実践:ライターの訓練。
スニーカーが隠れるということは、どうにも頻繁に裾を踏むということだ。
「とりあえずこれで良かろう。かなり前のものだが、傷んでいるわけではないしな」
そう言ってディーが机の引き出しの奥から取り出したのはフードつきローブだ。
…そこは服を入れる場所じゃないよな? つまりその服は、あまり人に見られたくない服なんだ。
「僕にはわかってしまったよ、ディー。これは一度しか着ていないね?」
「言うな」
「だって、どう見てもお忍びには生地が良すぎ…」
「黙れ」
ふはは、読める、読めるぞ。お忍び用に用意したけど、実際着て行ってみたら生地が良すぎて浮いたから次から使ってないんだろう。もう使えないけど隠し場所に困って引き出しに突っ込んだんだろう。そして処分する機会もなくズルズルと…。散々心の中で馬鹿にしつつ、にやけ顔を隠して俯いて。
着用してみたら笑われたのは僕のほうでした。
「ふっ…まさかローブに裾上げというものが必要だとは思わなかったな」
「言うな」
「だが、靴が隠れるのは好都合だからこのまま…」
「黙れ」
えぇい、誰ぞ、シークレットブーツを持て!
鏡がないのでどんな有様かはわからない。歯噛みしつつ、フードを被っておいた。成金腕輪とズルズルローブ…どちらが痛いだろう。まぁ、どっちも同時着用だから、ダメージ倍なんですけどね。
心の中で拗ねながら、ディーの後ろをついて歩く。
「ねぇ、このライ…点火棒は調理場から借りてきたの? コックさん困ってない?」
「予備が幾つも置いてあるから大丈夫だ。仮に替えがなくても、着火だけの話なんだから、火魔法が使える者がつけてしまえばいい。呪文を唱えるのが少し面倒なだけだ」
「この魔操棒も調理場で使うの?」
「いや、これは訓練棟の備品だ」
むぅ。どちらにしても貸してくれるだけというのは仕方がないか。
訓練場につくと、ディーはとてもとても端っこの目立たない場所へ僕を連れて行く。轟音立てて魔法訓練している人達に混じってキッチンツールで遊んでたら、そりゃあ怒られそうだもんね。片やファンタジーの定番・攻撃魔法。片やファンタジークッキングの定番・点火棒。酷い格差を感じます。
つか、点火棒て。やっぱり納得いかない、このネーミング。ロッドとか言えよぅ、せっかくのファンタジーなのにっ! これだから、現実って奴は…。
「まず、ここを見ろ。魔石の色合いで魔力の残量がわかるようになっている。黒に近いほど残り少ない。この金具に触れていないと発動しないから、こういう風に持つといい。使いたい火の大きさは明確にイメージしろ。この魔石から点火棒の先…これだ、この石に必要量の魔力が流れるようイメージしてやると…」
ボッと小さな音と共に棒の先から火が出た。うん。想像力を試されるタイプのライターなんですね。うちにあるのは親指で押すだけで、もっと簡単ですよ。良かったらお譲りしましょうか。
「やってみろ」
手の中に押しつけられる棒。僕は、もっとこう、魔法っぽい魔法が使える道具が見てみたいなぁ。…いやいや、ライターでも喜ぶと決めたじゃないか。まさか本当にライターを持ってきたからといってディーを責めてはいけない。僕でも使えるレベルのものが用意されているんだ、ライターでなければ懐中電灯が来るに違いないんだから。
胸の内にくすぶる不満を押し殺し、火の大きさをイメージ。それこそライターのシュボッて程度の奴かな。仏壇の蝋燭に火をつけるときのライターを想像。よし、明確、明確。金具に触って、棒の先に魔力が流れるイメージ…。
イメージ…。
「………………」
おい。明確でしょうが。何してくれてんの、このティンダーロッド野郎!
とても静かだ。
ディーの視線が痛い。
「…ふむ。何が原因だろうか」
「どう考えても魔力を理解していないせいだと思います、先生」
「まぁ、お前、ないしな」
小首を傾げたディーが、右手を差し出した。何だね。たった一回の失敗で返せと言うのか。それは訓練とは呼ばない。あと、くれもしないならせめて遊び倒すんだからな、まだ返さないぞ。
ディーは一度手を下ろし、きょろりと辺りを見回す。落ちていた小枝を手に取って、再び僕に差し出した。
小枝の持ち方が、点火棒の持ち方です。
「この辺に魔石があるとする。そして棒の中心を走るように…、こういう感じでイメージしろ」
ディーの手から出た赤い色の靄が、棒に絡む。
あぁ、成程。これが魔力なのか。ディーは夜中に黒い塊を練習してたもんな。
「やってみろ」
はい、先生。
妄想力豊かな僕にかかればこの程度、瞬時に再現して見せるぜ。
ズガッ!と鈍い音がして、炎が出た。
「あづぁ!」
思わず熱気に妙な悲鳴を上げてしまう。僕より少し小さいくらいの炎だ。一人キャンプファイヤー。
炎が出たのは一瞬で、むわっとした熱気も吹いた風が爽やかに散らしてくれた。
「…マサヒロ、大丈夫か?」
「火の大きさの明確なイメージのほうを忘れました、先生」
妄想力が一方にしか働いてなかった。鳥頭の汚名はいつ返上できるのか。
ディーの手が点火棒を奪い取った。そ、そんな、先生。でも今ちょっと魔法っぽかった気もしませんか、火がでかかったからかな。
「ダメダメ、やるやる、次はできる、返して返して」
「楽しそうで結構だが、慌てるな、魔力切れだ」
「え?」
「点火棒で一度に出す量の火じゃない。というか、普通はここまで大きくならないはずなんだが」
