エピローグ
「マサヒロ…そうか。良かったな」
「うん。なんか、また繋がったみたいだから、よろしくね?」
「せっかく面倒事がひとつ、私の手を離れたと思っていたのだがな」
ディーの部屋を出たところで顔を合わせたヒューゼルトは、安堵の表情を浮かべつつ、そんなツンデレ発言をしていた。
まずは城の廊下で。
続いて、ケー王子の部屋へ押しかけての実験。
僕らのドアがディーの部屋以外からでも、問題なく僕の部屋に繋がることを確認した。
しかしながら発見はもう一つ。
僕の部屋からはディーの部屋へと繋がるわけではなく、ディーのドアがある部屋へと繋がるようなのだ。
つまり、ディーのドアをレディアんちに置いといたとしたら、僕の部屋からはレディアの家に出入りできることになる。
ケー王子は異世界への出入り口が持ち運べるようになったことに爆笑し、マロックを呼び出した。
「マサヒロだけが離脱した話を聞いたときには心配しておったのじゃが、いやはや、さすがはマサヒロじゃのう…」
久し振りに視界をファッサ~と流れたヒゲに、僕の意識は簡単に持っていかれる。
ない。ヒゲに癒し効果はない。なのになぜか目が離せない。風もないのになびくあのヒゲから。
マロックは実に興味深そうに僕のドアを調べた。
「ほほう、互いの出入り口をくぐらせ合うとは…なんとも不可思議なことを考えたものよ。こんな現象はきっと、どこを探しても掲載した資料など見つからないじゃろうな」
ものすごい速度でメモを取るマロックの目線が、ドアとメモ帳を何度となく往復する。
いつも優雅になびくヒゲも、今ばかりはファッサファッサと忙しなく宙を磨いていた。
何やらまとめて発表したいらしいので、まぁ、好きにしたら?と答えておいた。ちょっとくらいなら検証に付き合ってあげてもいいし。
だけど、今日はダメだよ。
「レディアに連絡が取れました」
ヒューゼルトが、モドキ片手に告げた。
僕らの窓が繋がらなくなってから、ディーの携帯を経由していたモドキ達の機能は使えなくなってしまっていたらしいのだ。
異変に気づいたのは毎日イチャイチャ新婚リルクス君&トワコさんペア。
ちょっと離れたら電話でイチャコラしていたらしいところ、突然繋がらなくなった。
そうしてリルクス君がレディアに報告に訪れ、電波の異常が周知された。
途切れやすいモドキ同士の空間魔法電話や、ポケベルレベルのメール機能には支障がなかったらしい。
ちなみにギルガゼートは、そのときにリルクス君に絶交宣言をぶちかましたのだとか。
同胞であり、研究の同志であるギルガゼートに嫌われたリルクス君は、傍から見ていてもわかるくらいにショックを受けていたそうだ。
「ギルガゼートは今ちょっと出かけてしまっているらしいですが、レディアの家にいればそのうち帰って来るでしょう」
「うむ。あれだけ大泣きしていたのだから、マサヒロの帰還にさぞや喜ぶだろう」
「これでギルガゼートの奇行も落ち着くでしょうし、私達も心置きなく扉を片付けることが出来ます」
奇行とな。
顔を引きつらせる僕に、周囲は揃って頷いた。
僕と同時に同じ行動を数え切れないほどすることができれば、異世界と繋がることができる。
そう考えたギルガゼートは、彼の思いつく僕の行動を日々実践していたらしい。
街で歌う。空気を読まない発言をする。ちょっと走って息切れするなどである。
僕は普段から街で歌っていたりなどしないし、最後のに至ってはただの運動不足だ。
大して走ってもいないのにギルガゼートみたいな子供がわざとひーひー言って見せてたら、ちょっとした不思議ちゃん扱いであろう。
「ギルガゼート…これは、周りから痛い子として見られちゃってるよなぁ…」
何かごめんね。でも多分、窓が割れたのは僕のせいじゃないよね?
