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異世界恐怖症になった:後半戦



 結局、僕があげたのは携帯CDプレーヤーと電池を数本だ。

 その存在もやはり突然知らされたヒューゼルトは、再び僕を呪い殺しそうな目で見ていた。気にしてたらやっていけないのでスルーします。王子から許可が出ている以上、僕がヒューゼルトの顔色を窺う必要はないのです。

 レディアは大変喜んで受け取ってくれた…が、仕組みの詳細な説明を僕ができないことに、若干ガッカリされていた。

 僕の翻訳腕輪の後継となるドッグタグについては、なんか大変そうなことになっていた。ドッグタグなんだし二枚で両面に印字すれば場所は足りるかな、刻印は見えていても別にいいよって話したところ、大変に驚かれてしまったのだ。どうやら魔道具として、刻印が丸見えなのはド三流らしい。僕は謎の模様のドッグタグも楽しそうだと思ったんだけどね。

 もしも刻印が削れてしまえば道具としての効果がなくなるのだから、内面に彫りたいのは当たり前のことなのだろう。

 ディーは他にも何か注文しているらしく、ちょこちょこ話し合っていた。でも僕に聞こえるのは都合が悪そうだったので、その間はCDプレーヤーを聞いてやり過ごすことに。

 翻訳メガネの改善提案に至っては、ディーとレディアの白熱討論会みたいになっちゃったので、ヒューゼルトが強引に打ち切っていた。

 そんなわけで城に戻ります。

「今日はとても有意義だったわ。来てくれて本当にありがとう」

 満面の笑顔で手を握られれば悪い気はしない。

「こちらこそ。翻訳の魔道具、よろしくお願いしますね」

 レディアよ。早く僕を解き放ってくれ、この金色の呪縛から。君だけが頼りなんだ。

 マジで本気で全力にてお願いしますね、と拍手を打って拝んでおく。そんな僕を、三人は不思議そうに見ていた。

 てくてくと城へ向かって歩き出したのは空がオレンジ色に変わり始めた頃。

 アップルパイマジックだろうか、ヒューゼルトは少し機嫌が良さそうに見える。僕の分を一つあげた甲斐もあるというものだ。ディーは自分が欲しかったらしいが。いっつも僕のおやつ一緒に食ってんだから、たまには部下に分けてやれよ。

「ディーエス様」

「マサヒロ、止まれ」

 不意にヒューゼルトがディーの前に出た。ディーも先頭を明け渡して僕の側に走る。

 え、何?

 視界の端で何かが飛来するのを感じて。そちらへ目を向けようと試みて。

「ちぃっ」

 舌打ちと共にヒューゼルトが剣を抜いた。

 ギィンッと耳に痛い音がして、ナイフが地面に叩きつけられる。ヒューゼルトの剣が、ナイフを防いだ。

 それを理解した途端、僕は呆然と口を開いた。言葉は何も出ない。

「マサヒロ」

 ディーが僕の腕を引く。僕を庇うディーは、きっとおかしい。本来、守られなくてはならないのは、王子様なんだ。

 じゃあ、僕は?

 僕は本来、ディーを守らなくちゃならないんだろうか?

 ヒューゼルトが戦っている相手は黒ずくめ。けれども、ディーもまた別の黒ずくめと応戦している。混乱したまま、僕はディーに引っ張られたり押されたりしながら位置を変えることしかできない。武器はある。ナイフがある。だけど、どうしてもそれに手がいかない。だって、刃物を持って人を傷つけるだなんて考えたこともない。だけどこれは正当防衛だ。罪にはならない。ならないんだから戦うべきなんだ。

 本当に? 僕は戦わなくちゃならないのか?

