帝国の城で
黎二たちが水明たちと別れてから数日後のこと。帝都フィラス・フィリアの中央に鎮座する城、グロッシュラーその謁見の間にて、黎二、瑞樹、ティータニアの三人は、ネルフェリア帝国皇帝との対面に臨み――そして現在、その会見を終えていた。
「つ、疲れたよー!!」
通された貴賓室に入ってまず、第一声を上げたのは瑞樹だった。息の詰まるような空気の束縛から解放された彼女は、革張りのソファの背もたれに身を預け、詰まった息を大きく大きく吐き出す。そう、まるで取り込まれたばかりの洗濯物のようにのっぺりとした状態で。
彼女にはよほど謁見の間の空気が堪えたのだろう。皇帝の発していた強烈な威厳の余韻は、まだ手汗として残っているが、固くなっていた反動でいまはゆるゆるに軟化している。
その一方、黎二も疲れたか。赤を基調としたアンティーク調の椅子に腰を掛け、瑞樹にぎこちない微笑みを向ける。
「瑞樹、お疲れ様」
「うんー……」
やはり、瑞樹は心ここにあらずと言ったよう。聞こえているのかいないのか定かでない返事をソファに送って、背もたれで身を干したまま動こうとしない。
片やこういった場では百戦錬磨だと思われたティータニアも、ほっとしたように安堵の息を吐いていた。
「……ティアもかなり参っているみたいだね」
「ええ。不甲斐ありませんが、皇帝陛下相手では私もいささか」
「格っていうのかな……すごかったからね」
「他の王侯貴族相手ならまだしも、皇帝陛下はいささか特殊過ぎるのです。あれはまるで猛獣です」
「ははは……」
ティータニアの悪し様な物言いに、黎二は乾いた笑いをこぼして、ネルフェリア皇帝のことを思い出す。王座に腰を預けた皇帝から感じたのは、威厳というよりも、まるで肉食獣を前にしたような危機感だった。そう、少しでも気を抜けば、食い荒らされしまいそうな強大な威圧である。あれが、北方でも有数の軍事国家の長が持つ威風なのだろう。
だが――
「結局、この前のことについては言われなかったね」
黎二が提起したのは、昏睡事件の真犯人を捕まえるため、グラツィエラたちと争ったときのことだ。その件については彼もレフィールと同じように危惧していたが、その予想に反し、帝都を騒がせたことについては一切、謁見の間では触れられなかった。
ティータニアも些少予想と違っていたというように、自分の顎をさすっている。
「勇者が関わる話ですので、向こうも問題にしたくはなかったのでしょう。私は表立って言及されずとも、何かしらの
「そうなのかな……。僕の直観的な印象だけど、弱みを見せたら容赦なく襲い掛かってきて、骨までしゃぶられるような気がしたけど」
「レイジ様の直観は間違ってはいないでしょうね。確かにそんな方だとお父様から伺っています」
黎二とティータニアが懐疑がっていると、瑞樹がソファの背もたれでのっぺりとしたまま、口を挟む。
「そこー、水明くんがエリオットくんにお手紙出したって言ってたよー」
「スイメイが?」
「なんかいまの情勢だとー、どこの国も勇者の存在に頼ってる節があるからー、帝国も救世教会と問題は起こしたくないだろうってー。だからエリオットくんからー、他国の勇者と問題になりかけたことを匂わせられればー、うんたらかんたらー」
最後は随分いいかげんになったが、彼女の言いたいことは黎二にもわかった。帝国の落ち度によって、勇者と勇者が争うことになったと話が広まれば、世間の非難の的になる。いまの情勢でそれは、大きな損失になると踏んだのだろう。
だが、黎二は意外だというように首を傾げる。
「……水明とエリオット、仲悪そうだったけど」
「俺のことは嫌いでもー、黎二くんのことは気に入っていたみたいだからー、頼めば無碍にはできないだろうってー。あとは何とかなるんじゃねー? とか言ってたよー」
「……全てはスイメイの思惑通りにことが運んだということですか」
「ほんと、なんだかんだ抜け目ないからね。水明はさ」
「普段は抜けてそうにしか見えませんが」
曰く言い難いため息を吐いて、ぼそっと言葉に毒を織り交ぜるティータニア。どこか忌々しさを含んだような言葉に、黎二は意外なことでも聞いたように口を開けた。
