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勇者のパレード



 ルメイアの勧めで宵闇亭の宿舎の空き部屋を使わせてもらうことになった水明たちは、割り当てられた部屋に荷物を置き、各自部屋でくつろぎながら、帝国からの長旅の疲れを癒していた。

 そして食事を終えて、夜。水明は割り当てられた部屋で一人、資料を製作していた。

 部屋の中は魔力灯の光で煌々と照らされ、電灯の点る部屋の中と遜色ない明るさがある。光が炎の輝きのような橙の光を放っているため、照らされるものは全て薄いオレンジ色をしているが、特に気になるほどでもない。



 そうこうしていると、治療のためあらかじめ呼び出していたリリアナが部屋を訪れた。



「すいめー、来ましたよ」


「ああ、じゃあそこの椅子に掛けてくれ」



 ドアを開けて部屋に入ってきたリリアナに、水明は机の前にある椅子を指し示す。すぐに机の横で対面になる二人。位置関係はまるで、病院の診察室の医者と患者のようであった。



「じゃ、眼帯と手袋を取ってくれ」



 医者めいた水明の指示に、こくんと頷くリリアナ。そしていそいそとした挙動で手袋と眼帯を外す。あらわになったのはただれたように泡立ち、赤黒くなった細い腕と、赤黒い鱗のようなものが周りにびっしりと付いた右目。しかも瞳は金眼で、細長く縦に割れている。

 ふとその腕を見て、リリアナは目を悲しげに細める。彼女が仲間に加わってから何度か治療を行ってはいるが、やはりいろいろな思いがあるのか、変質した個所を見るといつも悲しげな顔をする。これによって長い間苦しめられてきたのだ。見せることはおろか本人が見るだけでも、辛い心境に陥るのだろう。

 水明はリリアナの腕を優しく取って、治癒の魔術を施していく。ただれて泡立った皮膚に指を置き、患部を撫でるように指を動かして、治癒の呪文を諳んじた。



「Buzz, Bajia, trout, Mashiya impose, Kashiya, Sharurai, Arumarai……」

(バズ、バジアー、マス、マシヤー、カス、カシヤー、シャルライ、アルマライ……)



 カバラにおける、(よう)――つまり腫れ物、できものなどを治す魔術である。しばらくの間施術を続けると、デーモナイズされた部分は心なしか小さくなった。水明は続けて同じように、右目の周りの皮膚にも治癒術を掛けていく。

 リリアナは気になるのだろう。不安そうな声で訊ねてくる。



「どう、ですか?」


「腕や手の方は皮膚が少しずつだが、治ってきているからな。これまで通り、定期的に続けていればちゃんと完治するだろう。右目の周りも同じだから問題ないと思う。ただ――」


「ただ、どうしました?」


「眼球については完全にやられちまってる。悪意に晒され過ぎて人間の瞳じゃない別ものに変わってしまってるんだ」



 渋い声で唸るように、水明は患部の正確な状況を伝える。ここで言う別物とは、この場合人間が「悪いもの」と聞いて思い浮かべる怪物の姿が投射されたというべきだろう。そういった悪い想像が固まったものを闇魔法の行使と共に取り込んでしまったことによって、彼女の身体に表層化してしまったわけだ。



 水明の言葉を聞いて、リリアナは気落ちしたように俯く。



「……では、これは治らないの、ですね」


「ああ、俺は治せない」


「そうですか……」



 リリアナの声が一層沈む。その声で、言葉の選択に間違ったことに気付いた水明。魔術に集中していたせいで、機械的に言葉を発していた。

 すぐに水明は慌てた様子で言い直す。



「悪い、言い方が悪かった。俺が治せないってだけで、どうにかならないわけじゃない。向こうの世界には心霊治療の専門家や魔導義体製作の技師もいる。向こうの世界にさえ行くことができれば、大した問題じゃないよ」


「本当ですか!? 治るのですね!?」



 朗報を耳にしたリリアナが叫ぶ。彼女が発した驚きには、確かに嬉しさが交じっていた。

 水明は治癒術を専門としているわけではないためそう造詣は深くないが、向こうの世界にはこの状態すらも鼻で笑って直せるだろう魔術師もいる。そう言った魔術師に頼めば、治癒について問題はないのだ。

