわからない。

「水晶の腕輪が壊れたの?」

 違うよ。こりゃダメだ。

 諦めて首を振った僕は、腕輪を押さえた手を離した。指の隙間から、更に破片が零れた。うん。もう触らないぞ。これ以上破損して、聞き取るほうにも支障が出たらどうにもならない。子供のご機嫌取りと、僕の今唯一の利点を天秤にかけてはいけない。

「ねぇ、水晶の腕輪って?」

「水晶の腕輪だと!?」

 そしてこのタイミングで戻ってきた誘拐犯。少年はびくりとして口を噤む。二人の男は顔を見合わせ、僕を睨んだ。僕は再び、あちゃーの顔をした。

「どこに隠していやがった。荷物なんて何も持ってなかったぞ。腕にも首にも装身具はなかった」

 はい。ベルトに通していたポーチは、遭難時に雨でも降ってマッチが濡れたら使い物にならないと思って、服の下に移動してました。めくればすぐ見つかりますが、僕の見た目はものすごい手ぶら感です。そうした後で気づいちゃったんだよね、汗かいたら湿気でダメになるんじゃね?って。でもポーチを外に戻す前に捕まっちゃったのでそのままです。マッチはもうダメかもしれません。

 がしゃりと鉄格子を掴んで僕を睨む誘拐犯と、それを宥める奴隷商。

「もうお支払いは済んだのですから、その子はうちのものですよ」

「馬鹿を言うな、価値のあるものを持っているなら、それも合わせて金額に反映してもらわなきゃ割に合わねぇ!」

「商品に乱暴は困りますよ!」

 隙間から僕を掴もうと伸ばされた手とその剣幕に、無意識に数歩後ろへ下がる。

 男は余計に激昂し、もう一人の誘拐犯が奴隷商に掴みかかった。

「檻を開けろ、もう一回確認する!」

「ですから、もううちの商品です」

「この業突張りめ! 開けないと今ここでお前を殺してもいいんだぞ!」

 ナイフを突き付ける相手に、奴隷商は溜息をつく。ばたんと前触れもなくドアが開いた。奴隷商側の仲間が異変に気づいて駆け込んできたらしい。

「何をしている、貴様!」

「動くな! おい、そこのお前、この檻を開けろ! 言うことを聞かないとこいつを殺すぞ」

「旦那様! …くそっ、馬鹿なことを言うな、それは先程の商品じゃないか。金を支払ったのに品を返せというのか!」

「確認するだけだ、開けろ!」

 …なぜこんなことに…。

 思わぬ修羅場に顔を引きつらせていると、誘拐犯達は奴隷商を人質にとって僕の檻の鍵を開けさせた。

「…騙されましたよ。言葉が通じないふりをして、我々を騙す仲間だったとは」

 誤解です。

 僕を憎々しげに睨み付ける奴隷商に苦笑いする。それが余計に相手の確信を強めたようだ。

「やはり。言葉はわかっているのですね」

「なんだとぉ? 言いがかりをつける気か!」

 興奮する誘拐犯はすれ違いに気づかない。檻の扉が開いた瞬間、僕は防犯ブザーの紐を引き抜いた。

 けたたましく響き渡る電子音。

 これまた檻が開いた瞬間に誘拐犯を突き飛ばしていた奴隷商は、驚いたように辺りを見回す。

「な、何だこの音は」

「まずい、人が集まるぞ! 逃げろ!」

 奴隷商が閉めようとした檻の扉を、慌てて誘拐犯が押し開ける。あわよくば誘拐犯ごと閉じ込めようとしたらしい奴隷商は舌打ちし、しかし撤退を優先したらしい。周囲の仲間達に指示を出して駆け出した。誘拐犯二人も顔を見合わせたあとすぐに走り出す。

 素晴らしい。檻が開きました。

 こそこそと檻から出て、刺さったままの鍵を抜く。幾つかの鍵がついているので早速試すと、少年の檻も開いた。素晴らしい。

 そっと防犯ブザーの音を止め、耳を澄ます。

「みんな逃げたかな。あとは、誰かが来る前に逃げなきゃかな」

 がじがじと歯で縄を引っ張り、輪に手首を通して緩める。汚いしマズイし、最悪。結び目は取れないが、緩められれば別に構わない。

 くるりと何度か手首を回して緩みきった縄を床に落とすと、少年が目を丸くした。

「…どうして…」

「とりあえずここから出よう。人通りの多いところなら誘拐されないだろうから、目立たないように商店街とか探そう」

 檻の中には入りたくないので手招きする。言ってることはわからなかったのだろうが、少年は慌てて僕の側に駆け寄ってきた。辺りを窺いながら腹回りのポーチに防犯ブザーを押し込み、代わりのものを指先に引っ掛けて出す。LEDライトキーホルダー。何の役にも立たない可能性、大。でも武器とかないし、あったところで扱えない。そんなわけで捕まるほうに意識を振って、捕まった際に近距離で目潰しする気、大。

