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異世界恐怖症になった:前半戦



 住む世界は違ったんだ。それこそ、文字通りに。

 もう窓を乗り越えるなんてやめよう。

 …本気で、そう思った。



 魔道具職人の家は、城を出て中心街を抜けて、職人が集うエリアを越えた更にその先。少しずつ貧富の差が見えてきて。

 …彼女の家はスラムの一画なのだという。

「元々はマロックに魔導師見習いとして弟子入りしたんだ。しかし伸び悩んでな。師の高名とは裏腹の評価というのが耐え難かったようだ。決して無能なわけではないのだが、周囲の期待が重すぎたのかもしれんな。今は魔道具に魔力を注ぐ仕事の傍らで、開発も手がけているらしい。マロックは彼女を気に入っていたから、本人が魔導師としての道を諦めても弟子のまま破門せず、何かと気にかけているのだ」

「…魔法の才能があるかどうかってのは弟子入りする前にはわからないものなの?」

「私は弟子入りしようなどと思ったこともないしなぁ…わかるか?」

 ディーは肩越しに後ろを振り向いた。

「そう…ですね」

 いつもの制服ではなく、そこらにいそうな冒険者という風情のヒューゼルトがいる。

 ディーもまた、町の中でも浮かない程度のお忍び服だった。見た感じ、中流の坊ちゃんと雇われ冒険者だ。そして僕の立ち位置はヒューゼルトの配下っぽい。冒険者の初心者にも満たないというか…どちらかというと町人に近いうえに剣でもなくナイフ下げてる、みたいな。冒険者のお兄ちゃんに憧れちゃった小僧(お小遣いで装備を揃えているところです)とでもいうような半端な感じの服を用意されていた。…わかってるよ、鎧とか重くて無理だと思ったんでしょ。実際、靴でさえ重たいしな。スニーカー履きたい。

 ヒューゼルトはゆるりと僕に視線を向けた。

「一般の者であれば、冒険者登録でもしない限り自分がどれほど魔力を持っているかなど調べる機会はない。そして、魔力の量がどれだけ多くとも、精霊との親和性がなければ魔法は発動しない。だから実際に学んでみなければ、どれだけものになるかというのは判断できないのだと思う」

「ディーは僕には魔力がなくて、精霊も構ってくれないって言ってたけど。それだけわかれば…」

「…ディーエス様には四大精霊の祝福がある。精霊が目を貸してくれるのならば魔力の量や質も見破れるのだろう。これは稀有なことだ。常人にはそんなことはできないし、精霊との親和性を測れるような都合の良い魔道具もない」

 うわぁ、目が怒ってる。「なんで城下に王子を連れ出しますか、お前は」と、その目が言っている。

 僕のせいじゃないのに。むしろ僕が異世界へ連れ出されている側なのに。

「あ、外ではディーエス呼びなんだね。ヒューゼルトはお忍び名あるの? なんて呼んだらいい?」

 とりあえず関係ないことを言って意識を分散させようと試みる。

 しかし余計に嫌な顔をされた。

「どうでもいいだろう。ディーエス様も外ではあまり名を呼ばれない。お前も呼ぶな」

 前方でディーが小さく肩を震わせているので、どうやら何か不本意な名で呼ばれているらしい。

「そんなに嫌なら違う名前を使えばいいじゃない。ディーの命令なの?」

「いいや、近衛には近衛のルールがあるのさ」

「任務時に使用する別名は近衛に登録されている。そして、登録するのは隊長だ。与えられた名が気に入ろうが入るまいが、勝手に変えていいものでもない」

 隊長命名の、名前ねぇ…。もう既に記憶が霞んで、顔もおぼろげになった隊長。思い浮かべようとしてみても何も思い出せない。

 すっぱりと諦めた。

「で、魔道具職人さんちは、まだ?」

 もうすぐ、すぐ着くと言われながら結構歩いた気がする。移動手段の基本が自動車の僕と、歩きが基本の人との思考差異なのか。そういえば東京観光した際に目的地までの道を尋ねたら、すぐって言ったくせにいくら歩いても着かないってことがあったな…。すぐって言うのは歩いて五分以内くらいのことだろ、普通…なんで二十分歩いても着かないんだよ。