「……なんかティア、急に水明に対して冷たくなってないー?」
「え? いえ、そんなことありませんよ?」
ホホホホホと、ティータニアのわざとらしい笑い声が響く。事情を知る者には完璧に誤魔化し笑いだったが、黎二や瑞樹にはわからない。
「まー実際水明くんはところどころ抜けてるんだけどねー」
「そこは否定できないけどさ……でもやるときはやる男だよ」
「不本意ながら同意しますわ」
苦笑いをする黎二に、不承不承と言った具合で同意するティータニア。すると、彼女はもっと実のある話でもしようと言うように、違う話題を彼に降った。
「それでレイジ様、これからどう致しましょうか?」
「もともとの予定は、自治州に行くんだったよね?」
「ええ。いつもの民の慰安と兵の鼓舞です。それがどうかなさいましたか?」
ティータニアが訊ねると、黎二は思い悩んでいることがあるのか、表情に翳を落とす。
「……うん。いろいろ考えたんだけどさ。僕、やっぱり弱いんじゃないかって」
「は?」
「黎二くん、何言ってるのかな……」
呆気に取られたような声を出すティータニアと、黎二に非難めいた半眼を向ける瑞樹。どちらもあまりに的外れなことを聞いたときのような態度を見せる。
しかし黎二は、あながち外れたことでもないと、頭を振った。
「だってさ、アステルで戦ったときもラジャスに圧倒されたし、エリオットにも手を抜かれてた。それに、グラツィエラ皇女殿下の魔法も脅威に思った」
「それで、ご自身は弱いのではないかと」
言葉の先を読んだティータニアに、黎二は深刻そうに頷く。一方それを見ていた瑞樹は、どこか呆れたような声音を出した。
「あのねー、黎二くん。私なんかまともに戦えてさえいないんだよ? 帝都で戦ったときは食らいついていられたけど、それに比べたら黎二くんはいつもちゃんと戦えてるじゃない」
「瑞樹。僕は英傑召喚の加護を受けているんだよ? それでも戦うべき敵に圧倒されて、同じ英傑召喚の加護を持つ人間に差を付けられている。それで本当に大丈夫だと思える?」
「黎二くん……」
自分が頼りないと思っている理由を滔々と述べる黎二に、瑞樹は心配そうな声を出す。
そして、彼の内心の吐露を静かに聞いていたティータニアは、先ほどとは態度を改めたように、どこか毅然さの増した表情と声で彼に尋ねた。
「改めてお訊ねしますが、レイジ様は剣術や魔法、戦いとは無縁だったのでしたよね?」
「……そうだけど。でもエリオットはかなり余裕があったよ?」
「エル・メイデの勇者殿も、もとの世界では名の知れた勇士だった聞きます。レイジ様とは出始めから差が付いているのです。その差がありながらも食らい付くことができたのは、私は相当のものだと思いますが」
「…………」
黎二もティータニアの話には一理あった。だが、それは戦いにおいて言い訳にしかならないものだ。不安の坩堝に陥っているいまの彼には、どうしても気休めにしか聞こえない。
ティータニアにもそれがわかっているからこそ、訴えを続ける。
「レイジ様のお気持ちはわかります。ですが、強さというものは一朝一夕では身に付くものではありません。強さも、その強さに付随する威風も、血のにじむような努力を経て手に入れるものなのです。なら、レイジ様が強さを求めるのであれば、戦うほかありません。そしてそれは、これから積み重ねていくものなのではないでしょうか?」
熱を孕んだ言葉一度を切って、ティータニアは幾分落ち着いた声音で続ける。
「焦って前に進んでは、道を間違えることもしばしばあります。ですので、私はゆっくりでもしっかりと前を見据えながら歩んだ方が、レイジ様のためになると思います」
言い切ってのち、黎二を見詰め続けるティータニア。
一方黎二は、目をつぶってしばしの間、天井を仰いだあと、
「……そうだね。うん、そうだ」
悩みを打ち明けたからか、ティータニアの言葉が心に響いたか、黎二の表情が、少し気が晴れたものへと変わった。
ふと、頷き合う二人に、瑞樹が眉間にしわを寄せて言う。
