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食堂での悲劇



 現在水明たちがいるここ大陸北西は、冬は相応に寒いが、他の季節は湿潤や乾燥というわけでもなく、比較的安定した気候で落ち着いている。しかし、北にはドラゴンの住むと言われる険しい山脈や、黒鋼木(ブラック・ウッド)の森など、人には随分と厳しい土地も数多くあり、人の手が入っていない場所が他の国に比べ数多くある。



 帝国側の国境砦前でカウホーン車を降りた水明たちは、砦を通過したのち、何ごともなく連合側の橋砦を抜け、サーディアス連合は最初の国の最初の街を訪れていた。

 空には雲が疎らにあり、快晴というわけではないがそこそこな空模様。いつもの顔色と言った具合の天気だ。吹く風は涼しく、異世界の暦でももうそろ暑気がくる時節だというのにも関わらず、過ごしやすくある。



 初めて訪れる連合の街は、住む人間によって区画での色使いが決まっていた帝都や帝国の他の都市とは違い、色分けなどはされておらず、よく言えば鮮やかであり、悪く言えば目に痛かった。

 三角屋根、平屋根、切妻屋根など、家の形も色もとりどりで、全体的に柔らかな雰囲気がある。家と家の間隔も広く空けられ、そこに木々や緑が植えられており、平らに削った石での舗装もしばしば見えるが、それ以上に自然がかなり多い。



 まだ中心部から離れているというせいもあるだろうが、水明の目からは連合の街はファンタジーと言うよりは牧歌的な情緒が強く表れているようにも思えた。



「ここが連合の街か」



 水明は建物や街の装飾、生活する人々などを見回しながら、感慨深げな様子で口にする。連合の街はアステルやネルフェリアともまた違った趣が散見できた。

 次いでリリアナが補足するように、言葉をあとに続ける。



「正確には、連合の国の一つである、グラフィルの街の一つ、です。連合は、アステル、ネルフェリア、自治州とは大きく違い、五つの国の集まり、なのですよ」


「じゃあここは国家連合の中の国の一つってことなのか」



 リリアナとそんなことを話していると、ふと横目に自分と同じようにきょろきょろと辺りを見ているフェルメニアの姿が見えた。

 家屋の趣や、街路に提げられている魔力灯が気になって仕方ないおのぼりさん仲間に、水明は声を掛ける。



「フェルメニアも珍しそうにしてるな」


「え、ええ。私も連合は初めてですので、いささか気になってしまって……それにしても連合はアステルやネルフェリアとは随分違いますね」



 フェルメニアが恥ずかしいところでも見られたように少々面映ゆそうにしていると、リリアナが説明を挟む。



「連合の人々は、昔から自然や動植物と調和する気風が、ありますから、帝国のように建造物や物が少ないの、です。でも、連合はゆったりとした感じがして、私は好きですよ」



 確かに、人間自然が多いところを好むものだ。腕を大きく広げて深呼吸をするリリアナもそうだが、この街の人々はどことなくのびのびとしているように見える。

 ふと水明はレフィールを見る。彼女は落ち着いた様子で、普段とあまり変わらない。



「レフィは初めてのようには見えないな」


「連合には幼い頃に来たことがあってね。今回が初めてではないんだよ」


「じゃあその頃とはあんまり変わってないのか?」


「ああ。連合みたいなところは、時の流れがゆっくりだから、変化も少ないんだろうと思う」



 レフィールは被っている鍔の広い帽子を軽く持ち上げながらに言う。以前来たときのことを懐かしんでいるのか。大人の姿でいると、相変わらず仕草の一つ一つに風情が感じられる。



 するとレフィールはリリアナへと視線落とした。



「それにしても、リリィは連合のことに詳しいな」


「隣国の情勢を頭に入れておくのは、情報部の義務です。それに以前、大佐と一緒に潜入したことも、あるので」


「ということは、諜報活動ですか」



 頷いて、フェルメニアの予想を肯定するリリアナ。やはり彼女も、軍にいたことからいろいろな経験があるようだ。リリアナの魔法の実力があれば、よほどのことはこなせるからだろう。幼いながら、中々に修羅場をくぐっている少女である。