「ふむ、もうすぐだぞ」

 何回目だ、それ。ディーが言った言葉を信用できる要素がない。

 もうヤダ、せめて自転車をくれ、と駄々をこねかけたところでヒューゼルトが「そこだ」と呟いた。僕の駄々を察知したのだろうか。

「…ここ?」

 僕の声が頼りない。

 魔道具職人さん、というのだから、お店っぽいものを想像していた。完全に民家かつ、あばら家の雰囲気漂うそこは、女性の家という感じがしない。足を止めたディーの横を、ヒューゼルトがするりと進み出てドアをノックした。先頭を譲ろうとしないディーがノックもするような気がしていたけど、そんなわけはなかったね。

「発注した魔道具の件で来たのだが」

 ヒューゼルトの声に「はーい」と女性が答えた。ぱたぱたと駆けてくる足音。「魔道具職人は美女」という言葉に期待する僕。

 かちゃりと小さな音を立てて開かれた扉の向こうには、赤毛の女性が立っていた。後ろでゆるく三つ編みにした長い髪。

「…美女…?」

 僕の口からこぼれ出たあんまりな言葉に、しかし彼女は満面の笑みを見せた。

「はいっ! 私が美女な魔道具職人、レディアです」

 あっ、自称美女の方でしたか。

 そんな言い方をするとアレだけど、決して可愛くないわけではない。そう。どちらかといえば可愛いのだ。美人なんじゃなくて、可愛い系なんだ。

 うっふん系を想像してましたとはまさか言えるはずがないので、僕は「はじめまして」と無難に返す。

「いらっしゃいませ、ディーエス様と護衛の方、そして異世界の方。美女のウサギ小屋へようこそ」

 …②じゃね? これ、②の腕はまだしも性格が破綻してるタイプの地雷なんじゃね?

 疑惑の目を向ける僕など誰も気に留めない。レディアの後ろをディーが歩き、殿を務めたいらしいヒューゼルトがぐいぐいと僕の背を押す。さっきから頭の中にバニーガールがチラついて仕方がない。ウサギ小屋くらいの狭い家って言いたいのか、それともあれが彼女の店の名前なのか。何よりなぜ美女などと言って自分でハードルを上げるような真似をしているのか。

「…深く考えるな。彼女なりの自嘲と自衛だ。もう、過度な期待のために持てる以上の力で踊るのは嫌なのだろう」

 ヒューゼルトがぼそりと耳打ちしてきた。成程。先に盛っといて、相手の期待は早めに砕いておこうって寸法なのかな。それと小声にしたかったのはわかるけど、近すぎて気持ち悪い、ヒューゼルト。

 …何も口にしなかったのに察したらしく、ヒューゼルトは無言で僕の頭を叩いた。二回も。痛い。

「さぁさ、おかけくださいな。すぐにお茶を用意します」

 通された部屋にはソファがなくて、客用と思しき丸椅子は三つ。作業台と思われるテーブルとセットの椅子、そしてカップやポット。僕は、はっとして背負っていたリュックを下ろした。

「ちょっと待って。これ、手土産なんでどうぞ」

 大人としてちゃんと茶菓子は持参したんだ。でも紙袋が目立つようなので、異世界リュックに詰めさせられていたのです。お陰で紙袋が少々くっしゃりとしてるけど、中身は無事だから。

 異世界に置き去りにしても大丈夫なように、紙箱に紙袋という紙包装のみのものをチョイスし…あっ、紙箱の口がテープで止まっていた、これは盲点!

 べりっとテープを剥がして、箱の中身をレディアに見せた。テープはさり気なさを装ってリュックの中へ。よし、これで大丈夫。

「…こ…これは…?」

 ふるふると受け取ろうとした彼女の手が震えている。なぜか、ディーも横から覗いていた。

「アップルパイ。あれ、りんごに火ぃ通したの駄目な人?」

「いいえ! すごく美味しい匂いがします!」

「あ、うん。こっち来る前に買ったんだけど、焼き立てだって言ってたよ」

 さすがに案外歩いたので、ホカホカというわけにはいかないけど。手のひらサイズの四角いアップルパイを、予備として一人二つの算段で買って…って、ディーがそわそわしている。動かないレディアに見切りをつけたらしく、ヒューゼルトが率先してお茶の用意をしていた。グッズは作業台に用意されていたとはいえ、人の家でも容赦ないな。