「でも、私がこれを言うのもなんだけど、私たち力不足は否めないと思うよ? フェルメニアさんや、レフィールちゃ……じゃなかった。レフィールさんくらい強くないと、これからすぐどん詰まりになっちゃうと思う」
「それは……」
ティータニアもそれについては憂慮があった。水明が力を削ぎに削いだラジャスにさえ、黎二や瑞樹は苦戦を強いられたのだ。これから同じような力量の魔族や、それよりもはるかに強大だと思われる魔王が出て来れば、手も足も出なくなるだろう。
思いあぐんで眉間にしわを作った黎二が、二人に訊ねる。
「どうすればいいと思う?」
「うーん、修行とか?」
「結構月並みだよね」
「でも、私たちにはそれしか方法がないんじゃない?」
瑞樹が難問に喘いでいると、ティータニアが妙案でもあると言うように神妙な声を出す。
「一つ、私から提案が」
「それは?」
「レイジ様や瑞樹の地力を高めるものではありませんが、サーディアス連合自治州に、以前に異世界から召喚された勇者様が残した武具があると」
その言葉に、さっきまでゆるゆるだった瑞樹が血相を変えて反応する。
「そ、それっていわゆる伝説の武器だよね!? ね!?」
「俗っぽい言い方をすれば、そうなりますね」
「そんなものがあるの?」
「はい。自治州では大昔に強大な力を持った王が周辺国を征服しようと企み、危機を察知した救世教会がその暴君を倒すために、英傑召喚の儀を執り行いました。その儀で呼ばれた勇者様方は相当なお力を有しておられ、強力な武器を持っていたそうです。自治州には当時勇者様方が使われた武器以外にも、暴君が神を呼ぶのに使った祭壇や暴君を封じこめたとされる書物などもあり、教会の管理の下、遺物がいくつか所蔵されているそうです」
「それで、それを取りに行くって言うんだね?」
「そうすれば、戦力の向上は見込めるはずです」
「いい! いいよ! それで行こうよ! 伝説の武器! 面白くなってきたよー!」
さっきとは打って変わってテンションが一気に高くなった瑞樹はともかくとして、確かに武器を得るのは黎二にも良案だと思えた。自力の底上げもそうだが、使う武器も、重要な部分を占めるだろう。
そう話がまとまった矢先、不意に貴賓室の扉が叩かれた。来客か、城の人間か。黎二たちがドアの方を向くと、外側から聞き覚えのある声が透ってくる。
「失礼。ここに勇者レイジがいると伺ったんだけど……いるかい?」
「ああ。その声はエリオットだね。どうぞ、入って構わないよ」
黎二が言うと、エリオットと、その後ろに付き従ったクリスタが部屋の中に入ってきた。
「こんにちはエリオット。今日はどうしたの?」
「いや、城に来てるって聞いたから、ちょっと挨拶がてらね」
「わざわざありがとう」
「他にも話すことはあるんだけどさ」
そんな風に相談したいことがあると匂わせるエリオットに、まず言わなければならないことがあると黎二が切り出す。
「それはそうと、今回の件いろいろ取り計らってもらったみたいだね」
「ああ、あれか。……ふん、あの男の目論見通りになるのは業腹だけど、頼まれたら勇者としてやらないわけにはいかないからね」
「ありがとう。助かったよ」
「いやいや君は気にしなくていいよ。これはぼくのお節介だと思ってくれればいい。ああ、彼に会ったら貸しだって言っておいてくれ。必ず返してくれともね」
「ははは……わかった」
水明に対しては、容赦はしない主義らしい。何とも言えぬ笑みを浮かべて了承する黎二。
すると瑞樹が小首を傾げる。
「急な質問なんだけど、エリオットくんたちはこれからどうするの?」
「うん? ああ、ぼくらの方はいろいろ相談したんだけど、一度慰問関係から離れて各国で呼ばれた勇者と連携を取ろうと考えていてね」
「そうか……それも重要だよね」
それに関しては黎二は失念していた。勧められなかったから、気にしていなかったということもあるが――
「この話が今日のぼくの用事だよ。魔族と本格的な戦いをする前に、連絡を取り合えるようにして、かつ、各国の軍にも動いてもらえるようにしないといけないからね。それ、いまの状況じゃはっきり言って円滑じゃないだろ? 教会の力を頼りにしているのかなんなのかは知らないけどさ」
