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外なんて出るもんじゃないな…



 メーデー、メーデー、メーデー。こちら柾宏。

「妙に落ち着いていやがる。悲鳴も上げないなんて、おかしな奴だよな…」

 ごとごとと揺れる馬車の振動に、頭の中で流れるのはドナドナ。多分、僕の表情は普通。疲れきっていて表情筋が動かないだけで、別に落ち着いているわけじゃない。

 メーデー。現在地はさっぱりわかりません。

 だけど、至急助けが必要です。でも、助けが必要な状況は、正直昨日から続いています。もしかして、もはや至急じゃないのかな。でも誰か助けてくれないと本当に困る。自力脱出は多分不可能。

 見知らぬ男二人が、僕に対して眉をひそめている。

「武器を取り上げたからといって近づきすぎるな」

「わかっている。しかし、言葉が通じないのは面倒だな…」

 僕も困っているのだよ。それもこれも、お前らが、僕なんて襲撃したから…。

 ちらりと目を落とせば、腕輪にヒビとカケが生じている。彼らが剣を振るって襲い掛かってきたので、驚いて咄嗟に手で庇ったら丁度腕輪に当たってしまったのだ。お陰で大きな怪我はしていない(輪っかの痣ができました)が、言語に不都合が生じた。多分、中の刻印やらにも影響が出たのだろう。僕は、異世界言語を聞き取れるが喋れないという事態に陥っている。逆じゃなくて良かった。少なくとも、何となくの情報収集ができる。

 しっかし…誘拐なんて現実に起こり得るとは思わなかった。

 それも僕という異世界人では身代金請求のアテもない。ディーに頼むって言っても…国庫から出ないだろうしな、異世界人代なんて…。ポケットマネーに余裕はありますか、王子様…。

 諦めているわけでも悲観しているわけでもなく、僕はただ呆然としている。現実を受け入れかねているというほうが正しいかもしれない。

 抵抗という抵抗もせずに馬車内に転がったまま膝を抱えているので、誘拐犯達も僕を不気味に思っているようだ。

 抵抗できない程度に疲れていただけだよ…だって、その前から遭難していたんだから。

「本当にこいつ、言葉がわからないのか? わざとわからないふりをしているんじゃあ」

「何の意味があるんだよ」

「それに、大人しすぎるだろう。普通、もっと抵抗するなり警戒するなりするもんだ。…こいつ、最初のうちは転げても座り直していたが、もうそれすらしなくなったんだぞ…おかしくないか、もしかして頭が」

 失礼な。だって何度座り直しても馬車の揺れが酷すぎて床に転がされるんだ。悪気があって運転を乱暴にしている様子でもないし、舗装されていない道路だからなんだろうなと…もう、起きないほうが安定するんじゃないかと。

 馬車の音にかき消されて気づいてもらえないけど、僕のお腹はずっとぐーぐーと鳴っている。

 いや、まだ空腹では死なないけど…物悲しい。

 色んな気力が削がれているのは、空腹のせいもあると思う。

 とりあえず、現状をおさらいしよう。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 空の青さに浮かれて、大型な連休を取ったのが事の発端だ。

 たまにはフラッと海でも見に行こうかなぁ、でも一人で行くのは面倒だからやっぱりいいや、お部屋が一番ですよね…そんなことを世間話で話したら、異世界からのお誘いが来たんだ。

 曰く「水晶が生えてる森に行くことになったんだけど、一緒にどうよ?」みたいな。

 ゲームみたいな景色を想像したよね。

 洞窟じゃなくて森だって言うんだよ。ネットで「幻想的な写真」だの「死ぬまでにみたい絶景」だのを時折見て癒されてる僕としては、飛びつかざるを得ない。地球上でも見られないだろう絶景が生で見られるなら、まして語学力も旅費も気にしなくていいとなれば。いつになく素早く答えたさ、行くよ!って。

 それがさ。まさかさ。

 …ドラゴンの襲撃に遭って、ディーとはぐれるとか…思わないよ…。

 こっちも向こうも必死に逃げたから、もう全然迷子。誰だよ、あの時「森に入って目眩ましするんだ、散開しろ!」とか言った奴。兵士の誰かだと思うが、連帯責任としてとりあえず全員呪う。美味しい匂いの屋台に並んだら、ことごとく一人前の人で売り切れになる呪いだ。疲れきった頃にようやく何か買えたと思ったら、期待外れで不味くあれ!

