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黒幕は図書館に



 フェルメニアたちと別れた水明とリリアナは、路地裏を抜けていまは別の通りを走る最中。魔術を用いた常人の及び付かない疾走で、目的地へと向かっていた。



「すいめー。本当にその人が?」


「ああ、おそらく間違いはない」



 並走するリリアナからの問いに、水明は断じる。間違いない。その答えに、水明は自信があった。いや、それしか考えられないと言った方が正しいだろう。

 いままであったこと、都合が良すぎたこと(・・・・・・・・・)を踏まえつつ、フェルメニアに調べてもらったことを合わせたその答えが――



 そう、これから向かう帝立大図書館にあるのだ。

 ……夜気の中を駆けていると、やがて周囲の建物よりも背の高い建造物が見えてくる。

 帝都の上流区画と同じ赤いレンガ造りの建物は、その周囲共々異様な静寂に落ちており、夜の闇が一層深いように錯覚させる。



「おかしい、です」


「眠気を助長させる型の人払いの術だ。この周囲に迷い込んだ人間は、眠くなって帰っちまうようにしてあるな」


「……昏迷の闇を浅く広げたようなもの、ですか」



 リリアナの予想を聞きながら、入り口に到着した水明は、図書館の扉を開けた。出迎えた吸い込まれるような闇の中に、自ら進んで身を投じると、整然とした本の山が見える。



 視界を明らかにしてくれる頼りたる光源は、天窓から射す月明かりのみ。内部には音がなさすぎて、まるで付喪神が夜行を行う直前の、最も静かな時間帯を思わせる。

 不安と警戒からか、寄り添うようにして歩くリリアナの頭を撫でながら、水明は辺りを見回す。



 職員は残っていない。深夜ともなれば当然か。――いや、一人いた。

 人の到来を察知したか、図書館の奥の闇から明かりも点けず、色白で耳の長い、眼鏡をかけた人物が姿を現す。



「ご利用の方ですか? 図書館はもうとっくに閉館していますよ?」



 現れたのはエルフの男性、この帝立大図書館の司書の一人であるローミオンだった。

 彼は水明たちの存在に気付くと、驚いたような顔をする。



「おや? ヤカギ君と……これはザンダイク卿のご息女ではありませんか、こんな時間に図書館に来るなんて、一体どうしたんですか?」



 時間外の到来の理由を訊ねてくるローミオンに、水明は隠さずに目的を告げる。



「ちょっと昏睡事件の犯人を捕まえようと思ってな」


「……? 昏睡事件の犯人……ですか? しかし巷では、あなたが隣に連れているその彼女がその犯人だと噂されていますよ?」



「公にはな。だが、実際はリリアナに魔法をかけて操った黒幕がいるんだよ」


「それはそれは……ですがここは図書館ですよ?」



 そう言って辺りを見回す素振りを見せるローミオン。いるわけがないと暗に言う彼に、水明はやはり自信を崩さずに語る。



「ああ、ここにいるんだよ。その黒幕はさ」


「……こことは、一体そのような人物などどこにいるんですか?」


「そんなこと、ここには俺たちとアンタしかいないなら、答えは一つだろう?」



 水明の言葉に、ローミオンは一瞬呆気に取られたような表情を見せると、下手な冗談でも聞いたかのように笑い出す。



「まさか、その犯人が僕だなんてこと、言いませんよね?」


「残念ながら、そのまさかなんだよ」


「いやだなあ、ヤカギ君。何を言っているんです? 私がそんなとんでもないことをするわけないじゃないですか?」


「犯人にそんなこと言われても説得力はないぜ?」


 水明の挑発的な物言いに、困ったような笑みを浮かべていたローミオンは、呆れと共に口もとの緩みを引き締める。眼鏡を上げて、その位置を直すローミオン。穏やかな気配はそのままだが、先ほどまであった友好的な雰囲気は消え去っていた。



「ふむ……随分な自信をお持ちのようですが、私が犯人だという根拠があると?」


「根拠か。根拠ならあるさ」


「あるのでしたら、お伺いしましょう?」



 その言葉に、水明は答えに至った経緯を語り出す。



「まず引っかかったのは、前に俺とフェルメニアがここに来たときだ」


「――まさか私が闇魔法の話をしたからですか? それで私を犯人扱いするのは短慮というものでしょう」



 水明が説明を終える前に、言いたいことは察したと言わんばかりに言葉を被せてくるローミオン。そのまま、彼はうんざりとしたため息を吐く。



「闇魔法のことを知っていたから私が犯人だと決めるのは、乱暴ではないですか? 闇魔法の存在を知る者は、世界中にいくらでもいますよ?」



「いいや。さすがに俺もそんなことを知ってたからって犯人扱いするようなことはしないさ。確かにアンタの言う通り、この世界、闇魔法のことを知っている人間はどこにでもいるからな」