 そんな風に水明たちが連合についての会話を続けながら通りを歩いていると、ふと石で舗装された道の脇から、何やら演説めいた大声が聞こえてきた。

 耳に伝わる喧騒を頼りに視線を向けると、白い修道着をまとった男女の二人組が、女神の名前を出して聴衆に訴えているのが見えた。



「この世に生まれし人の子らよ! みな、いまこそアルシュナへの信心を捨て去るのだ!」


「魔族が迫るいまだからこそ、人々は団結し、目の前に迫る脅威だけではなく、あらゆるしがらみから解き放たれなければならない!」



 交互に発言する修道着を着た男女は、巧みな息の合い様。身振り手振りも様になっており、なんとも言えない臨場感がある。しかし、その演説に立ち止まって耳を傾ける者はあまりなく、道の端には人だかりといってもまばら。

 演説の内容が、この世界で信仰の厚い女神アルシュナを貶めているものだからだろう。ほとんどの人間は胡散臭そうな視線を向けて、彼らの前を通過している。



「……ありゃあなんだ?」



 立ち止った水明がおかしな顔をして首を傾げると、それに続くようにフェルメニアやレフィールも怪訝な顔をする。



「さぁ……なんでしょうね。ああいった手合いは私も初めて見ます」


「私もだ。まったくこんな公衆の面前で女神に対する批判を展開するとは……この大地の上で女神の恩恵を受けて生きていながら、けしからんことだ」



 レフィールはぷんぷん。ご立腹である。だが大半の人間が、内心彼女のような心境だろう。女神アルシュナへの信仰、救世教会の教えがこの世界の人々の根底にあるゆえに。

 しかしそれを考えれば、いま見ている者たちのような演説など、表だってできるものではないと思うが――



 すると、リリアナが眠たそうに開かれた左目をさらに細くして、彼らを見据える。



「あれは、反女神教団、ですね」


「反女神教団? 何だそれ?」


「いま連合五国や、自治州で信者を増やしている、宗教です。基本的な教えは、救世教会のものを踏襲しているのですが、女神の加護から放たれて初めて、人間という種は繁栄できるという理念を掲げ、女神信仰の取りやめを人々に促しているのです。主に魔法の一般への普及や、託宣などを批判していますね」


「魔法文明が主流のこの世界だと、そういうのはすぐ淘汰されそうなモンだが」


「それについては動きがあるようで、たびたび救世教会の信者たちと、彼らとの間に小競り合いが起こっていると聞きます。ですが、入団する人間があとを絶たないということです」


「ふん……?」



 ただ反対するだけの団体に、それほど魅力があるのだろうか。現状のさばる大勢力を壊そうとすることに生きがいを感じるタイプのアイコノクラストもどきは、どのようなところでも発生するし、そういった団体を使って敵国に嫌がらせをする国家もあるため、一概に不可解とは言えないが、女神を主神とするこの世界の現状を鑑みれば下手をするとほとんどの国を相手取らなければばらなくなるのは必定だ。



 だから、魔族の侵攻が始まっている混乱期のいまに、こういった団体が出てきているのだろうが――



「女神は、我々を守っているわけではないのだ! 己が利益を! 利権を確保するため! 世界を守っているように見せかけているだけなのだ!」


「女神の言葉は人々を腐らせる毒だ! いまのように女神の言葉を盲目に聞き入れているだけなら、人間にこれ以上の繁栄は一切なく、未来永劫女神の奴隷のままだろう! ゆえにいまこそ我ら人間は、女神の手のひらの上から逃げ出さなければならないのだ!」



 水明は未だ強い語気で弁をまくし立てる二人組を、しげしげと眇め見る。



「……女神の存在を否定するんじゃなくて、信仰を取りやめさせようとしている。魔法の存在が女神の存在を証明しているようなモンだから、そういった形になるんだろうが……」



 だがこういった手合いは往々にして、耳触りのいい教えを訴える他の神の存在を挙げたりするものだ。宗教に対抗するには別の団体を立ち上げたうえで、すり寄りやすい神を作るのが手っ取り早い。しかし、話を聞いていると信仰の鞍替えを促しているわけでもないため、何を利としているのかがわからない。ただ水明には、女神を信じてはならない、逃げ出さなければならない、そんな言葉が、やたらとリアルに感じられた。