 …綺麗な景色に癒されるどころか、荒んじゃってる。水晶なんて夢のまた夢。まず、僕をこの森から出してくれ。

 第一、僕には体力がない。スニーカーが許されていたらもう少し頑張れただろうか。

 ディーが点火棒をくれていたら焚き火くらいできたのに…なんて必殺・他人のせいを放っても…いやぁ、ドラゴンだもの。予想外すぎたよね。いきなり激しく異世界レベルを上げられた。

 町の外なんて出たことがないから、魔物は存在していますと言われていても…理解した気になっていただけ。実感は何もなかった。

「どうしたもんかなぁ…せめて、荷物を持って逃げればよかったのに」

 異世界リュックだから、馬車の中では下ろしていたよ。着替えや念の為のキャンプグッズはあの中だ。

 携帯はある。だが、繋がらない。無情の圏外表示だ。窓から離れすぎたんだから、当然だろうな。

 そうこうするうち日が暮れて。お腹ペコペコ遭難コース。

 森を彷徨っても果物なんて都合よく見つからない。そしてインドア派の僕には食べられる野草なんて見分けられない。大体、さすがにこんな生態系も不明な場所の草っ葉なんか洗わず火も通さずになんて食えない。エキノコックス怖い。

 ヤバイ。結構、本気でヤバイ。

「落ち着いて? まずは持ち物チェックでもしようか? そうしよー」

 悲しい一人会話をしつつ、木の根元に座り込む。ちゃんと、獣のお粗相などがないか確認した。着替えもないのに、踏んだら終わるよ。ましてやケツで。

 気を取り直して、ベルトに通してあるポーチを開けてみる。浮かれていたので普段なら持たないようなものも色々入れたはずだ。何を入れたかは自分でももう忘れたけど。

 薄暗くてよく見えないよ…夕方の森って、もう鳥目タイムだよ。

「あ、マッチがある。頑張れば焚き火ができるかも…できるか? 焚き付けがいるだろ…枯れ草なんか見当たらないし、生木なんか燃えないし。インドア派では勝てる気がしませんよ。火がつかないうちに使い切りそう。ライターにしとけば良かった…異世界だから自重しようとか、押されて荷物の中で火がつくとか妄想しなければなぁ…。…絆創膏。頭痛と腹痛と胃もたれと風邪は薬があるから大丈夫、と。…うわぁ…こんなところに、遭難に備えたコンソメスープの素が…。浮かれて入れたみたいだけど、お湯がないと使えないよ…鍋もないのにどうするのか。齧るのか。水もないのに、しょっぱいだけだよ!」

 飴玉でも入れておけよ! 僕の役立たず!

 いや、準備時の自分に腹を立てても仕方がない。あるだけいいじゃないか。お腹減って死にかけたら、意地で食えるかもしれない。

 ろくなものが入っていなかったポーチを閉め、今度は服の各所についたポケットを探る。胸ポケットに五百円玉とか、ホント、使えない男だよ僕は。

 溜息をついて、立ち上がる。

 結構暗くなっちゃったけど、休憩おしまい。どうせ焚き火もできない僕にはキャンプ支度なんて意味がない。今から薪集めるとか、無理だもんね、暗くて。やるんなら、もっと前に準備しとかなきゃいけなかったんだよ。今気づいてももう遅いぜ、イヤッホゥ。

 …いかん、テンションがおかしくなってる。

 ふらふらと歩きながら、同じとこぐるぐる回るあれだけはイヤだな…と考える。せめて少しでも出口に向かって進んでいたいものだ。

 僕なりに頑張ったつもり。そうして、僕は、明かりを見つけた。

 だけど。

「誰だ!」

 近づく前に、発見されて斬りかかられるとか! 異世界、超アグレッシブ! 誰だと訊いておきながら、答えさせる気が全くねえぇ!