 だが水明は何かあるのか、複雑そうな表情を浮かべる。



「治るんだが……ただ俺が依頼しようとしている一番腕のいい魔術師が、あの妖怪博士だってことがな……」



 彼の言葉に、リリアナははてなと不思議そうに小首を傾げた。

 そう、彼女の治療を頼もうと考えている魔術師が、水明の見せた憂慮の正体である。

 思い浮かべるのは、ふくよかな体型に白衣をまとい、不気味な薄ら笑いを浮かべるあのマッシュルームヘアーの怪人のこと。結社の本拠である古城(アルトシュロス)の地下に棲み付き、訳の分からない魔術を使い、これまた訳の分からないものを創り出そうとしている男である。



 無論水明も治療の方に不安はない。魔術師の中では最高位に位置づけされる首魁(マジェスター)級にあり、医術の腕はおそらく最高で、心霊治療の技術も専門家相手だろうとその追随を許さないだろう。失敗などの不安はこれっぽっちもない。だが、あの妖怪のことだ。下手をすればいらない機能とかわんさかくっ付けてくる可能性がかなり高い。



 良いか悪いかは別としてだが、一方それを知らないリリアナは、無邪気に喜びを見せる。



「良かったです」


「ま、まあ、そうだな。大丈夫だ。だからあとは帰る方法――向こうの世界に行く方法を見つけるだけだな。それまでに皮膚の方は治しておこう」



 水明は再び呪文を口ずさみ、治療の魔術を施していく。治療を大人しく受けるリリアナの表情は、先ほど手袋と眼帯を取ったときよりも、随分晴れやかなものであった。



「よし、終わったぞ」


「ありがとう、です」


「おっと……」



 嬉しそうな表情で、ぎゅっと抱き付いてくるリリアナ。自分たちに随分慣れたせいなのか、どうも彼女には抱き付き癖がついてしまったらしい。ルメイアと話していたときにレフィールの腕を抱き締めたときもそうだが、嬉しくなったり寂しくなったりしたときは、自身を含めフェルメニア、レフィールに身体を使って感情を表すのだ。



 それとなくだが、昔は周囲から疎まれていたこと、ローグにはあまり甘えられなかったことなどを聞いている。人に甘えることができなかったため、感情が高ぶるとその反動か、人恋しさが増すのだろう。

 抱き付くリリアナの頭を優しく撫でると、彼女は幸せそうに目を細めた。



    ★



 北方大陸の北西部に位置しているサーディアス連合。五か国が寄り集まってできたこの国家連合の名前の由来は、魔族から北方の地域と人々の希望を勝ち得たある剣士の名を取ったものと言われている。その中でも中央に位置する宗主国、ミアーゼンは七剣に名を連ねる剣士を数多く輩出し、連合軍の主な戦力である剣士の数も相当数を有しているうえ、連合五国の内で最も精強で最も多い。

 音に聞こえた英雄に憧れる者が数多く集まり、その英雄を目指す彼らも、剣技の研鑽に余念がないからだ。



 そんな理由があるからか、街の剣士はみな血気盛んで、決闘騒ぎなどは毎度のこと。治安を乱すものでなければ黙認され、日常茶飯事であるらしい。



「おいおい聞いたか!? 昼前にまた決闘だってよ!」


「さすが催し物のある日は違うな! 今日はどこだ?」


「武器屋街の方だ! 何でも昨日仕上がった傑作を賭けてやり合うらしいぜ! こっちが終わったらすぐ場所取りに行かねぇと!」



 周囲から次の決闘見物の算段をする声が聞こえてくる。国を挙げてのお祭り(パレード)があるせいか、決闘をする当人同士や野次馬問わず、みな血の滾りが抑えられないのだろう。

 そして、目下決闘が行われているこちらでも――



「ぐはぁあああああ!」



 子供ほどの背丈もある両手剣を得物とした大男が、野太い絶叫を上げて吹き飛んだ。

 大男は己の意思とは裏腹に、空き家の前に置かれた木箱や木樽が無造作に積み重なったところにブチ込まれ、次いで散乱した木材の中で目を回している。

 一方その対面にはレフィールが彼女の得物である巨大な剣を片手に、残心。すぐに次の動きに移行できるよう淀みない素振りのあと、吹き飛んだ大男の方を見据えていた。



 ――そう、ことの始まりは水明たちがミアーゼンの首都に着いた翌日。まずは街を見て回ろうということになり、四人で出歩いていた矢先のことだ。

 ふと対面から歩いて来た大男から、レフィールが剣による決闘を申し込まれた。

 彼女の強さを見抜いたのか、それともただ単に巨大な剣を背負うという、目立つなりをしていたからなのか。男は持っていた両手剣を見せレフィールの前に立ちはだかると、礼に則り慇懃な態度で手合せを所望した。レフィールも一度は遠慮をしたが、剣士の心得とかいうご高説を説いて食い下がるいわゆる『意識高い系剣士』だった大男に根負けし、一手手合せすることになって――そしていま。