「あっ、食器を用意してきます。それと、私もクッキーを焼いておりましたので…こんな素敵なお菓子の後に出すのは気が引けるのですけど…せっかくなので召し上がってくださいな」

 ヒューゼルトが人数分のカップを並べ終わったのを見つけて彼女は悲鳴を上げ、慌てて部屋から飛び出していった。

 ディーの目は紙箱から離れない。

「…えー…普通のお菓子だよ? こっちに、アップルパイ、ないとか言う?」

「菓子としてのパイなどない」

 恐る恐る問うと、ヒューゼルトが怨敵を見つめる目をしてきた。おかず的な立ち居地なのですか、パイは。別にパイ自体がないわけじゃないのなら許してもらえませんかね。

「ディーエス様は私が毒見をするまでお待ちください」

「大丈夫だ、マサヒロが毒を盛るようなら私は既にこの世にいない」

「念の為です!」

 あぁ、うん。今、ヒューゼルトいない隙に毒見なしでガンガン食ってますって白状したね。なんか…ごめんね。

「一応、言っておくけど…僕のとこでは、毒物って一般人の手に入らないからね…?」

「こちらでも一般人が簡単に入手できるようなものではない、この馬鹿。食べ物を持ち込むと先に言っておけば、城で毒見も済ませてきたのに。何かあっても、こんな場所には治癒士などいないのだぞ」

 王子の護衛なんだ、多分ヒューゼルトは悪くない。悪くないと思うが。ムカツク。

「先に聞いておこう、材料や製法はどういうものだ」

「小麦粉とかバターとかの生地と、りんごを砂糖で煮たのを、焼いたもの…?」

「お前が作ったのではないのか」

「作れるわけがないじゃない。近所のお菓子屋さんで買ったんだよ、人んち行くのに手土産もないとか常識疑われちゃうと困ると思って」

「お前は招かれる側だろう」

「…もー。ヒューゼルトうるさい。君らは僕を王様の前に出したときも散々笑いものにしたんだからね、警戒くらいするよ。もうあんなのはごめんだ」

 そこまで言うと、ようやくディーもヒューゼルトも気まずそうな顔をした。

 今となってはわかっている。それほど大したことではないんだ、彼らにとって異世界人がマナーを知らないのも、それを突っつかれるのも。むしろそうした疎さをもって、周囲には本当に異世界人なんだぞと知らせる意図もあった。そういったものを周りが突っつき、王様が許すというのが城に異世界人を迎え入れるための一工程だったんだろう。

 だけど僕がイラッとしたのは確かで。彼らは僕がそれほどイラッとするのを予想していなかった。それだけ。

 レディアが戻ってきたのを見て、僕は首を左右に振った。

 人の家で騒ぐような話題じゃない。

「じゃあ、皿とフォーク借りて毒見したら?」

 ちょっと微妙な空気を残しつつも、ヒューゼルトは仕事として毒見をする。そして。

 なんか、ちょっとずつ…ずっと食べてる。

 あれ? 毒見って、そういうもんだっけ?

「…おい。もう私も食べていいんじゃないか?」

 痺れを切らしたようにディーが問う。

「いいですよ」

 返された淡白な反応にディーは目を見開いた。しかしヒューゼルトは、黙々とちょっとずつ食べていた。

 表情は変わらない。だけど。

「…一人二個の予定だから、もう一つ食べてもいいよ」

「わかった」

 ヒューゼルトが二個目に手を出したので、確信に至る。そっか。あんな態度を取っておきながら、アップルパイ気に入っちゃったんだね。でもだからこそ、この態度をどうにもできない、と。お前は不器用なのかもしれないけど…特に感慨はないよ。

 意固地な相手に溜息をついて、僕は他の人の皿にひょいひょいとアップルパイを放り込んだ。

「毒見役がオッケー出してるんだから、遠慮せずに食べたら? 一応僕もお勧めだから買ってきたんだしね」

 ようやく空気が少し緩んだ気がした。

 

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