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田舎から出られない



 兄の部屋はもはや物置だ。

 段ボールに詰め込まれた古い服の中から、適当にサイズの合いそうなものを探す。もう誰も着ないのだから捨てればいいのにと常々思っていたものが、こんなところで役に立とうとは。

 デザインなどを選ばせたりはない。一時太っていた兄の服はサイズが豊富だが、どうせサイズアップするにつれ父のよりはマシ程度のデザインしかない。それに早朝五時からのTシャツ見本市で僕は疲れきっているんだ。これ以上散らかしと片付けと長考には付き合えない。出かける体力がなくなる。

「倉庫か」

「いや、兄さんの部屋…って、なんで二人とも入って来てんの」

「暇だ」

「護衛だ」

 僕の家には護衛が必要なほど危険なものなど存在しないです。

 ディーが暇になったのは駄々をこねる人が出て、僕が服を探さなきゃいけなくなったからだ…と思ったところでヒューゼルトの手が素早く僕の頭を叩いた。ヤバイ、この護衛、読心術を会得したかもしれない。えぇと、わかってますともー、王子に護衛つけずに異世界なんて歩かせられないですよねー、お仕事ですもんね、大変ですね。き、聞こえてるんだろう? ガクブル。

 そんな被害妄想を繰り広げつつ、ボーダーTシャツを広げてヒューゼルトと見比べる。気がついた彼は眉を寄せ、唇を引き結んだ。

「派手だな」

 ディーの一声で、更にヒューゼルトの眉間に深いしわが刻まれる。

「派手じゃないよ。普通だよ」

「私だけ珍妙な格好で歩かせようとしているだろう。こういうときに鬱憤を晴らそうとするとは小さい男だ」

「してないし! そんなことしたって一緒に歩く僕が恥ずかしいだけじゃないか!」

 この人達は柄物に免疫がなさ過ぎる。

「ほら、着てみてよ。そのサイズがダメなら、もうオッサンの服しか出せないからね」

 僕は服をヒューゼルトに放った。

「これは兄の服だったな。オッサンというのは」

「父さん。悪いけど小太りのオッサンだからね、いかにもなオッサン服しか持ってないよ。さすがにヒューゼルトに着せるのは僕でさえ忍びないレベルだね」

 ヒューゼルトが着こなすためには二回り強の腹囲拡大、そして二十年ほどの年月を必要とするはずだ。

 そんなこんなで試着。結論から言うと、服のほうがちょっと大きいくらいだった。ヒューゼルトはそこまでムキムキではないらしい。彼は「殿下の前で着替えるなど、そんな無礼はできない」と僕の部屋に着替えに戻ったので、実際どの程度マッチョだったのかは見ていない。あと、無礼と護衛のどっちが重要なのかはっきりしてほしい。

 そして「そうび:げんだいのふく」にチェンジした彼らは、ようやく家から出ることになった。

 ヒューゼルトの剣? 持っていくって聞かないから二階の窓から投げ捨てたよ。

 ディーが投げたから、うまくディーの部屋の机に乗ってた。もし投げたのが僕だったら手から離れた直後に床に吸い寄せられていたはずだ。重すぎて。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 扉から出た途端に戸惑って動かなくなった異世界人二人を風除室から追い出して、玄関に鍵をかける。

「マサヒロ」

「はいはい」

「お前の家は入り口だけ随分と贅沢なのだな」

 失礼極まりない。

 ディーの部屋の窓にはガラスがはまっていたから今まで気にしてこなかったけれど、そういえば城下で見た一般家庭の窓は激しくフルオープンだった。みんな開けてるから暑いんだろうな、網戸ないのかなってくらいにしか考えてなかったけど、あれはガラスが高価だったからなのかもしれない。

「リフォーム…家の修繕前まではこのガラスの部分はなかったんだけどね。母が長いこと不便だって言ってたから思い切ってつけたらしいよ」

「思い切りすぎだろう…こんなに大きな一枚ガラスだぞ」

「ヒューゼルト、あちらの家にも入り口にサンルームがついているな」

「本当ですね。マサヒロは貴族だったのか?」

「田舎の平民って言ったよね。異世界なんだからって納得して、そろそろ帰っといでよ。ガラスの普及率で一日終わっちゃうよ」

 がらがらがしょーん、とシャッターを開けて振り向くと、ものっそい警戒した顔のヒューゼルトが僕を睨んでいた。

 マイカーは中古のセダンですが、何か?

「車庫のシャッター開けただけ…えぇと…。あのね、ヒューゼルト…基本的にこっちの世界で突然の攻撃されるってことないから。全く存在しないとは言わないけど、ほぼないよ。気を張りすぎると疲れるよ」

「マサヒロ。そんなことより、これは?」

 ヒューゼルトの警戒をひょいと素通りして、ディーはとことことこちらへ寄ってくる。注意すべきかと悩むヒューゼルトが可哀想になってきた。自分のための警戒ではないだろうに。小心者と思われたくないのか、ヒューゼルトは結局何も言わずに供をすることにしたらしい。僕を睨む視線だけが強くなっていく…あの視線が武器に変わる日も近い。ビームが出そうです。

