侵入者八鍵水明
八鍵水明の家の隣には、剣術道場がある。
その道場の師範が父の友人で、水明が幼い頃に父の勧めで隣に転居したため、そこに道場が開かれたのだ。
剣術は
無論、伝わっているだけでなく、道場の師範は剣術を教える傍ら、その裏で世に蔓延る化け物共を斬るのを生業としており、その娘である彼女――朽葉初美もまた彼女の父について、向こうの世界で化け物どもを斬ってきた。
諸々の事情のため、水明が魔術師であることや、水明が初美の家に裏の生業があるのを知っていることも、彼女は知らないのだが――それはともかくとして。
彼女の剣の実力はかなり高く、父である朽葉鏡四朗が女であるのがもったいないと言うほどのもの。対人も含め実戦こそ少ないものの、向こうにいた時点でもおそらくは七剣並の強さを持っていただろうと推測できる。
そしてそんな彼女が目下、自分に対し選択を迫っていた。
「――それで、人を呼ばれたい? それともいますぐ斬られたい?」
「俺としてはどっちも拒否したい。どっちも大変そうだから」
「私はいまが大変なの。知らない男が部屋にいるから」
「勘弁してくれよ……」
頭を抱え出す水明。転居してきたときから一緒に遊び、一緒に剣を学んだ彼女が、いまは軽く腰だめになり、自分に対して「抜き」――俗に言う居合の構えを取っている。漂う殺気は、これが冗談ではないことの確たる証。おかしな真似をすれば、鞘走りも余儀ないのだろう。
だが、まさか記憶喪失に陥っているとは。彼女の様子を確認するために、可能であるなら連れて行くために赴いたが、これではどう行動すればいいのか皆目見当もつかなかった。
向こうの世界の記憶がないのなら、ここで自分がどれほど訴えたところで信用などしてもらえないだろう。かといって魔術に頼るとしても、記憶喪失を治す魔術などは存在しない。脳に介入し、記憶を書き換えたりいじったりする術はあるが、もしその要領で無理やり記憶を露出させるなどの施術を行えば、脳に多大な負担を掛けるのはまず間違いないのだ。
それが、頭の痛いところ。状況を改善する手立ての持ち合わせがまるでなかった。
やはり信じてもらえるまで話すしかないのか――
「すぅー」
不意にそんな初美の呼気が聞こえる。
彼女の得物は刀身四尺、柄は八寸ある長物だ。ところどころ変わった装飾が施されているが、形を見るに日本刀を摸して作られたものだろう。おそらくあの赤鞘の拵えの中には、反りを持った異世界の金属の刀身があるはずだ。
そしていま現在自分のいる場所は、剣先三寸が届く場所。つまり彼女の間合いの内となる。
いや、彼女にとってはあの切っ先がこの身に届かなくとも、間合いの内にあるだろう。
そう、ある一定を超える力量を持つ剣豪たちは、自分の剣の長さや腕の長さといった括り以上の間合いを有するものだ。物理的にはあり得ないことだが、俗にいう横雲、横一文字なる技はその剣閃の先にある何もかもをかっ捌くと言われている。
そして、彼女の流派もそれを可能とする、尋常ならざる剣にほかならない。
「倶利伽羅陀羅尼幻影剣朽葉流。記憶喪失でも、剣のことは忘れてないんだな」
嫌な汗を流したままに水明が言うと、初美が少しばかり驚いた表情を見せる。
「知ってるの?」
「だから幼馴染みだってさっきから言ってるだろうが……」
「そんなの信用できない」
「なんでだよ?」
「何でも何も、それならどうしてこんな風に入ってきたのよ? 正面から訪ねてくればいいじゃない?」
「それが出来ないからこういう方法を取ったんだが」
「ふぅん。できないってことは、やましいことがあるんじゃないの」
「そりゃあお前屁理屈だろ……」
と、呆れを滲ませる。門番だろうが警備の兵だろうが何だろうが、幼馴染と言ったところでそいつらこそ「信じるものか」というものである。
「じゃあ証明できる? 確かにあんたは私の剣のことを知ってるみたいだけど、それは魔法使いや魔族みたいに何か術を使って知ることだってできるかもしれない。だからそれを知ってるからって言って、あんたが私の幼馴染みだっていう保証にはならないの」
「ぐ……」
初美のまくし立てに、水明は言葉に詰まる。確かに彼女の言う通り、いまこれといってすぐに見せられる決定的な証拠はない。一応携帯電話には初美の家族と一緒に撮った写メが保存されているが、携帯電話はとうの昔に電池切れで使えない。
ならば、力ずくで連れて行くか。だがそんなことをしても記憶が戻るわけではないし、第一勇者を誘拐すれば騒ぎはとんでもないものになる。
思索に囚われ、水明が行動に窮しているそんなときだった。
廊下から、乱暴な足音が聞こえてくる。誰か異変を察知したか。水明が魔術を講じる暇もなく、扉の外から女の声が透ってきた。
「ハツミ!? どうかしましたか!?」
「っ!? セルフィ! 侵入者!」
「侵入者って俺のことかよ!?」
「あんたしかいないでしょうがっ!」
言葉と共に閃く刃。水明はそれを厭うように窓辺に後ろ飛びをすると、大太刀の先が軌道を直角に変え、薙ぎから突きへ急変。刀身が空気を切り裂いたことにより起きる太刀風の鋭い音を伴って、樋が打たれた
水明はそれを寸ででかわし、部屋の奥の方へと逃れた。
