<< 前へ次へ >>  更新
8/184

現代魔術師VS異世界の魔法使い




 当初の手筈通り、フェルメニア・スティングレイを結界内に誘き寄せた水明は現在、魔力炉を起こした事により魔術師としての最大限の力を発揮できる態勢へと移行していた。


 圧倒的な戦力差をやっと弁え、焦燥と恐怖に身を縛られるフェルメニア。彼女を前に、水明は己が持てる知識を用立て、魔力を漲らせて臨む。


 いま他の誰かが現状を正しく知ってここに居たとすれば、最大限、全力はいくらなんでもやり過ぎであろうと、そう思うのかもしれない。

 フェルメニア・スティングレイは、いや、この世界の魔術師はそれだけ彼らの世界の魔術師に劣っているのだ。ならば、手加減にこそ気を揉み、無用な魔力の消費を抑えスマートに事を運ぶのが効率的で紳士的だと、そう。

 しかし、水明にその意思はない。いくらこの世界の魔術師が魔術の系統(しゅるい)の多様さを知らなくても、魔法陣の有効な利用法を知らなくても、必須とも言える呪文詠唱の工夫をしなくても、魔術師の基礎たる魔力炉を体内に作っていなくても、彼にとって魔術師は魔術師なのだ。


 戦うための舞台を用意して、戦いに招いたホストであるならば、その競い合いがどれ程低レベルなものでも、全力という礼儀を欠いてはいけない。魔術師なら魔術師らしく、己が全霊の魔術をもって相手の心を魅了して、屈服させる。確かに今回、状況が状況なため最後にそれ以外の意図も用意しているが、戦いの最中ならば、主催として以上気概をもって臨まなくてはならない。それが、八鍵水明の魔術師としての誇りであった。



 対峙して暫し。無論この戦いに開始の言葉などない。

 もう戦いは既に始まっているのだ。後はどちらが先に動くかのみ。



 戦いの緊張に堪えられなくなったか、先に動いたのはフェルメニアだった。


「――ッツ! 炎よ! 汝、炎が炎たる理を有し、しかし炎の理を外れたもの! あらゆるものを焼き尽くす、真理にて禍なる白! トゥルースフレア!」


 それは、先程彼女が真理と宣った白い炎の魔術。真理と言うが実際は単に温度が高いだけの炎を発生させる魔術だが、先程の炎は小手調べだったようで、規模は段違いに大きい。ならば、込められた魔力の量も相当に多い。

 俄に生み出された炎はうねる白波が如く渦を巻いてせめぎ合い、辺りに広がると一瞬でこちらに焦点を合わせ、収束しながら向かってくる。



 ――そこで、水明の心が完全に切り替わった。



 こちらを焼き殺さんと殺到する炎。その炎に対して感慨は最早ないが、無論黙って受ける気は皆無。

 手早く息を吸い込み、視線を集中。魔力を最適化させて、魔術を行使する。


「Secandum ex Quartum excipio」

(第二、第三、第四城壁、局所展開)


 これは、自身の持ちうる防御の魔術。この世界に来て初めて使おうとした“絢爛なる金色要塞”その城壁を、限定的に展開させた。

 手のひらで受け止めるが如く突き出した腕のその前に、金色の魔法陣が三重を成して盾となる。

 熱いだけの炎など効くはずもない。要塞の壁は頑丈だ。たかが炎で攻められたとしても落ちはしない。三重に重なる魔法陣の障壁に阻まれて、敢えなく消えるが関の山。

 七条の白炎の火線が轟音を尾に引いて、金色の魔法陣へと墜落する。阻まれる白炎の光条は衝突と共にその真っ白な火花を散らし、魔法陣を削らんと全ての量が消え失せるまで、これは猛威をもっての突貫だ。白炎は掘削機械の唸りのような轟音と火花を散らし、あぶれた余波は自身の周囲を蹂躙する。一秒、二秒、三秒、四秒。だが、白炎は貫けない。第二城壁の術式防御に阻まれて、その上第三城壁たる輪転する魔法陣が魔術を構成する術式を解いていく。それにより、眩い純白は色褪せて元の赤へと回帰しそして最後は第四城壁の威力反射(リフレクト)によって爆裂の前に四散した。