他国への働きかけが鈍く、連携が薄い各国首脳への皮肉か。魔族討伐について、エリオットはかなり考えているらしい。
「だから、いざと言うとき戦力を集めるとなると、はっきり言って教会の号令だけじゃ不安がある。それでぼくはまず、ここから一番近い連合に向かおうと思ったんだけど……」
と区切ったエリオットは、何故かやたらと渋い顔を見せた。
「どうしたの?」
「いやー、彼ら連合に向かったって聞いたからね。レフィールちゃんやフェルメニアさんとはもっとお話ししたいけど、彼、いるだろ?」
「エリオットくんは水明くんに会うの、嫌なの?」
「彼の顔を見るのはなんか癪なんだよね。連合で呼ばれた勇者は美人って聞いてたから、そっちはそっちで残念だけど……いてっ!?」
「エリオットさま?」
「う――うん、冗談、冗談だから、ね?」
焦った様子でクリスタを宥めるエリオット。一方黎二や瑞樹の目からは、エリオットの後ろに仁王が立っているかのように見えた。彼はひとしきり彼女を宥めすかしたあと、おかしくなった空気を、咳を使って払う。
「オホン! ぼくたちはこれからアステルを経由して、勇者がいるって言うトリアに向かうことにするよ。それで、君たちなんだけど」
「私たちは自治州でーす」
万歳をして答える瑞樹に、クリスタが訊ねる。
「自治州……ですか?」
「慰問の予定も兼ねて、勇者様たちが残した伝説の武器を手に入れようと」
「でんせ……ああ、あれのことだね」
「あれ? エリオットくんってば知ってるの?」
どうやら彼には心当たりがあるらしい。だが、エリオットは心得顔から一転、思い出せないと言った風に眉をひそめて、
「サクラ……なんだったっけ? そんな名前だったはずだよね?」
「はえ? 桜? 何で桜なの?」
「エリオットさま、サクラメントです」
「そうそう、それそれ。ただねあれ、ぼくも武具って聞いたんだけど、見に行ったら置いてあったのは蒼い宝石が嵌められた装飾品でね」
「もしかして、取りに行ったのかい?」
「ああ、そのつもりだったんだけど」
そう言ってお手上げのポーズをするエリオット。駄目だったということはわかるが、何故駄目で、そして武具が装飾品とは一体どういうことなのか。黎二たちが首を傾げていると、クリスタが答えた。
「その装飾品が武器として伝わっているのは、文献を見るに確かです。伝承では武具に認められた者が扱わなければ、武器に変化することがないらしく……」
クリスタは言い淀む。すると、ティータニアがエリオットに視線を向け、
「でもエリオット様は、それらしい武具は持ち合わせていませんね」
「ああ持ってないよ。試したら、うんともすんとも言わなかったんだ」
「だから置いて来た?」
「ああ」
弱ったように頷くエリオット。自嘲気味の笑みを浮かべた彼はふと、黎二の方を向く。
「まあでも君も試してみる価値はあるんじゃないかな? ぼくは認められなかったけど、君は認められるかもしれないしね」
「それはそれでエリオットさまの器が足りないと言われているような気が」
「特定の条件って可能性もあるから、一概にそうとは言えないさ」
エリオットはそう涼しげに自信を覗かせる。自然で、思わず頷いてしまいそうになるほど説得力のある彼の態度に、黎二はどこか羨望の混じった視線を向けた。
「……? どうしたんだいレイジ。そんな目をして」
「いいや、エリオットは爽やかだなって」
「その裏で必死にもがいてるのさ、ぼくは」
エリオットは事実なのかそうでないのか、一概には判断できないことをうそぶく。
「でも、強いんだろう?」
「うん?」
「僕と戦ったときも手加減してくれてたし、なんでも水明から聞いた話じゃ、グラツィエラ皇女殿下と戦ったときも全力じゃなかったとか」
「…………」
「エリオットさま?」
しばし黙っていたエリオットは、突然冷めた表情になってふんと鼻を鳴らした。
「彼に見透かされてるのは、やっぱり勘に障るね」
「では、エリオットさま! あのときは!」
「全力は出してないよ。場所が場所だったからね。でも負けは負けさ」
