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責務とは




 白亜の庭園での一件から数日の後、アステル国王アルマディヤウス・ルート・アステルはフェルメニア・スティングレイを謁見の間に呼び出していた。

 召喚の理由は勿論、勇者レイジの魔法の修得具合について、師である彼女から直接聞くためであった。

 話は他の者達からも聞いてはいた国王だったが、その報告内容と言えば「才能の塊」「魔法の天才」「世界最高峰」など抽象的な称賛ばかり。具体的な部分が霞んでいるのは、要は魔法の腕が立ち過ぎてよく分からないと言ったところなのだろうが、送り出す者としての責任もあるため、詳細を知りたいところであった。


 そして勇者の師となったフェルメニアの報告。純白のローブを静かになびかせ、目の前に跪いて、つらつらと勇者レイジならびにミズキ・アノウを評価していく。


 曰く、勇者レイジが持つ魔法の才は途方もないものであり、魔力量も城の宮廷魔導師の十倍以上、術や魔力の細かな制御についてはまだまだ拙い部分も見えるが、魔法に対する理解の早さは異常とも言っていいとのこと。ミズキ・アノウに対しても、レイジ程ではないがそれに準ずる力を持っているらしい。魔法の理解力と発想が人域のそれでなく、であれば英傑召喚の加護がない事が惜しまれるほどである、と。



「――以上にございます。レイジ殿及びミズキ殿の魔法の修得は目を見張るものがあり、ゆくゆくはお二方とも諸国の大魔導師にすら匹敵する魔法使いになることでしょう」


 最後に賛辞を加えて報告を終えたフェルメニアに、ふと冗談めかして訊ねる国王。


「お主の魔導を越えそうか?」


「レイジ殿のお力なら、或いは」


「そうか。なら一安心だな。レイジ殿にそれほどの魔法の才があるのならば、私の心配などただの杞憂であろう」


「は。私も驚きでした。魔法に触れてたった二週間にも関わらず、もう既に中級魔導師に匹敵する実力を持つようになるとは、勇者として世界に選ばれたのは伊達ではありません。一人の魔法使いとして言わせて頂けるのであれば、羨望を禁じ得ない」


 静かにそう口にするフェルメニア。僅かに頭を垂れる彼女の顔は俯き加減がため判然としないが、それでも“羨ましい”と実直に言うのなら、嫉妬が表に出ていることだろう。無理もない。話を聞く限り、勇者レイジはもはや異常と言う言葉では片付けられないほどの速度で彼女から魔法を会得しているのだ。フェルメニアも天才と謳われた魔法使いだが、改めて自分がそれを口にする立場になって、その言葉が如何に残酷かを知っただろう。



「確かにそうだろう。だが、それほどの力がなくては――」


「陛下の仰る通り、魔王は倒せないでしょう」


「うむ」


 意見の一致に頷く国王。勇者について訊きたい事を訊き終えた彼は、ここまで尽力してくれたフェルメニアに労いと期待をかける。


「魔導師、フェルメニア・スティングレイ。子細は承った。レイジ殿のご出立まであと三日。それまで力を尽くしてくれ」


「御意に。では、私はこれにて……」


 そして、フェルメニアはそう国王の下命を恭しく受け取って、礼をして退出しようとする。

 だがしかし、それに承諾の声は上がらない。国王はまだ用があると、口を開いた。


「――フェルメニア。他にそなたに聞きたい事があるのだが、よいか?」

「は、何なりと」


「あの少年、レイジ殿のご友人であるスイメイ殿についてだが」


 そこで国王が口にした名前は勇者レイジの友人、スイメイ・ヤカギであった。

 そう、以前のフェルメニアの報告以降、国王は勇者レイジと同じぐらいに、スイメイの事を気にしていた。城内を魔法を使って散策するのもそうだが、彼が最も懸念すべきものとしていたのはそれを知るフェルメニアとの衝突である。話があってからもう数日。

 何か変わりがあったかどうか訊ねたのだが……。


「す、スイメイ殿ですか……?」


 まるで意外な話題が降って湧いたとでも言うように、戸惑いを表情に張り付けるフェルメニア。声が僅かに裏返った気がしないでもないが、そんな彼女に国王はスイメイの事を細かく訊ねる。


「そうだ。あの後、あの少年はどういった動きをしている? そなたも監視は続けているのだろう?」


「そ、それについては……その」


「フェルメニア?」


 だが、フェルメニアは何故か視線を合わせようとはせず、言い難そうに口ごもる。先ほど勇者の話を説き明かした時とは違い、要領を得ない。


 どうにも様子がおかしかった。常日頃の彼女ならば、堂々として凛。どんな状況、どんな相手であっても冷静な態度を崩さず、はっきりとした応対で相手に臨むのだが、今はそれが全くないのだ。