「まだ、まだだっ!」


 力のこもった焦りが聞こえるが、しかしそれは次弾の証。撃ち出された火線は防ぎ切ったが、まだ彼女の言葉が指す通り空中には白炎の燃焼が停滞しているのだ。

 再度の「炎よ!」の号令の下、フェルメニアはそれを撃ち出す。再び襲いくる白炎をやり過ごすため、今度は真横へと駆け抜ける。

 その間にも白炎が方向を変え、動きを変えて迫りくる。さすが宮廷魔導師の肩書きは伊達ではないか。動かすための魔力の移動も、炎の操作も、素早く且つ最短で行っている。その、一流と言って差し支えない魔術の運用は確かに感嘆に値する。


 だが結局、いくら上手くてもそこに質が伴わなければ意味はない。城壁を突破する謂れや、破壊の効果を持たない魔術では金色要塞に傷をつける事はできないし、かといって防御を解いての遁走でも、炎は己をコンマ一秒を削って追い掛けるが、コートの端にも引っ掛からず一筋の焦げあとも残せないのだ。



 追い付けない白炎を尻目にして、こちらはそのまま反撃に転じる。彼我の距離は逃走で開いた。だからこそ唱えたるは、加速の魔術。

 重力軽減、質量低減。“Nutus.Mltitudo.Decresco”そう言葉少なに呟いて、自身の身体は重力の枷から解き放たれ軽くなる。身体の重さも今はないようなもの。

 ならば駆ける。否、だから翔ぶ。

 黒のコートを翻し、迫る白炎を引き剥がして、滑空する飛燕が速度でフェルメニアへと攻め込んだ。


「速過ぎっ――」


 口にするは泣き言か。加速した肉薄は瞬間移動と見紛っただろう。気が付けばその存在は三メートルそこら。

 彼女の言の葉を全て聞き終える前に、奴の手前で指を弾く。


 一瞬、冷ややかな視線と重なる、驚愕の視線。


 指弾の魔術。現代魔術師たる水明、圧縮した空気を破裂させる事は指を弾く工程のみで発動できる。簡素な魔術ながら、その力は推して知るべし。簡素故に速度に優れ、効果の程も影響も、物理的だから分かりやすい。


 ――パチン。



 透明な爆弾が透明な爆発を起こしたように、衝撃が空気を押し退けて真下の地面ごと吹き飛ばす。

 破裂は至近だったが、先程見たが故か、間一髪で身を投げ出して回避に間に合うフェルメニア。


「うぐ、あ……!」


 その退路を塞ぐように再び指を鳴らそうとすると、フェルメニアもまずいと方向転換。連続して繰り出される衝撃波に踊らされるように命からがらに逃げながら、叫ぶような悲鳴を放つ。


「め、滅茶苦茶だ! なんでこんなに容易く魔法を連発させられるっ!」


「は――できなきゃ負けるからだよ三流術師。相手が撃ったから今度はこちらが撃つなんて、俺たちはRPGのゲームをやってる訳じゃないんだぞ?」


 そう、これはゲームではない。命を懸けた試し合いだ。一秒程度の時間を浪費しただけで、容赦なく決着してしまう世界。フェルメニアの持つ神秘とは訳が違う。


 フェルメニアが逃げ惑う隙にポケットから試薬瓶を取り出す。

 そしてその試薬瓶の蓋を素早く開ける。

 その中には水銀が。常温で液化する唯一の金属。錬金学では両性具有の怪物とあだ名される物質が、魔術を掛けろと今か今かと零れ出る。

 そして、振り撒くように払い、宙で線を引いた水銀に待ち望まれた言葉を掛ける。


「Permutatio Coagulatio vis lamina!」

(変質、凝固、成すは力!)


 まだ液体のままの水銀を掴み、刀の血振るいのように後ろへ振り抜くと、そこには既に形を成した水銀が。血振るいが故に当然、形骸は剣に。本質も剣に。それは水銀刀。魔術によっていくらでも形が変わる、形なき武器。


「――土よ! その身を頑なな礫と成して我が敵を砕け! ストーンレイド!」


 水銀が形骸を成す直前でフェルメニアが魔術を完成させた。射出される小さな小石は、その軌道の上で土を呼び寄せる。飛来する小石が到達の直前には尖った拳大の悪辣な石弾になっていた。


「喰らえっ――」


「甘いなっ!」


 斬り払う。飛来する石を、造り出した剣で。魔術師の瞳の前には銃弾とて捉えきれぬものではない。ならば、飛んでくる石ころなど脅威にはなり得ない。水銀の刃の切っ先が魔力で練られた石を打ち砕く。後から飛んでくる石礫も打ち砕く。剣術の流れに沿って流麗に。危なげなく。


