使徒たちの暗躍
深夜、帝都にある教会で、一人の痩せこけたエルフの男が人待ちの無聊を持て余していた。
彼がここに来た理由は、いわゆる定時報告をするためだ。待ち合わせた人物に手に入れた情報を引き渡す。ただそれだけの仕事だ。
だが、何故かこの日はいつまで経っても、街合わせた人物は現れなかった。
痩せこけたエルフは神経質なたちで、待ち合わせの時は必ず時間の少し前に到着する。定時まで待った時間に待たされた時間を加味すると、相当なもの。無論、ナーバスなため苛立ちやすく、貧乏ゆすりもピークに達し、長椅子でも蹴りつけてやろうとしたとき――
「どなたかお越しになられまして?」
「――!?」
突然の呼びかけに、エルフの男はどきりとする。
礼拝堂の奥、女神を模ったと言われる像から響いてきたのは、柔らかい訊ねの声。振り向くとそこには、天窓から差し込む月の光に照らされた、獣人の修道女がいた。
教会内の冴えた空気から、その身を長めのストールで守るように、身体を抱いて歩み寄ってくる。まさかこんな時間まで教会の人間がいるとは、まるで予想だにしていなかったエルフの男。彼は立ち上がると、そのまま身を固くする。
獣人のシスターは、まるで猫が発する甘え声をその声音に含ませ、訊ねかけてくる。
「このような時間に当教会に、何か御用でも?」
「いえ……、少々待ち合わせに使わせていただいていまして……」
「あら、そうなのですか」
特に言いわけで取り繕うこともなく言うと、シスターは柔らかな笑みをこぼした。勝手に入り込んだため、咎めの一つでもあるかと思ったが、そんなつもりはないらしい。
しかし、救世教会で当直の番があるとは初耳だが――
「もし。シスターはどうしてこのような時間に教会に?」
「実をいいますと、私もあなた様と同じでここで人を待っていたのです」
柔らかく、優しい物言いのはずだ。だが、不意に彼女の明るい笑みに、どこか暗い影が落ちた気がした。そんな些細な変化が、何故か男の肌を粟立たせる。
「……奇遇、ですね」
「ええ、本当に」
シスターの愛らしい笑い声が室内に響く。その声に、先ほどの予感は勘違いだったかと思い直したエルフの男は、まるで共犯者に話しかけるように、卑俗さの混じった笑みを浮かべながら話しかける。
「あの、シスター」
「はい?」
「ところでその待ち人というのを伺ってもよろしいですか? いえ、シスターがこんな夜更けに待ち合せなければならない相手というのに、少し興味が湧きましてね」
「その、それは大変言いにくいのですが」
「もしや恋人では?」
自ら踏み出し、核心に迫ろうとするエルフの男。こんな下世話な話など普段ならばしないが、いまは人待ちの無聊に倦んでいるところ。何でもいいから暇つぶしに講じたかった。
さて、シスター人目を憚り深夜このような場所で待つ人間。おそらく逢瀬の相手であろう。
「それが、お恥ずかしながら……」
そしてやはりその憶測通りか、シスターは頬を赤らめ、
「――私、あなた様のことをお待ちしておりました」
痩せこけたエルフが戸惑いに「え――?」と声を出したときにはもう、修道女の右手は彼の胸を貫いていた。
腕が引き抜かれると同時に、逃れることのできない脱力が襲って来る。びちゃりと床に叩きつけられる心の臓。どろりとした赤い液体が溢れ、身体は錆びたブリキ人形にでもなったかのように意のままに動かず、しかしくずおれていく。
まるで奈落の底に引込まれるような感覚の中に見えたのは、ストールを片手にたなびかせ、真っ赤に染まった腕を鷹揚に払う先の修道女の姿。彼女がその手を艶めかしく舐めているところで、彼の意識は途切れたのだった。
「エルフたちはみないつもその血の高貴さを謳いますが、味の方は意外とゲロマズですのね」
獣人のシスター、クラリッサの不満そうな声が教会内に響く。舐め取った血は心底不味いといまは骸と成り果てたエルフの男を見下すと、すぐに興味を失ったというように、背を向けた。
そんな彼女の後ろに、小さな影が現れる。
