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闇の中で輝く光



 クラリッサとジルベルトは水明たちと別れたあと、武器屋街の奥にある金属くずなどを一時的に保管しておく、通りからは奥まった空き地にいた。

 水明たちと別れたときはすでに夕陽が沈みかけていたため、時刻は逢魔が時に差し掛かっている。建物はまだ明かりを灯すかどうかの境目で、魔力灯がちらほら点き始めた程度。

 言い様のない郷愁を覚えるようなそんな、夜陰になりきれない藍色めいた天と仄暗さの中、ジルベルトが鉄の臭いが移った空箱にひょいと乗っかり腰かけた。



「よっと!」



 落ち着きの良い場所を見つけ気分よく微笑むジルベルト。何を思うでもなく、工廠から突き出た黒雲を噴き出す煙突を眺め、やがてクラリッサに目を向けると、何故か彼女は顔を憂いでゆがめていた。



「……ここはあまり居心地がよくありませんわね」


「そうか? アタイは好きだぞ? ここは金属を叩く音や(ふいご)の音が聞こえてくるからな」


「あなたには慣れ親しんだ場所でしょうが、私にはそうではないのです」



 そう言って、自分の耳を押さえて尻尾を丸めるクラリッサ。この金物が発する騒音が忙しなく響く鍛冶場は、耳の良い獣人には騒がしすぎるのだろう。

 クラリッサが縮こまっているのが珍しくてくすくすと笑うジルベルトは、ふと彼女に安堵の表情を向ける。



「良かったな孤影の娘」


「……ええ、そうですわね」


「さっきは急に気付いたような振りしやがって、最初から知っていたのにとぼけてたんだろお前?」


「当然です。獣人の目を舐めないで下さいまし。ですが、元気そうで少し安心しましたわ」



 リリアナの無事を嬉しむジルベルトに、クラリッサは一瞬驚いたような表情を見せたあと安堵の笑みを作った。すると、ジルベルトは嬉しみの笑顔をニヤリと意地の悪そうな笑みに転化させる。


「なんだ。罪悪感あったのかよ?」


「そういうジルこそ、先ほど闇――リリアナ・ザンダイクに話しかけたときは罪滅ぼしでもするような言い方でしたわね?」


「ふん。アタイたちが迂闊だったせいで迷惑被って、結局アタイたちは何もしなかったんだ。それくらいはな……」



 と、悪びれたように目を伏せるジルベルト。ローミオンの一件では、本来リリアナをあんな目に遭わせるつもりなどなかったため、彼女には相応の呵責があった。罪の意識を背負うには実に今更な話でかつ都合の良い話だが、それくらいしかできることはないだろう。