「スイメイ殿? いかがなさいました?」


「いや、なんでもない。で? これからどうする……って言っても一つしかないか。まず昼メシをどうにかしようか」



 水明が提案すると、リリアナ、フェルメニア、レフィールも同意する。



「私も、おなかが減りました」


「ではどこにしましょうか……」


「昼時だからきっとどこも混んでいるだろう。その辺を適当に探してみることにしようか」



 レフィールの行き当たりばったりとも取れる提案に頷く三人。手分けして辺りの店を回ると、折よく空席がありそうな店を見つけ、レフィールを先頭に四人での突撃を敢行する。

 外から中を窺った通り、空いた席があったようで、水明たちは四人で使うには少し広めの席に案内された。

 木造の、一見どこにでもあるような食事処だが、あちこちに空樽が置かれ、テーブルもイスも樽を元に作られている。瓶を元にして作られた魔力灯などもあり、内装は現代世界でも引けを取らないほど凝っていた。

 やがて、注文を取りに来た給仕におすすめを頼むと、間もなく料理が運ばれてきた。



 ……しばらく、料理に舌鼓を打った水明たちは、箸はないが箸休めに水を飲み、ふと周りの席を見る。店内は昼時で恐ろしい込み具合と騒ぎの様相を呈しており、混雑は継続中。

 そんな賑わう客たちに、一種の共通性のようなものがあることに気付いた。



「やっぱ剣の国って言うだけあって、魔術師の数は少ないんだな……」



 見るからに剣士や戦士でない人間も、剣を腰に差している者が散見される。その点で言えば、帝国と比べ魔術師よりも剣士の割合の方が断然多い。十人当たり五、六人はいた魔術師が、二、三人に減った。

 周囲を見ながら感想を述べる水明に、反応するレフィールとフェルメニア。



「連合は他の国に比べ剣を重んじる文化がある。召喚の勇者ではないが英雄とされる剣士が、この辺りの土地を魔族から解放し、人々のために切り開いた歴史があるからだな」


「それによってでしょう。連合や自治州ではアステルや帝国とは身分の括りが少し違います。市井の要職程度より、はるかに剣士の身分や地位が高い」


「ほー、じゃあ剣さえ持っていれば優遇されるのか?」


「いや、そう言ったわけでもない。連合では剣士を名乗るには許可がいるんだ。連合五国では各地の政府、もしくは宵闇亭の許可を得た者でなければ、自らを剣士と名乗れないんだ」


「じゃあつまり、いまのレフィは自分を剣士とは名乗れないのか」


「そうなる。ここでは名乗っても自称止まりさ」



 剣を扱う者に自称も何もないと思うが、レフィールは自嘲気味な笑みを浮かべている。

 すると、自分の顔よりも大きな甘いパンをにこにこ顔で頬張っていたリリアナが、パンを咀嚼しながらに説明する。



「それでも連合では、剣を持っているだけで、待遇がとてもいいのは確か、ですよ」


「具体的には?」


「はむ。優先度が、上がります。国に貢献している方が、多数いますから、急いでいるときなどは、公共機関問わず贔屓目に見てくれますよ」


「そりゃあ結構なことだな……」


「全部が全部、というわけでは、ありませんが。はむはむ」



 それでも剣を持っているだけで優先してくれるとは、かなりのことだろう。甘いパンに夢中? で頬張り付いているリリアナと話していると、ふとレフィールが切り出す。



「それで、それを踏まえて今後の予定なんだが、まずは連合の宗主国であるミアーゼンへ行かないか?」


「宗主国に?」


「その首都にある宵闇亭のいまのギルドマスターが私の父の知り合いでね、伝手を頼れば、剣士の許可はもちろん、いろいろと取り計らってもらえるはずだ」


「はむ。それは、いいですね」


「剣士の連れがない場合に連合を歩くときは、剣士を雇えと言われています。私もレフィールに賛成です」


「じゃあ、調べ物はそのあとだな……」



 魚の身を口に運びながら言う水明。もとの世界に戻るのは、確かに急ぎは急ぎだが、他のことをなおざりにしてまでのことではない。進むなら、足元を盤石にしておくに越したことはないだろう。

 水明たちが話をしながら料理に舌鼓を打っていると、給仕女性が困ったような顔をしながら近づいてきた。



 他の給仕の女性よりも年嵩で、恰幅が良い。割烹着を着せればいかにも定食屋のおばちゃんという風貌で、おそらくは女将だろう。



「ちょっといいかい?」


「どうかしました?」



 水明が訊ねると、女性は弱ったように笑って玄関口の方に指を向ける。



「すまないけど、あちらの人と相席してもらって構わないかい?」



 と、女将の人差し指が示した場所にいたのは、背の高い色黒の男だった。

 砂除けの外套を羽織って身体の全容は見えないが、外套の中から伸びた腕は筋張って太く、鍛え込まれていることが窺える。黒髪をロン毛にして、額には独特の刺繍が入ったバンダナ、顔に傷痕が走っているが、物騒と言うよりは精悍な細面で、どこか人懐っこそう。そんな色黒の男は「いやぁ……」と言いながら困ったように、しかし快い笑顔を向けてくる。