 キョロキョロと警戒しつつ開きっぱなしのドアを辿っていくと、奴隷商達が逃げ出したらしい裏口があった。外に人影は…ないわけでもないな。建物の表側にちょっとした人垣ができていた。入る勇気はないが異変に興味はあるという風情…どう見ても野次馬です。中にはどこかに手を振っている人が…あ、警備兵が来た。ここから猛ダッシュで逃げたりしたら、却って目に留まりそうだ。僕らは悪くないのに、逃げる悪い奴だと思われたら困る。

 つらっと素知らぬ顔でそちらへと歩いて行き、野次馬の顔をして人垣に加わる。モブ顔なめんなよ。

 少年はちょっと戸惑いながらもついてきた。せっかくなので人ごみの中で少年の手を引き、目線を落とさずに手首の縄を外す。固い。結び目固い。爪がやられる。

「ありがとう」

 随分と緩んだところで少年が手を下ろした。僕の手にかかる重みが急に軽くなったので、手は抜けたみたいだ。

「うん」

 どうせ言葉が通じないので、僕は頷くだけに留めた。

 引き続き、怪しまれないように手元には目を落とさない。そっと引くと縄は簡単に手の中へ移動してきた。ぺろりと片手で服の裾をめくって、縄を腹のベルトに引っ掛けておく。うわ、縄メッチャ痒い。でもこの縄を落として行ったらなんか僕が怪しいから一応遠くで捨てる。痒いけど我慢する。

 しばらく『建物を見つめる会』に参加していたが、だいぶ野次馬が増えてきた。

 …もう、いいだろう。飽きて離れていく人は不自然じゃない。

 少年の手を引いて、離れる他の人に紛れて抜け出した。

「…どうしたの?」

 足を止めて左右の斜め上をきょろりと見るような僕に、少年は困惑した声を出す。

 賑やかなのがどっちのほうか確かめているんだよ。

 町並みや音から見て人が多いほうに歩いていくと、彼も僕の意図を察したようだ。

 やがて見つけた広場は、露店や買い物客で賑わっている。ほっとして、僕は周囲と同じように謎のオブジェっぽいものの端に座った。

「あの、…本当にありがとう」

 少年が改めてそう言い、僕は頷いて見せる。

 彼は…帰れるなら、もう帰ったらいいんじゃないかね。

 そう思ってバイバイと片手を振って見せると、彼は今日一番の動揺した顔をした。

「えっ、あのっ、バイバイなのっ?」

「だって言葉も通じないし、迷子を連れ歩ける余裕なんてないよ。むしろ僕が迷子なんだもの」

 少年はオロオロしながら言い募る。

「何て言ってるかわからないよ…でも、どこ行くの? 当てはあるの?」

 首を横に振る僕の袖を、少年はぎゅっと握った。

 …ここは庇護欲に目覚める場面だろうか。しかし。僕は別に弟とか要らないので。

 悩みながらも、腕輪を握り締めた。ああ、そろそろ本気で壊れて翻訳できなくなるかもしれない…だけど見知らぬ子供を連れ回すわけにも行かないしなぁ。僕が誘拐犯になっちゃう。

「帰れるなら帰りなよ。僕はお金もないし言葉も通じないし力になってあげられない」

「…帰れって?」

 あ、通じた。ここは頷いて意思表示だ。

「うん、そう。僕は自力で水晶の森に辿りつかないといけないし。野垂れ死ぬかも知れないのに、連れて行けない」

「…水晶の、森…。腕輪が水晶なんじゃなくて、青水晶の森に行くって言ったの?」

 あ、通じた。調子いいじゃないか。

 にこにこと頷くと、少年は意を決したように顔を上げた。

「ぼくも行きます」

 いや。なんでさ。

 ぶんぶんと首を横に振る僕に、少年は繰り返した。

「行きます」

 …異世界人って、押しが強いのかなぁ…。


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