ケータイデビュー
約束は果たされた。
本日、ディーの携帯電話を購入。スマホの話は一切しておりません。だって、持っていない僕に使い方とか教えてあげられるわけがないもの。
「おーい、インテリメガネ」
僕の声にも、ディーは顔を上げない。真剣な表情。その目元にかかるのは魔道具メガネの試作品だ。彼は今、僕が「初メールのテスト」とだけ書いて送ったメールを見つめている。ちゃんと読めたなら読めたと言ってほしいのだけど。学生時代に使っていた辞書も提供したんだし、僕にだってそのメガネの出来を知る権利はあるはず。
だというのに、いつまでも無言の彼に、僕は痺れを切らした。
「ねぇ、もしかして読めないの? 魔道具失敗?」
「…いや…。失敗…とも言い切れない。しかし成功とは決して言えないのだろう。これではマサヒロにマンガを借りても理解に苦しみそうだ」
遠回しな言い方だな。眉を寄せ、僕は結論だけを求める。
「ちょっと、それ読み上げてみてよ」
よかろう、と頷いたディーは重々しい声音で僕に命じた。
「…初回郵便の試験を行え」
「あっ」
…これはこれは。翻訳サイトへようこそ! さながら再翻訳した強引な日本語ですね。
ふぅ、と小さな溜息をついたディーがアンニュイな感じでメガネを外した。今の雰囲気…よし、ラーニングしたぞ。今度取り入れてみよう、雰囲気イケメンになれるかもしれない。
「実際には何と書いてあったのだ?」
「初メールのテスト」
「…成程。やはり用途が翻訳であるならば、発声者に着用させるのが妥当ということなのか」
説明は終えているから、仕組みはともかく、メールがどんなものであるかはディーはわかっているんだ。
だというのに、辞書の知識をそのままに「メール=郵便」と置き換えられてしまったのは、やはりメガネ自体の独断なのだろう。僕が考えて話した言葉ならば、メールもテストも正しく伝わった。命令形にもなっていない。ちなみに今、僕の言葉を翻訳してくれているのは結局のところあの腕輪だ。結構優秀なことが判明して悔しい。
一応ディーは、目立たない形状の新製品をと発注してはくれたのだが、小型化するのがかなり難しい商品らしいので今すぐにはできないとのこと。この腕輪も実は内部に複雑な魔法陣や呪文の刻印があるらしい。そういった都合から、できるだけ小さく頼みたいという僕の希望の範疇で、最大限大きくしてほしいという向こうの要望。僕も言葉が通じないのは困るので、妥協点の見本として刻印しやすそうなドッグタグを渡しておいた。銀色であることが大事だと強く言い聞かせてある。似合いもしない金色は、もうお腹いっぱい。
画面を睨み続けるディーに、とりあえず僕は呼びかける。
「ディー。それは追々改良してもらえばいいじゃないか。通話には問題なかっただろ?」
「ああ。…そうだな、それに窓が開いていれば思ったより遠くまで繋がっていたな! あれは、お前が隠れて私を尾行していたわけではないのだろう?」
ぱっと表情を輝かせて、ついでに青い目も輝かせて。何だか眩しいだけに、僕の口元は皮肉げに歪んでしまう。
…イケメンの無駄遣い、ご苦労様です。本当に残念です。
「城で異世界人が尾行とかするわけないよね。僕、今度こそ言い訳のできない不審者として捕まるよ。大体、基地局の問題であって端末同士の距離じゃないしね」
ディーにわかるはずがないだろう。でも、言わずにはいられないんだ。
「あと、電話帳の登録が一件しかなくて可哀想だけど、こればっかりは我慢してね」
ゴネたときの対策は一応考えてあるんだ。時報の時知不さんとか、天気予報の日廻さんとか。けれどディーの返答は堂々としたものだ。
「構わん。興味のあるものを所持するということに意味があるのだ、実際の利便性は問題ではない」
僕の脳裏に、いつかケー王子が言った言葉が浮かんだ。ディーは「時に何の役に立つのかわからないガラクタを好む」…他人から見ればその通り、正にこのことなのだろう。でも、こんな残念な性格を、少なくとも諸外国には完璧に隠して王子生活を送ってるんだろ。漏れ出ても側近にくらい。それならこのくらいの趣味は許されたっていいじゃないか。僕はディーこそを理解しようと思うよ…。
煙草も吸わないくせに燃料の揮発しきったZippoを飾っている僕は、ほろりと出てもいない涙を拭う。
オイルの缶自体はどこかにあるはずなんだけど、使わないのにオイルを補充するとか面倒くさい。…しかし、捨てた覚えのないあの缶。今、部屋のどこにあるのかわからない。いつか引火しそうで怖いな。大掃除、したほうがいいのかな。
「はい、ケータイの取説。一応使い方の説明自体は僕がしたけど、取り扱いの説明書きだから渡しておくね。メガネが形になったら読めるようになるかもしれないし」
充電はもちろん僕の部屋のコンセントでするのだが、充電器は欲しがられたのでディーの部屋にある。完全にただの置物だ。
ちなみに僕の部屋にある雷ガードつき節電タップも欲しがられたが、こちらは携帯電話の付属品ではないので丁重にお断りした。
電気のない異世界で節電とか。完全にゴミにしかならないと思うので、ディーを理解するのはやっぱり無理かもしれない。でも諦めてはいないようなので、あんまりうるさいようなら僕のタップが手癖の悪い王子に奪われないうちに、スイッチのない二個口くらいの安い奴でお茶を濁すか。充電器のコンセントとタップ自身のコンセントでも挿して埋めておけばいいよ。ディーには雷ガードつきの六個口節電タップなんて過剰な機能だ。
「そういえば、例の魔道具職人がマサヒロに会いたがっていたぞ」
ぺらぺらと読めもしない取説を眺めつつ、ディーが言った。図を見るのは楽しいらしい。
「へぇ? 何の用で?」
「そちらの世界の色んな道具の話が聞けたら、インスピレーションが湧きそうだから…と言っていた」
「必要のあるものなら自ずと発展するんじゃないかな。思いつきもしないってことはこの世界に要らないってことじゃない?」
「ふむ、マサヒロにとっては面倒事だというのがよくわかった。しかし面白い道具が作られるのは私に利があるので、そのうち引き合わせる」
「えー」
「相手は美人の女性だぞ、やる気を出せ」
思わず「おう」と身を乗り出しかけたけれど、そんなうまい話があるわけがない。
ディーは一点の曇りもないような涼しい顔してるけど、きっとこれは試されているんだ。
「正直に答えてね、ディー。その女性は…」
①ババアもしくは幼女だ。
②腕はまだしも、性格が破綻している。
③心が女性。身体自体はまだ男である。
さあどうだ。どれを踏んでも致命的な地雷だと思う。…しかし。だというのに、ディーは不審そうに眉を寄せた。
「何だそれは。ごく普通の職人だったぞ」
「…地雷がない、だと…?」
そんなことはあるのだろうか…?