「あ、う……」


「どうした? まさか何かあったのか?」


「いえ、それは、その……」


 再び訊ねても、居た堪れなさそうに身動(みじろ)いで言葉を濁してばかり。気が付けばうっすらと汗すらかいている彼女に、今度こそ、然して厳しく問い質す。


「答えよフェルメニア。黙っていては話が進まないであろう? あれからあった事、見た事を包み隠さず話すのだ」


 しかしフェルメニアはその問いに答える事はなく、床に額を擦り付けるが如く、頭を下げた。


「へ、陛下! それだけはどうか、どうかご容赦を!」


「話せないと申すか?」

「……はい。不肖ながら、仰る通りにございます」


「何故だ?」


「それにつきましても、私の不徳と致すところ。陛下に申し上げる事はできません」


「む……」


 意に反する態度の連続に、思わず唸る。

 平伏し、言葉にするのを固辞するフェルメニア。彼女はいつにないほど頑なであった。

 しかし、何故そこまであれ以降の話を彼女は隠したがっているのか。いや、何故とは言うまい。ならぬと言われた手前、事を起こしたのなら話したくもないだろう。下手な事を話せば悟られる。そして、命令違反で処罰もありと当然考えるだろう。


 つまりこの黙秘は、その処罰に対する自衛なのか。ならば、もはや決定的であろう。


「……私はならぬと言ったはずだフェルメニア。だが、その様子だとそなたはスイメイ殿に何かしたようだな。違うか?」


 語気を強めて訊ねると、フェルメニアはまるで天敵に見つかった小動物のように、ビクリと肩を震わせる。これから下る沙汰と叱責に恐れをなしたか。聡明な彼女が、こうなる事を予期できなかったのは意外であり残念だったが、しかしいくら慄いていようと責は責。

 まずしっかりと状況を把握して、その上で沙汰を言い渡さねばならいのである。


 故に。


「話すのだ。処罰の可否を問う以前に、そなたから話を聞かなくば始まらない」


「……お、お願いします陛下。何とぞ、何とぞご容赦を」


「そこまで頑なになる必要はもうない。そなたが私の命に反したことくらいもう予想がついておる。観念して全てを打ち明けるのだ」


「へ、陛下っ……」


「くどいぞフェルメ……?」


 ――気が付けば、凛としているのが常である彼女が、目尻に涙を溜めていた。

 果たして彼女の泣き顔などいつぶりか。彼女が幼い頃初めて夜会に訪れた日、父であるスティングレイ伯爵と母である伯爵夫人とはぐれてしまい、右往左往していた時以来ではないか。

 様子がおかしい。これはまるで、自身が彼女に出来るはずもない事を強要しているようではないか。


「……何故話せぬ?」


「…………」


 フェルメニアは答えない。ただ、自身に頭を垂れるまま、俯いているばかり。

 そして国王アルマディヤウスは、暫くこの沈黙の中で考えることとなる。

 彼女は何故話さないのか。話す事を頑なに拒否するのか。


 それについての答えは出なかったが、やがて一計を思い付いた彼は質問を変えることにした。


「――フェルメニアよ。私がこれからそなた質問する」


「ですが陛下」


「聞くのだフェルメニア。よいか? 私の質問が正しければ、今のように沈黙で答えるのだ。そうでなければ首を横に振れ、よいな?」


 有無を言わせぬ命令に、フェルメニア反論する事なく押し黙った。


 そして彼女に、考えた事を一つ一つ訊ねていく。


「この数日の間。そなたはスイメイ殿に対し何かしらの事を起こしたか?」


「…………」


 沈黙。当たりである。が、まだ予想の範囲内。


「では、それは口頭での注意であったか?」



 今度は違うと、フェルメニアは首を横に振る。ならば。



「それは実力行使であったか?」



「…………」



 当たりである。だが、実力行使と言えど、仕置きならば魔法で威圧するくらいのものだろう。

 フェルメニアも弁えているはずであり、恐らくないとは思うが……。



「そなたはその時、スイメイ殿を傷付けた」



 しかし、フェルメニアはそこで首を横に降った。



「……まて、そなたは彼を傷付けようとしたのか?」



「…………」



 フェルメニアの沈黙に、一時言葉を失う。これには少なからぬ驚きがあった。それはフェルメニアが文字通りの実力行使を行った事についてではない。多かれ少なかれ、彼を痛め付ける意思があったにも関わらず、国内の魔法使いでは最高位にいる宮廷魔導師その力をもってしても、スイメイを傷つける事ができなかったという事だ。