「なら」


「だがアンタ、あのとき、俺たちに他のことも話してくれたよな?」


「他のこと?」



 思い当たる事柄がなく怪訝そうな顔をするローミオンに、水明は一言、



「闇魔法を強化するっていう言葉だよ」


「……そういえば、言った覚えがありますね。犯人が呪文のあとに付け足した言葉は蛮名だと。ですが、それがなんです? まさか、蛮名のことを知っていたから、私が怪しいと?」


「そうさ。リリアナに訊いたらな、その言葉は黒幕から教わったそうだ」


「だから蛮名を知ってた私が犯人だと? それは先ほどおっしゃった闇魔法の話と同じような話じゃありませんか」



 ローミオンはそう言って、盛大なため息を吐く。



「ヤカギ君、もう止めましょう? 先ほど君が言ったことは忘れますから」



 ローミオンの声に友好的な音が戻る。再び困ったような笑顔を見せ、戯言だと思って聞き流そうと提案するその姿は、確かに無害そうな人物に見えるのだが。



「なぁ司書さん。ちょいと確認したいんだが、前に俺たちにどんな風に説明してくれたんだっけな? もう一度教えてくれないか?」



 水明の訊ねに今度は呆れたと、吐く息を苛つきで濁して答えるローミオン。



「……蛮名とは、この世界に古くから伝わる闇魔法を強化する文言のことです。いまは失われて久しいですが、闇の力を増幅し、それによって強化された闇の魔法を受けると、人体に大きな害を受けます。それが――」


「そこだな。それがおかしいのさ」


「…………」



 突如として水明から入れられた指摘に、ローミオンは黙り込む。しかしすぐに、鋭い視線を向け、疑問の出どころを問い質しにかかる。



「僕はヤカギ君が何を言っているのか、わかりかねますね。どうして君が、僕の言っていることがおかしいと言い切れるのですか? まさか失われて久しいという文言が――」


「まず初めに言っておくが、俺はこの世界の人間じゃない。アステルで呼ばれた勇者のオマケでくっ付いてきた人間だ」



 水明の発言に、ローミオンは少しだけ驚きを見せ、しかしすぐに心当たりがあると言うような顔をする。



「……そういえばアステルでは勇者を召喚したときに、事故があったという噂がありましたね。ですが、そんなことはいま何の関係もないように思えますが?」


「それがそうでもなくてな。それが意外にも関係があることなんだよ」


「関係……」


「そうさ。そもそもその言葉っていうのはな、俺たちの世界にある神秘修辞技法(レトリック)の一つなんだよ」



 水明の説き明かしを聞き、ローミオンの顔から余裕の色が失せ、険しくなる。



「何を根拠に断定しているか知りませんが、それはあなたの世界だけにあるものではないかもしれないでしょう? 違う世界に同じ技術があるように、この蛮名が他の世界で生まれることもある」


「そうだな。アンタの言う通り、その概念がこの世界で生まれたってことも考えられない話じゃない。しかし残念だが、それがそうでもなさそうなんだよ」


「何故そんなことが言えるのです? まさか、君はこの世界の蛮名の起源でもたどったとでもいうのですか?」


「いいや、そんなことしなくてもわかるのさ」



 水明が発言を重ねていく毎に、ローミオンは苛つきが増すのか、落ち着かない様子。手元にあった椅子の背もたれを指で叩きながら、鋭い訊ねの声を放つ。



「何故です?」



 その問いに、水明は判りきったことを訊ねられたかのように笑い出す。そして、


「――だってそりゃあアンタさっきから、俺たちの世界の言葉(ラテンご)で蛮名(nomina barbara)、蛮名(nomina barbara)って言ってるじゃねえか」



「――――」



 その言葉で、ローミオンの顔が一層険しくなる。しかしすぐ何か反論しようと口を開こうとするが、水明はそれを無視して言葉を繰り出す。



「普通、英傑召喚の魔法陣を用いて異世界から召喚された人間には、こちらの世界の言語が当人の母国語に変換されて聞こえる。だが、実際この世界の住人であるアンタらが、『俺たちの言葉』を話してくれているわけじゃないから、口の動きはこの世界の言葉に準拠したままだ。だが、アンタがさっき言った通り、蛮名という概念がこの世界で生まれたものであるなら、俺に聞こえる言葉が日本語だろうと、アンタの口の動きは俺の見たことのないものになるはずだ。この世界の言葉に準拠するだろうからな。だが、アンタの口の動きは、おかしいことに見覚えがあるときたもんだ。そうなると、答えは一つだろう?」