 巨体を一撃でぶっ飛ばしたことにより、見物していた野次馬たちが息を呑んでレフィールを見詰めている。



「おいおい……あのねーちゃん何者だよ? 強すぎだろ?」


「うわっ……あれぜってー見せ剣だと思ってたんだがなぁ。銀貨三枚分損したぜ……」


「すげーよすげーよ、あの巨体が一発で吹っ飛んだぞ? あれじゃ獣人も真っ青だぜ? なんつー力だ……」



 レフィールの人外な力を目の当たりにして、興奮している者あり、恐れ慄いている者ありである。彼女よりはるかに背も大きく肩幅も広い男を、一撃で倒すという圧倒される決着を目にしたのだ。無理もないだろう。

 一方水明たちは決闘の展開などすでに予想済みであり、道の端で内心男を憐れみながら戦いの行方を見守っていた。



「ま、順当な結果だよな」


「ですね」


「です」



 水明の言葉に、フェルメニアとリリアナがそれぞれ頷く。

 やがて大男が運ばれたあと、男女の区別なく、わいわいとレフィールに集まる野次馬たち。彼らにとって決闘イコールお祭りなのだろう。あっという間に彼女を褒めそやす声や、彼女をはやし立てる声などが聞こえてくる。

 人に集られて、いささか困った様子のレフィールのもとに水明たちが行こうとしたとき、野次馬の中から数人の男が浮かれた笑みをみせながら近寄ってきた。



「なあ兄ちゃん、あんたあの女の連れだろ? あんたはやらねぇのか?」



 男の一人がそう言って、腰元の剣を抜く素振りを見せる。いまの戦いを見て触発され、水銀刀を腰に提げた水明に目を付けたのだろう。



 しかし、水明にそのつもりはなく、



「え? いや俺は……」


「ん? やりたくねぇってか? おいおい兄ちゃんの方は見せ剣かよ? 意気地がねぇなぁ」



 手合せを断る水明を腑抜けと見たか、男は聞こえよがしに口にする。そんな挑発含めての言葉に、周りの男たちはげらげら笑い出す。お祭り気分でだいぶ舞い上がっているのだろう。そんな連中に笑われることぐらい、水明にとってはどうでもよかったのだが――



「ほほう? 私を完膚なきまでに打ちのめしたスイメイ殿を臆病者と罵るとは、それは私に対する侮辱ですかね……」


「フェルメニア、さっきの男みたいに、吹き飛ばしてやりましょう」


「げ――」



 フェルメニアとリリアナの表情が一気に険しくなった。怒りで額に青筋を浮かべ、剣呑な魔力を身体から滲ませる二人。背後には後光ならぬやたら陰鬱な影がかかり、連中が何か言えばすぐにでも暴発しそうな雰囲気である。

 片方は以前似たようなことを口にしたため、随分と自分のことを棚に上げた言葉のようにも聞こえたが――それはさておき。



 水明がこれ以上の騒ぎは面倒だと、二人をなだめようと振り返ったそのとき、まるで自動車が衝突事故を起こしたような重い衝撃音が、耳を打った。



(――え? 自動車事故……?)



 異世界で自動車事故など起こるはずもない。その音に言い知れぬ焦りを感じ、誰も彼もが音源に視線を向ける。



 見ると、レフィールが地面に剣を振りおろしていた。

 無論、振り下ろされた地面には大きな穴が開いている。

 そして、レフィールがまるで慈愛に満ちた聖母のようににっこりと笑い、



「彼の代わりにまず私と手合わせしないか? 無論、手加減抜きで」


「へ?」


「まさか、嫌だなんて意気地がないことは言わないだろうな」


「じょ、冗談だよ姉さん……さっきのは冗談……」



 彼女から言外に「ぶっ飛ばすぞこの野郎ども」と言われた男たちは、一様に血の気を引いた顔を見せる。その心中察するに余りあるが、調子に乗った言動を鑑みれば余儀ないことか。



