初美の考え
水明が宮殿に再度侵入した日の翌日であるこの日。朽葉初美はミアーゼンの宮殿、その庭園にいた。
広い庭園の一画に設えられた円形の
国王の政務が終わったのを見計らい、初美は彼に非公式の会談を申し入れていた。
ミアーゼン王室が初美の状態を鑑み、勇者の公務のほとんどを排しているという建前があるため、対外的に謁見という形式を取れないゆえの非公式なのだが――それはともかく。
大理石のテーブルを挟んで、初美の対面に座るミアーゼン国王は、にこにこととまではいかないが柔らかな笑みを浮かべていた。そう畏まることもないと彼なりに表情で気遣いを表しているのだろう。
ミアーゼン国王は柔和な人物だ。息子であるヴァイツァーとは反対の性格で、絵本に登場する優しい王様を絵に描いたような人間である。厳しさは時折だが、周囲への気遣いがまめであるため、王として慕われているのだろう。
質疑応答の準備が整った折、国王が初美に声を掛ける。
「――勇者殿。折り入ってお話ししたいこととは、何かな」
「はい。今後の私たちの行動について先日意見がまとまったので、そのご報告を」
初美は特に遜ることもなく、嫋やかにそう答えると、国王は些か冗談交じりに口にする。
「ほうほう。知らぬ間にそんなことをしておったのか。休息の折にも魔族討伐のことを考えて頂けるのはよきことだが、しかしそれなら私も交ぜて欲しかったぞ」
「申し訳ありません。陛下もお忙しいだろうと、勝手ながら我らだけで話し合わせていだだきました」
「そうかそうか。配慮の方すまぬな。いや、勇者殿は相変わらず謙虚な英雄であるな。飾らず奢らず、しかし凛としておる。勇者殿を呼ぶことになった国の王として私も誇らしい」
にこやかに口にして笑い、人好きの顔をする国王。ことあるごとに褒めそやすのは、良い癖なのか悪い癖なのか。
初美がふとガイアスの方をチラリと窺うと、あまり国王の冗長で緩い話し口調、そして過剰な称賛が気に入らないのか、口をへの字に結んでいる。
くどくどと称賛を連ねていた国王が、やがて笑顔のまま問う。
「して、その話とやらの方はどうなったのだ?」
「今後はなるべく、勇者本来の動きを取るようにしようかと思います。もちろん、連合北部に居座る魔族を倒してからの話ですが、他の勇者たちと連携を取り合い、各地を転戦するといったように」
それが以前セルフィから聞いた勇者の責務のことだった。魔族の襲撃の激しい地区を回り、折を見て各地で慰問を行う。現在は魔族の侵攻が鈍いため、他の勇者たちは慰問、兵の鼓舞を目的に動いているようだが、ゆくゆくは戦いに向かって動かねばならないと思っていたところである。
「うむ……確かにそうよな。だが私にはまだ気の早い話のようにも思うぞ? 勇者殿も他の勇者の活躍を耳にすることもあるだろうが、あまり焦ることなく目の前のことにじっくりと取り組むことが肝要かと思う」
「ご配慮ありがとうございます」
深慮を思わせる王の顔にどこか楽観的なものを覚えつつも、初美は頭を下げる。
「いやいや。むしろまだ年端もいかぬ乙女であるそなたを戦わせるのは、私としては忍びないのだ。勇者殿とて、穏やかに過ごしたいであろう? もし望まれるのであれば、今後は宮殿に留まり、戦いとは無縁の生活をするのもよかろう」
「え……?」
勇者の責務など果たさなくていい。そんなことを言外に言われ、目を白黒させる初美。魔族を倒すために呼ばれたにもかかわらず、そう言われるなど考えてもいなかった。
記憶喪失と言う状態を鑑みての提案だとは思われるが、どうにも化かされているような気がしてならないのは、その常に浮かべられた笑顔のせいか。邪推はしたくないが……と、初美が胸の内の蟠りを処理しようとしていると、国王が訊ねてくる。
「どうかな? 勇者殿は魔族の将軍を倒し、その役目は十分に果たしていると思う。そなたが一人戦いから身を引いても誰も責めることはないと思うが?」
