瑞樹の不安
ティータニアとの戦いを終え、水明が帝都の街に戻ったときには、もう日もとっぷりと暮れていた。
帰ってすぐ、現在「開かずの間」ということにしている一室にこもった水明は、一仕事終えると部屋から出て、リビングに向かう。
そして向かった先では黎二が一人寛いでおり、彼に人を探している旨を告げると、家の外を指示された。
かちゃりとドアを開け、外に出る。そして建物と建物の谷間にある四角い星空を見上げて、視線を戻す。やがて水明は、外に出た理由を見つけた。
「よう瑞樹。こんなところで何してるんだ?」
「うん、ちょっと一人で夜風に当たりたくて」
外には、設えておいた椅子に腰かけ、同じように月を見上げている瑞樹の姿があった。
彼女に、水明は携えていた手提げをガサゴソして、用事を取り出す。
「ほれ、お前の靴」
「私の靴って、どうして水明くんが持ってるの?」
「そりゃあこう、くんくんと匂いを嗅いでな……」
「水明くんそれ変態さん……」
靴の臭いを嗅ぐような素振りを見せる水明に、瑞樹は幻滅あらわに上体を引く。
「冗談ですよ冗談。んなことしねえって……てか、今日はよくそんなこと言われるな。あーあと、それ新品だから臭いなんてしないぞ?」
「あれ? あ、ほんとだ。新しく買ったの?」
「まあな。まずは履いてみろよ」
隣の椅子に腰かけて、視線は四角い星空へ。取り出した靴をぶっきらぼうに勧めると、瑞樹はその靴を履き始める。
「あれ? これ、なんか……」
履いて、靴の履き心地を確認して気付いたか、瑞樹はその場でぴょんぴょんと飛び始める。ひとしきり靴の違いを確かめてから、彼女は驚いた顔を水明へと向けた。
「新しいの買ってな、調整しといたんだよ」
「ほえ? 水明くんの家って靴屋さんだったっけ?」
「全然。ちょっと手先が器用なのと……まあ教えてもらった魔法を利用したんだ。だいぶ履き心地は良くなったと思うぜ?」
水明はいたずらっぽい笑みを作る。いま取り出した靴はつい先ほど、開かずの間にしてある魔術の研究部屋で施術したものだ。靴が壊れて難儀したという話を前日に聞いたため、取り急ぎ魔術を使って履き心地を向上させ、靴自体も丈夫なものへと変えておいたのだ。
すると、瑞樹は感心したように両手を叩く。
「すごい! 水明くんもう魔法をそんなに使いこなせてるんだ!」
「そんなにって、お前だっていろいろできてるんじゃないのか?」
「私はそういう器用な魔法じゃなくて、戦う方に役立つ魔法を優先して覚えたから……。でも水明くんはそうじゃないんだね」
「ふふふ、俺は快適に過ごすために、努力を惜しまない主義だ」
水明が冗談めかして言うと、瑞樹は椅子に座り直して彼女らしい柔らかな笑みを作る。
「水明くんらしい。あ、これありがとう」
瑞樹のお礼に水明は「おう」と返事をして軽く手を挙げる。これで多少は彼女の旅も、楽になるだろう。
「……あのね水明くん」
ふと、瑞樹がどこか浮かない表情で声を掛けてくる。彼女が見詰めているのは路地の隅の何もない場所。雰囲気が変わったことを察した水明は、しかしいつものように聞き返す。
「なんだ?」
「水明くんは魔族や魔物と戦ったこと、もうあるよね?」
「ああ」
「そのときって、怖くなかった?」
「ションベンちびった」
水明がおどけると、瑞樹は立ち上がった。
「うーそー! もう……水明くんったら嘘ばっかり。ヤクザさんに拳銃向けられてもへいっちゃらな顔してる人がどの口でそんなこと言うのかな?」
「なんだ。まだ覚えてたのか」
「当たり前だよ。だってあれ、向こうの世界にいて一番危なかったときの思い出なんだよ?」
確かにそうか。以前、瑞樹がひどい中二病を患っていたころ、危ない事務所関係の人間が落とした武器を彼女が拾ってひと騒動あり、結局黎二と助けに行ったときのことだ。正義漢と熱血をこじらせた黎二の突撃を、人知れず魔術でサポートして事なきを得た話だが。
「なんか水明くんなら、魔物が目の前にいても平気そうだもん。なんかこう、昔からそうでしょ? ね?」
「まぁ……」
曖昧な返事だ。だが、的を射たものとも言えるだろう。
初めて瑞樹に声を掛けられたときも、そんな雰囲気に気付かれるほど、魔術師としては未熟だった。そのおかげで、彼女と知り合いになれたのだが。