「そうか、ならどいてくれ」



 次いで放たれたレフィールの冷ややかな頼みの声に、ざーっと逃げるように道を開ける野次馬たち。一方、剣を背負い直して歩いてくる彼女は、いささかばかり辟易としたため息を吐いた。



 そんな周囲を見て、水明はその感想を口にする。



「なんつーか、みんな浮かれているっていうか、楽しそうだな」



 街の様子は、賑わいで溢れている。街のあちらこちらで楽しそうな声が上がり、お祭り騒ぎ。それどころか決闘騒ぎまで起きている始末である。



「朝も聞いたが、勇者のパレードがあるせいだろうな」


「ああ、そういや……」



 出しなにルメイアから、連合の勇者のパレードがあるとは水明も聞いていた。なんでも今日ミアーゼンで急遽開催されることになったのは、連合の勇者たちが魔族の軍に打撃を与え、かつ魔族の将軍を討ち取ったことを大々的に喧伝するためらしい。



 それで、街の人間は血の滾りを抑えられないのだろうが――



「なんでもパレードは午後からあるそうですね。どうします? 見に行きますか」


「そうだな。たまにはそういうのもいいな」



 フェルメニアの提案に、水明は頷く。なにげにちゃんと勇者のパレードを見るのは初だ。黎二のときは見送っただけで、帝国でのエリオットのパレードは昏睡事件のこともあって、見ることができなかった。



「でも、パレードが始まるまで、まだ時間がありますよ?」


「では当初の予定通り、始まるまで街を見て回ろう」



 レフィールの提案に全員が賛同し、動き出す。時間潰しのできそうな場所はないかと西側の区画を歩いていると、ふときらびやかな外装が施された店舗が目に留まった。



 それを目にしてまず昂揚した声を上げたのは、レフィールだった。



「おお! この店は!」



 見つけたのは、雑貨なども取り扱う洋服店だ。宣伝用に店の前に展示された商品は、可愛らしいものばかりで、女性専門の店だと思われる。帝都にも似たようなところはあったが、それに遜色ないほどの規模であり、品揃えも豊富そう。



 同じくその店を目に留めた水明には、見覚えがあった。



「あー、ここはあれか、前みたいな衣類店か……」



 目に留めた店は、クラント市にあった衣装雑貨の店とどこか似ていた。小さくなったレフィールの服を求めていた際、そこでサーディアス連合で作られた最新モデルだかなんだかの女児向けの服を買ったのだが、おそらくは本店だと思われる。この未発達の世界で他国に出店できるということは、よほどの儲けがあるのだろう。

 外に置かれた服――詳しく言うとふりふりの付いた服に目を奪われているレフィールに、水明は訊ねる。



「あそこ、行きたいのか?」


「えっ!? いや別にそんなことはない、が……」



 とは言うが、目がやたらと泳いでいる。そんな彼女に水明は意地の悪い笑みを向け、



「いまは子供の服は着れないぞ?」


「誰もそんな服着たいとは言ってないじゃないか!」


「そうかー? 別に小さくなったら着れるんだから無理しなくても……」


「うるさい! 私には何も聞こえない!」



 二人がそんなやり取りをしていると、すぐ後ろにいるフェルメニアが意外にも張りきった声を放った。



「スイメイ殿! あの店に行きましょう!」


「なんだ。フェルメニアもそうなのか」


「はい!」



 フェルメニアも、いつになく興奮した様子で元気もいい。やはり女性なら、ああいった可愛らしいものを扱う店がいいのだろう。レフィールもあの手の店には反応するし、彼女もまたそうなのだろうか。



「じゃあ行ってみようか」


「しょ、しょうがないな。みんなが行くと言うなら、私も行こうじゃないか」



 震え声で強がりを言っているレフィールに続き、水明も店に向かって歩き出すと、何故か後ろから不思議そうな声が掛かった。



「……スイメイ殿? レフィール? 二人とも一体どこに行くのですか? こちらですよ?」


「は?」


「む?」



 フェルメニアの声に、水明とレフィールは振り返る。同じ方を向いていたと思っていたゆえ、洋服店に行きたかったのかと思ったが、違ったのか。

 しかして振り向いた先、彼女が指さした方向には、おどろおどろしい雰囲気が周囲に無遠慮に垂れ流されたあやしげな店があった。



「二人とも、早く行きましょう!」



 一方フェルメニアはと言うと満面の笑みを見せ、彼女らしからぬほどはしゃいでいる。だがその店らしき建物には、女性を浮かれさせる要素など欠片もないように感じられた。



「こ、ここ? ここなのか? ホント? マジで?」


「そうですよ。見てくださいこの、アステルでも帝国でも見たことのないどんよりとした重苦しい雰囲気を醸し出す店構え! そして漂って来るいかがわしい薬品の臭い。外から見える魔法文字の書かれた物品の数々! これがはしゃがずにはいられますか!」