まるで悪魔の誘いのようにも思えるその厚意に、しかし初美は頷かなかった。
「いえ、戦いを投げ出すことはできません。お気持ちだけありがたく頂いておきます」
「そうか……なら、しかたあるまい。今後そう動くとなれば魔族と戦うことが格段に増えると思われる。こちらも支援は惜しまぬが、勇者殿もゆめゆめ気を付けられるように」
初美が承知の返事を返すと国王は視線を外し、ヴァイツァーの方を向く。
「ヴァイツァー。勇者殿をお守りしなさい」
「承知いたしました」
軽く頭を下げるヴァイツァー。二人とも過保護である。
この話がまとまったことを察した初美は、再び口を開く。
「それと、もう一つ陛下にお話しが」
「なにかな?」
「はい。先日、私の部屋に侵入者があった件です」
にこやかな訊ねに初美がそう返すと、国王は顔をしかめる。
「……それについては申し訳ないというほかない。勇者殿とて色よい返事を期待しているだろうが、その不届きな賊はまだ捕まっていないのだ。巡回の兵も尽力してくれているのだが、街を探しても一向に見つかる気配はないと聞く。今後捜索の手を他の街にも伸ばし、賊の捕縛には全力を注ぐゆえ、もうしばし待っていて欲しい。それと、当分警備などで身辺が騒がしいだろうが……」
「いえ、それについては、もうお構いなくと」
「……どういうことかな?」
「昨夜、再び私のところにその男が来たからです」
「なんと!」
「おい! そりゃあ本当か!」
「またあの男が! いや、一体どこから……」
初美の告白に、顔色を一変させる国王と、この場において口を挟むのは過分ということも忘れ、ガイアスとヴァイツァーが色めき立つ。
一方で冷静なセルフィも驚きを表すように身じろいでいた。
「みんなも心配しないで。私は大丈夫だから」
そう安心してくれと口にすると、国王が動揺の抜けぬままに問う。
「ゆ、勇者殿。本当に大丈夫なのか?」
「はい。もしも彼に悪意があって私に近付いたのなら、私はいまこうしてここで陛下とお話しすることなどできないでしょう」
「それは然りだが…………警備の兵は一体何をやっていたのだ」
怒りの態度を滲ませ、殊更顔を渋くさせる国王。宮殿の守りを抜かれたのはこれで二度目。さすがにこれには国王の腹の中も穏やかではないだろう。周囲を守っている兵の動揺を見ると、かわいそうとしか思えないが。
すると国王は、遅ればせて思い当たったか、
「しかし勇者殿。侵入者についてお構いなしとはどういったことなのだ?」
「昨夜彼が私のもとに来た折、彼と話をしました。やはり、私の知り合いのようでした」
「賊が勇者殿の友人だと言っていたというのは私も話には聞いておる。だが勇者殿は異世界の人間であり、友人など現れるわけがないと思われるが、それはどういうことか?」
「彼はアステルの勇者召喚に巻き込まれたと言っていました」
「ふむ……それならあり得るかもしれないが、信じるにはかなり苦しいと思われるぞ? 勇者殿はどうしてその男の言葉を信じる気に?」
「彼の口の動きです。いまこのように陛下と会話しているときにも、私の耳に陛下の言葉は私の扱う言葉に変換されているので、聞こえる声と口の動きは違いますが、それとは違って彼の言葉と口の動きは私の扱っているものと一致していました」
「……なるほど。つまりその賊……いや、勇者殿の友人と称する者は勇者殿のいる世界の言語を操っていたのか。ならば間違いあろうはずもなかろうな」
「あとは私のことについていくつか話してくれました。どうやら彼は私のことをよく知っている人物だったようです」
「うむ……」
何かにつけて笑顔になり、嬉しむのが常の国王が、いまはさしたる喜びようもなく何故か渋柿でも口に入れたかのようにしている。この反応は意外だったがそんな中、ヴァイツァーがらしくないほど動揺した態度で訊ねてきた。
「ま、間違いないのですか?」
