ツイストパン祭り
そのTシャツに書いてある数字が一体何の数なのかと追求されても、僕にはそういうデザインだからとしか答えられない。貰い物だから、自分で選んだわけでもないしね。
Tシャツ選びは熾烈を極め、翌朝に持ち越された。…というか、長くなる気配がしたので翌朝に回してもらった。そのあとに出かける用事があれば、選ぶのも早く切り上げるであろうという目論見だ。我ながら孔明だと思ったのだが、どっこい相手のほうが上手だった。
…ディーは「朝か? 構わないぞ」と言いつつ笑顔で早朝を希望したのである。なんで休日に五時起きなんだよ。敗北感がハンパない。
最初こそ欠伸を噛み殺していた僕だが、ディーの容赦のなさにより、早い段階で完全に目が覚めた。
げに恐ろしき、我が部屋の惨状よ…。
タンスからはほとんどの服が取り出されて並べられた。誰が片付けると思っているのだ、この王子様は。もちろん僕なのはわかっているが、言わずにはいられない。仮にディーが片付けてくれるといっても御免こうむる。彼は畳むことをしようとしないからだ。わかってるよ、畳むのはお付きの人とかなんだろう。でもクシャッとした服をタンスに突っ込もうとしたことは見過ごせない。シワになるのは、まぁ、どうでもいいんだけど。そんな入れ方じゃ全部入りきらなくなるんだ。
ディーは上機嫌だ。僕のチョイスは本当にお気に召したのだろうか。
彼は今、右脇腹に犬が寝転がっている青いTシャツを着ていて…これがまた案外似合っている。
「これは何と書いてあるのだ? メガネをかけても翻訳されない…なぜか読めないのだ」
「多分、英語だから翻訳されてないんじゃないかな。これ、外国語なんだよ。意味は…お昼寝が楽しみ…とかだったかな」
わん平は、すぐ首輪抜けをして脱走するという設定のキャラクター。お手と言われてもおかわりと言われても、勢い余って両手を差し出してしまうダメ犬なのだ。僕はわりと好きです。
腹を出して転がる図が可愛いから、なんて書いてあるのか買ったときに調べた。翻訳サイトで。
「マサヒロ」
「なぁに」
「これが欲しい」
…あ、気に入ったんですか。困ったな。それ、僕も気に入ってるんだけどな。第一、服は貸すだけのつもりでしたのに。
「マサヒロ」
沈黙に僕の思いを察したか、ディーは更に重ねて僕の名を呼ぶ。
「…うーん。でも、それ、何回も着た奴だよ?」
「しかし、これが欲しいのだ」
意外だよ、可愛い物も好きだったということが。もっと何かこう、黒地に暗い色でよくわからない模様が描いてあるこっちのTシャツとか選ぶかと思った。
いや、僕が着せたんだし、似合うけれども。脱走仲間っぽいところが。
「まぁ、いいかな。うん」
異世界でも元気にやるのだよ、わん平。
ディーはジーンズも欲しがったが、いかんせん足の長さの都合により、僕のズボンは差し上げられない。そんなわけで、本日は「ド田舎をさらっと見回りつつ、隣町へズボンを買いにいく会」となった。
…ヒューゼルトに伝えてから、だけどね。
そうこうしている間にお腹が減ったので朝ご飯を食べる。
ディーには是非自分ちで食べていただきたかったのだが、彼は僕の質素で庶民的な朝食を奪い取ろうと画策してきた。コックさんが可哀想なので、できればそっちで食べてよ…と遠回しに伝えたところ、朝食不要と伝達済みだから、須月家で提供せねば朝食抜きになると言われてしまった。いつの間に…随分と計画的な所業じゃないか。誰か、彼に毒見の必要性強く説いて欲しい。そして、願わくば僕の手間を増やさないよう言い含めて欲しい。