 それにはクラリッサも頷いた。



「確かに。ですが私たちの心配はおそらく杞憂になるでしょうね」


「おいそれ、もしかしてあのヤローと一緒にいたからか?」



 クラリッサが「はい」と清々しく頷くと、ジルベルトは思い出したように彼女を睨む。



「つーか何で孤影の娘があの野郎と一緒にいるんだよ? お前が裏で手を回したのか?」


「いいえ、私は何もしていませんわ」


「じゃあなんで?」


「何でも孤影殿のお話だと、ローミオンを打ち倒したのはスイメイ様だと」


「あん? あいつが? 冗談だろ? あんなどこにでもいそうなヤローがか?」


「ええ」



 あっさり返されたクラリッサの声が、にわかには信じがたいと言うように、ジルベルトがかつてないほど顔をしかめる。

 すると、どこからともなく声がかかった。



「――ほう? あの騒動のケリを付けてくれた人間に会ったのか?」



 響いてくる声は若々しい男のもの。その音源を目で辿ると、空き地の入り口にドラゴニュートのインルーが立っていた。

 明るい翠の長髪を微風にたなびかせ、耳元からは後ろへ向かって伸びた白銀の角が二本。和装でも通じるような白を基調とした服をまとい、広い袖の中に腕を突っ込んでいる。



「テメーはいつも急に出てくるよな。それよりも遅いぞ?」



 ジルベルトが非難の視線を向けると、インルーはまるで悪びれた様子もなくいつものように明朗に笑い出す。



「ああすまんすまん。野暮用のせいでな。――で、先ほどの話は?」


「あのヤローのことか?」


「先ほどクラリッサが言った通り、確かに孤影は件の男の名をスイメイ……なんとかと言っていたぞ?」


「龍人。いまの話、ホントか?」



 ジルベルトが目を細め、油断のない視線を送ると、インルーは首肯する。



「孤影の言う通りであればな。なんでもその男は、ローミオンの使う術の全てを看破し、天から星を降らせて奴がまとった闇ごと倒したそうだ。それ以上孤影は詳細を語らんが」



 巡り合いの幸運に与れなかったのは残念だと最後に付け足すインルー。幾分と端折られ簡潔にまとめられた語りを聞き、ジルベルトは感心したという表情になる。



「はぁー……あのヤローが暴走したとかいうローミオンを倒したとはねぇ。見た目はやたらと頼りないんだがなぁ」


「そんなことはありませんよジル。スイメイ様は帝国の宵闇亭でも、エル・メイデの勇者と対峙したとき、彼を圧倒していましたから」


「エル・メイデの勇者を? あの勇者、確かかなり強いんじゃなかったか? 来て早々から魔族共をブッ飛ばしまくって大立ち回りしてるって話だろ?」



 召喚されてからすぐにうち立てられたというエリオットの武勇を思い出しつつ、ジルベルトは耳を疑うと言うように懐疑の視線をクラリッサに走らせる。



「あら、ジルは私の目を疑うのですか?」


「勇者には英傑召喚の加護があるだろ? それを超える力を持ってる人間なんて、そうそういるわけない」


「あら、そうなると私たちは一体どうなるのでしょうか」


「アタイらは例外だっての」


「それなら他にも例外がいてもおかしくはないでしょう?」


「…………」



 詭弁屁理屈に顔をしかめ、それでもにわかには信じがたいというジルベルトに、クラリッサは頭を振った。



「スイメイ様が身の内に湛えた魔力は、エル・メイデの勇者のもの大きく上回っていました。彼がエル・メイデの勇者を上回る力を持っているのは間違いありません」



 目に狂いはないとはっきり断言したクラリッサ。その言葉はどこかスイメイのことを褒めているようにも、ジルベルトには思えた。

 そこから、彼女にはふと気付くことがあった。



「なあクララ、もしかしてお前の言っていた仲間に引き入れようと思った奴って」


「はい」



 クラリッサがその通りだと頷いたのを見て、ジルベルトは片手で頭を抱え出す。



「おい……、あの野郎なのかよ……」


「闇の力を取り込んだローミオンを倒したのなら、力量は問題ないかと思われますが?」


「それは……確かに申し分ないだろうがよ……」


「俺は強い奴なら構わないぞ」



 インルーは単純明快だが、一方のジルベルトは納得できないのか、表情がやたら険しいまま。奥歯にものが挟まったような顔をしている。

 クラリッサはそんな彼女の表情を見て、



「ジル、それほど彼のことが嫌いなのですか?」


「そこまでのものじゃないんだが、アイツはレフィールと仲いいし、いまは孤影の娘も預かってるんだろ? 何かあったらあいつらがかわいそうだ」


「あら、お優しいのですね」


「べ、別にそんなんじゃねーよ」



 微笑みの指摘に、慌てたジルベルトは座っているを椅子をガタガタ鳴らしながら赤くなってそっぽを向く。だが彼女は一転、すぐに訝しむような表情をして問い質す。



「でもクララ。お前どうしてそんなにあの野郎を押す? アタイたちのやるべきことは強いだけじゃあ……」


「もちろん、最初にあの方に目を付けたのはエル・メイデの勇者との一件でですが、いまの発言は他のことも踏まえてですわ。ジルも知っている通り、ローミオンの事件です。結局私が知ったのは、事件が解決されたあとですが」



 そう前置きをして、クラリッサは問わず語りに語っていく。



「始めスイメイ様が事件に関わったのは、女神の不可解な思惑から小さいレフィールさんを守るためでした。そのため、彼にとっては事件の犯人であるリリアナ・ザンダイクを捕まえればそれだけで全てが済むはずでしたが、スイメイ様は目先の利益に惑わされず、己の正義を見失わなかった。自分の行うべきことを見据え、苦難の道もいとわずに、被害者であった彼女を助けたのです。正直、あのような方が世にいるとは驚きでした」