「魔法使いなのに剣が使えるだとっ!?」


「使えるがどうしたよ? 向こうの魔術師には接近戦の技術は必須だぜ? ま、魔術を使うのに近かろうが遠かろうがさほど障害はないが――」


 斬。


「クソッ……クソクソクソクソぉおおおお!」


 フェルメニアはもう自棄だとばかりに石弾を乱射する。だが、礫は決して届かない。衣服に砂埃さえ付けられない。


 最後の礫を切り払う。ばらばらと墜落する土塊。もう、形を成す事はない。


「――炎よ! 其は貫く意思となりて、我が前に(はだ)かる敵を」


「Permutatio.Coagulatio.vis flagellum」

(変質、流動、鋭くうねろ!)


 フェルメニアと同期しての詠唱は、しかし文節の短いこちらに分があった。水銀刀に貫かれるように魔法陣が構築される。そして手首の返しを最大限に使って一振り。すると先程まで鋭い鉄の棒だった水銀が、皮紐を(たが)ねた鞭が如く変化する。


 詠唱文の通り、空をうねる水銀の鞭。フェルメニアの呪文完成を阻まんと彼女の真横を叩いた。


「ッツ!?」


 水銀の切っ先が音速を凌駕して、空砲のような激しい破裂音を響かせる。深々と抉れる地面。金属の鞭は、革の鞭などとは比較にならない威力を持っている。重さも、硬さも、鋭さも、長さでさえも如意自在。人体はおろか分厚い鉄板ですら、薄紙が同義と突き破ってなお残虐に破断するのだ。


「う、ぐ……そんな、まさか……」


 腕の一振りで命を刈り取れる。そんな事実を突きつけられたフェルメニアは、その場から一歩も動けなくなる。いつもは詠唱で滑らかに動くだろう口も同様だ。呪文の一小節も口にできず、苦渋に歪んだ顔から苦渋にまみれた言葉しか出てこない。

 顔から血の気が引くのが見える。これで終わりか。否、膝を屈っさぬ限り終幕ではない。浮かぶのが苦渋ならば、まだそれは諦めではないのだ。“この私が窮地に立たされているなど”“挽回の余地はどこか”そんな事すら考えられぬよう、もう二度と刃向かう事ができぬように心の底の最奥まで、完膚なきまでに叩き潰して然るべき。


 その意思の下、魔力炉に今一度激情という名の薪を焼べ、俄に魔力を爆発させた。


 ――ごぅん。


 地響きと錯覚するような大音と力が、城を震撼させる。

 爆裂した魔力の奔流が絡み合い、行き場を失ったそれが群青の稲妻を迸らせて竜の咆哮さながらの唸りを上げて。


 そして目の前には戦慄に正体をなくしたフェルメニアが。決して抗えぬ力の差に、呆然と膝をついたまま畏怖の視線を向けてくる。


 それを前に、水明は謳い出す。「Velam nox lacrima potestas」

(帳の内。夜の流す涙の威)


 足下より、庭園を包み込むほど巨大な魔法陣が展開される。それが輝かせるは星空よりもなお深い蒼の魔力光。その一際の輝きは目映く強く、この幻想の世界においてなお幻想的。


「Olympus quod terra misceo misucui mixtum」

(天地の標をあやなして)


 小節が終わる都度、事象や現象が立ち替わる。呪文全てで一つと成し、唱え切ってから一気に現象を覆すこの世界の魔術とは違い、こちらの魔術は詠唱自体が力の具現。詠唱中も世界が変わり、常に起こすべき奇跡へと状況を推移させていく。

 大地から金色の力の粒子が舞い上がり、天を目指せと舞い上がっては星の空へと吸い込まれる。

 そして、あまねく空を彩る星を写し出したように、中天に無数の魔法陣が構築された。


「Dezzmoror pluviaincessanter」

(目眩く、降り注ぐ)


 気が付けば、空を彩る星のように天球を埋める魔法陣。種類は多重広域展開型。属性はエーテルと準える空属性。系統はカバラ数秘術及びアストロジーを両立させた、現代魔術の代名詞とも言える他系統複合魔術。