 特に、悪い雰囲気もないため、レフィールが代表して答える。



「ああ、構わない」



 女将は「すまないねぇ……」と言うと、一転溌剌とした張りのある声で、客が一名入ったことを厨房に告げる。すると、他の若い給仕が椅子と水を持ってきた。

 水明が隣を空けると、給仕はそそくさと椅子を置き、男もそこに尻を納めた。



「いやー、盛り上がっているところ悪いなぁ! この街に来るとどうしてもここのおすすめが食べたくなるんだ!」



 自分の後ろ頭を叩き、豪快に笑う男。見た目でそう悪くない印象を受けたが、やはり人当たりの良さそうな性格だったらしい。悪びれた様子はないが、明るい笑顔が快かった。


 男が不意に、何故か悪びれた笑いを見せる。



「いやしかし兄ちゃんには悪いことをしちまったかな?」


「……ん? 俺にですか?」



 言葉の意味がわからず、水明が小首を傾げると、男は急に太い腕を水明の首の後ろに回して、内緒話でもするように肩を組んでくる。



(いやだってこんな別嬪さんたちと一緒に食事してるところを別の男に入り込まれたんだぜ? まあ一人はちっこい娘っこだが、これじゃオレは完全にお邪魔虫だろ?)


(は? い、いや別にそんな風には考えてませんよ⁉ それに彼女たちは単に俺の仲間ってだけで……)


(…………)



 男は腕を放し、呆気に取られたような顔をして、慌てて弁明した水明を見詰める。そんなおかしなものでもいているような顔が不審で、水明は怪訝な表情を浮かべながら訊ねた。



「何です?」


「…………いや、そうか。お前童貞だろ?」


「はぁ!?」


「いや、だから童貞だって」


「あ、あんた会ったばかりでいきなりなに言うんだ!?」



 焦ったような言葉と共に、音を立てて立ち上がる水明。彼の勢いに、男は軽く仰け反る。



「ああ、すまんすまん。俺は正直なところが取り柄でな。思ったことをすぐ言っちまうクセがあるんだ」


「そのクセ迷惑過ぎるっての!! …………あ」



 そこで、水明は気付いた。その台詞は、自分が童貞であるということの証左だったことに。



「あー、そうか。やっぱりかー」


「やっぱりかじゃねぇよ……」



 間延びした同情の声を発する男と、身悶える水明。語気にエネルギーを使ったか、はあはあと息を切らせ、落ち着かないまま周囲を見る。隣のリリアナは聞いていたのかそうでないのか甘いパンに熱中しており、一方レフィールは顔を向けると顔を逸らした。



 一方フェルメニアは、特に気にした風もなく、



「ほう、スイメイ殿は、童貞なのですか」


「わ、悪いかよ!?」


「いえ。別に悪くはありませんよ。いままでご縁がなかった……ようには思えないので、微妙なところですが」


「なんだよその微妙ってのは!!」



 うごごご……となった水明が視線を戻すと、レフィールと目が合った。



「う」


「あ」



 目が合って、発せられた声は二人一つずつ。おかしな空気になり、しばし固まる水明とレフィール。やがてその如何ともしがたい空気を払拭するように、レフィールは顔をほんのりと赤くさせ、咳払いを挟む。



