いざサーディアス連合へ
――サーディアス連合に英傑召喚の儀に関する手掛かりがある。
フェルメニアが持ってきた書物からそんな情報を見つけた水明は、フェルメニア、レフィール、リリアナを連れて、ネルフェリア帝国は首都フィラス・フィリアから一路、大陸北西にあるサーディアス連合へと向かっていた。
そんな彼らは現在、帝国から連合に向かう馬車に揺られている。
馬車と言ったが実際は馬車ではなく、巨大な角と長いむく毛を持った、大きさはゾウほどもあるカウホーンと呼ばれる生物なのだが――それはともかく。
現代の魔術師、八鍵水明はカウホーン車の車内の隅で、フェルメニアとリリアナに魔術の講義をしている真っ最中にあった。
板張りの車内で水明の用意した紙を広げ、フェルメニアとリリアナは神妙に彼の話を聞いている。一方、魔法は覚える最中でまだ門外漢、魔術については異次元の話というレフィールは水明の後ろで一人鼻歌を歌いながら剣を磨いていた。
「――それじゃあこの話は終わるが、次の話に移ってもいいか?」
「はい」
「大丈夫、です」
フェルメニア、リリアナとそれぞれの返事を聞いたあと、水明は次の話に移り出す。
「それで、これから話すのは俺の世界の魔術の典礼化技術とその成り立ちについてだ。典礼化とは、魔術行使における煩雑な手順を、簡単な動作や短い呪文に置き換える技術のことで、それによって手順は効率化され、魔術行使にかかる時間を短縮することができるようにする。長い呪文なら文を整理し短くし、唱えにくい呪文なら身振り手振りに変え、難しい動きを必要とするなら呪文にしてしまう、という具合だな」
水明は息継ぎのように言葉を切り、話の続きを口にする。
「俺が扱う魔術の中で最も行使頻度が高くて、わかりやすい典礼化をした魔術が、指弾の魔術だな。これは指を鳴らすだけで、その効果が発生する」
「これですね」
間を繋ぐように、フェルメニアがパチンと指を鳴らしてみせる。
次いで水明が軽く指を鳴らすと、水明の手元にあった紙が軽い衝撃で舞い上がった。
「この世界ではこれを使うと、やたら驚かれるよな」
「私たちの世界では魔法は基本的に、呪文を詠唱、もしくは
「それを行わないで、簡単に魔法を行使することは、この世界の魔法の原理に、反しているということ、ですから、驚きもします」
リリアナは魔法の常識を覆されて久しいからか、新たな理論にまだ慣れないというように眉をひそめて首を傾げる。
詠唱はなくてはならないもの。それを常識であり不変のものとして教えられれば、典礼化など考え付かない事柄なのかもしれない。
「指弾の魔術。この効果は本来、呪文を口にしなければ発生しないんだが、呪文を唱えることと指を鳴らすこと置き換えることによって、指を鳴らすだけで呪文を唱えた事実を呼び起こし、同じ効果を求めることができるようにしている」
水明が口にする内容を、さらさらと紙に書いていく二人。彼女が紙に書き終わる頃を見計らい、水明はまた典礼化について説明していく。
「無駄を省き、情報を小さくして必要な行動を簡素にすることによって、魔術を使いやすくする。他にも、喋ることができないなどの行動が制限された状態でも、魔術行使が可能になる。そしてこれがかなり重要だが、手順の多い魔術の行使速度も短縮できる」
「すいめー。どう、短くできるのですか?」
「つまりだ。呪文を五小節分唱えなければならない魔術があるとしよう。その魔術を使うのには、仮にだが呪文を唱える時間が五分ほど必要となる。だが、その五小節分のうち二小節を身振りと、魔術品の使用に置き換え、詠唱と同時に行うと――」
「行使にかかる時間が、二分に短縮、されますね」
「そうだ。典礼化には行動が限定された状態での魔術行使以外に、そう言った利点がある」
典礼化の説明に、フェルメニアとリリアナは「ほぅ……」と感心の吐息を吐いた。
「ですがスイメイ殿。典礼化で時間を短縮しても、エントロピーは変わらないのですよね?」
「ああ。その通りだ」
「フェルメニア、どういうことですか?」
「典礼化での時間短縮は、現代魔術理論で他の魔術系統と混ぜて短縮しているのと違って、詠唱行為などを別の行動に代替しているだけですから、実質やっていることは一緒、ということです」