 単語は残す所あと一つという要所で、水明はニヤリと不敵に笑んで処刑執行を宣告する。


「宮廷魔導師殿。全力で防御しろよ?」


 その言葉にフェルメニアができた抵抗はなかった。ただがむしゃらに命を惜しんで防御魔法を展開する。


 そして――


「Enth astrarle」

(星天よ、落ちよ――)


 鍵言は告げられた。その言葉を始まりにして、空の魔法陣から逆さに建つ光の柱。魔力と星気光が混じりあって指向性を持った幾つものそれは、さながら流星が真上に溢れる涙と落ちてきたかのよう。地上にあったあらゆる音を、その雷めいた轟音で吹き飛ばして範囲内の全ての大地に牙を剥く。


 これが星空の魔術、流星落(りゅうせいらく)。エンスアストラーレの言葉と共に顕現する、八鍵水明の大魔術の一つであった。


 ……やがて、流星の雨は収まった。後に残ったのは、まるで今までの破壊行為が夢であったかのように恙無い本来の白亜の庭園と、黒のスーツを纏った八鍵水明、純白のローブをボロボロの布切れと見紛うほどにしてしまったフェルメニアの姿だった。


 へたりこんで動けないフェルメニアの下へ優雅に赴き、その首筋に水銀刀を合わせる水明。


「俺の勝ちだ。文句はないな?」


 勝敗を訊ねると、震える声が返ってくる。


「ば、化け物め……その実力で戦えないなどどの口がほざくか……。何故魔王討伐を拒否したのだ? 貴様が出向けば魔王とて……」


「倒せるってか? それこそ馬鹿言えって話だろ。謁見の間でも言ったが、戦いは数が物を言うもんだ。それは歴史が証明してる。どれほど強さを持ってても、圧倒的な数には敵わない。勝った試しは存在しない。いくら戦う者の質が良かろうと、数の暴力と沢山の意思を束ねた感情のうねりの前には、人間一人なんてちっぽけな一でしかないんだよ」


 そう言い切って、水明はまだ言い足りないと口を開く。


「あんたらのお願いを聞いて戦わなきゃならないのは、ナクシャトラとかいう魔王だけじゃない。その配下である魔族とかいう生物の軍団だってそうだ。あのバーコードハゲはノーシアスとかいう国を落とした軍勢は百万っつったが、普通に考えて予備戦力やらを集めるとそんな規模じゃないだろうが。倍か? 三倍か? 百万でも馬鹿げてるのにそんな数を相手にしろってか? いくら少数精鋭で懐まで突っ込む作戦でも、尋常じゃない数とカチ当たらない保証はないんだぜ? どうやったって倒せるわけねぇじゃねぇかよ」


「貴様こそ何を言っているのだ? 戦は個人の武勇が物を言う戦いの場だぞ。それほどの力があれば勝ちこそすれ、決して敗けはない」


「アホか。質と量じゃ戦力の種類が違うって言ってるんだ。必ずしも質イコール量じゃねえだろうが」


「貴様ほどの……貴様ほどの魔法使いがそれを言うのか?」


「はあっ? 俺が? よせよ俺なんかそんな上等な魔術師じゃない。まあちょっと才能は有るって言われた事はあるが、向こうじゃ精々中の下止まりの魔術師だよ。……まーそうだな、確かに向こうの上の上、一番天辺の奴なら鼻で笑ってできるのかも知れないが。んな話ここじゃ一ミリも関係ない話だ」


「…………」


 フェルメニアは今度こそ言葉を失う。その原因が水明達のいた世界の尋常ない凄まじさに対してなのか、それともそう笑って嘯いてしまう事のできる水明本人になのかは定かではないが、それでも圧倒的な差にそれ以上なにも言えなくなったのは確かだった。


「ま、始める前から分かってはいたけどさ、異世界の魔術ってだいぶ遅れてんだな。はっきり言ってそこまで楽しくなかったよ。あんたにゃ酷な言い様かもしれんがね」


 そう、水明は今の正直な気持ちを口にする。自分の知らない神秘を見る喜びが魔術師の戦いと位置付ける彼にとって、未知の魔術、技巧の末に編み出された魔術こそが戦いに求めるもの。しかし今の戦いには、一つたりとてそれがなかった。