「いや、うん。スイメイくんが童貞で良かったと思う」


「何がいいんだよ何が……」



 立ったまま、ショックでうな垂れる水明。全員に秘密(?)を知られてしまい、恥ずかしさと絶望でいっぱいだった。

 水明のまとう空気がどよんと淀んだことを感じたフェルメニアは、宥めるのに加われと言うように、リリアナに声を掛ける。



「リリィも何かスイメイ殿に言ってあげてはどうですか?」



 その話の振りは、はっきり言って失策だった。

 フェルメニアの声掛けで気付いたリリアナが水明の方を向き、くいくいと袖を引っ張る。

 そして――



「すいめー。別に童貞でも、恥ずかしくないですよ?」



「ふぐぅ――」



 あまりに強力な言葉に、水明は膝から崩れ落ちる。いたいけな少女の無邪気な励ましが、言葉の威力を劇的に飛躍させた。

 一方水明にとどめを放ったリリアナは、やはり甘いパンに夢中らしく、せっせとパンの残りの攻略に取りかかっている。

 そして水明の方はというと、憐れみを催すほどの空気を頭の上に乗っけて、



「…………どうせ俺は童貞ですよ。女性経験なんてありませんよ。全くないですよ。なんだよ、それがなんか悪いのかよどいつもこいつも童貞童貞って童貞は悪みたいに言いやがって俺くらいの歳なら経験ないヤツだっているだろうがそれの何が悪いんだよそれでも一生懸命生きてるんだぞバカにすんなようううううううううううううううううう……」



 独り言をブツブツと呟いて、精神的に奈落の底に転がり落ちていく水明。そんな哀れな男を見兼ねて、元凶たる色黒の男が白々しい態度で励ましにかかる。



「……まあなんだ。兄ちゃん元気出せって、お前さんまだ若い。人生これからだ」


「うるさいこの元凶が……」



 水明は恨めし気な声を発して、男に淀んだ視線を向ける。

 一方そう言えばと、男は何か気付いたように手を叩いた。



「おっと、自己紹介してなかったな。オレの名前はガイアス・フォーバーン。ラルシームで武術師範をやってる」



 彼の自己紹介のあとに、水明たちも各々名前を口にする。フェルメニアとリリアナは偽名を用い、レフィールはそのまま名乗る。その中で一人だけやたらテンションが低く、投げやりだった者がいたことは、今更言うまでもないだろう。

 当分会話に加われないだろう彼の代わりに、フェルメニアが訊ねる。



「ラルシームと言えば連合北部にある国ですが、どうしてこの街に?」


「この辺りで一仕事あって、いまはミアーゼンへ帰る途中でな」


「ミアーゼンに?」


「いまはそこがオレの職場なんだよ」


「そうなのですか。ですがミアーゼンとは、私たちと行き先が一緒ですね」


「ほぉ! そいつぁ奇遇だな」



 思いも寄らない偶然が愉快だと笑うガイアス。だがふと笑顔から一転して、不思議そうな顔で顎をさする。



「しかしお前さんたちも変わった集まりだな」


「他の国の、間諜では、ありませんよ?」



 パンを食べるのを一時止め、ツンと、そして空々しく言い放つリリアナ。あえて先に口にした彼女に、ガイアスは心得ていると言うように笑って、



「それくらい見ればわかるさ。だって童貞の兄ちゃんと女連れだぜ?」


「アンタまだ言うのか……」



 童貞話をなおも引っ張るガイアスに、水明は呪詛でもこもっているようなやたらと低い声音を発する。だがガイアスも、一人元間諜がいるためわかってないと言えばわかってないのかもしれないが。

 レフィールがガイアスに訊ねる。



「ではどうして、変わっている、と?」


「そりゃお前さんらみんな、服装がバラバラだからな。アステルの服を着たのが二人、帝国でいま流行りのふりふりを着た娘が一人。んで、レフィールっつったか? あんたノーシアスの出だろ? 不思議な組み合わせだ。まあただ単に知り合い同士なのかもしれないが、わざわざ連合に来るってのも不思議だからな」