 それが意味するところは何か。


 それは、たった一人にしか与えられない英傑召喚の加護に嫌われ、エレメントから強さを保証されない魔法使いが、白炎と呼ばれる彼女を無傷で征したということに他ならないのではないか。


 自分の嚥下の音を聞きながら、意を決っして彼女に訊ねる。


「……ならば問う。フェルメニア、そなたは敗れたのか?」



「…………」



 沈黙、故の肯定。もはや疑うべくもない。フェルメニアは単身、命に背いてスイメイに立ち会い、その結果無残な敗北を喫し、そして。



「……そしてそなたはその時に、スイメイ殿に何らかの弱味を握られた。そのせいで、今そなたは私に何も話す事ができなくなっている。そうなのだな?」



「…………」



 ……当たりか。やはりフェルメニアは弱味のせいで口を開けないでいた。弱味を握った本人の目や耳がないにも関わらず、スイメイの取り決めを固く守っているのには疑問を覚えたが、しかし、だ。

 フェルメニアも、そして彼女を下したスイメイも、魔導の深淵にいる者である。かじった程度しか魔導の心得のない自分では、二人に交わされた約定を推測するのは難しいことなのだろう。



「へ、陛下。申し訳ございません……。命令違反に加え、我が身かわいさのための不忠。このフェルメニア、いかなる処罰も甘んじて受ける所存でございます……」


「よい。もうそなたはスイメイ殿から罰をもらったのであろう。これ以上は死人に鞭打つと言うもの。そなたに与える罰はない」


「陛下……」


 自身の過ちを悔い、気落ち甚だしいフェルメニア。彼女がここまで消沈しているのは、彼女にとってスイメイとの戦いがよほど衝撃的だったからだろう。

 ならば、もはや罰は受けきったはずだ。これほどまでに憔悴する事態ならば、彼女の慢心ももう露と消えただろう。


 懸念は一つ消えた。だが、楽観してもいられない。その代わりに危惧が一つ浮上したのだから。

「……フェルメニアよ。この件このままにしてはおけまい。私はこの後、スイメイ殿を謁見の間に召喚しようと思う」


「陛下、スイメイ殿を呼んで、一体何を……?」


 そう困惑気味に顔を上げたフェルメニアに、分かりきった事だと答える。


「決まっておろう。そなたから聞けぬ故、スイメイ殿に訊ねるのだ。それに召喚の件や、そなたの弱味の事もある。彼との確執は取り除いておかねばなるまい」


「な、なりませぬ陛下! スイメイ殿はそのような生ぬる――あ、あぁあああああ!?」


 異変が起こったのは、フェルメニアが血相を変えて異議を唱えた瞬間だった。

 彼女が突然その場で、絶叫を口から迸らせ、胸を押さえて苦しみ出した。


「――ッフェルメニア!? 如何した!? フェルメニア!」


 俄の出来事に思わず、玉座を立つ。それだけ、フェルメニアの苦しみ方は尋常ではないものだった。

 しかし、その床をのたうつ苦しみはそう長く続くものではなかったようで、間もなく叫びも収まり、フェルメニアは今しがたのように頭を垂れ直した。


「はあ、はあ……御身の前でこのような失態、申し訳……く」


「一体どうしたのだ? もしや何かの病か?」


「いえ……」


 フェルメニアからは否定の言葉。しかしあの苦しみようは、何もないはずがない。才気走った美貌顔には玉のような脂汗が浮かび、血色が失せ、死人のように真っ青だ。

 当然、原因には病が上がる。だが自分も、彼女が病気を持っているという話は聞いた事がない。


 改めて状況を思い出す。今しがたフェルメニアは胸を押さえて苦しみ出した。恐らく心の臓の痛みであろう。

 話の途中の出来事だった。

 こちらに異議を唱え、今まで話せなかったスイメイの事を話そうとした時だった。

 先ほど、フェルメニアは我が身かわいさと口にしていた。

 そこから察するに――


「もしや、今のがそなたの弱味なのか……」



「…………」



「魔法か」



「…………」



 フェルメニアは答えない。いや、弱味のせいで答えられないのだろう。俯き加減から僅かに見える表情は、辛きの渦中にあるかのよう。まるで浅はかな自分を責めるように顔を後悔でくしゃくしゃに歪めていた。


 もう、これ以上彼女に問う事はなくなった。

 故に、口にする。


「分かった。フェルメニアよ。私に全て任せるがよい」


「へ、陛下?」


「先ほど言った通り、スイメイ殿をここに呼ぶ」


「し、しかし!」


「よい。責は私か全て持つ。そなたは――」



 そうしてこの後、国王アルマディヤウスは魔法使いに呪いをかけた魔術師へと、使いを送ったのだった。


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