「あ――だからあのとき、私に蛮名(ノミナ・バルバラ)と聞いたの、ですね」



 理解できたか、リリアナも気付きの声を上げる。そう、だから黒幕のことを聞いた折に、水明はリリアナに訊ねたのだ。自分は蛮名のことを日本語で言っているが、もしラテン語で口にしたときにも、それが通じるのかどうかを確認するために。



「そう、この世界にはその言葉はない。俺の世界の言葉だから、口の動きが見覚えのあるものになる。なら、|この世界の住人であるアンタがそれを知ってるのは、随分とおかしいことじゃないか?」



 水明の指摘に、しかしローミオンは穴があると指摘を返す。



「ですが、それで犯人を僕だけに限定することはできないでしょう? この世界は古くから多くの勇者が召喚されています。あなたの世界から来た勇者からこの蛮名が伝わり、古くから広まっていたとは考えられないのですか?」



 その言葉に、水明は気だるげに後ろ頭を掻いて、



「ああ。それとちなみに訊きたいんだがな、最後に勇者が召喚されたのは、いつ頃の話だ?」


「…………」


「わからないのかどうかは知らんが、言いたくないなら俺が代わりに言ってやろう。俺やフェルメニアが調べたことが合っていれば、最後に勇者が召喚されたのは、百年以上前だそうだ。無論、英傑召喚に関しては救世教会や魔法使いギルドが厳重に管理しているため、記録以外の召喚はない」



 なおも黙ったまま何も言わないローミオンに、水明はとどめの言葉を放つ。



「その蛮名っていう概念が世の中に出たのは、クロウリーが生きていた時代。いまから約百年前(・・・・)、実際に形になって使われ始めたのはケネス・グラントがその概念を確立した五十年前やそこらってところだ。ほら、そうなるとアンタの言葉は嘘っぱちになる」



 そこで、水明は違う(こまったところ)が浮上したと言うように、肩を竦めて、



「まあそれなら何で蛮名がこの世界にあるのかってことだが……まあそれはいい。いま重要なのは、この世界に存在するはずの無い概念を知ってるヤツが、俺とアンタ以外にこの帝都にいるかってことだ」


「…………」



 俯くローミオン。眼鏡の奥に一体どんな感情を隠しているのか、顔が見えず何を思うかは杳とは知れない。しかし、まだ観念には早いと読み、そのまま追撃を続ける水明。



「しらばっくれるのはもう止めようぜ司書さんよ。聞くところによると、あんたがこの帝都に来たのは昏睡事件が始まったくらいの時期って話じゃないか。事件が始まった時期とやたらと符号するぜ?」



 水明が訊ねるも、ローミオンは応じない。



「証拠はあるのですか?」



「いやそれが全く。決定打を手に入れる前に、動かなきゃならなくなっちまったモンでな」



 そう、水明は詰めの一手の不備を白状する。だが、そんなものはなくても、決して不利にはならない。何故なら、



「ま、俺は探偵じゃあないからな。ロジックの解明も得意じゃないし、いまのも憶測程度のものさ。穴があるって言われれば、いまの話は全部意味のないものになる。だが、俺は探偵じゃあなくても魔術師だ。俺たちの世界にはな、他人の記憶を無理やりほじくり出す術っていうのも、あるんだぜ? それに」



 刹那、戦闘礼服たる黒スーツまとう水明。己が常人でないことを確かにあらわにして差し向けるのは、炎が灯った真紅の瞳。



「――どちらかって言えば、こっちに訴えた方が早いしな」



 ここまで符号していれば、証拠はなかろうが、犯人はこのエルフの男に間違いはない。ならば他人の記憶を弄ぶことも、遠慮は要らぬというものだ。

 やがて、拍手の音が聞こえる。俯いたローミオンが、まるで生徒を褒める教師になぞらって、犯人を見つけたことを褒め称えるように、鷹揚な拍手をしていた。



 その挙動の意味を悟ったリリアナが、ローミオンに困惑した表情を見せる。



「司書、さん。あなたが」


「――いや、まさかヤカギ君が召喚された人間だったとは、予想外でしたね」


「図書館で俺たちに蛮名のことを伝えたのも、この前忠告に来たのも、俺たちを事件から遠ざけるためってところか」


「ええ、そうですよ。リリアナの強化された闇魔法を凌ぎ、あの深手にもかかわらずグラツィエラ皇女殿下とも互角に渡り合ったあなただ。私もできればことを構えたくはなかったんです。まあ、それが裏目に出るとは思いも寄りませんでしたが」