「ええ、間違いないわ。信じられないっていう要素の方が少なかったもの」
その言に、彼が呆気に取られたようになっている一方、国王が真面目な表情を見せる。
「だが勇者殿の友人とて宮殿に侵入した罪があろう。私とて勇者殿の知り合いに罪を問うことなどしたくはないが……どうにもならん場合もある」
「ですが、侵入はやむにやまれぬからとも言っていました。もとから正攻法で私に会いに来ることができる方法などなかったのではないですか?」
内容が内容だけに、図らずも少し責めるような声音が交ざってしまった。すると国王はそんな風に問われるとは思っていなかったか。わずかな狼狽を顔に表した。
「う、うむ。それについては勇者殿を守るためだ。記憶を失った状態で会談の場を設けることになっては、障りがあろう」
動揺のせいか、どうも言い訳じみたように聞こえてくる。あのとき水明が何か言いかけ、口ごもったことに関係あるのか。初美は憶測を交ぜつつも、国王に捜索の停止を求めた。
「では、不問にしていただいてもよろしいでしょうか」
「そうは言ってもだな、こちらにも権威というものが……宮殿に侵入されたというのは王室としても据わりが悪い」
初美とて国王が承諾を渋る気持ちもわからなくない。だが危険を冒し、厚意で訪れた友人とやらを罪人にするのは、気が乗るものではないかった。
ならばと、初美は逆につっけんどんに口にする。
「わかりました。陛下がどうしてもと言うのなら私は気にはしません。ただ、去り際彼は『俺に手を出そうって言うんなら、一万だろうが二万だろうが全滅覚悟で来な』と言い残していきました。魔族と戦わないといけない状況でいたずらに兵を失うのは良いことだとは思えません」
「むぅ……」
半ば脅しかけのような物言いに、国王は口ごもる。水明の物言いはかなり尊大だが、国王は
一方ヴァイツァーは、水明の言いぐさが腹に据えかねたか、
「一万や二万とは……大口を叩いたな」
ヴァイツァーももちろん現場にはいたが、彼とは戦ってはいないため、強さに然したる差があるとは思っていないのだろう。ガイアスとセルフィの敗北は目にしたが、彼らにも油断はあったし、捕縛が目的である以上、本気かそうでないかと問われればそうは言えないのだから、実力が大きく開いているようには思えないのかもしれない。
しかし、それは大人しく帰ろうとしていた彼にも同じことが言える。
「私はあながち虚勢を張ったとも言えないと思う。警備の兵は相手にならなかったんだし。セルフィやガイアスも、あいつは強敵だって思うでしょ?」
「そうだな。見くびっていたからとは言え、オレもあのときは一発で沈められたしな」
「……いまの私では何度戦ったところで、あの少年には勝てる気がしません」
業腹だというように鼻を鳴らすガイアスと、静かに応えるセルフィ。先日の戦いでは、水明はその力で彼や彼女の自信を大きく奪っていった。戦った者にしかわからない機微が、おそらくはあるのだろう。
話を聞き、戸惑いの表情を浮かべている国王に、初美は重ねて求める。
「これ以上被害を出さないため、と思っていただくほかありません。どうかお願いできないでしょうか?」
「だがな、勇者殿……」
煮え切らぬ国王に、しびれを切らした初美はきっぱりとした態度を見せた。
「ではこうしましょう。もし彼に危害を加えると言うのであれば、私は彼に味方します」
「なんっ!?」
「彼は危険を冒してまで私のところにまで来てくれました。なら、私もリスク――危険を負うが筋というものでしょう。どうです?」
「ううむ……わかった。そのようにしよう。勇者殿に筋と申されてはな……」
はったりの利いた恫喝に、国王は苦しげに承諾をしたあと、再び問いかけてくる。
「やはりミアーゼンには勇者殿に会いに?」
「いえ、ここにはもとの世界に帰る手段を探しに来たと言っていましたから、おそらく私がいることに気付いたのはミアーゼンに着いてからだと」