「なるほど……」
この話については、以前にもフェルメニアに説明したことがあったがやはり、彼女は正しく理解できている。初めて魔術を教えてからそう長いわけでもないのにこの理解力だ。天才魔法使いと言われているのも納得できる。
「まあこれの成り立ちだが、俺たちの世界で古くは二千年以上も昔にさかのぼる。その頃西側の地域で民衆の前や議会において演説を行い、聴衆を魅了、説得することが多く流行った。そうやって政治を動かしたり、世の中をより良いものへと導いて行こうとしたりしたわけなんだが、この演説にはあらゆる言葉を巧みに思わせる抑揚や演技などの技術の他に、もう一つなくてはならない技術あった。何かわかるか?」
「喋ることですから、演説の内容を記憶する技術ですか?」
「そう、当たりだ。正確には、覚えた内容を正しく頭の中から引き出す能力なんだが、それを記憶術という」
記憶と魔術。その二つの繋がりが見えず、いまいちピンとこない顔をする二人。そんな彼女たちを慮ったうえで、説き明かしを続ける水明。
「たとえば暗記とかになると、内容をよく歩いて覚えたり、他の動きをしているときに覚えやすかったり、同じような行動をしたときや覚えた場所に再び赴くと思い出しやすいということがままあるだろう?」
「はい。耳にすることはありますね」
「暗記できないのは記憶力がないからだってよく言われるが、別にそれは脳が覚えてないわけじゃない。人は覚えるって意識してない状態でも物事を覚えることができるだろ? 単に覚えていないってのは、頭の中から情報を引き出すことができないだけなんだ。つまりそれを補助し引き出しやすくするのが、さっき言った行為なんだ」
水明はそう句切って、しばし脱線した話を戻す。
「でだ、この記憶術というのはやがて記憶の補助術として発展し、それが魔術にも取り入れられた。ま、要するにだ。行動によって記憶、つまり保存した情報が呼び起こせるということはすなわち――」
水明の言葉に、フェルメニアが続く。
「頭の中に保存した
「ああ、そう考えたわけだ」
フェルメニアの回答に、水明は満足げに頷く。その魔術を覚えるときに鍵となった行動を再び正しく行うことができれば、すなわち頭の中から記憶を引き出すかのように、直接魔術を行使できるのではないかと。
話を聞いていたリリアナが、難儀そうな表情を作る。
「突飛な話のように、聞こえます」
「確かにそうかもな。だけど、いまの話は理論が出来てから確立されるまでも間の話をすっ飛ばしてるからな、間にかなりの研究があって仕上がってる」
「むぅう……」
水明はそう説明するが、リリアナはまだ納得がいかないと言うように唸っている。確かにいま説明したことは、極端なことを言ってしまえば覚えたものを思い出すだけで魔術が使えるようなものなのだ。実践もなく、ただ思い出すだけでは自分の内側だけで終了してしまい、外界に伝える機会がない。それが彼女の頭を固くしているのだ。
だがそれが――
「まだ物質にしがみついている証左でもある。そういったものを事象として具現化してくれる、感知できない不可思議なエネルギー、不可思議なベクトル、不可思議な法則、超感覚的な領域それらが、俺たちの解き明かそうとしている『神秘』なんだ。……なに、触れていくうちにだんだんと理解できるようになる」
そうリリアナを諭して、水明はこの講義の結びに入る。
「というわけで、これらの神秘的な行為の整理や置き換え、魔法陣の事象化、ノタリコン、テムラ―、ゲマトリアなどは、自分で儀式を創り出しているということと類比できることから、便宜上典礼化、典礼化技術などと称している」
そう解き明かしを終えた水明は、二人に補足が必要かを問う。
「何か質問は?」
すると、リリアナが手を挙げた。
「魔法陣……すいめーの使っている、突然描かれる魔法陣の話についても、聞きたいです」
「悪い、それについてはまた今度にしよう。魔法陣の事象化と現象化についてはまず典礼化をものにしてからの方がいいんだ」
「残念、です」
かなり興味があったのか、しゅんとするリリアナ。
「というわけで、穴埋め問題を用意した。典礼化以外に今日話したことの要点が虫食いになっている」