「……相変わらずエグい殺し方するよな、お前」
「あら、ジル。いらっしゃいましたの?」
「気付いているクセに……白々しいなぁまったく。ああ、ついさっき着いたところさ」
小さな影の正体は、ドワーフの女性であるジルベルト・グリガだった。
救世学校の幼年くらいの体つきをしているが、歳は二十歳を超え、その小さな見た目からは想像もできないような凄まじい膂力を持っている。
それを証明するように、瑠璃色髪の彼女は持っていた巨大な斧槍のような武器をまるで羽ペンを指先で回すような気軽さで、くるくると振り回す。斧槍はその小さな背丈に三倍するほど長大で、彼女が持つには全く釣り合わないが、まるで重みなど感じないかのように平然としている。やがて、ジルベルトはその斧槍を適当に立て掛け、席に就いた。
ジルベルトに、クラリッサが訊ねかける。
「どうでした?」
「大変だった……というか大変にならないことなんてないな。東くんだりにまで行かせられて、その上あんな仕事をやらせられるとは、あの方は本当に人使いが荒い」
肩を叩いて、しんどそうなため息を吐くジルベルト。その愚痴はここにはいない誰かに向けたものか。しかしそんな感想も手短に、彼女はエルフの死体に目を向ける。
「それにしても、いいのか? そいつはローミオンの下僕だったはずだぞ」
「先ほど、ローミオン共々始末しろと命が下されましたわ」
「へぇ……ほんとかよ」
ジルベルトの目に、獰猛な光が宿る。まるで、待ちわびていた獲物を見つけた獣のように。
にわかにその野獣のような一面を露わにした彼女に、クラリッサは首肯する。
「はい。やりすぎたのと、叛意があった……そうですわ」
「ん? 叛意については理解できるが、やりすぎたってのはなんだ?」
「ジル。当初、あの方が闇を迎え入れる予定だったのは、あなたも知っての通りですね?」
「ああ。あの娘なら、力になってくれるだろうって言ってたな。そのために先ずはローミオンの奴を接触させたんだろ?」
「はい。計画の傍ら、彼女の望みも叶え、迎え入れるはずでしたが、彼は独断で闇を自らのために利用し始めたと」
その言葉を聞いたジルベルトは、盛大なため息を吐いた。
「はーあ、なるほどなぁ……、結局こうなるのか。だからアタイはいっとう初めに反対したんだぞ? ローミオン(アイツ)はゲスい臭いがするから引き込むなってな」
「確かに、あなたの鼻は優れていましたね」
「じゃあこれから行くのか? ヤツを殺りに」
「――いや、どうやら、その必要はないようだぞ?」
クラリッサとジルベルトが、ローミオン処罰の算段を付けようとする中、割って入ったのは男の声だった。
聞き覚えのある声の到着に、クラリッサとジルベルトは顔を向ける。しかしてそこには、耳の上に白銀の角を生やし、和装にも似た格好をしたドラゴニュートの男性がいた。
「おい、おせーぞ。ドラゴニュートがのんびり屋なんて聞いたことねーんだが?」
「なに、久しぶりの帝都の街に、目が回ってしまってな」
責めるような声にドラゴニュートが軽口で応えると、ジルベルトは悪態を返す。一方、クラリッサは友人に挨拶するように、彼に朗らかな声をかけた。
「インルー、ご無沙汰しております。ですが、先ほどのその必要がないとは、一体どういった意味で?」
「先ほどまで充溢していたローミオンの気配が弱まっている。それと、デカイ何かが起こる予兆だ」
「……どっちだ?」
「
異変を示唆する言葉がインルーの口から発せられたその直後、強大な魔力の気配が感じられると同時に、世界が揺れた。そして、空から光の柱が降り注ぐ。
それらの異変はしばらくの間続いたが、やがて夜はもとの静寂を取り戻した。
「くたばった――いや、虫の息か……。加減などせず、一思いに跡形もなく消し飛ばしてしまえばよいものを」
「……おい龍人、こりゃ誰の仕業だよ?」
「そんなもの俺が知るか。これほどの力の持ち主が何者かなど、俺の方が聞きたいくらいだ。……ふ、まさか一晩で帝都の壌乱帝を超える力の持ち主が、勇者以外に二人も現れるとはな」