「僕の車。これで出かけるよ。歩くの嫌いだし」

「馬車か?」

「いや、馬とか引っ張る動物は要らない。専用の燃料を入れれば、これだけで動く」

「…どんな魔法…いや、魔法はないのだったな…一体どういうものなのか見当もつかない」

 悩むヒューゼルトに説明してあげられるほど僕も知識はない。原理とか気にしない、動けばそれでいい。

「ふむ。ところで、マサヒロ…」

「あげられないからね。これを動かすためには専用の教育施設で学んで、資格を取得しないとダメなの。これ自体、中古でも僕の給料何か月分もする。あと、そっちに燃料がないと思うから持って帰っても粗大ゴミにしかならない。そもそも、窓を通らないから物理的に無理」

「…くっ。まだ何も言ってないのに駄目な理由ばかりを…」

「バレバレですから。ほれ、乗って。乗ったらそのベルト引っ張って先をここにカションとして」

 ディーがさっさと助手席に乗り込んだので、ヒューゼルトが立ち尽くしている。一番の安全席をディーに勧めたいが、それが判断できないのだろう。とりあえず乗れよ、と僕の後ろの席を示して見せるが、とても不満そうだ。ちなみに一番安全といわれる場所はお前が乗った場所だよ、ヒューゼルト。

「狭いな。これでは何かあったときに剣が…」

「剣は要らないんだっての。ヒューゼルトもシートベルトして」

 僕が捕まったらどうしてくれる。っていうか、武器隠し持ってないだろうな、ヒューゼルト。突然シートを切り裂かれたらたまったもんじゃないよ?

 エンジンをかけるとその音に二人は口を引き結んだ。続いて車内に流れる音楽に、目を丸くする。すみません、ちょっと音がでかかったね。僕、車内熱唱型なんです。慌てて少し音量を落とす。

「これは、どんな内容の歌だ?」

「振られました、立ち直れない。…って感じかな」

「…残念過ぎる…」

「声はいいじゃないか。この人達はねぇ、曲も歌詞も似たようなのが多いんだけど、たまに好きなのがあるんだよね」

「残念なのはお前の説明だ。端的過ぎて身も蓋もないわ。ちょっと歌ってみろ」

 曲に合わせて僕が歌うことにより大体の内容を理解したディーに、更に詰られた。内容説明としては正しかったはずなのに。あと、英語部分の説明を求めないで、素でわかんないから。

 ミラーに映ったヒューゼルトは僕らの様子よりも周囲を観察している。車内も彼にとっては不審なものだらけであろうに…一応僕のことを信用しているということなんだろうかね。

 電線や信号、標識なんかについて説明をしながら通りを進む。

 ショッピングセンターの駐車場に入れて、ご案内開始。スーパーに寄って狩りができない理由(パック売りの肉)を見せたり、お菓子を買ってあげたり。本当は地元で大恥かくことも覚悟していたんだけれど、彼らは意外とお約束の「鉄のイノシシだ!」だの「うおぉ、ドアが勝手に開いたぞ!」みたいな恥ずかしいことをしなかった。僕の家を出た直後が一番よく固まっていたような気がする。

 僕が普通に対応しているものは、こちらでは普通のものなのだときちんと理解しているらしい。なので、むしろ僕の反応のほうが注視されていて視線が痛い。さすがに王子とその護衛、無駄な隙は作らない。彼らはよく訓練された異世界人だった。

「魔法ではないということが本当に不思議でならない…同じ音や声があちこちで同時にしている」

「館内放送だね。音を大きく出す部分だけ色んなとこについてるけど、大元の音源は一箇所なんだよねぇ。なんて説明すればいいかわかんないな」

「マサヒロ、あれは何だ。持ち帰ることは可能か」

「いやー、あれはポイント発券機なんでダメですね。持って帰っても何の意味もないね」

 異世界ご来店ポイント。溜めたら何がもらえるんだ。

 少し疲れた様子のヒューゼルトと、珍しいものばかりの状態に目がキラッキラのディー。

 とりあえずド田舎のショッピングセンター(全国系列店ですらない)を、ここまで満喫していただけるとは思わなかった。隣町に最初から行ってたら、もっと大変だったかもな…。

「田舎のショッピングセンターでもソフトクリームくらい売ってるんで、まぁ、一休みしようか」

 僕も、こんなに長いこと滞在できる空間だとは思いませんでしたよ…もはや帰りたい。

「これは何だ」

「ソフトクリーム」

「だから、それが何だと聞いているんだ」

「えっと…冷たい、甘い、食べ物」

 ヒューゼルトの目が鋭くなった。しまった、食べ物…毒見か? 外ではご遠慮願いたいなぁ…。食べた後のものあげるとか明らかにおかしい。

 僕は悩んだ結果、異世界人二人に釘付けになっているレジのお姉さんに注文する。

「バニラとチョコと、ミックス一つずつ。あと、スプーン二つくれませんか」

 お姉さんは初めて僕に気がついたような顔をした。少し悲しい。

 始めにバニラを受け取り、ヒューゼルトにスプーンと共に渡す。毒見の後、ディーに渡す。まだ食うな。チョコとスプーンが来たので、スプーンだけディーに、チョコはヒューゼルトに渡す。よし。これで「そっちの味見もしたい外国人達」が出来上がりだ。

 そこらの休憩スペースを示して先に座るよう促し、僕はミックスを受け取ってお会計。

 やり遂げた感と共に彼らの元へ戻ったら、二人して僕のミックスにスプーンを突き立てるという所業!

「ちょっとお! お前らはどっちも食えばミックスだろう!?」

「すまないな、マサヒロ。殿下のご命令だ」

「やらねばならない気がしたのだ」

 二人はとても晴れやかな顔をしていた。

 異世界って、解放的になるんでしょうか…僕のミックス…。

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