言われてみれば、魔石の色は完全に黒だった。
「えぇ、もう終わり? 壊してはいないよね?」
「ああ。魔力をこめてやるからちょっと待て。…いいぞ、やってみろ」
言われて見た、魔石の色は完璧な白だった。王子辞めて、日本で手品師になったらどうかな。絶対に見破れないタネ、魔力。
ふるりと頭を振って余計な考えを追い出す。明確なイメージ、かつ魔力のイメージ。
シュボッと小さな音と火が出た。これぞライター。成功だ。
イヤッホゥ。言いかけた僕の前で、ドゴシッ!と二度目の炎が上がった。…暑い…。
「二発目を出したのはなぜだ?」
「いや、タイミング的には多分、アレは僕の成功の歓声分なのかな…」
まさか、イヤッホゥにこんな威力があるとは。
「魔石が黒いです、先生」
「普通はどれだけ大きな炎をイメージしようと、一定以上は大きくならないはずで…こんな、一度に魔石を使い切ることはできないはずなのだが…二度もできてしまうということはこの点火棒に問題があるのだろうか?」
「どうでもいいんで、充電してください、先生。次は二発目出さないから」
絶対イヤッホゥしない。耐えて見せる。
腑に落ちない顔をしたディーに点火棒を渡す。二秒くらいでチャージ完了。
心を落ち着けたおかげか、ライターを操ることに成功した。やばい、ちょっとこれ楽しい。三三七拍子とか出しちゃう。更に素早く出しちゃう。そして、大きめに一本締め。
「…楽しそうだな、マサヒロ」
「楽しい! ディーもやる?」
「私はいい。ある程度慣れたら次に進むぞ」
「次?」
「魔操棒だ」
あぁ、そんな奴もいたね。目を丸くする僕から、ディーは点火棒を奪い取る。何をする間もなく、手の中は魔操棒に入れ替えられていた。この手癖の悪さならやれる。売れっ子手品師ディーの未来が見える。まずは性格を見せずに見た目詐欺としてF1層に絶大な支持をいただく。そして時折見せる残念っぷりでダメンズを愛でるF2、F3層もいただきだ。ケー王子とヒューゼルトを助手にすれば取りこぼした層も広く拾えるな…圧倒的じゃないか。惜しむらくはロマンスグレーとショタっ子を愛する層は、狙える人材がいないこと。そしてマロックと僕はニッチすぎるので裏方だね。
「…というようにすれば、先程の様子では心配ないだろう。では、私が火を出すから…マサヒロ? 聞いているのか?」
「嫌だよ、箱の中で剣を刺される役だけはやらないからな!」
「何の話だ。そんな拷問をする予定はないのだが」
危ない、妄想が広がりすぎて、もう少しでヒューゼルトに刺されるところだった。
「ごめんごめん、ちょっとやる気が空回りしてた。もう一回、わかりやすく言ってよ、どうすればいいって?」
「わかりやすく…? ふむ。では、私が一人でやるのでまずはそれを参考にしろ」
わからなかったから噛み砕いて言ってくれみたいな空気にしたけど、聞いてなかっただけなんだ、ごめんねディー。
「魔力があれば自分で火を出して魔操棒で操ればいいのだが、お前は魔力がないので私が火を出してやる。点火棒では長く火を維持することはできないからな」
あれ、さっき一本締めの「いよーっ」ができてた気がするけど。
…まぁ、そんなことはいいか。
「このように出した火に対し、魔操棒の先の石を向ける。点火棒と同じように魔石から先端の石に魔力が流れるイメージで発動する。今度は…そうだな、マリオネットのようなものだと思えばいい。先から魔力の糸を出して、それで対象を動かすと考えるんだ」
浮いた火に向けて、ディーは魔操棒を構えた。魔力は今回は見えない。先程のはわかりやすいようにしてくれただけみたいだ。
魔操棒の動きに合わせて、宙を炎が滑る。おお、糸が切れて飛んで来たら怖いな。魔力の糸は絶対切れないものなんだろうか。そんな疑問を口に出すと、ディーは首を横に振って見せる。すっぽ抜ける可能性有りですか。
「糸が切れると思うから切れやすくなる。しかし絶対に切れないと思い込みすぎれば、敵に切られた場合に隙を見せてしまうことに成り得る。注意しろ」
あれ、火を魔操棒で操る練習だよね? 仮想敵って誰だ…。
やってみろと渡された魔操棒を、ディーが作った火に向ける。えぇと、先から糸が出る。そしてそれを動かす…。
「マサヒロ…お前、何をイメージした?」
「…そんなつもりはなかったんだけど…どうも、魚釣りのようだね」
炎がパクッと糸の先を銜えて逃走。魔操棒に伝わる引きに、僕は慌ててリールを巻く動作をしてしまう。そして。…巻かれてしまう、魔力リール。
「ディー。どうしたらいい、これ、釣り上げたらどうすればいいの」
「魔操棒で釣りをするものなど見たことがない…」
「近づいてきた、火が近づいてきたよ、釣ったら火傷する未来しか見えないよ。大体、どこから水辺の予定なんだよ、これ」
溜息をついたディーが片手を軽く振ると、元気に泳ぎ回っていた火は消えた。
「私は。確かにマリオネットのようなものだと言った。しかし。人形劇をやれとは言っていないっ」
「相すまぬこと、ござ候。でも火の玉は危ないから水の玉とかにしようよ、ディーは四属性余裕って言ってたから水でもいいんでしょ? 火傷するよりは濡れるだけのがいいよ」
「おかしい。私の知っている点火棒も魔操棒も、こういうものではないのに…これが異世界人か…」
その後、ディーの精神をどうやらゴリゴリ削りつつも、僕は無事に人形師となった。
もう弛んだり巻き取ったりする釣り糸じゃないよ。ピンと張ってるよ!