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悪意を消し去る星気光(ひかり)



 ローミオンが魔力を放出した直後だった。

 突然、二階の本棚の一つが根元から爆発したように吹き飛び、放物線を描いて落下、下にいたローミオンにぶち当たった。

 しかし、まとわりついた闇に阻まれ、大きな衝撃も痛手にはならないか。本と本棚とが砕けて吹き飛ぶと、ローミオンはそれらが飛んできた場所に向かって叫ぶ。



「誰です!」



 反響めいた音を奏でる誰何が通る。そして二階の影から現れたのは――



「……まさか、そういうことだったとはな」



 二階の手すりを蹴り壊し、静かに呟いたのは、ローグ・ザンダイクであった。

 果たして一体いつからそこにいたのか。魔術師である水明にも、その存在は悟れなかった。

 いまは武威を漲らせ、軍装のコートを払い、鳶色の視線を剣の切っ先へと変えている。



「大、佐……?」



 驚きに目を瞠るリリアナと、やはり昂揚したままのローミオン。



「これはこれはローグ大佐ではないですか。あなたもこんな時間にどうしたのですか?」


「二人を追っていたら、ここにたどり着いてな。……話は全て聞かせてもらった」


「そうですかそうですか。それはお気の毒に。死んでいただかなければならない人間がまた一人増えましたね」



 また一つ、死刑宣告を増やすローミオン。一人も生かして帰す気はないらしい。

 そんな不気味な笑いを発する彼を一瞥して、ローグは二階で剣を抜いた。

 ローグを見上げたリリアナが、彼のもとに駆け寄ろうとする。



「……リリアナ、お前は下がっていろ」


「大佐!」



 リリアナが叫ぶが、ローグは彼女の声に応えることはなかった。二階から飛び降りると、水明に向かって、声を掛ける。



「スイメイ・ヤカギ、助力する」


「……よろしくお願いします」



 水明はローグの言葉に応えると、ローミオンが闇の力を使い薙ぎ払う。



「一人二人増えたからと言ってなんだと言うのですかぁ!」



 椅子やテーブルが破壊されて舞い飛び、闇の波動と一緒に吹き飛んでくる。ローグは近場の本棚に身を隠し、水明もリリアナを連れローグとは別の方向に身を隠す。



「どうしました!? 私を捕まえるのではなかったのですか!?」



 闇の力の強さを信じ切っているせいか、ローミオンの動きは緩慢である。物陰から顔を出して窺うと、ゆったりとし歩調で、先にどちらを倒そうか、得物を選んでいるらしい。



 すると、どこからともなく声がする。



「……スイメイ・ヤカギ、聞こえるか?」



 微風に乗って聞こえてきたのは、ローグの声。遠話の魔法か。水明もそれに合わせ、魔術を使い、声を届ける。



「聞こえます。どうしました?」


「質問がある。あのエルフの男の使う力は何だ? 闇の属性にしては強すぎる」


「いえ、それと同種の力です。ですが力があまりに強すぎるため別の位相から、いわゆる邪悪な存在を呼び寄せてしまい、それの影響で闇属性の大本の力がむき出しになっています」


「ならば、あれに触れるのはまずいのか?」


「長くなければ問題はありませんが、結局は人の恨みとつらみの塊です。周囲に留まって戦うのは賛同できません」


「では、一撃して離れるの繰り返しになるか……」


「先に出ます」



 水明がそう言うと、横で聞いていたリリアナが、



「すいめー……すごい力、です」


「リリアナ。まだお前はアレに取り込まれやすい。気を付けろ」



 リリアナにそう言い残して、水明は物陰から飛び出る。それを目に留めたローミオンはすぐさま腕を振り払って闇の力を撃ち出してくる。しかし、狙いを上手くつけられないのか、周囲を壊すのみ。一方水明は、指弾の魔術を行使する。

 小気味良い音が連続するのに合わせ、ローミオンの周囲が爆裂する。



「目晦ましですか――」



 水明が狙ったのは、ローミオンの言葉の通りである。そしてそれに合わせるように、ローグも風の魔法を周囲の本を巻き込むように放った。

 先んじた風の魔法は防がれるが、ローグはバラバラと飛ぶ多数の本の影に隠れるようにして一瞬で間合いを詰め、斬りかかる。



 ローミオンの顔をかすめる刃。ローグは斬り返しの斬撃を放つが、しかしローミオンはそれを避ける素振りも見せず、闇の力をまとった腕で薙ぎ払う。



「く――」



 闇の力を直接当てられるのはまずい。それを悟ったローグは慌てて後ろに飛び退いた。



「――Et factus est invisibilis. Instar venti」

(――我が刃は不可視なりて、しかし我が敵を鋼の如き鋭さを以って血だまりへと沈めん)