「あ? 二人だって? どういうことだ?」
「言葉通りだ。いま帝都には強い力を持った気配が五つある。一人はいまので、もう一人は中央市街の方……おそらく勇者たちと壌乱帝のいる場所だ」
「ほー」
ジルベルトの気のない返事のあと、室内を席巻したのはインルーの発した呵呵呵という愉快げな笑い。
「楽しそうですわね」
「ああ、久しぶりに血の滾る者が現れたというものだ。昂揚もするさ」
インルーの言葉に、ジルベルトが辟易としたように「戦闘バカめ……」と吐き捨てる。一方言われた方は称賛にしか聞こえなかったらしく、また口から喜悦を溢れさせた。
「――おっと。ときにクラリッサ、赤傷はどうした? 今日はあの男も来る予定ではなかったのか?」
「赤傷殿は、まだお忙しいようで、今日の集まりは辞退されました」
「あの方も来るのにか? お前並にあの方に心酔しているあの男が来ないとは雪が降る――いや、いま星が降ったな。ハハハハハハ」
インルーが勝手に笑い出すのはいつものことなのか。クラリッサは気にした様子もなく佇んだまま。ジルベルトの方がその赤傷の状況を話し出す。
「まだ、領内でのごたごたが残ってんだよ。魔族共が派手に押し寄せてきやがったらしいからな。おかげで長く引き留められちまったよ」
「魔族か。だがそれも勇者が討伐したのだろう?」
「ところがどっこい違うらしい」
「ほほう」
「まあそれよりもだ……アタイが手間をかけさせられたのは後始末の方だ。赤傷はあの国を大事にしてるからな」
「なるほど。しがらみが多いものは何かと困るものだな。ま――だから人間であっても強いのだろうが」
「ホント今日はそればっかりだなお前……」
再び笑い出したインルーに、もはやため息しか出ないジルベルト。呆れのため息よりも疲れのため息の割合の方が多いのは、それで迷惑を被ったことがあるためか。
だがそれもすぐに切り替え、ジルベルトはクラリッサに鋭い視線を向ける。
「で、クララ。ローミオンの後任はどうするんだよ? 欠けた穴は埋めとかないと、進行に支障が出るぞ」
「それも、ぬかりなく」
「誰だ?」
「私もお一方、気になっている方がいると進言したのですが、この件の詫びも含め、もともと、目を付けていた方をお誘いになるようです」
「目を……? やっぱ闇を引き入れるのか?」
「いいえ。闇については保留し、後日改めて接触すると」
ここで、インルーが彼らしい訊ねをする。
「で? そいつは、俺たちの戦に見合うほどの力の持ち主なのか」
「実力は問題ないかと。所要を終えたら、ご自身で迎えに行かれるそうです」
「今後の俺たちの予定は?」
「我らはサーディアス連合に向かって欲しいと」
「……なんだ。出戻りになるのなら、呼ばなくてもいいだろうに……」
徒労をさせられたと呆れるインルーのことを、ジルベルトは胡乱そうに見つめる。
「さっき喜んでなかったかお前?」
「ああ、そういえばそうよな。これは一本取られた」
と、また勝手に笑い出すインルーに、頭を振るジルベルト。もうこの男にはさじを投げるしかないというように視線を外して、クラリッサに問う。
「なんでまた連合に?」
「今回のこと、アステルに魔族が侵攻したことで予定にズレができたのだそうです」
「ズレ、ねぇ……」
ジルベルトはそう言われてもピンと来ない。いや、おそらくそのズレがどういったものでこれからどういった影響を与えるのかは、直接指示されたクラリッサもインルーも、ここにはいない赤傷でさえもわからないだろう。全ては、あの男の頭の中にある。
これでもう話すこともないかと、ジルベルトは自分の得物を持って帰り支度に取り掛かる。一方インルーはもうすでに出入り口の扉の前に。いましがたまであった足元の死体は、いつの間にか忽然と消えていた。
「では皆様、準備ができ次第、各自連合へ」
クラリッサの声が消えると、教会はまた静寂を取り戻したのだった。