お出かけにおいては異世界リュックを持ち込もうとしてきたので、僕の肩掛けカバンを貸すことにした。
冒険者っぽすぎるよ。どんなファッションか。リュックだけ浮くわ。
「ご飯用意するから、持っていく物があるならその間にカバンに入れておきなよ」
「わかった」
貸すとは言ったものの、返ってこない気がするなぁ…。空っぽのカバンを嬉々として肩にかけた彼を視界の端に納めた僕は、半ば諦めた気持ちで階段を降り始めた。
さて、気を取り直して朝食です。別に、ディーがいるからって内容は変わりません。中途半端に開封していたパンをみんな出してしまおう。レーズンツイスト、黒糖ツイスト、ようかんツイスト…あれ、なんで捻ったパンばっかり買ってんだろう。賞味期限はちょっと過ぎてるけど、大丈夫。むしろ今消費しないとダメになる。なんせ仕事帰りに買い物すると、お腹減ってるせいか予定外のものばっかり買っちゃうんだよな。まだ家にパンが残ってるってわかっててもそのとき食べたい奴も買っちゃう。
あとはインスタントコーヒーと、ベーコンエッグ。うん、十分十分。
お盆に載せて二階に戻ると、眉を寄せたディーと…猛犬のような顔をしたヒューゼルト。
「…早くない? ヒューゼルト。まだ、七時半なんだけど。出勤、八時半じゃなかった?」
「殿下の朝食が体調不良のため不要だと…昨夜コックに伝えられた」
「…昨夜?」
「ああ。そう引継ぎがあったのでな。聞いてすぐさま駆けつけた。そうしたら、ちょうど殿下が本日は体調不良で休むから誰も室内に入れるなと指示を出していたのでな…そうはいかんぞ、マサヒロ。私は誤魔化されない。殿下を護衛もなくそちらへ連れて行こうなど、とんでもない企みだ」
めっちゃ警戒されている。僕が諸悪の根源だと言わんばかりの睨みっぷりだ。
というか、ディーの行動が読まれすぎです。体調不良の報を聞いても心配ゼロって。脱走フラグとしか捉えられないだなんて、ヒューゼルト、よっぽど日々苦労してんだろうな。
「あのね、別に僕のせいじゃないし。一応ヒューゼルトには言ってからにしようねって話にはなってたんだよ」
「しかし私を連れて行く気はないそうじゃないか?」
「…だってヒューゼルト、僕の服じゃ小さくて着られないでしょ。あと、剣は持っていけないんだよ。武器を持ってたら警備の人に捕まるんだ」
いちいち騒いだり剣を振り回したりしそうだから連れて行きたくない…って素直に伝えたら憤怒の形相になるのが目に見えている。僕は読めない空気を必死に読んだ。
窓越しの皿から、ディーは遠慮なくパンとコーヒーを取っていく。ヒューゼルトがはっとした顔をするが、止めるより先にディーはようかんツイストを口に入れた。咀嚼しながら、不思議そうな顔をしている。
「中にクリームが入っている。上にかかっているのは何だろうな。食べたことのないパンだ」
かかってるのは羊羹です。
「くっ…殿下、未知の物をそう簡単に…っ。マサヒロ、あれは何だ。せめて材料を聞いておこう」
「ようかんツイスト…羊羹は寒天と豆と砂糖かな。食べ物を意図して食べられなくするとか、普通に抵抗あるから毒なんか盛りっこないけど、まぁ今からでも毒見したら? ヒューゼルトも仕事だもんね」
勤務時間前なのに真面目だねぇ。僕は皿からパンを手にとって、一口分ずつむしる。ヒューゼルトは無言で受け取った。
「格好などこのままでいい、私も行くぞ」
「馬ッ鹿、やめてよ、鎧とか着てるヒト一人もいないからね」
しかしヒューゼルトは頑として譲らない。
このままでは、僕はコスプレ魔を従えて歩くというイタイ人扱いされてしまう。