 このガイアスと言う男、単なる豪快さんではないか。解き明かしている最中に、瞳が一瞬鋭くなったことを水明は見逃さなかった。

 要点を押さえた発言をしたガイアスに、続けてレフィールが訊ねる。



「なぜいま連合に来たことが変だとお思いに?」


「そりゃあ、いま連合の北部は魔族との激戦地の一つになってるからな。そうおちおちと観光できるような情勢じゃないだろう?」



 確かに、いつ魔族が攻め上ってくるやもしれぬそんな危うさのある地域に、好んで観光に来る人間は多くないか。

 するとレフィールが、今度は神妙な面持ちを見せながら答える。



「連合に私の知り合いがいるんです。これからその方に会いに行こうと」


「ほー、そうなのか。そう言う理由なら、アリかもな」



 一方、やっと復活した水明が、椅子にふんぞり返って腕を組む。



「しかし激戦区か」


「確か魔族の軍は押し返したと聞きましたが?」


「おうよ! 連合で呼ばれた勇者がな! 魔族の将もぶった切った! 壮観だったぜぇ」



 問いの視線を向けたフェルメニアに、ガイアスは胸を叩く。まるで自分の頼もしさを自慢するように。だがそんな姿を見た水明が、眉をひそめて彼に訊ねる。



「壮観だったって、見てたのか?」


「ふっふっふっ、何を隠そうこのオレ様は、ついこの前まで連合の勇者サマと一緒に魔族と戦ってたんだぜ?」



 ガイアスが自慢げに明かすと、水明が胡散臭そうなものでも見るような目を向けた。



「おっさんあれか? 妄想癖があるのか? だいぶ残念だな」


「ねぇよ! 事実だっての!」


「ホントかよ?」



 ニヤニヤ顔で茶化すように水明が肩を竦めると、ガイアスが不穏な声音を発しながら笑い出す。



「ふふふふふ……それともお前さん、オレが雑魚だってぇ言うのかぁ?」


「うそうそ冗談だっての。殴られたら即死しそうな筋肉してるの見りゃあわかるわ」


「そうだろ! いいよな筋肉!」



 良いかどうかは置いといて、このガイアスという武術家、相当な腕前だろう。細かい部分まではわからないが、まとっている余裕が、強い、達人という者たちに近い雰囲気がある。

 ふとガイアスは武勇伝でノリノリな態度を一転させ、愚痴を漏らすようにため息を吐く。



「まあそのせいで、軍のほとんどが北の方に移動しちまったからなぁ」


「何か良くないのか?」


「そうりゃあそうだろうが。戦力が全部魔族の方に行ってるようなもんなんだぜ?」



 それは悪いことなのか。水明が首を傾げると、リリアナがしれっとした態度で説明する。



「帝国への守りが、薄れます。そこの方はそれを危惧しているのでしょう」


「そういうことだ。お嬢ちゃんお利口だな。撫でてやろうか?」


「やめてください。訴えますよ?」



 リリアナはガイアスの子供扱いが気に染まなかったか、目を瞑ってツンとお澄まし。顔を逸らした。しかし先ほどの会話だが、帝国への守りというのも得心がいかない。



「連合と帝国は険悪なのか?」


「あんまりよかねぇの知らんのか? 世間知らずだなお前。帝国は自治州やアステルと共同声名を出してるが、連合は単なる隣国のままなんだぜ? それに聞いた話じゃ、最近帝国は同盟組んでる国にまで突っかかってるときた」


「む……」



 ガイアスは呆れた物言いだったが、水明は突っかからなかった。事実、異世界の情勢には疎いのだ。ムキになって否定するような場所ではない。

 すると、隣にいるリリアナが耳元に顔を近付けてくる。



(欺瞞工作、です。最近帝国の周辺国で、何者かがありもしない帝国の軍備増強や、対外牽制を吹聴していたことが、わかっています)


(なるほど……)



 帝国軍の情報部にいたときに得た話なのだろう。だがそうなると、何のために虚偽の情報を流しているのかがわからない。対外感情を意図的に悪化させるときというのは、敵意を別方向に向けるため、決まって国内が不景気になったり、政府に悪感情が募ったりしているときに多いのだが、一国だけでなくその他の近隣諸国までとなると首を傾げざるを得ないし、しかも魔族が攻めてきているいまとは。

 ふと、ガイアスが元気になる。



「まーいろいろ大変だが、なんつってもオレたちのところには、オレや勇者サマがいるしな。問題はねぇ」



 いまのは暗い話を払拭しようと気を使っての発言だろう。しかし、



「勇者か」


「あとオレ様な」


「いやー勇者ってどんなヤツなんろうなー?」


「無視するんじゃねぇよ……ったく。連合に呼ばれた勇者サマはな、なんととびっきり別嬪の剣士なんだ」



 誇らしげに言うガイアスに、レフィールが訊ねる。



「ということは、連合で呼び出された勇者は女性なのですね」


「おう。アンタらも別嬪揃いだが、アンタらに匹敵するくらいキレイでイイ女だぜ。……まあまだ乳臭いからオレには守備範囲外なんだが」


「あんたの好みは別に聞いてねぇよ」



 水明が突っ込みを入れると、ガイアスは呆れたような視線を送る。



「……お前こういう話に乗ってこれないようじゃ、一生童貞だぞ?」


「まだ言うのかテメェ!」



 水明は叫びと共に再び立ち上がる。色々知れたが、彼にとってはとんだ食卓になった。





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