「帰る手段だと?」
「はい。詳しいことはわかりませんが、一緒に来れば見つかったらときすぐにでも戻れるとも。話しぶりから、彼にはあてがあるように思いました」
初美は昨日の会話から受けた印象を口にする。魔法に関しては専門外ゆえ彼の能力など見抜けないが、いま言った通り彼の口からは確かな自信があるように思えたのだ。
すると国王は、先ほどよりも大きな動揺を見せ、身を乗り出すかの如く訊ねてくる。
口にしてから、まるで国事に関わる大事に直面したかの如くな国王。額に汗を浮かべ、緊張の面持ちで返事を待っている。それは、周囲も同じだった。
「勇者殿! それはまことにまことか!? して、返事は!?」
国王が訊ねているにもかかわらず、我慢できなかったか。不意にガイアスが四阿の外から身を乗り出した。
「おい、まさか一緒に行くなんて言わねぇよな!?」
「それこそまさかよ。さっきも言ったでしょ? 魔族を倒さなきゃ」
そう返答すると、張り詰めた空気が一気に解かれた。一同が安堵に胸を撫で下ろす。
「驚かすなよ。心臓に悪いだろうが」
「ごめんなさい」
初美は思わせぶりな言いぐさをしたことにそう謝罪した。
そして一旦周囲を見回す。窺ったのは、この場にいる全員の顔。一同が落ち着いた頃を見計らい、他に抱いていた存念を打ち明ける。
「だけど、魔族を倒すことができたら私は自分のいた世界に戻ろうと思う」
それは、半ば予想されたことではないだろうか。戻る手段があるならば、誰だって帰りたくあるものだ。セルフィとガイアスも、落ち着かない諦観を表情に浮かべている。
みなが言葉を失う中、まず口を開いたのはヴァイツァーだった。
「ゆ、勇者殿、それは本気で……」
「うん。私にも家族がちゃんといるって言うし、記憶もこのままにはしておけないもの」
「ですが……」
「ごめんなさい。散々気を遣ってもらって悪いとは思うけど、このままじゃいられないもの。家族だって心配してると思うし……」
だから帰るのだと、申し訳なさに語尾をすぼませて、付け加える。そして食い下がるような態度を見せるヴァイツァーに対し、胸の内で謝意を抱いた。彼も、寂しく思ってくれているから、そう言うのだろうと。そして初美は、口を開かない他の仲間にも問いかける。
「二人はどう思う?」
「私は、ハツミがそうしたいと言うのなら……」
「それについてはお前の決めることだろ。個人的には寂しいが、仕方ない」
「うん」
セルフィには躊躇いがあるようにも思えた。その一方、さすがガイアスは大人という貫禄で、こちらの事情を汲み、いつになくむっつりと、生真面目な態度だ。後ろ髪の心配をしてくれているらしい。
ヴァイツァーも苦渋を感じているのか、焦りを帯びた表情をしている。
国王はどこか顔色が優れないのが少し気になったが、彼も同じ気持ちなのだろう。
それ以上誰も口を開けず、気まずい沈黙が広がったときだった。
突然に庭園に兵士が駆け込んでくる。警備兵ではない。格好からして、ラルシームの兵士。
芝生の上をこけつまろびつする姿は、滑稽な人形劇を連想させるが、それほど大事なのだろう。やがて後ろから追いついて来た警備の兵に助けられながら、疲労の見える足取りで近付いてくる。
「おいお前! どうした!」
「はっ!!」
兵士はガイアスに返事をし、四阿の前で膝を突いた。
「み、ミアーゼン国王陛下に取り急ぎご報告がっ!」
「どうしたのだそんなに慌てて。勇者殿の前であるぞ」
「も、申し訳ございません!」
頭を下げ、謝罪をする兵士。そんな彼に、国王は再度問う。
「それで、何があったのだ? その様子ではただ事ではなさそうだが」
問わずとも、みな何が起こったのかには気付いていた。
その答えを待つ緊張の中、やがて気息を調えた兵士が口を開く。
「魔族の侵攻が再開されました!」
そうして、勇者ハツミの短い休息は、終わりを告げたのだった。