「…ひっ…」

 不意に迫った白刃に、僕は喉の奥で引き攣れた悲鳴を上げた。

 素早くヒューゼルトが間に入り、簡単に剣を弾き返した。そして。相手を切り捨てる。

「お怪我はありませんか」

「ない。やれやれ、どこでバレたかな。今日の私は公文書館で勉強の予定になっていたのに」

「ディーエス様の予定表を真面目に信じる暗殺者ももういないのでは? マサヒロ。お前も怪我は…」

 まるで何もなかったかのように軽口を叩き、振り向く二人は普通の顔をしている。

 かくりと膝から力が抜けて、僕は地べたに座り込んだ。

「何をしているんだ」

「…大丈夫か? どこか痛むところがあるか?」

 呆れたようなヒューゼルト。ディーは僕の側にしゃがみ込んで、怪我がないことを確認している。

 僕は声が出ないまま、口はぽかんと開いたまま。

 騒ぎに周囲も気づいたのだろう、警備兵が駆けてくる。ヒューゼルトがそれに対応し、ディーは呆然とした僕を困ったように見つめていた。

 周囲の音が、何だか遠い。

「いい加減に立て、ディーエス様が戻れないだろう」

 いつの間にかヒューゼルトが僕の顔を覗き込んでいる。

 何か言わなきゃ。そう、思うのだけれど。

 喉に何かが詰まったみたい。

「…背負うか」

「私が。手を貸してください」

 ヒューゼルトの背に乗せられても、しばらく僕は呆然としていた。力が入らない僕は、だらりとヒューゼルトにくっついている。現実が飲み込めないまま、茶色い髪の先が揺れるのを見ている。どういうことなんだ。なんで背負われるような事態になってるんだろう。戦ってもいないのに。怪我してもいないのに。

 無言で歩く彼らに、何だか申し訳ないなぁと罪悪感がよぎって。

 そうしたら、ようやく指先が少し動いた。

「…ヒューゼルト、すごいね」

 呟くと、怪訝そうな身じろぎが伝わる。僕はヒューゼルトの背に顔を伏せた。

 すごいことだ。見知らぬ黒ずくめが突然襲ってくるのに、ディーを守って、僕まで守る。ありがとうって言わなきゃいけないんじゃないかな。そんな思いが掠めたけれど、僕は歯を食いしばった。泣いてはいない。でも、ちょっと泣きそうだ。意味もわからず危険が迫り、呆然としている間に過ぎ去った。それはとても恐ろしいことだ。

 ディーの部屋で近衛兵達に槍を突きつけられたとき、異常な事態に混乱はしたけれど、これほどの恐怖はなかった。彼らはディーを守るために動いていて、つまりはディーが何かを言えば、僕が殺されることはないとわかっていたからだ。城の中で起こることには、ディーが僕の味方である限り対応しきれると思っていた。

 だけど襲撃は違う。

 黒ずくめは、ディーの命を狙う者だ。ディーの権力が通じない相手だ。ディーさえ殺そうとする相手が、僕を殺さない道理はない。嫌われてはいない、憎まれてもいない、それでも殺そうとする。多分、それが仕事だからだろう。なぜと問うのは恐らく愚かだ。ディーと一緒にいたから、殺されるんだ。理由はそれだけ。だって、僕が異世界人であろうがなかろうが、誰かの利益にも不利益にもなるわけがない。黒ずくめ達にとって、僕はモブでしかない。

 僕の両手はいつの間にかヒューゼルトを締め上げていたが、彼は珍しく何も言わずにいてくれたので、うっかり城に着くまで自分の行動に気がつかなかった。

「うはは、何だこれ。いつも生意気なのに面白いことになっちゃって」

 クククと笑う声が聞こえて、イラッとした。

 この声は隊長だ。

 襲撃との遭遇、そして僕がかような有様となる顛末の報告を受け、顔も思い出せない隊長が笑っている。ぐぬぬ。

「どぉれ、お兄さんが慰め…ぐぉふっ!」

「お、マサヒロ、少し元気になったな。的確に鳩尾を蹴ったぞ」

「顔を伏せている割には狙いが正確だ。一応、私の上司なのでやめろ。こら、マサヒロ」

 ヒューゼルトは溜息をついて立ち位置を変えた。くそぅ、蹴りが届かなくなった。

 背中でじたばたと足を動かす僕が鬱陶しくなったらしく、ヒューゼルトは早々に報告を切り上げた。ディーは元々長居するつもりはない。僕がヒューゼルトとセットになっているからついてきただけだ。

「歩けるようになったなら下ろすぞ」

「窓までお願いします」

「…歩けるようになったなら」

「ヒューゼルト、窓まで背負ってやれ」

「…わかりました」

 渋々ながら、運んでもらうことには成功した。



 だけど僕は色々と、考えることになりそうだ。


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