 その援護に、水明が魔術を放つ。繰り出したるは無数の見えない斬撃。ローグを追撃せんと飛び出た闇の力は水明の魔術によって断ち切られ、魔術の威力にローミオンも後ずさった。



「……さすが、七剣の一人とヤカギ君が相手では、分が悪いですか……しかし」



 ローミオンが呪文の詠唱を始める。それに合わせ、水明も呪文の詠唱を開始する。



「――闇よ。汝、あらゆるものを呑み込み滅す、凄絶なる漆黒のまとい。その不定なる姿形(すがたかたち)を以てして、死を、避けられぬ死を我が前に! オルゴ、ルキュラ、ラグア、セクント、ラビエラル、ベイバロン!」



「――Fiamma est lego.Vis Wizard.hex agon aestua sursum! Eva, Zurdick, Rozeia, Deivikusd, Reianima!」

(――炎よ集え。魔術師が叫ぶ怨嗟の如く。その断末魔は形となりて、斯く燃え上がれ! イーヴァ、ツァディック、ロゼイア、デイヴィクスド、レイアニマ!)



 水明とローミオンの詠唱が重なり合う。片や闇魔法であり、片や炎の魔術。共通するのは、何を意味するのか判ずることのできない語句が、呪文の最後に付け足されていること。


「ダークエンブレース!」



「――Fiamma o asshurbanipal!」

(輝け! アッシュールバニパルの眩き石よ!)



 水明とローミオンの鍵言が同時に放たれる。ローミオンの後ろに生まれた闇は彼の前方にあるものを全て呑み込まんと、波濤のように広がり、一方水明は手のひらの上の炎の輝きを握り潰すと、彼を取り囲むように爆炎が巻き起こる。轟音に揺れる図書館の中で、眩い火色が闇の力を焼き尽くし、炎はそのままローミオンへと向かって飛んでいく。



 ローミオンは身体を守るようにして炎を防ぎ、勢い余った炎が図書館の壁を突き破った。


 水明の追撃を恐れ、空いた穴から外へ飛び出すローミオン。



「ぐぅ……馬鹿な! 何故闇の力を用いないあなたが、なぜ蛮名を使えるのです!?」


 追って、空いた穴から出てくる水明。出しなに指を鳴らしてローミオンを牽制し、彼をさらに後ろの空き地まで後退させる。

 そして、鷹揚な闊歩ともに、闇の中から月明かりの下に現れた。



「――神の名前というものはそれ自体が強い力を持つものとされ、古くから多くの魔術師たちがその力を魔術に利用しようと試みてきた。だが、神などという違う位相の存在の名前を人間が発音できるものではなく、たとえ口にできたとしても、強すぎて人間では扱えない。蛮名(ばんめい)。このレトリックは、それ自体が大きな力を持つ言葉である神の名を降下させることにより、あらゆる魔術の効果を高めることができるものとした、野蛮な名前だ」


「な――?」


「闇魔法を強化させるだけのものじゃあないんだよ、蛮名は。アンタはどういうわけか知らないが、間違って覚えてるみたいだが――」



 そう、蛮名は決して闇魔法だけに効果を発揮させるものではない。神の名前を人語に降下させることにより、意味の判然としない『獣の唸り声』のようになった力持つ言葉であるため、あらゆる魔術に適応できるのだ。

「他の魔法にも使えるからといってそれがなんだと言うのです! あなたも蛮名を使えるというのなら、より強い魔法に蛮名を付け足せば良いことだ!」

 叫びを上げて再び魔法の詠唱を始めるローミオンに、水明は呆れたように言い放つ。



「……そう、蛮名を用いれば、確かに魔術の効果は向上するんだがな、その反面、用いた魔術は大味になって制御が行き届かなくなるっていう欠点がある。だから」


「――闇よ。其は八属がどの力よりも強きもの。汝がもたらす破壊はあまねく絶望を生み出すものなり! オルゴ、ルキュラ、ラグア、セクント、ラビエラル、ベイバロン! ルインオブブラックネス!」



「mysterium Vis distortion」

(神秘よ。その理を疾く捻じ曲げよ)



 鍵言の発声に合わせ、水明が間髪入れず呪文を口にすると、ローミオンの闇魔法が急変する。ローミオンの前で巨大な球体を成した闇が突如としてその形を保てなくなり、その場で弾け飛んだ。



「ぐぅ! っ――馬鹿な! 一体、何が……」



 闇魔法の跳ね返りを受けたローミオンは、その威力の直撃を受け、たじろいだ。同種の力をまとっているため、被害はそれほどでもないが、蛮名に引き続き心に受けた衝撃はかなりのもの。