思わず額に手を当てて天井を仰ぎ見る。
早いとこ、顔を見せてあげないとギルガゼートの未来に深刻なダメージを残すかもしれない。
僕らはケー王子とマロックに別れを告げ、レディア宅へと移動することにした。
レディアは僕を見た途端に目を潤ませ、大層無事を喜んでくれた。
そんな彼女の様子に僕は「前にはぐれた僕を探しに来てくれたときにも、同じ顔してたなぁ」なんて考えていた。
ギルガゼートが攫われた話していた時もウルウルしていたよな。
経歴を聞くと結構苦労しているはずなのに、よく他人の心配したり無事とか喜ぶ素直さを維持できたなぁ。
僕なら多分、そんな泣くほど他人を心配とかしてあげられない。
意地悪言ってないで、僕も他人にレディアを「美女です」って紹介してあげるようにしようかな。
襤褸は着てても心は錦。そんな感じで、顔は可愛い系だけど、心は美しい女性ってことで。
あ、コーンスープ忘れてきた。今度持って来て、レディアにフリーズドライの作り方考えてもらわなくちゃ。
「矢を射られ、無事を確認する暇もなく異世界との繋がりが途切れてしまったとお聞きして、怪我をされていないかと心配しておりました」
「うん、無事無事ー。足の骨にヒビ入ってるけど、元気だよー」
「…ひぃっ!?」
ニコニコとレディアと顔を見合わせていたら、なぜか一瞬後に悲鳴を上げられた。
「無事だと仰ったではありませんか! それは無事とは言いませんわ!」
「聞いてないぞ、マサヒロ」
カッと目を見開いてディーが話に割り込んできた。
「え、そうだっけ。さっき足痛いからって言ったら2人ともゆっくり歩いてくれたじゃん」
「痛いと言えばゆっくり歩くくらいはするだろう」
あれれー。
お互いに無事かどうか確認したとき…は、うん、概ね無事だとしか答えてなかったか。
僕は誤魔化すため、とりあえずキリッとした顔を作った。
「足の指の骨にヒビが入ってました。窓枠か本棚にぶつけたんだと思います」
ディーは重々しく頷き、同様にキリッとした顔をして見せた。
え、お前も何か後ろ暗いところがあるの?
「そうか。ではその負傷、私が風魔法で吹き飛ばしたせいかも知れんな」
「ディーだったのかよ…」
ディーはちょっと顔色を窺うような表情に切り替えて、自己弁護を図ってきた。
「とはいえ、吹き飛ばさなければ毒針が刺さるところだったのだから、仕方あるまい?」
「あ、それはどうもありがとう。割と本気で」
毒を受けてたら警察への言い訳がもっと困難になるところだ。
骨のヒビくらいなら何とでも言えるもんね。カルシウム不足とかさ。
そんなことをしている間に、レディアがお茶を入れてきてくれた。
ヒューゼルトがテーブルセッティングをしている。
「ああ、本当に良かったですわ。マサヒロ様がいなくなってから、ギルガゼートが不安定になってしまって…」
ひぃ。ここでも少年の未来を翳らせた話をされるのか。
僕は悪くない、何もしてないよ、冤罪だよ。
「今は出かけているのだったな」
「ええ、平べったい魔石を探しに。最近は透明な袋を作って見せると張り切っておりましたから」
「…透明な袋?」
レディアは頷くと、作業台にあった箱からビニール片のようなものを持ってきた。
差し出されたので素直に受け取る。
若干ぷにゅりとした質感だ。
「死亡したルスティカスライムの外皮を、保持することに成功しました」
「ぎぃや! なんっ、びゃあ!」
慌てて僕は偽ビニールをレディアに押し付け、手近にいたディーの二の腕や肩甲骨辺りで一生懸命に手を拭く。
ディーはくすぐったかったらしく、身を捩って笑っていたが、僕はそれどころではない。
「なっ、なんで僕にそういうもの持たせるの!?」
スライムだからとかいう言い訳は許されない。つまりそれ、剥いだ動物の皮ってことだろ!
僕の混乱ぶりを理解出来ず首を傾げるレディア。
そして僕の肩をものすごく押して距離を取り、くすぐったさから逃れたディーが真面目な顔を取り繕う。
おのれ、腕長い。指先が相手に届かない僕の腕が、すごく短いかのように見えるではないか。
「マサヒロ。これはただの、鞣した革だ。お前も革の財布や鞄を使っているだろう」
「あっ、そうか」
皮膚だと思うから気持ち悪いけど、革製品ならオッケー…なんか不思議!