水明が用紙を渡すと、フェルメニアがそれを見ながら、疑問を投げてくる。
「スイメイ殿。こういうのは実践作業の方が実になると思うのですが……。今回でしたら、典礼化の実践といったところでしょうが……」
「そうなんだが、この中じゃあいろいろ実践することもできないだろ? それをやるにはちゃんとした場が必要だし、それをここで簡易にしろ用意するってのもなぁ」
「まあ確かに……」
とはフェルメニアも言うが、すっきりとしない様子。彼女の言う通り、こんなテストをしたところで、特に実感は得られないのは正しい言い分でもある。
「どういった成り立ちがあるのかを詳しく知れば、理解もそこそこ早くなると思ったんだがな……人に教えるのは難しいもんだ」
頭の上に重いものでも乗せられたかのように、頭を垂らしては悩ましいと言う水明。彼も正式に弟子を取ったことはないため、教えることには慣れていなかった。一応一人例外はいるのだが、最初から魔術が相当使え、かつ独特な魔術を使う助手であるため、魔術を根っこから教えるのはこれが初なのだ。やはり時々の苦戦は免れない。
そのため、二人にはいろいろと意見を述べるようにしてもらっているのだが。
「ま、了解した。実践の方についてはまたなんか考えるから、いまはそれをやってみてくれ」
「わかりました」
「こんな真っ白な紙を、使い捨てみたいに扱うのは、もったいない気もします……」
先ほどから白い紙を惜しげもなく使っているためか、リリアナが紙を持ち上げて渋い顔をしている。
この世界では、真っ白な紙は貴重なものだ。まだ向こうの世界のように産業革命はおろか、製紙の機械化さえ行われていないため、大量生産できるラインが存在しないのだろう。
(これも、魔法が幅を利かせているためなのかねぇ……)
魔法陣や呪文を紙に書く際、向こうの世界でも市販されているような真っ白な紙よりも、専用に作られた羊皮紙などが良いものとされる。ゆえに、魔法の文化が主軸となる世界では、生産ラインに乗せやすい真っ白な紙よりも、羊皮紙が主流になるのかもしれない。
やがてフェルメニア、リリアナ共に穴埋めテストに取り掛かる
水明はその場でくるりと尻で回り、レフィールの方を向いた。
「よいせっと」
「一時中断か?」
「いち段落着いたからな。車に乗ってるのはあとどれくらいだと思う?」
「もうまもなく国境砦が見えてくるはずだから、そう長くもないだろう」
「長い。三日も板張りの床だとケツが痛くなる」
「スイメイくん。それは下品だぞ」
レフィールは口もとに笑みを作って、顔を渋くさせた水明の額を、軽く指で弾いた。
「いたた……にしても、国境が近いのに山らしい山が見えないのはどういうことだ?」
水明は額をさすりながら、車の横窓から顔を出して行く先を見る。彼が口にした通り、進行方向には山脈はおろか小さな山すらなかった。大抵国境と言うのは、どこも山脈を境にしていることが多いため、国境砦は山脈の切れ目である谷などに置かれているのが一般的だ。
隣国が容易に攻めて来られないようにするため重要なのだが、不思議と一向に山脈が見えてこなかった。
水明が風を浴びながら懐疑がっていると、レフィールが何のことはないというように涼しげな笑みを見せる。
「この先には魔を覗く谷と呼ばれる大きな大地の亀裂があってね、それが帝国と連合や自治州との国境線の役割をしているんだ」
「亀裂?」
「要は地面にできた深い谷だ。女神の僕でイシャクトニーと対を成す精霊が、癇癪を起して大地を引き裂いたため、できたと言われている」
「ほぅ……」
水明は興味深げな息を吐く。そういった話は、往々にして好奇心が揺さぶられるものだ。アフリカにある大地溝帯のスケールを大きくしたようなものが、すぐに頭の中にイメージされる。
「深いところでは底が見えないほどだから、比較的浅いところに橋砦が作られていて、それが国境砦の役割をしているんだ」
「……ん? それじゃあ一方の国の砦しかないことになるんじゃないか?」
「橋砦は連合のものだ。帝国の砦はそれを囲うように造られている。これから見えてくるのはそれだよ」