 おかしなものを目の当たりにしてドン引きしたような表情をする水明に、熱く語り出すフェルメニア。そんな彼女の言葉を聞いたうえで店舗をよく見ると、魔術品――こちらでは魔道具と呼んでいるマジックアイテムなどを取り扱う店だった。



 だが、それでもこの興奮はすんなりと頷けない。



「スイメイ殿? 何故そんなにおかしな顔をするのですか? 普通でしょう?」


「ふ、普通か?」


「違うのですか?」


「だ、だってなぁ……」



 言い淀む水明では要領を得ないと判断したか、問いかける対象をリリアナへと変えるフェルメニア。



「リリィ、あなたはどう思いますか?」


「り、リリアナ? ちょっとおかしいよな? な?」



 水明も同意を求めるが、しかし――



「そんなことはありませんよ?」


「は?」


「フェルメニアの言う通り、とても、面白そうです」



 気が付けばリリアナもフェルメニアと同じように、瞳を輝かせていた。



「ほら! やっぱりそうではないですか! あの店構えを見てわくわくしない人間などいません!」


「すいめーは、違うのですか?」


「いや、まあ確かに俺も興味は惹かれるけどさ……」



 水明も魔術に関わる者。神秘的な物品にはいささかならぬ興味がある。だがいくらなんでも、女の子がそんなにはしゃぐほどではないだろうとも思う。

 そんな風に水明が困惑していると、ぽんと肩が叩かれた。



「大丈夫だ。スイメイくんの反応は正常だよ」


「だ、だよな」



 理解しがたいものでも見たときのように、難しい顔をしているレフィール。彼女も同じ意見だったか。常識が守られたようで、安心した水明だった。



「ともかくスイメイ殿! 入りましょう!」


「早く、行きましょう」


「……そうだな。入るか」



 水明はフェルメニアの先導のもと、リリアナに手を引っ張られ、店内に連れられていく。

 水明も帝国で物品を揃える際、何度か魔法店には入ったが、異世界のこの手の店は何故かやたらと抹香臭い。向こうの世界のこの手の店では大抵客の再訪を促すため、香りの良いものを使うのが常だが、この世界ではその限りではないのか。どうも寺や葬式を思い出す。



 一方で店員と言えば積極的に接客するつもりはないらしく、本に目をむけたままである。そして気が付けば、フェルメニアとリリアナは商品棚や本棚を端から見て回るつもりのようで、早速目に付いた薬草やら魔杖やらを手に取っていた。



 帝国でもそうだったが、魔法店で売っている魔道具はそれぞれ趣が違うし、どこかファッション性が強い。この世界では「見せるためのアイテム」でもあるだからだろう。そう言った観点から、装飾品を魔術品にする向こうの世界とは違い、魔術品を装飾品として作っている部分もあるらしい。まあ意味合いの些末な違いでしかないだろうが。



「スイメイ殿! おもしろいものがありますよ!」



 ふと、フェルメニアが呼び掛けてくる。気が付けばフェルメニアは片手に持った何かをぶんぶんと振り回してこちらに笑顔を向けていた。

 それを見て、血の気の引いたような表情をする水明。



「ぬ、ぬいぐるみの人形……!」


「どうかしましたか?」


「いや……」


 古めかしいぬいぐるみの人形を持って小首を傾げるフェルメニアを前に、水明は呻く。彼には向こうの世界の相棒に以前、『水明くん人形』なるものを作られ、とんでもなく酷い目にあった記憶があった。それ以来デフォルメされた小さなぬいぐるみの人形を見るたび、あの思い出したくない騒動を思い出してしまうのだ。



 フェルメニアになんとか返事をして、水明はレフィールやリリアナの様子も窺う。

 物品に詳しくないレフィールが渋面で唸りながら眺めている一方、リリアナは魔導書をぱらぱらと流し読みをしていた。

 しばしフェルメニアはアクセサリーの入ったガラスケースに目を向けていた。アミュレットやタリスマンの類だろう。彼女は杖を使わないタイプの魔法使いのため、魔杖よりもそちらに興味が向くらしい。