「でも、スライムなんでしょ? なんかぷにぷにしてたけど…」
倒したスライムは、何かこう、地面に染みこんで自然に返るイメージ。
そういう僕の先入観を、けれどレディアは肯定する。
「ええ。スライムは通常、核を壊すとその場で液状化してしまいます。けれどもルスティカスライムは、他のスライムよりちょっと粘質なのです。そこで調査…」
「あの、もういいです」
察した。外皮とか言ってるけど、絶対皮じゃない。中身だ。
皮のあるスライムなんて聞いたことない。
「…した結果、ルスティカスライムは核の周りに独自の皮革を形成し、それを粘質なゲルによって保護…」
ほら見ろ、中にあるんじゃん!
つまりモツじゃん! 内臓じゃん!
「もういいって!」
「…通常より倒しにくく…」
「あーあー、聞こえなーい」
もうお黙んなさい。
説明したそうにレディアが口を尖らせているが、僕は両手で耳を塞いで見せた。
「…せっかくの大発見ですのに」
「レディア、マサヒロにその説明の仕方は悪手だ」
にやりと笑ったディーが、ちょちょいと指で挑発ポーズのようなことをする。話を聞けということか。
無視して耳を押さえていたら、焦れたディーがこちらに向かって手を伸ばしてきた。
手をメシャッてされる未来しか見えない。慌てて僕は距離を取りつつ聴覚を解放する。
「マサヒロ、こちらでもビニール袋を作ろうと思うのだ」
「…何…、あぁ、それでスライム…」
「そうだ。ギルガゼートとレディアによって、素材となるスライムの核保護膜が採取可能となった。これにより、オニギリとサンドイッチをオベントウ化することが可能となるのだ」
「おにぎりは古来ゆかしき葉っぱ包みでもいいし、サンドイッチも汁物じゃないからビニールである必要はないよね?」
「何っ!?」
コンビニ商品の印象が強すぎましたか…本当に申し訳ありません。
だけど、ビニールができるってことは、こっちの世界が不得意すぎた『密閉』が可能になるってことか。
モノはスライムのモツだけども。
うう。昔の水筒だって場合によっては動物の胃袋や膀胱だったというから、異世界産の素材としては誤りではないのかもしれない…少なくとも僕がビニール持ち込むよりは、ずっと正しい。
「ギルガゼートとレディアのお手柄ってことは魔道具でスライムを何とかしたの?」
「はいっ、最近『掃除機』の試作に成功したのですが、それを応用してスライムの核以外を吸い込む魔道具を作りました!」
ぞるっと魔道具に吸い込まれるスライム汁。残される核。
ちょっと可哀想な光景だ。
「汁のほうは何かに使えるの?」
「はい。無駄なく使い切れますし、注ぎ足しも可能でした」
興味本位で聞いてみたら、魔石を擬似核としてスライム汁に投入しておくと、何がしかの化学反応なのか偽ビニールが養殖できることが判明したらしい。
魔石が膜で覆われるだけで、別にスライムとして動いたりはしないとか。
減ってきたら別のスライム汁を足しても問題はなかったのだという。
大きな魔石を汁に沈めておけば、大きい偽ビニールが採れる。用途によって沈める魔石の大きさを変えればいいとレディアが目をキラキラさせて語ってくる。
スライム汁は魔道具じゃないのに、レディアの研究対象なんだなぁ…。
「ただいま戻りました」
玄関からそんな声が響いて、僕らは示し合わせたように視線をそちらに投げる。
ドキドキしながら声の主の登場を待った。
(リルクス君に)キレてグレて変わり果て、(僕の行動を勘違いして)奇行に走ったと聞かされるギルガゼート。
世紀末っぽい格好をしたギルガゼートを想像してしまって仕方がない。
ひょいと戸口に姿を見せたギルガゼートは、しかし外見的には変わらぬ素直そうな少年であった。
良かった、トゲトゲの肩パッドとか生えてないよ。モヒカンになったりしてないよ。
「あ、ギルガゼートお帰り。お邪魔してるよ」
ギルガゼートは、かぱっと目と口を開いた。
手も開いたらしく、持っていたものが落ちた。
涙腺も開いたらしく、だばっと涙も垂れた。
「ぅあー!」
悲鳴!?