 予想外、驚き、感嘆の死滅した“分かりきった戦い”。だから、勝つべくして勝った。それに付随する歓喜は当然、皆無であった。


 そして来るべくして来た時だとばかりに、フェルメニアにこの戦いの結果を突き付ける。

「さてと、じゃあそろそろ舞台も幕引きと行こうか、魔法使い」


 聞くものの背筋が底冷えするほど、できるだけ声音を変えてその心胆寒からしめんと、そう。 膝をついて立ち上がれもしないフェルメニアにはそれが(とど)めとなったか、まるでたった一人で世界の終わりを迎えたように、顔を青ざめさせていた。


「こ、殺すのか……?」


「さあどうだろうな? あんたは俺がこの決着をどんな形で落ち着けると思う?」


「た、頼む! それだけは許してくれ!」


 フェルメニアはその身の矜持をかなぐり捨てて、水明に平伏する。助けてくれ、見逃してくれと、もう逆らいはしないとばかりに大人しく、しかしなりふり構わずに。


 だが水明は面白くもなさそうに鼻を鳴らして、意地の悪そうに問い掛ける。


「おやおや、あんたは俺のこと殺る気満々だったくせに、いまさら命乞いかよ?」


「ち、違う! 私は元よりスイメイ殿を殺す気などなかった! ただ、知らしめてやろうとしただけで……」


 首を激しく横に振るフェルメニアに、注がれるのは興醒めと胡乱が混濁した視線。命を懸けて場に臨んだ訳ではないにしろ、これでは覚悟がなさすぎた。相手をぶちのめす気概はあるが相手にぶちのめされる最悪は考えなかったがゆえ、この不様はその代償だろう。

 貴族のお姫様だったという話を聞いた覚えがあるが、良くも悪くもそれが影響した性格なのかもしれない。


 そして水明は先ほどの発言の真意を問う。


「殺る気はなかったって、ホントかよ?」


「本当だ! 女神アルシュナに誓って、嘘ではない!」


「その女神殿の御名があんたらにとってどれほど重い名前かは知らないが、異世界人で日本人の俺には与り知らないことだ」


 カチリと、鍔のない刀が鍔鳴りの音を鳴らす。フェルメニアは日本人でないゆえ何を示す音かは分からないはずなのだが、本能的に命の距離が縮んだ事を悟ったか懇願が悲痛な哀願へと変わる。


「お、お願いだ! 私はまだ死にたくない! 死にたくないんだ……頼む、この通りだ」


 さすがに虐め過ぎか。これだけ心を打てば、そろそろ本題に入ってもよい頃合いだろう。そう考えた水明は、意地悪な態度が演技と悟られぬよう、一際つまらなさそうに口にする。


「……じゃあそうだな。助けてやる代わりに、俺の提示する条件を飲んでもらおうか」


「……じょ、条件?」


「そうさ。まず一つは、今日ここで起こった事は決して誰にも話さないこと。二つ目は、俺が魔術師である事を誰にも言わないこと。特に黎二や水樹には。いいか?」


 睨みを聞かせ、承諾を迫ると慄きに身を(やつ)したフェルメニアは、首を思い切り横に振る。


「い、いや、待ってくれ。レイジ殿やミズキ殿ならまだしも、国王陛下にだけはお前が魔法使いである事をお伝えしている。その場合どうすれば……」


「へぇ、それは意外だったな。あんたみたいな自信過剰が誰かに話してるとは驚きだ。俺ごときの使い手とるに足らない、いつでも処理できるっつって負けた時の保険すら掛けてないと思ったが――ま、別にそれくらいは構わないさ。いずれにせよ今後あんたからこの件の詳細は語れなくなるんだ」


 提示する条件に最初から外れている危険を回避し、フェルメニアがほっと安堵の息をついたのを見て、水明は最後の最も重要な条件を口にする。


「そして三つ目だ。あんたには以上の事を踏まえ、この書類にサインしてもらおう」


 そして水明は虚空から取り出すような仕草をして、一枚の紙とペンを左手に出現させる。ペンはいつも彼が使うもので、紙にはつらつらと外国語で何らかの取り決めが書き連ねられていた。