 水明は魔導書をまじまじと見ているリリアナに訊ねる。



「リリアナ、なんか欲しいものはあるか?」


「私は、どうしても欲しいというものは、ないですね」



 しばらく店内で過ごしていると、水明は外の喧騒が大きくなっていることに気付いた。



「騒がしくなってきたな」



 レフィールは店の窓の方に近寄っていく。



「そろそろパレードが始まるんだろう。人が大通りの方に向かっている」


「じゃあ行ってみようか」



 水明がそう言うと、三人がそれぞれ返事をする。やがて四人は店を出て、連合の勇者たちが通過するらしい通りまで来た。

 じきに始まるのだろう。大通りは山車や戦車(チャリオット)の通り道である真ん中が空けられ、沿道はどこから湧いて出て来たのかと言うくらい、人、人、人で溢れかえっていた。



「うわ、すげー人。帝国のときもすごかったが、やっぱどこもこうなるんだな」



 目を丸くしている水明に、フェルメニアが答える。



「確かにすごい人ですね。レイジ殿のときと比べても遜色ないでしょうね」


「うむ。そうだな。あのときもかなり人がいたしな」



 思い出したように言ったのはレフィールだった。アステルでのパレードのとき、水明は城に引っ込んでいたが、まだ水明と出会っていなかった彼女は見ているのだ。彼女はそれを思い出して感心する一方、どこか辟易したところも滲ませている。



「みなさん。どうやらもう、始まっているらしい、ですよ」


「そうなのか? リリアナ」


「はい。そこで、訊いてきました。主役は勇者とその仲間を含め、四人だそうです」



 水明が訊ねると、リリアナは通り沿いの店を指さす。さすが耳が早い。

 レフィールの方も沸き立つ気配を感じ取ったようで、鼬の目陰を作って日光をよけながら、勇者たちが来る方を眺めていた。



「喧騒が近づいてきているな。もう間もなくだろう」


「あ! 先頭が見えてきましたよ!」



 フェルメニアが声に出した直後、集まった民衆の一部が狂喜の叫びを発した。

 やがて見えて来たのは先頭を護衛する戦車(チャリオット)。そしてその後ろに、屋根のない山車が続いてくる。山車はカウホーンにけん引させており、集まった人々が見やすいよう配慮されていた。

 そして、その一番初めの山車の上で手を振っていたのは――



「あ! あのオッサンは!?」



 見覚えのある姿を見て、驚きの声を上げる水明。連合の最初の町で出会った色黒長身の男、ガイアス・フォーバーンだった。



「あれは、ガイアス殿ですね」


「うへぇ……オッサン、マジで勇者の仲間だったのかよ……」



 驚きがダダ漏れの水明は、目を皿のようにしている。何故か驚いている彼に、フェルメニアは怪訝な表情を向けた。



「スイメイ殿。ガイアス殿のお話を信じていなかったのですか?」


「いやー話半分に聞いてたから、あのオッサンのことは」



 確かに魔族と戦っていたというのは嘘とは思っていなかったが、まさか本当に勇者の仲間だったとは思わなかった。よくて勇者の近くで戦っていた兵の一人が、おだを上げていた程度だろうと考えていたのだが――



「いやー、しかしあのおっさんノリノリだな」


「ですね。ものすごく楽しそうで……その、なんとも」



 苦笑を浮かべるフェルメニア。ガイアスは年甲斐もなく、やたらと愛嬌を振り撒いていた。彼も細面で調った顔立ちゆえおかしくはないが、いい年をしたおっさんが山車の上で興奮する姿を見ると、どうして見ているこちらが少し気恥しくなってしまう。食事処で話したときも思ったが、自信家であり調子に乗るタイプでもあるのだろう。



 するとガイアスの乗った山車の後ろから、次の山車が見えてくる。乗っていたのはグリーンのフード付きローブをまとった人物だった。

 顔はフードに隠れて見えないが、おそらく身体のラインからして女性だろう。先端に大きな宝玉が嵌められた黒鋼木製の杖を持ち、民衆に控えめに手を振っている。そしてその格好と巨大な魔杖を見るに、



