トマトが来たよ。
今日も今日とて窓を開けようと思ったのだけれど。
鍵を外してガラス戸に手をかけたところで、ピンポンが鳴った。
「はぁい!」
聞こえるかどうかもわからないのに、思わず玄関に向けて叫ぶ。僕の部屋は二階なので、ドタドタと階段を駆け下りて玄関へ向かわねばならない。急がないと。配達の人だと結構諦めが早くてすぐ帰ってしまうので、ピンポンは他のどの作業を中断しても駆けつけるべきものだと思っている。そうでないと、届いたばかりの新刊が持ち帰られたりするんだ。玄関扉を全力で開けた瞬間にトラックに走り去られた時の悲しさは決して忘れない。すぐさま不在票に書かれた番号に電話してみたって、トラックがまた戻ってきてくれるのは大分後になるんだ…。
けれども今日は宅配ではなかった。インターホンの画面に隣の家の奥さんが映っている。危機感のない田舎の子なので、僕はあまり画面越しの会話をしない。見知らぬ人が映っていても気にせず鍵を開けにいく。宗教の勧誘だったときだけ、少し困るけど…あんまり長居されたことはない。そういった方々も、ここらでは所詮田舎の素朴な人しかいないからだろう。
「こんにちはー」
ドアを開け放ちつつそう言うと、お隣の奥さんはにっこり笑ってビニール袋を差し出してきた。
「こんにちは。うちの畑で取れたトマトなんだけど、良かったら食べてくださいな。柾宏君、トマト好きだったでしょ」
「わぁ、ありがとうございます。こんなにたくさんすみません」
ほらね、盗まなくても手に入るよ、トマト!
満面の笑みで受け取った袋はずっしりと重い。うん、やはりご近所さんにはこまめに挨拶して好感度を上げておくべき。向かいのばーさんは僕がどれだけ声を張り上げて挨拶しても、全然聞こえてくれないけど。結局声が届かなかったときの心のダメージは大きいけれど、ばーさんの耳が遠いだけだとしても、僕が朗らかに接する姿がご近所に見えていれば悪いことにはなるまい。別に物資が目当てではなくてもね。うっかり何かの事件に巻き込まれたとき、「やっぱりね、危なそうな奴だと思ってた」とか謎の中傷受けたくないもんね。あまり付き合いはなくてもせめて「よく挨拶してくれるいい人だったのに」って言われたい。
奥さんと別れて室内へと戻る。
おっきいトマトもたくさん。ミニトマトもたくさん。もぎたてってやたらと美味しいのは何なんだろうね。僕には育てることはできないので、ホント尊敬する。
美味しそう。一個食べちゃおうかな。洗わなくても死にやしない。Tシャツの腹で軽くトマトの表面を拭って、口を付けようとして。僕は目を瞠った。
階段に、佇む金髪碧眼が…。
「おぉ!? 侵入者だよ!?」
びっくりして叫ぶと、ディーはにやりと笑った。
「何してんの、えっ、なんでこっち来てんの? まだ僕窓開けてなかったと思うんだけど!」
「私も閉まった窓が現れたのかと驚いたのだが、少しだけ開いていたので繋がったようだぞ。お前は何か大きな声を出したきり窓を開けないし、声をかけても返事がない。しばし待っては見たのだが…気になって開けてみてもマサヒロがいないので、何事かあったかと思ったのだ」
そして窓枠乗り越えちゃったか。好奇心の塊すぎる。あれ、そういえば向こうは土足文化じゃないか!
はっとして僕はディーの足元を見た。
「…一応、靴は置いてきたぞ」
「よし、よくやった。そうであれば歓迎するよ」
靴を履いていたら叩き出すところだ。王子であろうと雑巾がけをさせてやる。
それにしても、まさか侵入されるとはなぁ…窓が開いていても大人しく待っているような気がしていたよ。そのうちに「来たい」と言い出すとは思っていたけど、まずヒューゼルトが許しはしないだろうと思ってたし。でも、そもそもが脱走常習犯のディーにとっては、誰かの許可なんて無意味だったのかもしれない。
「じゃあ、ミニトマト洗って一緒に食べようか」
「それはトマトなのか。随分小さいんだな…」
台所へ向かう僕の後ろを、きょろきょろしながらディーがついてくる。何だこれ、カルガモ親子か何かか。
ボールを出して水を汲んでいる間に、好奇心が噴出したらしいディーは冷蔵庫を開けた。
「こら、人んちの冷蔵庫を勝手に開けるとか、どうなんだよ」
注意すると、ディーは首を傾げて冷蔵庫の中を見つめている。
「涼しい。…氷室だな。あまり物がないが」
「そうだねぇ。僕、すぐ腐らせるからあんまり入れてないんだよ」
そのゆでうどん玉の残りなんて、もう賞味期限が一週間くらい過ぎてる。まだ大丈夫だとは思うんだけど、日が経つごとに口にする気も減っていってしまう。どこでサルベージするか諦めるか…線引きは難しい。
「カツ丼の材料は? マサヒロは作れないのか?」
「僕、揚げ物はしたことないしね。カツ揚げたうえに具を煮て、更に卵でとじるんだから…カツ丼には金を出す価値があると思うな」
カツ丼は買うものだ。コロッケもカキフライも、買うものだ。僕にできるのは軽く煮ることと炒めることだけである。
「そうか。城で作れたらと思ったのだが、難しいのか」
そう言われてしまうと、悩ましい。あくまで難しいのは僕にとって、だ。
「…えぇと。城にはコックさんとかいるんだよね?」
「当たり前だ。私が料理をするわけがない」
王子の料理がプロ並だったら、コックが職を失っちゃうね。それに、ケー王子ならまだしも、ディーは料理下手そうに見える。もちろん、勝手なイメージだ。どちらも王子なのだから、料理なんてしたことはないだろうし、やらせたら多分周りが斬られるよ、ヒューゼルトに。
「そうだよね。でも、プロがいるなら、レシピをあげたら作れるんじゃないのかな。ネットで検索してみようか。あ、でも醤油ってあるの? むしろ、めんつゆがいいのかな。めんつゆは万能だからな。買い置きたくさんあるから一本くらいあげてもいいんだけどさ」
目を輝かせたディーに、ふと僕は気づいてしまった。レシピ…あげるとか簡単に言ったけど結構面倒なんじゃないかな。少なくとも僕が読み上げてディーが書き留めるなりしないと、僕らの文字に互換性はないんだし。というか、魔法があるような世界の食材は、こっちのものと同じなのか?
…ファンタジー腕輪が翻訳を果たさなかった食材が出てきたら、悩めばいいか。少なくともトマトは通じたようだし。