「私の居場所を、ギルドの魔法使いたちに教えたのも、軍に漏らしたのも」


「はい。お察しの通り、僕ですよ」



 リリアナは、恐れを含んだ目を向けて、ローミオンに問いかける。



「……何故、私を利用したの、ですか?」


「いえなに、単に僕も、君がどうにかしたかった貴族が邪魔だったんですよ。それに何より君は、闇の力を持っていましたからね」



 ローミオンが語り出すと同時に、闇の力、外界から引き出した恨みつらみが、急速に膨れ上がった。この男も、闇魔法を使えるのか。やがて彼の背後の闇が淀んだ黒に染まっていき、部分部分に蟠ったような力の凝りが形成されていく。



「これでも僕は闇の力というものを昔から研究していましてね。ちょうどつい最近、濃密な闇の力と同調した生物が一体どうなるのか、というのを調べようとしていたところだったんですよ」



 ローミオンの語りで察した水明は、不快そうな顔で舌打ちをする。



「――それで蛮名なのかよ」


「その通りです。蛮名を使えば、闇の力が増幅される分、普通に闇魔法を使うよりも多く闇の力の影響を受けてしまう。特にもともと闇と同調していたリリアナは、僕の目的とも相俟ってこの実験に理想的な被験体と言えました。だから僕は君を唆し、操り、事件を起こす下手人として利用したのですよ」


「そん、な……」



 非道なローミオンの告白は、彼女にとって想像以上に衝撃的だったか。震える手で、水明にひしとしがみつく。一方水明は、侮蔑の眼差しを向け、



「やれやれ、とんだ下種だと思っていたが、ここまでとはな……」


「魔法使いなら、知識の探求は当然のこと。君だって同じ魔法使いだ。僕の気持ちは分かるはずです」


「ふん――一緒にするなよ外道。道に外れてまで真理を求めようなんざ思わねぇよ」


「別に隠さなくてもいい。あなただって、闇の力と同調した人間が一体どんな怪物になるのか、知りたくはないですか? 知りたいですよね? 考えただけで、わくわくするでしょう? っははははは!」



 闇の力を取り込み、耳障りになったローミオンの嗤い声。その背後には、ロー

ミオンが生み出したものとはまた別の、昏く淀んだ揺らめきが見え隠れしていた。



 ……この男はもうすでに、罪深き姿を現界させようとする集合体に取り込まれてしまっていたか。これが意図したものだったのか、そうでなかったのかは知らないが。

 水明は最後の訊ねと言うように、ローミオンに問いかける。



「……結局アンタは、闇の力を研究して何がしたかったんだ?」


「知れたことです! 闇魔法を解明することができれば、いまも闇の力に苦しむ多くの人を救うことができます! だから僕は、闇の力が起こすなんたるかを知りたいのです! 追求したいのです! その力を手に入れたいのです!」


「え……」



 ローミオンの支離滅裂な物言いに、リリアナが浮かべたのは困惑だった。

 苦しむ人を救いたい。闇の力にとらわれた狂笑の中に、確かにあった彼の望み。それは間違いなく彼が神秘に求めた正しさなのに、やっていることは正反対で、誤った過程の中に埋もれている。いまも自分の魔力を餌に、闇の力を膨張させるローミオン。とうに理性が薄まって、目的だけに生きる壊れた人形となり果てたそんな彼に、水明はふと、哀れに変じさせた瞳を向ける。



「……そうか。アンタ、負けちまったヤツだったんだな……」



 魔術師は真理を求め、その真理に己が理想を求める者だ。だが、長く自分の理想を追いかける中で、多数の神秘に触れ、その影響を受けてしまうことで、だんだんと自分が薄くなっていく者も存在する。特に、長く生きている者はそれが顕著であり、そしてその末路は例外なく、目的と手段を取り違えたものになるのである。



 そしていまは悪意に身を窶すこの男にも、いつかはそんな想いがあったのかもしれない。



「さあ! お二人とも、ここで罪をかぶって死になさい!」



 悦びの混じった声が、死刑を宣告する。邪悪な唸り声となって吹き荒れる、魔力が吐き出される音が図書館の中に響いた。




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