「まあ確かに殊勝ではあると思うが……」


「それは本気のお言葉で?」



 いささか冷たさの感じるクラリッサの言葉に、ジルベルトは口ごもった。いまの言葉で彼女が言外に突きつけたのは、お前の目は節穴なのかという問いだったからだ。



「ジル。あなたは感じませんでしたか? 先ほどスイメイ様たちが正面から歩いて来たときの、穏やかな姿を。レフィールさんもスティングレイさんも、リリアナ・ザンダイクもみな、笑顔でいました。あの在り方は私にはとても眩しく感じられましたわ」


「それは……」



 その印象は、初めにあの男に持った印象と拮抗する。だが拮抗するがゆえに、共感する部分が確かにあった。

 先ほど、スイメイたちは談笑しながら歩いていた。他愛のないことを話しながらであり、それはまるで平和な日々の生活から切り取られた一幕のようでもあった。

 何気ない情景で、どこにでもあるものと言える。だが、果たしてそれは、あの帝国での苦難の先に、確実にもたらされるものだと確固として言えるものなのか。そう問われれば、軽々しく頷けるものではない。



 あの何気ない笑顔の輪の中には、闇に悩まされていたはず少女がいた。話に聞けば、あの少女はあのまま闇に取り込まれてもおかしくはない日々を、幼少のころから送っていたと聞く。ならばどうして、彼女はあのときあのような笑顔を見せることができたのか。

 あのとき自分たちが見た笑顔は、心の根底に安らぎがなければ見せることのできないものだ。闇が身の内に蟠っているならば決してできないような、胸のすくような笑顔である。

 おそらくはその笑顔は、幾条も束ねられた運命の線、それらが作る闇の中に埋もれた、たった一縷のか細い光明の中にあったろう。



 それ以外の他の全てには、掛け値なしの絶望が待っていたはずだ。

 だがあの男はその光明にたどり着いた。奇跡にも等しい結果を女神から勝ち取ったのだ。

 その過程を手繰り寄せたる術は、いまの自分たちには知る由もない。

 しかしそれを魅せることができたあの男には、確かにあのとき背にあった夕陽、それ以上の輝きと眩しさと尊さがあったと思う。



「……だけど、アタイはやっぱりいいとは思えない」


「あなたがそれを理解していても、ですか?」


「だからだよクララ。アタイにだってあのヤローが表に出てくるような奴じゃないことはわかってる。あのヤローはアタイたちみたいな裏っ側にいるような奴だってことも。だがな、あのヤローにはアタイたちとは決定的に違う部分がある。眩しすぎるんだよ。アタイたちが世の闇なら、あのヤローは闇の中にある光だ。闇の中にあってなお埋もれずに輝ける、最も眩しい光ってヤツだ。お前もアタイもそんな風に感じた人間の在り方が、どうしてアタイたちと同じだって言える? あのヤローは、アタイたちとは決して交わらない場所にいるんだ」


「それは……確かにそうかもしれませんわね」



 首肯するのは、同じ予感が彼女にも少なからずあったからだろう。

 そんな二人のやり取りに水を差すように、インルーが口挟む。



「そう思い悩む必要はないかもしれんぞ二人共。強い者たちの歯車はかみ合うものだ。お前たちがその男と関わり合いがあり、その男がローミオンを倒したのなら、もう巻き込まれているやもしれん」


「そういうことを言うんじゃねぇよ龍人。ほんとお前は空気が読めないな」


「俺は可能性を口にしたまでだ」


「それがダメだって言ってんだよこの」


「ならば俺は口を開けないぞ?」


「そういう極端なことを言ってんじゃねえってんだよ」



 一人は真顔で、一人は呆れ顔で言い合いをしていると、クラリッサが本題だとでも言うように切り出す。



「ところでインルー。例の件、首尾の方は?」


「ん? ああ、そういえば放っておいたままだったな」


「あん?」


「いま俺の後ろにいる。トリアで呼ばれた勇者だ。赤傷が連れてきたのを今朝方、孤影から引き渡された」



 簡略な説明のあと、インルーは少し横に避ける。すると、彼の背後から茶色のローブを浅く被った女が現れた。ずっとそこに立たせていたのか。インルーがトリアで呼ばれた勇者と言った通り、あらかじめ聞いていた特徴と一致する。