手振りで紙と筆記具を請うレフィールに一式を渡すと、絵に描いて示してくれた。大地の亀裂を示しているであろう黒塗りの線に三つの橋を擁した砦が跨り、その先の道を封じるようにして半円の形になった砦が置かれている。
しばし二人で話をしていると、レフィールが思い出したように別の話題を口にする。
「そういえば出立前に噂になっていたのを聞いたんだが、昏睡事件の被害者も目覚めたらしいな」
「あー、あれな。どうせならもう少し眠っててもらっても良かったんだがなぁ」
予定が狂ったとばかりに苦い顔をする水明。彼としては、昏睡事件の被害者である貴族たちには、事件のことが他の人間の記憶から薄れ、問題にされなくなるようになるまでの間、寝ていて欲しかった。それはもう昏々と。
帝都の人間のリリアナに対する意識が変化したいま、それが絶対に必要というわけではないが、行動されないことにこしたことはないのだ。
一方、レフィールは事件の被害者相手だというのに随分な言い様だと思ったようで、少し胡散臭そうなものを見るような視線を水明に向ける。
「……時々思うが、君は結構容赦ないというかひどいな」
「ん? 俺は魔術師だぞ? 真っ当な人間じゃない」
「だからといって、そういうことを言って良いというわけでもないと思うぞ」
「まあ、そうかもな。だけどこんなことやってる時点で、少なからず利己的にはなるものさ。それはリリアナを許している時点でわかるだろ? 結局のところ、関係ないヤツがどうなろうと構わないって人間なんだよ俺は」
「にしては、誰かが理不尽に傷つくことに怒ったりするじゃないか」
「矛盾してるのはわかってるよ。ま、その件については
「そうか」
どこか諦めたような、まるで遠いものを眺めるような目をする水明。そんな彼の心情を察したか、レフィールはそれ以上問いかけることはなかった。
「俺が挫折しかけたときの話だ。ラジャスを倒したときにちょろっと言ったアレだよ」
「うむ、大いに興味がある話だ。是非今度話して欲しい」
「やめてくれよ思い出したくもないんだから」
ふふふ、と口もとに笑みを作りつつ寄ってくるレフィールに、大弱りな水明。そんな弱み満載の話などするわけにはいかないと矜持が働き、脱線した話を元に戻す。
「まあ帝都の人間の意識も変わっちまったし、リリアナのことは大丈夫だろ」
「大丈夫と言えば、レイジ君たちは大丈夫だろうか」
ふとここで、レフィールが黎二たちのことを話題に上げる。当分帝国に残る予定の彼らとは、別れることになったのだが――
「なんかあるのか?」
「いや、まがりなりにも帝都でひと騒動起こしたからな。彼らに不利益があるかもと危惧していたんだ」
彼女の憂慮も当然か。黎二たちには事件解決に一役買ってもらったが、それはグラツィエラたちの足止めという、かなり無茶な役だった。結果上手くいったが、正規の手段で捜査をしていた相手の邪魔をしたり、帝都で大立ち回りをしたりしたということを鑑みれば、帝国での彼らの立場を危ういものにしかねないという懸念も生まれるだろう。
だが、策を立てた水明は以外にも暢気な表情をしていた。
「スイメイくん?」
「ん。そこんところは何とかなるだろうよ。出立前に手は打っておいたからな」
「何かしたのか?」
「まーな。ちょいちょいと、簡単なことを」
水明は片手の親指と人差し指をくっつけたり離したりして動かしながら、イタズラ小僧のような小狡い笑みを浮かべた。
「なるほど。君が何かしているのであれば問題はないな」
対処はして来たということを耳にして、憂慮は取り払われたか。水明の悪そうな笑顔を見て、レフィールは安心したように頷いた。
そんな風に二人がしばらく会話に興じていると、フェルメニアが、
「スイメイ殿。お話し最中ですが、よろしいでしょうか」
「お、もうできたか」
フェルメニアの声掛けに気付いた水明は、近寄って用紙を受け取る。
「ふむふむ。うん。まあ良い出来だな。リリアナはどうだ?」
「もう少し、です」
さすがに魔術の勉強をし始めたばかりの彼女には難しいか。眉間にしわを寄せながら、ペンで用紙と格闘している。むぅ……と唸って頑張る姿が、どこか微笑ましい。
そんな調子で、水明たちはサーディアス連合へと向かっていたのだった。