 一方、それを水明の後ろで見ていたリリアナはその正体に気付いたか。驚きを表情に浮かべたまま口にする。



「いまのは、私の……」


「――事象撹拌(フェノメノンミキサー)。物理的現象は起こると確定した時点で、これから起こり得るだろう過程と結果を内包しているとされる。それらは全て、確率的に最も起こりやすい方に流れ、その結果になるが、そこに『神秘的な法則を確立させようとする要素』が加わると、その時点で結果が不安定になる。手を加えれば、その法則はいまみたいに、神秘的な法則に対しても用いることが可能だ。――大味で制御のぬるい魔術には特にな」



 そう、魔術概論における、要素と要素の対立による結果の不安定化だ。リリアナが以前水明の魔術に使った魔法は、この法則が利用されている。一方の『神秘的な法則を確立させようとする要素』を、魔術を用いて同じ要素と対立させ、対象の魔術の状態を不安定にし、さらに都合のいい結果をもってくるという術だ。



「観念しろ、司書さんよ。蛮名を使わなければ威力の高い魔法を行使できないアンタに、勝ち目はないぜ?」



 水明は勝利が揺るぎないことを宣言する。すると、ローミオンは観念したように肩を落とした。だが、それは降参の意思の表れではなく、



「……仕方ありませんね。この手は使いたくはなかったのですが」



 呟いて、再度闇の力を膨張させるローミオン。それは先ほどよりも強力で、先ほどよりも自分を顧みないものであった。いままであった彼の姿は悪意に呑まれ、黒い輪郭に目と口が付いただけの化け物にその身体を変化させていく。まるで、罪深き姿――いや、その原形たる禍々しき者(アストロソス)のように。



「ここに来たときもそうだったが、なんつーかセリフもやることも大概パターンだよな、こういうのはよ……」



 そう言って彼が吐いたため息は、意気の萎んだ呆れにまみれていた。

 確かに立場が弱くなれば、大きな力に訴えるのは当然のことだ。簡単で、確実だから。



 人ではないものになっていくローミオンを見て、リリアナが注意を呼びかける。



「すいめー!」


「あれが闇に取り込まれた者の末路だ。よく見ておけ。そしてよく、肝に命じておけ」



 水明はリリアナに教えるように話していると、



「スイメイ・ヤカギ。随分と落ち着いているが、奴を倒す術はあるのか?」


「ど! ……どっから出て来たんですか?」


「なに、同じようにその穴から出てきただけだ」



 そう何のことはないと言って、真横でローミオンを眺めている男に、水明はそら恐ろしいものを感じる。いつの間に隣まで来ていたのか。リリアナと話をしている間にそこに来たのだと予測はつくが、確信はない。もしやすれば、水明が外に出たときから、横にいたということも考えられる。


 だが、いまはと、気を取り直してローミオンを見据える。



「……少し時間はかかりますが、倒すための魔術はあります」


「そうか、わかった。では私が時間を稼ごう」



 あとは任せたと背中で語り、ローミオンに向かって駆けていく帝国の剣士。その戦いぶりはさすがと言ったところだ。ローミオンがふりまく闇の力をかわしつつ、邪魔をするように戦っている。



「ちょこまかと!」



 耳に障る苛立ちの声のあとに、突然ローグの姿が見えにくくなった(・・・・・・・・)。そこで確かに戦っているはずなのに、何故かどうして霞んで見える。時折強烈な武威と共に、出し抜けに出現するさまは、まるで彼が彼自身の影から現れたかのようにも錯覚された。

 七剣が一人、孤影の剣将と呼ばれるローグの技だ。絶気を極め、己が存在を他人から認識しにくくさせる妙技。その錯覚を利用した、堂々たる暗殺(ダイレクトスタブ)だと、リリアナがそぞろに語る。



 彼の戦いは危なげない。ならば、心置きなく詠唱できると、一瞬、星空を仰いだ水明は、



「――Velam nox lacrima potestas.Olympus quod terra misceo misucui mixtum.Infestant militia.Dezzmoror pluviaincessanter.Vitia evellere. Bonitate fateor.Lux de caelo stella nocte」


(――帳の内。夜の流す涙の威。其は天地の標を綾なして、現に蔓延る不条理へ、目眩く降り注ぐ。彼の嘆きしものは悪。彼の謳いしものは善。全てはあの擾乱の先にある彼方の瞬きより来たる、瞬きの星芒)



 呪文を紡ぐ最中に聞こえるのは、ローミオンの嗤い声。その壊れた哄笑が、彼の意識が薄まっていることを示している。狂え、狂え、何もかも。そう嗤いながら、己の勝利を信じ、それに一片の疑いも抱いていない。