エリオットは潔く負けを認めるが、彼を信奉するクリスタは納得がいかなかったようで、身を乗り出すような勢いで彼に詰め寄る。
「エリオットさま!! どうして全力を出さなかったのですか!? 遠慮などせずグラツィエラ皇女殿下などぼっこぼこのけちょんけちょんにしてやればよかったのです!!」
彼女はエリオットが負けたことが相当我慢ならないのか地団太を踏む勢いだった。
一方それを見ていた瑞樹が驚きながらに言う。
「ちょっとここ、帝国のお城だよ……クリスタさん、なにげにすごいこと言うね」
「あっ!?」
はっと気付いたクリスタはとっさに周囲を見回している。いくら勢いとは言え、さすがに帝国の城で皇女を貶めるようなことを言うのはマズいだろう。失態を自覚し小さくなるクリスタに、他の者はみな笑みが込み上げる。
やがてティータニアが真面目な顔を黎二に向ける。
「それでレイジ様、自治州の件、いかがされますか?」
「うん。行ってみよう。いまは強さに貪欲な方がいいと思う。だから、そのサクラメントっていうのが僕に使えるかどうか、試してみよう」
「おっけー! じゃあ私たちの次の目的地は、サーディアス連合自治州でけってーい!」
元気よく拳を振り上げた瑞樹に、黎二は困ったことがあるように弱った表情を見せる。
「でも、すぐには向かえないけどね……」
「向かえないってどういうこ……ああ!!」
瑞樹が大声を上げる。ようやく彼女も思い出したか。自分たちが、帝国に来た理由を。
「ふむ。何かあるのかい?」
エリオットの訊ねに、澄まし顔で答えるティータニア。
「少し事情が。エリオット様がお気になさるほどのことではありません」
「ならいいけど。行くのなら早くした方がいいね。魔族も待ってはくれないだろうし」
エリオットはそう忠告を挟むと、ふと何かを思い出したか。どこか皮肉の混じったような笑みを黎二たちに向ける。
「それにしても、君たちも大変だねほんとにさ」
「……? それ、どういうことだい?」
訊ねる黎二に続き、瑞樹やティータニアも小首を傾げる。どうしてそんな風にやれやれ調子で肩を竦めるのか。断片的過ぎて真意は察せないが、果たしてエリオットは踵を返し、
「なに、言葉の意味はすぐにわかるよ。じゃ、そろそろ行こうかクリスタ」
「はい。承知いたしました」
「それじゃあ、ごきげんよう」
そう別れの挨拶をすると、エリオットはクリスタを伴ってさっさと部屋を出て行った。
「何だったんだ……?」
「さ、さあ……?」
そんな風に黎二と瑞樹が困惑する中、間を置かず外から足音が聞こえてくる。エリオットたちが戻ってきたのか、それともまた誰か来たのか。黎二たちがそう考えていると――
「失礼する」
ドア越しに透って来る聞き覚えのある女性の声。こちらの返事も聞かぬまま無遠慮に、すぐにドアが開かれる。やがて彼らと入れ替わり入ってきたのは、先日帝都でことを構えた相手、グラツィエラ・フィラス・ライゼルドだった。
今日の彼女の出で立ちはごてごてした軍装ではなくシャツを着ており、皇女らしからぬかなりラフな格好。普段はそういった格好なのか。胸元ははだけており扇情的だが、どうにも頓着のないような着こなしのせいで妖艶さは差っ引かれている。
しかし、いつもの気の強さと傲岸を醸す顔つきには、不服や苛立ちが交じっているのか、いまはむっつりとした表情。どうも落ち着かない様子で現れた。
一方、天敵の登場にティータニアの穏やかだった表情が、冷たいものへと一変する。
「グラツィエラ皇女殿下、私たちになにか御用でもおありでしょうか?」
グラツィエラは余裕があるのか、ティータニアの敵意を隠そうともしない声音に、涼しげな声を返す。
「そう睨むな」
「私は睨んでなどいませんが」
「やれやれ随分と嫌われたものだ」
一方的な敵視にいささか呆れるグラツィエラに、ティータニアはやはり剣呑な視線を向けて訊ねる。
「それで、今日は一体どのような用件で?」
一応ながら、彼女の訪問の理由には心当たりはあった。それを代弁するように、瑞樹が不安そうな表情で切り出す。
