遠足準備の気分。
つい先日まで「異世界人、襲撃に腰抜かしてたんだぜ、ダセー」って言われてたのに、最近は「暗殺者が一時間くらい泣いてて尋問できなかった、異世界人マジ鬼畜」なんて町の警備兵に言われているらしい。皆、勝手なものだ。その話を隊長に聞いたとき、僕は笑顔で「窮鼠猫を噛むって言うからね。隊長、大群に噛まれろ」と心の闇を伝えておきました。
あの日完全にからかい声だった屈辱を、僕は忘れていない。
それから、あんまり自然にそんな話をするからわかったのだけれど、警備兵に護衛のヒューゼルトがバレバレのためお忍びの意味がないようだ。周囲は意外と生温かくディーを見守っているのかもしれない。まぁ、王子がお忍びでスラムに行く時点でおかしいよね。暗殺者はどこに行こうと出ると思っているみたいだし、ヒューゼルトが全力を持って止めないなら大丈夫な地域なんだろうね。
比較的安全なスラムってのも不思議な響きだけど…追求したところ、どうやらそこには先人の苦労があった。スラムを含めた城下への脱走は、既にケー王子の頃からあったらしい。マロックをもってしても発見できないうえ、第一王子である分ケー王子のほうが性質が悪い。お忍び自体は王様も黙認しており(脱走癖に遺伝疑惑濃厚)速やかに環境整備が進められたスラムは、もはやそこまで危険ではないのだという。警備とも仲が良いという隊長は「程度の差はあれ貧民街はどうしてもできるものなのだから、目を逸らしさえしなければ大丈夫だ」と強気であった。本当なのかな…とりあえず、都会って怖いね。というか、城の近衛と町の警備は仲が悪いイメージだったけど、そんなこともないんだね。近衛としては隊長のガラが悪いから、きっと馴染みやすいのかな。
それはそうと、王子様の理不尽な要求と多大なる好奇心とは、留まるところを知らないのですが。
今までは需要と供給に大きな落差があったんだ。ディーは積極的な異世界交流を望んでいるけれど、僕のほうはそこまででもない。王子様相手にも自分の面倒くささを優先する僕の対応には、きっと彼も困ったのだろう。威光は通じない、気に入らなければ窓を閉める、それでも僕は全然困らない…歯痒かっただろうなとは思うよ。王子特権ないよね、権力も暴力も金銭も通じないなんて。一応、金は換金できるようになったけど…ディーのお小遣い分は仕方ないとしても、面倒だから僕自身の分なんて要らないしね。もらったところでクローゼットに溜め込む予感しかしない。
僕が向こうの世界に何かを望めば、ディーも対価を望めた。だから彼は、隙あらば「~してやろうか」と誘惑を持ちかける。
仮に何かをしてもらったとしても今までの対価は食べ物のお裾分け程度で良かったし、「別に僕が望んだことじゃなかったよね」って突っぱねることも可能だったんだ。そう、この間までは。
けれども今は違う。僕は明確に望んだ。それは僕がない頭をフル回転させた結果であり…鳥頭故にガードのほうが緩んでしまったのは確かなんだ。
「先日はお前の望みで外に連れて行ったな?」
あぁ。
その笑みは心なしか、いつもより無邪気に見える。腹の中は真っ黒だろうに…やはりワクワク感とかが全面に出てるせいで、こんなに憎めないんだろうか。防衛ラインを崩された…状況としては腹立たしいはずなのに、自分の顔に苦笑が浮かぶのを止められない。
「だから、マサヒロ。私もそちらの世界を見に、外に連れて行け」
うん。多分、そろそろ言うだろうなって思ってたよ。
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僕はまず、ここには何にも期待するようなものがないことを伝えた。
「僕の住む町はとても田舎だ。そりゃあ多少の物珍しさはあると思う、異世界という意味では。だけどあまりに田舎だ。服なんて買おうと思ったら乗り物で三十分ほどの別の町に行かなきゃいけない」
「…服屋もないのか。しかし三十分くらいどうということはないのではないか?」
「服屋はあるよ。でも、田舎の中高年向けなんだ。おっさんポロシャツとか、ゴム入りジーンズとか、買う気になれない。まだ早すぎる。それから、もっといい…オシャレな流行のものを買おうと思ったら乗り物で二時間ほど行かなきゃいけない」
「…ふむ。しかし日帰りで帰って来られる距離ではないか?」
どうせ馬でしょ、ディーの移動手段なんて! 僕は車の話をしてんのに!