動揺した僕に、体当たるようにしてギルガゼートが突っ込んできた。
踏ん張ることは不可能。椅子から吹っ飛ばされた僕の足にかかる、突然の負荷。形容しがたい痛みに涙を堪える。
胸に縋り付かれ、おんおん泣かれてしまえば、懐かれている子供だけにコノヤロウなどと言うことも難しい。
「私のときは泣かなかったのに、ギルガゼートとの再会には泣くのか」
「物理的な痛みだからね。ヒビでもこんなに痛いんなら、折れたところにコレ食らってたら死んでたんじゃないかな、僕」
死因:ギルガゼートのタックル。異世界の友人達に囲まれて。柾宏、24歳の秋のことであった。完。
そんな脳内ナレーションを振り払いつつ、歯を食いしばって体勢を何とかする。お願い、足踏まないで。死ぬ。
泣いた子供の相手とか、親切を母の腹に置き忘れて生まれた僕には超無理なんだけども。
ちなみに兄も同様にうっかり置いてきたらしいから、もし僕らに弟妹がいたら、ものすごい親切の塊だった可能性がある。
押し売りの親切ほど鬱陶しいものはない。どちらにしても付き合いにくい須月兄弟である。
「無事にまたディーと世界を繋いだからねぇ。ギルガゼートも頑張っててくれたって聞いたけど、もう無理しなくて大丈夫だからね」
「…うぅ、ぐすっ、こ、今度こそはぼくが、繋いでみせようと思ったんですけどっ…」
「うんうん。でも、元々僕はディーと繋いでいるってことはね、ギルガゼート。僕だけじゃなくてディーもやるような行動を考えないと難しかったんだなぁ。ディーは街で歌ったり出来ないでしょ?」
僕の行動をどう考えているかは別にして、ギルガゼートが二度と奇行に走らないようにさせなくてはならない。
なぜなら、彼の保護者面した大人達は、全員が今、驚異の目ヂカラでもって僕を見つめているからだ。
ギルガゼートを僕のような社会不適合者にさせてはならぬ…そんな皆の並々ならぬ思いが伝わるようだよ。本当のことだけど、結構失礼だよ。
「…ああ…そ、そう…そうでしたっ、…ずびっ。ぼくっ…失敗を…」
「でもギルガゼートがドア配っといてくれたの、助かったよ。僕も友達に貰ったドアがあってさぁ」
「えっ、じゃあっ…」
「うん。ギルガゼートがディーにくれたドアで世界が繋がったんだよー」
「ぅわあぁぁんっ」
うう、胸元がジットリとして気持ち悪い。
なんか精神力的なものがガリガリ削られていくよ。
「ギルガゼート。マサヒロは負傷しているらしい。そろそろ解放してやらないと事切れるぞ」
苦笑したディーが、見かねて仲裁に…いや、あの目は面白がっている。全然見かねてない。
案の定、負傷という単語にガバリと顔を上げるギルガゼート。
あああぁ。絶対鼻水つけられたわ、これ。盛大に垂れちゃってるもんね。
仕方ない、駅前で手に入れたキャッシング会社のゴワゴワティッシュをくれてやる。
とんとポケットティッシュは買ってなかったので、柔らかいのは持ってないのだよ。すまぬ。
怪我について言及しようとするギルガゼートを押し留め、重ねたティッシュを鼻に押し付けてやる。
「ちょっと骨が折れかけたけど僕は無事だよ」
ヒビとか言ったら面倒くさそう。
ちーんと音を立てる彼の頬や目の周りを、別のティッシュで拭ってやった。相手の意識が逸れている内に、自分の胸もささっと拭いておく。
「マサヒロの世界はこんなものまで包んであるんだね…」
「あ、うん。水や汚れを弾くとなると、何だかんだと便利だからね」
ポケットティッシュの外袋をそんな真剣に見つめられましても。
魔道具職人師弟は開発したてのビニールの用途について、白熱討論会を開催してしまった。
こうして僕の日常は異世界を取り戻した。
扉を横倒して窓に見立て、ベッドに転がったまま対応しては「楽そうでずるい」とディーに怒られたり、扉というウエルカムすぎる形状により以前よりも簡単にディーが侵入したりするようになった。
僕は未だに毎夜ディーと会話し、時には異世界へと足を踏み込む。
けれども、窓越しの異世界交流のお話は、これでおしまい。
だって、僕らの交流はもう、ドア越しになっちゃったからね。