「魔法使いか?」


「でしょうね。ローブと自治州の魔法使いが良く使う型の杖を持っています。あれだけ大きな宝石が嵌められた杖は初めて見ますが……」



 フェルメニアが首肯し、物珍しげな視線を向けている。だが、さすがは勇者の一行だ。筋骨たくましい武闘家に、魔法使い。色々な者を集めて周りを固めているのだろう。

 やがて現れた次の山車に乗っていたのは、若い男の剣士だった。歳の頃は十代。こういった行事は慣れているのか、均整の取れた顔にわずかな笑みを浮かべ、応えている。かなり仕立てのいい衣装に身を包んでいることから、身分が高いことが窺える。



 するとリリアナがその眠そうな片目を彼に向けた。



「ミアーゼンの第一王子、ヴァイツァー・ラーヒューゼン、です」


「ふむ、七剣の一人か。まさか彼も勇者の仲間の一人として戦っていたとは」



 リリアナは見たことがあり、レフィールは名を知っていたらしい。



「イケメンだな。イケメンで王子で強くて有名とか勝ち組すぎだろ詐欺だ……」



 妬みとも取れるような水明の発言もあったが、それはさておき。これで三人目ということは、次が最後。その最後の山車に乗っているのが、連合で呼ばれた勇者なのだろう。



「さて、どんなヤツなんだろ」


「ガイアス殿は美しい女性と言っていましたね」


「確か、そうだったな」


「すいめー、来ましたよ。最後の山車です」


「おお、そうか…………あ?」



 リリアナの呼びかけに振り向いた水明は山車の上に目を向け、そんな怪訝な声を出した。

 ――しかして、水明は一瞬自分の目を疑った。そう、彼が目を向けた場所には、見覚えのある人間が乗っていたからだ。



 山車の上にいたのは事前の情報の通り、女である。



 しかし、水明の家の近所にある女子高の制服を身にまとい、短めのスカートの下には白のガーターベルトを着け、腕には朱色の鬼面手甲。背中まである長い金髪を持ち、片側の横髪だけ、髪の毛の房をリボンでグルグルと巻いている。翡翠色の瞳は整った長いまつ毛と二重でまぶたでぱっちりとしており幼さを感じさせるが、やや吊っているため力強さも内在していた。



 そこかしこから感嘆のため息が聞こえるのは、その美しい見た目からだろう。反りを持つ長剣――いわゆる大太刀を片手に持って、ぎこちない所作で空いた手を振っている。

 何度見返しても、思い浮かぶのは「いるはずがない」の一言に尽きた。そう、彼女はあちらの世界の人間なのだ。こちらの世界にいるはずはない。そんな現実逃避にも似たことを考え、すぐに首を振って否定した。勇者が、そして勇者の友人である自分まで召喚されてしまうなら、あり得ないことではないのだと。だが、



「どういう確率なんだよこれは……」



 まさか、黎二、瑞樹の他に、まだ知り合いがこの世界に呼ばれているとは。可能性がないわけではないが、それを実現させる確率は天文学的な数字の依るところだ。簡単に呑み込めることではなかった。



「スイメイ殿?」



 水明の剣幕が変わったことに気付いたフェルメニアが声をかけるが、いまの水明はそれどころではない。周囲に構わず、山車の上に向かって大声で叫ぶ。



「おい! 初美! 俺だ! 初美ーっ! この騒ぎじゃ聞こえないか……クソッ!」



 呼びかけの声は喧騒にかき消され、彼女――朽葉初美のもとへは届かない。ままならないことへの苛立ちに悪態をつくが、それで状況が改善されるわけではない。水明がもう一度呼び声を発しようとしたとき、彼女と目が合った。

 山車の上、そして人々の垣根の中からの視線が交錯する。



「初美……」



 しかし、彼女は水明の存在に気が付かず、他の方へ手を振り始めた。



「え……?」



 向こうもこちらの存在に気付き、驚愕の表情を見せるはずだった。見知った顔を見つけ、自分の名前を呼び掛けてくるはずだった。だがそんな予想は儚くも裏切られた。

 現実の見せた逆心に、半ば呆然と立ち尽くす水明。



 一方彼の奇行を見たフェルメニアとレフィールが声をかけてくる。



「スイメイ殿? 一体どうしたのですか?」


「どうものっぴきならない表情だったが……」



 二人が発する案じの声も、いまの彼にはよく聞き取れなった。

 何故なのか。どうしてなのか。水明の頭の中をそんな単語がしばらくの間渦巻き、占拠していたが、やがて現実を少しづつ受け入れ、彼は顔を上げた。



「……ああ、一度宵闇亭に戻ろう。そこで話す」





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