「も、もしかしてこの前のこととか……?」
「ん? ああ、あれは解決したことだ。今更蒸し返すつもりはない、それに、父上が不問にしたものを私が追求するのも上意に反することだしな」
「そ、そう……」
憂慮が憂慮で終わったことに、瑞樹は安堵の息を吐く。しかしグラツィエラは意外とさっぱりした性格らしい。大抵は気にしてないと口で言っても、少しは根に持つくらいあるが、本人は至ってそんな様子はない。
ただ単におくびに出していないだけなのかもしれないが――それはともかく。
先ほどの訊ねの回答か、突然彼女はとんでもないことを口にした。
「それで、今日ここに来た理由だが、今日から貴様らのところに厄介になることになった」
「は?」
「へ?」
「ど、どうことですかグラツィエラ皇女殿下!?」
立ち上がるほどの勢いと強い語調で訊ねるティータニア。あまりに唐突なことに確認に問い質したのだろうが、その問いにグラツィエラは渋い面持ちで答える。
「どうもこうもない。そのままの意味だ。ティータニア王女殿下」
「いえ、ですから……!」
「つまり、貴様らの旅に同行するということだ」
「――――」
ぽんっと、ティータニアは力を失くしたように椅子に座る。それも無理ないか。黎二たちはみな一様に「一体何故……」という驚きと疑念の表情になった。
そんな一同に、グラツィエラは苦言を呈する。
「揃いも揃ってそんな顔をするなと言うのだ。しまりのない。まぁ、この件は私とて不本意なのだ」
「ならばどうしてです?」
「託宣があったと言われれば私とて従うしかない」
「な……アルシュナの託宣……!」
「エリオット、さっきの言葉はそういうことか……」
ようやく理解できた。彼はこのことを事前に知っていたため、あんな言葉を残したのだ。おそらく今頃彼はこちらの戸惑いを予想し、小悪魔の如く笑っていることだろう。黎二は眉間を揉む指が止まらない。
黎二たちが未だ驚きから回帰できない中、視線を一巡させるグラツィエラ。
「異論はないな」
「……異論も何も、アルシュナの託宣があったというなら従うほかありません」
そう言うティータニアも複雑な心境か。首肯するが、顔は不承不承といった表情。そんな彼女を尻目に、グラツィエラは問いかける対象を変える。
「貴様らは?」
「私は……別にケンカしないならいいけど……」
と、瑞樹はまだ呑み込めなていないらしく、戸惑いつつも口にした言葉は尻すぼみ。
しかし黎二の方は諦めのようなため息を吐いたあと、落ち着いた態度を見せる。
「では、僕から一つ条件が」
「なんだ? 一晩一緒に過ごせとでも言うのか? 意外と手の早い男だったのだな」
「ち、違いますって!? どうしてそうなるんですか!? 話が飛躍しすぎでしょう!?」
グラツィエラの爆弾発言に、黎二は立ち上がって盛大に叫ぶ。そんな彼の多大な焦りを気にした風もなく彼女はあっけらかんと言って退けた。
「何だ? 別に私は構わんぞ?」
「私が構います!」
「私もだよ!」
それは譲れないか、ティータニアと瑞樹が異議の声を唱える。するとグラツィエラはどこか詰まらなさそうな表情を見せたあと、再度黎二に視線を向ける。
「で、結局お前が提示したいとかいう条件とはなんだ?」
黎二はどっと疲れたような息を吐いてから、真面目腐った様子でその条件を告げる。
「僕たちに『貴様』と言う呼び方をしないことが条件です」
「ふむ。確かに、仮にでも仲間になる人間に対して貴様は不遜か。いいだろう」
すんなりと受け入れた。傲岸な女性という印象だが、案外理解がある。先ほど先日の一件を気にしていないと言っていたあたり、思った以上にさっぱりとした性格なのだろう。
「ではアステルの勇者レイジ、ティータニア皇女殿下、そして異世界の客人ミズキ。これからよろしく頼む」
「は、はい……」
グラツィエラの見せた神妙な態度に意表を突かれ、毒気を抜かれたか。呆けた表情を見せるティータニア。一方で瑞樹は、予想外の展開に困惑気味の声を漏らす。
「どうなっちゃうのかなこれ……」
なんとも、ひと波乱もふた波乱も起きそうな組み合わせになってしまった一行であった。