 それを見たジルベルトが、気に染まぬというように、



「赤傷のヤツめ裏でこんなことをしていたのか。お前は聞いていなかったのか、クララ」


「私がお話しを伺ったのは、帝国を発つ直前でしたので」



 事前に伝えられていなかったことにも、彼女に不満はないらしい。神妙にしているクラリッサを尻目に、ジルベルトは木箱から降りて、四人目の勇者の顔を覗き込む。そして、



「本人の意思を問わず、全ての勇者を引き入れるねぇ……。で、こいつはどっちだ?」



 承諾したのか否か。そうジルベルトが訊ねると、インルーが答える。



「この女は拒否したため、意識の方は奪ったそうだ」


「なるほど。お前も災難だな」



 と、ジルベルトはトリアの勇者に向かって同情めいた息をこぼす。しかし、勇者は行動の可否すら支配下に置かれているのか、うんともすんとも言わない有様。

 そんな彼女にかかずらう無意味さを察し、ジルベルトは不満たらたらに愚痴を漏らす。



「でもなぁ、こういうことをするんなら先に教えといて欲しいんだよ。折角帝国には二人も勇者がいたんだぜ? 先にそっちをどうにかしておいた方が早かったろうに……そりゃあ勇者二人以外に他の戦力まで敵に回す可能性はあったにしろよ……」


「だが結果的には良かったのではないか? ローミオン(ヤツ)を倒した男はアステルの勇者と親しくしていたらしい。もし異世界から呼ばれた勇者とその男が義理を作っていたとすれば、その男まで相手にすることになっただろう。――俺は望むところだが」


「はいはいそうですねー」



 視線を逸らし、インルーにお座なりの同意を返すジルベルト。だが、確かに彼の言うことにも一理あった。もちろんそれは、三人とも相手にしたいという話ではない。クラリッサもジルベルトも、もし水明が黎二に協力するほど親しくなっていたら、帝国での作戦行動は難しかっただろうと思っている。無論今回のことは、勇者二人とその周囲の戦力を相手にするのを避けるためのことだろうが。



「お前たちは言われなくても動きそうだからな」


「嫌みかよ?」


「有能だと言っているのだ。些事だと見做せばお前たちはさっさと解決するだろう?」


「確かにあらかじめ言われていたら、動いていた可能性は否めませんわね」



 クラリッサもインルーの言葉に同意する。勇者の身柄の確保は彼女らにとっていわば大事の前の小事だ。できるなら差し障りのないよう、片づけておかなければならない。

 すると、インルーが思い出したように口を開いた。



「あともう一つ孤影からの報告だが、アステルの勇者が自治州へ発ったそうだ」



 それに、ジルベルトは素っ頓狂な声を上げる。



「はぁ!? あの勇者は帝国から動けないんじゃなかったのか?」


「そのはずなのだが、動いたそうだ。どうも想定外のことが起こったらしい」


「それ大丈夫なのかよ」



 ジルベルトは顔をしかめるが、クラリッサはその限りではなかったようで、



「大筋では問題ないでしょう。その程度なら揺れ幅の範囲内だと思われます」


「それとも、ジルベルトよ。お前はあの方のなされることを信じていないのか?」



 茶化すように言うインルーに、ジルベルトはバツの悪そうな表情を向けた。



「そういうわけじゃないが……」


「あの方は人に説明するのが億劫なのだ。なまじ我らとは頭の出来が違う分――いや、もともと別の次元にあるからと言った方が良いか」


「わかってるよ。そんなこと今更言われなくてもよ」


「なら良かろう。――ではクラリッサよ、この女を頼む」


「インルー、あなたはどちらへ?」


「次は連合の勇者だからな。いまから準備をしておくのさ」



 インルーはそう言って、後ろに控えたトリアの勇者を置き去りにして、武器屋街の空き地から出て行った。





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