「おまっ、殺す気かよ!?」
「ちょっと串刺しにするだけよ。安心しなさい、ちゃんと急所は外してあげるから」
「物騒過ぎて安心できる要素なんぞ一つもねぇっての!」
直後、ばんっ! と扉が開かれる。部屋に入ってきたのは緑のローブをまとった人物。おそらくは先ほど初美に声を掛けた女で、パレードのときに山車の上に乗っていた魔法使い。
「ハツミ! 無事ですか」
「ええ。この男が侵入者よ。――さあもう観念なさい」
「あなたが何者で、どうやって宮殿に侵入したかは知りませんが、逃げ場はありませんよ」
彼女たちの言う通りだ。扉は押さえられ、窓も初美の剣の間合いの中にあり、そして切っ先の届かないこの場所も絶刃の太刀によって間合いの内。
だが――
「逃げ場がなけりゃあ作ればいいんだよ!」
「な!?」
「――!?」
拳に魔力を集め、魔術行使と共に一気に壁に叩きつける。突き出された正拳は周囲に強烈な衝撃波を発生させ、それに伴いエーテル・ウィンドが散逸、拳に激突した瞬間から壁は微塵に砕けて吹き飛んだ。
背後から悪態が含まれた呻きが聞こえる。衝撃波から身を守るのに専念せざるを得ないゆえだろう。水明はその間に、自ら開けた大穴から外へと飛び出した。
建造物は四階建て。そしていまいる場所はその四階。だが、魔術師にかかれば高度の高い低いなど、なんら気にする必要はない些末事である。
夜陰の中、風を切る音が下から上へと流れていき、すぐに地面が近づいてくる。魔術によって問題なく着地した直後、先ほど初美がセルフィと呼んだ女の声が、どうして耳朶に伝わってきた。
「宮殿に侵入者が現れました。黒髪で緑の上着を着た男です。勇者ハツミの部屋に侵入したあと、中庭に逃亡。警備の兵は全員中庭へ……繰り返します……」
簡潔な警報だ。先ほどのローブの女は魔法使いで、風使いでもあるのか。声が風に乗せられ隅々にまで巡っている。
その警報を聞いたか、すぐに足音が聞こえてくる。水明も敷地の端に向かって走るが、剣を携えた兵士たちがあらゆる方向からわらわらと湧いてきた。
「いたぞー! あそこだ!」
「散開して取り囲め! 宮殿に侵入した狼藉者を絶対に逃がすな!」
「ちっ……随分と出てくるな」
降り立った場所が悪かったか。中庭のど真ん中では身を隠す場所もなく、飛び移る建物まで結構な距離がある。
水明が兵士たちに取り囲まれかけていると、その後ろから見覚えのある男が現れた。
「あん? お前この前にひょろい兄ちゃんじゃねぇか!?」
驚きの大声を発したのは、食事処で出会った男、ガイアス・フォーバーンだった。
建物の壁を背後にして、水明は危機感の薄い語調で返事をする。
「あーおっさん、また会ったな。久しぶり」
「久しぶりでもおっさんでもねぇよコラ! お前が侵入者ってのはどういう了見だ?」
「いや、これにはマリアナ海溝よりも深い事情があってな」
「惚けてんなよ? ぶん殴るぞ?」
「いや、この場合おっさんにぶん殴られる前に他のヤツに斬られそうだ」
横目で兵士たちを窺うと、剣を抜いて、目をぎらぎらと光させているのが見えた。宮殿、しかも勇者の部屋に侵入したことで、みなかなりご立腹の様子だった。
やがてまた一人、何者かがやってくる。兵士たちの垣根が割れ、そこから悠然とした足取りで、山車に乗っていた初美の仲間の一人が現れる。確かミアーゼンの王子、ヴァイツァー・ラーヒューゼンと言ったか。
「ガイアス。お前この者を知っているのか?」
「知ってるって言っても、メシ屋で相席になっただけの顔見知りだ」
「そうか」
そう納得の言葉を口にして、彼は剣を引き抜き、口上を述べる。
「不届き者よ。このカルナスの宮殿に侵入するのはおろか、あまつさえ勇者殿の寝所に入るとは、どうなるかわかっているのだろうな?」
ヴァイツァーの静かで、しかし威圧的な口調に、水明は盛大なため息を返す。
「あのなぁ……俺は知り合いに会いに来ただけだっての」
「貴様の知り合だと?」
「初美のことだ。記憶喪失らしくて全然取り合ってくれなかったがな」
「…………」
「世迷言を。勇者殿は異世界から召喚された人間だ。この世界に知り合いなどいるはずないだろう」
眉をひそめ不思議そうな顔をするガイアスと、水明の言い分を詰まらないものと断じるヴァイツァー。そんな二人の様子を見て、水明は肩を落として嘆息する。
「そりゃあそう言うよなぁ……」
ガイアスが拳を揉んでぽきぽきと音を鳴らす。
「まあ何にせよ。お前からはいろいろ聞く必要がある。大人しくしとけや」
「大人しくして丁重に扱ってくれる雰囲気じゃないな」
「当然だ。侵入者に情けなど必要ない。なます切りにされないだけありがたく思うことだ」
ガイアスが多少なり、態度が柔らかいその一方で、ヴァイツァーの方はにべもない。
周囲の兵士たちはすでに臨戦態勢で、剣呑な雰囲気を醸し出している。
逃げの機会を逸してしまったため、ここを脱するにはまず目の前の兵士たち、そしてガイアス、ヴァイツァーをどうにかしなければならないだろう。
「しょうがねぇか……」
水明は辟易と、ままならぬばかりの現状を吐息と共に嘆く。
すると彼の周囲は月明かりの下にあるにもかかわらず、暗影の内に落ちたのだった。