なんて言いそうになったけど、ディーにわかるわけないし、そもそも速度なんて説明できない。多分、馬も速いんだろう。昔見た洋画では、馬で引いた自動車で必要な速度を出してタイムスリップを試みてたしな。
「で。何がしたいの? それによって連れて行く場所が変わる。ディーがどれだけ時間を使えるかにもよるよね。一日がかりならヒューゼルトの許可が出るかどうか…」
ヒューゼルトも来るって言う気がするな…。そうすると、ちょっと色々面倒だな。
お菓子や食品が見たければ近所のスーパー…はあんまりかな。隣町の大型スーパーか職場近くのデパ地下か。服が見たければ、それも隣町か職場の近く。遊びたいなら遊園地…これは隣町の周辺でもいいかな、しょぼいけど初体験ならこの程度からでもいいだろう。
「まずはその何もないという田舎からで良い。足元も固めずに遠くを見るのも良くないからな。どちらにせよ、準備が要るだろう?」
自分で言うのはいいのだが、人に言われると腹が立つ田舎者の心理よ…。
しかしながら、今晩言われて明日行こうというわけにもいかないのは確かだ。ヒューゼルトとかヒューゼルトとかヒューゼルトに言わないと僕が斬られる。
そしてまずは服。秋葉原ならいいかもしれないけれど、ここらではディーの格好は仮装行列くらい珍妙だ。少なくとも中世っぽい洋画から抜け出てきている人。現代感はゼロだ。
「そうだねぇ。ズボンは無理だけど、上なら、僕の服は着れるのかなぁ…まずはそこからだよなぁ…。ちょっと試着してみようか」
「うむ」
ズボンは自前のを履いてきてもらおう。悔しいが僕のじゃ短いし、適当に買って履けないオチは困る。何なら出先で買ってもいいしね。
クローゼットからTシャツを取り出して、ディーを振り向く。待ちきれなかったらしい彼は窓を乗り越えるところだった。
「ちょっと」
「靴は置いてきた」
ぐぬぅ。靴を脱げば侵入してもいいということではない。
僕の手からTシャツを奪い取ったディーは首を傾げた。広げたそれを僕の身体に当てて、しげしげと眺める。
「…え? 何?」
なんか変なポーズとか取ったほうがいいの、コレ?
「派手だな」
「そうかな!? 一番何の変哲もない奴を出したつもりだったけど!」
誰でも抵抗がなさそうなのを選んだつもりだったのに。
黒地に暗い色で風景っぽいプリントがされただけの奴なんだけど…あっぶねぇ、お気に入りの金魚柄とか出さなくて良かったな!
「しかしお前…こんな大きな絵が全体に入っている服を着ているところなど見たことがないぞ」
しまった。僕の休日の家用である、どうでもいい感じのヨレた無地Tシャツが、ディーの中のこちらの服装としてインプットされているのか。
出かけるときはもうちょっと違うんですよ。アレは面倒だからって前にネットでお安くまとめ買いした部屋着なんですよ!
むしろディーなら漢字Tシャツでも着せておけば観光に来ましたって感じが出て十分だと思う。
物は試しとばかりにディーが服を脱ぎ始めたところで、僕は気がついて首を振った。
「あ、ダメだわ。お前、着痩せすんのな。なんかムキムキしてるもん、それ着れないと思う」
考えてみたら、剣を振れるような奴が小さめデザインのMサイズを着れるはずがない。Lサイズって程でもないと思うけど…ディーは細マッチョでしたか。
わぁ、そう考えたら向こうの世界はマッチョばっかりか。勝てる気がしない。防犯グッズの充実は急務だな。
「…なんだと…派手だと思いはしたものの、着れないとなると悔しい気がするな…」
「大きめのもあると思うし、前開きシャツならいけるかな。ちょっと待ってね…って、こら! 人のタンスを漁るな、勇者かお前!」