 当然、フェルメニアには分からない。


「なんだ、これは?」


「何、ただの証明書さ。さっき言った事を必ず守るって文言の書かれた、契約文書だよ。別にそれくらい署名したって構わないだろ?」


「……分かった。署名しよう」


 フェルメニアは少しだけ怪訝に思ったようだが、承諾する。怪訝に思えど何があるか明確な予想など立つわけでもなし、どちらにせよ彼女に選択肢はない。


 証明書きに署名し終え、最後に血の拇印を押す。水明はそれを最後まで見届けてから、空に浮かぶ月のように白々しく彼女に告げる。


「――あと、言い忘れたが、これにサインしたら最後、さっきの約束を反故にした場合あんた死ぬから」


「な、なんだと?」


「ふん、大方あとで国王様にでも打ち明けるつもりだったんだろうが、そうはいかないぜ? 話をこじれさせてこれ以上おかしな方向に持っていかれたくはないからな」


「待て、いくらなんでもこんな事ぐらいでそんなこと出来る訳が――」


「魔術師の前で有り得ないなんて言葉、なんの価値もない」


 さすがに侮りではなかったが、怪訝な顔で訊ねたフェルメニアに、いまここで最も効果のある証明を披露する。

 水明は一度水銀刀から手を放し、サインの終わった証書を魔力の灯った指でつつくと、俄に胸を押さえて苦しみだすフェルメニア。


「馬鹿……、ぐっ、ぐああああああっ!?」


「因みに効果はこの通りさ。心臓を握り潰される感覚は、中々に堪えるだろう?」


 証書から指を放す。すると、心臓を絞り上げた戒めから開放されたフェルメニアはそれだけで息も絶え絶えに変わったか、ぜえぜえと力のない不平を漏らす。


「ぐ、は……そんな、聞いてない」


「聞いていようがいなかろうが、あんたに選択肢はない。なあに、そんな難しい事はないさ。単に黙ってればそれで良いんだ。魔王にケンカ売りに行けって話よりは随分と良心的な話じゃないか、なあ?」


「あ……う……うう……」


 訊ねると、しかし返事は返らない。

 そんなうつむき出したフェルメニアをよく見ると――


(あ……、なんかちょっとやり過ぎたか?)


 どうやら、見事に折れてしまったらしい。フェルメニアは目尻に涙を溜めたまま、呆然と嗚咽を零している。

 これにはやった本人水明も憐憫の情を禁じ得なかった。


 果たしてこの上の追撃に及ぶか。さすがにそこまで残虐な思考は持ち合わせていない水明は、少しだけ焦ったようにフェルメニアに言う。


「ま、まあそう言う訳だからさ、約束はちゃんと守れよな? 俺も無駄に殺しとか胸くそ悪いしさ」


 先ほどよりも幾分口調が柔らかかったのは、同情が先行した故か。嗚咽を溢し続け、聞いているのか聞いていないのか分からないフェルメニアに焦ったようにそう投げ掛けて、予定したのと些かばかりの齟齬に頭をポリポリ掻く。

 そして、これ以上はすることもないかとフェルメニアを置き去りに、白亜の庭園を後にする。



 結局落とし前はつけたが、見逃した形であった。

 ……魔術師同士の戦いとは、決して命のやり取りと同意ではない。寧ろ魔術師が魔術師の命を奪うこと事態が希なのだ。確かに自分の工房に勝手に入った者には容赦しないものではあるが、それ以外であれば魔術師は皆が皆、互いに尊重しあい、手を取り合わなければならない同胞なのである。

 昨今、魔術は科学に圧され、衰退ないし発展に歯止めをかけられている。その中で魔術を志す者の存在は貴重なのだ。だから、例え行使する魔術の系統が違えど、魔術という技術を地上から絶滅させないために、魔術師は魔術師をみだりに殺さない暗黙のルールが存在する。そのため、先ほどのような証書がよく利用されるのだ。殺さない変わりに、これ以上自分に害を及ぼす事ができないようにするために。そうすれば、一応生かしたままにしておける。魔術師も減らない。


 それ以外の例外については割愛するが、故に魔術師の決闘は殺し合いを念頭に置くものではなく、魔術の競い合い、どれだけ神秘に通じているかなのであって、要は魔術の精度、強さ、術式の複雑さや高度さ、理論、特性、それらを互いに認め合うものに帰結してしまうのだ。


 そう考えれば今回の戦いはどうか。思わず唸りを上げてしまうような魔術はなく、であれば勝利に浸る余韻もない。


 だから、こんな感慨しか浮かばないのだ。


「ほんと、遅れてるよな……」


 先ほどもフェルメニアに口にしたその言葉が、今の水明を悩ませる。今後、この世界で生活していかなくてはならない自分。その心を躍らせる神秘がこの世界にあるのかどうか、という事が。






水明「俺は中の下くら(r」



メニア・作者「嘘だ!!」

<< 前へ次へ >>目次  更新