 誰だ、死ね…って斬新すぎる挨拶だよ。

「あ」

 僕に上げられた声なんて、それだけ。

 防御しようと無意識に上げた腕に、馬鹿じゃないかと思った。片腕が切り落とされたら、この先どうすればいいんだよ。

 片手だけで今までと同じように仕事できるかな、できなかったら会社クビになるのかな、利き手は残るからマウスは握れるかな…。

「待て、子供だ!」

 別の声がして、剣を振る勢いが鈍った。

 そして、腕輪との衝突。

 痛い痛い、すげぇ痛い! 切れてないし折れてないけど、そうです、打撲です! ダイレクト骨インパクト! 自分でも何言ってるかわからない!

 んぬのぐみにぎー、みたいな声を出して蹲る僕…に対して容赦なく襟元を掴んで引きずり倒し、腰に下がっていたナイフを奪い取る相手。

 別に僕自身にはそのナイフを使う予定はないけど、借り物だから取られるのは困るのですが。

 あ、うん。返してくれる気なんて一切なさそうだね。僕も命が惜しいんでとりあえず黙ります。

 涙目で顔を上げると、片方の男がロープを持って近づいてくるところだった。

「首絞めるんじゃなきゃいいけどねぇ」

 呟きながら、僕は両手を前に出す。

 …相手は目を見開いた。

「え、だって縛るんでしょ。できれば後ろ手にギチギチはやめてほしいです」

 だからほら、前でゆるーい感じでお願いします。

 男達は困ったように顔を見合わせつつ、結局僕の手首に縄を巻いた。うむ。巻かれてる間にこっそり手を揺らして腕輪部分を縄の間に入れたりしたから余裕がある。隠蔽された腕輪が役に立った。

「まぁ、金にはなる」

「そうだな」

 彼らは頷き、僕を蹴飛ばしつつ明かりのほうへと引きずる。彼らのキャンプだ。焚き火と馬車、そして…何だか食欲の動かない色と臭いのスープが煮立っている。

 その辺に転がされた僕がジタバタと身を起こす間にも話し声は続き、僕はそこで異変を知った。

「それにしても、どこの国の言葉だ? ちっとも言ってることがわからねぇ」

「ああ。それに、こんなひょろっちいガキが一人で森にいるのもおかしいよな」

「聞こえてんのか、坊主。お前、誰だ。なんでここにいんだ」

 …えー。言ってることがわからないなら説明しても無駄なんじゃない?

 僕はちょっと首を傾げて見せた。それから、口を開く。

「水晶の生えてる森って知ってます?」

 男達はしばし固まったあとで苦笑した。

「やっぱりダメだな、言葉が通じてねぇ。何言ってるかわからん」

「まぁ、俺達はそこまで考える必要ないさ。引き渡しゃあ向こうがどうとでもする。そういうもんだろ」

「違いない」

 …そういうもんですか。

 やがて彼ら(だけ)が食事を終え、一人が馬車内、一人が焚き火兼僕の見張りという形に落ち着いた。警戒するのは魔物と人と両方らしい。

 僕の眠りにも、彼らが干渉することはなかった。

 そして。

 翌日になっても、彼らが僕に何か食べさせようとする素振りは見られなかった。

「お腹減ったんですけどー」

 ぐーぐー。

「捕虜には是非、人道的な扱いをー」

「何言ってんだろうな、さっぱりわからないなぁ」

「ああ。切々と訴えているが、全くわからないな」

 いよいよ大変にお腹が空いてきたのだが。困っているのは僕一人。

 もしかしたら彼らのご飯だってギリギリなのかもしれない。親切を当たり前だと思うな、無心だ、無心になれ柾宏。

 …そんなことをしていた僕は、その甲斐もなく「さっさと乗れ」と馬車に押し込められて大層憤慨した。


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