 ……だが、そんな愚かな男にも、やがて知れることになるだろう。空に蓋をする巨大な魔法陣から、目眩く降り落ちるその閃光が、星気光(ひかり)星気光(ひかり)とがぶつかり合って発っせられる、希望の輝きだということが。



 やがてローミオン以外のものが、月明かりの下に沈黙する。

 ローグは天を覆う力の気配を悟り、前線から離脱した。後ろにいたリリアナはもうローミオンなど眼中になく、ただ星空を見上げて呆然としている。

 やがて星空を流れる、幾多数多のほうき星。



「Enth astrarle――」

(星天よ、落ちよ――)



 水明の鍵言と共に、帝都が、降り注ぐ星気の光に飲み込まれる。アストラルライトによって、そこにあった悪意の全が、なす術もなく消し飛んだ。

 やがて輝きが収まると、空き地には黒くなったまま、しぼんだローミオンの姿があった。

 水明は近寄ると、ローミオンだったものを掴み上げ、その頭に手をかざす。

 剣を収めて歩み寄るローグ。



「死んだのか?」


「生きてはいます。生きてはね……」



 生きてはいる。だが悪意に呑み込まれ、アストラルライトの輝きを受けては、ほとんど死んでいるようなものだろう。心臓は動いているが、もう動くことはおろか思考することもできまい。悪意を取り込んだ時点で、免れることはできなかっただろうが。

 水明の魔術行使を疑問に思ったリリアナが、訊ねてくる。



「何を、しているのですか?」


「ん、ちょっと調べたいことがあってな」



 調べものが終わり、水明はローミオンを解放する。リリアナがローグの方を向いた。



「大佐……」



 不安の憂いに染まった左の瞳と、しかし未練があるのだという、すがるような呼び声。それに、ローグは背を向けた。そして彼は、やはり素っ気ない声音で言う。



「リリアナ、お前はその男と一緒に行くがいい」


「大佐、それは、どういう……」



 ローグの意図に戸惑うリリアナに続き、水明も訊ねる。



「もう、責任の件はよろしいのですか?」


「リリアナは奴に操られていたのだろう? なら、取らせる責任の所在はない」



 彼が厳格だと聞いていた水明には、その追求しないという言葉は意外だった。まるで重責よりとき離れ、解放されたような声音。本当は彼も、リリアナを殺すことなどしたくはなかったのだろう。



「では、一緒に行けとは、どういうつもりです」


「どうも何も、そういうことだ。リリアナのことは、君に任せるということだ」


「ですが、リリアナはあなたの」



 言い切る前にローグは、それは言うなと首を横に振った。



「いいや。その子を手に掛けようとした私に、その子のそばにいてやれる資格はもうない」



 その言葉に、リリアナが慌てて叫ぶ。



「た、大佐! 別に、私は……」


「リリアナ、それが私の責任だ。お前を信じることができず、親であることを放棄した私に、またお前を迎える資格はないのだ」


「――――」



 ローグの、自らを厳しく断じた声に、リリアナは言葉を失った。



「私が言えることではないが、その子を最後まで守ってくれた君になら、託せるような気がする」



 そうして、ローグは背を向ける。見えるのは、軍服をまとったどこか寂しげな背中。その後ろ姿に、水明は問いかける。



「どこへ?」


「私は、私のやるべきことを遂げに行かねばならん」



 どこか悲壮さの感じられる決意に、水明は黙り込む。そんな彼にローグはそのまま、



「スイメイ・ヤカギ……だったな。もう私が言える立場ではないのかもしれんが――どうかその子を、よろしく頼む」



 水明は、行こうとする彼を引き留めることができなかった。ここで無理にでも声をかければ、その決意を蔑ろにすることになるのだから。水明が「わかりました」と確かに言うと、顧みたローグはその厳格そうな顔にほんの僅かに笑みを作り、そして歩き出した。



「大佐!」



 その背に、幼い声が追いすがる。しかし、彼の歩みが止まることはない。向いた背は少女の望みに反して翻ることはなく、ただ自分の責任に向かって突き進んでいく。



 だがそれでも、リリアナは呼び続けるのを止めなかった。



「大佐! まって、待って下さい……」



 止まらないローグの姿に、俯くリリアナ。ローグの思いを理解しているがゆえ、すがり付くことができず、しかし溢れる未練を抑えることもできないでいた。

 しかし彼女は、顔をあげた。そして、目一杯の勇気を振り絞って――



「お……おとう、さん……おとうさん!」



 彼を父と呼んだのは、始めてのものだったのか。ずっと呼べなかった父と娘を繋ぐ声に、背を向けたローグの足が止まる。リリアナの声に、後ろ髪が引かれたか。



 しかし、ローグは一度も顧みることなく、行ってしまった。まるでそれが、自分の(けじめ)なのだというように。





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