気付けば瑞樹の表情がひどく深刻そうになっていた。
「でもね、私は怖かった。普通の魔族のときもそうだったけど、もっと強い魔族を前にしたら、動けなくなっちゃったんだ」
「相手は魔族の将軍だったんだろ? そりゃあ仕方ないだろうさ」
あのラジャス相手に少し前まで普通の学生だった女の子が立ち向かうなど、できるものではない。戦いの経験を持つ自分でさえ、最初はたじろいでしまったのだから。
だが瑞樹は頭を振って、認めない。詮無きことというその言葉を、受け入れることができないようであった。
「あと少し、あと少しだったんだよ。あそこで私が魔法を使うことができていれば、もしかしたらすぐに戦いは終わってたかもしれないんだもん。結局すぐに黎二くんが倒したんだけど……」
「そりゃわがままの言い過ぎだ。だって瑞樹は魔族の将軍に立ち向かったんだろ? そこまでできれば十分だって」
「でも、終わったあと怒られちゃったし」
「そのときは怒られたかも知れないけど、みんな心の中ではお前のことすごいって思ってるさ」
「……そう、かな」
「そうだって。だから気にするようなことじゃあない」
瑞樹の悩みを、持たなくてもいい杞憂だと笑い飛ばすと、彼女はふと星を見上げて、
「水明くん。勇気って、なんだろうね?」
「へっ……? あ! イタタタタタタ……」
「もう! 私真面目に訊いてるんだよ!?」
「あー、なんだ、俺はてっきりあれが再発したのかと……」
「そんなわけないでしょ⁉ もう……ここはファンタジーな世界で、本当に勇気が必要な世界なんだから、訊いたっていいじゃない」
「……まあいいけどさ。というかな、そんなもの俺に訊いてどうするんだよ? そーゆーのは漫画週刊誌の主人公を地で行くヤツに訊けよ? 主に黎二とか黎二だけどさ」
「今日は水明くんに訊きたい気分なの。ね? 水明くんも、ここに来ていろいろ危険な目に遭ったんでしょ? だから水明くんならそれがわかるんじゃないかって」
「難しいこと言うのなお前は。というか俺のは単に男の意地ってやつだぞ?」
「なにそれ?」
「男の意地は女にはわからん」
「むっ。なんでそうやって意地悪な答えばっかり返すのかな?」
膨れる瑞樹に根負けし、水明ははぁと、ため息を吐く。そして、彼女の方を向いて、
「お前、勇気が欲しいのか?」
「うん。そう」
「そんなもの、簡単に身につくようなもんじゃないだろ」
「じゃあどうやったら身につくの?」
「知らんよそんなもの」
そう冷たく言い放つと、瑞樹は肩を落として黙り込む。それに、水明はバツが悪くなって、息を吐いた。そして、おどけた調子で、
「聞いたことあるぜ。お前風に言えばだが、心の炎を燃やすことだってな」
「それじゃあ熱血系中二病だよ。私はクール系邪気眼中二病なの」
「なんだそれ? 分類あんのな」
「そうだよ。テストに出るからちゃんと覚えてよね。水明くんとは対極の存在だから」
「黎二じゃなくて俺なのかよ……」
瑞樹は「ふふん」と得意気になって、すぐまた先ほどのように消沈した表情になる。相変わらず表情変化の忙しい少女であった。
思いつめた様子は、変わらない。彼女なりにも帝都までの道のりで、ずっと考えてきたことなのだろう。
「瑞樹、俺にも勇気なんてモンはよくわからない。だけどな、人にはいろいろな想いがある。その想いが立ち向かうものに負けないほど大きかったら、きっと自然と前に踏み出せると俺は思う」
「でもそんなの、私にはないよ」
「お前、城で黎二の力になるっていっただろ? ラジャスと向き合ったときも、その想いがあったから飛び出したはずだ。違うのか?」
「それは……」
「大丈夫。お前にも、勇気はあるさ。目に見えないものは、どこにあるかわからないから不安になるのかもしれないがな。だけど、誰だって人生に一遍くらいは歯を食いしばらなきゃならないときが必ずある。きっとそのときになったら、お前だって自然と前に踏み出せるさ」
すると、瑞樹は不思議そうな顔をして、
「……経験則?」
「俺はそれが遅かったせいで、父さんが死んだ」
「え?」
「嘘だ。交通事故で死んだって言ったろ? ジョークだよ」
「それ、らしくなくブラック過ぎだよ……」
がくりと落ちた瑞樹の肩を水明が安心しろよとぽんぽん叩く。
「ま、そう思い詰めるなって。あの化け物に想いだけで立ち向かうことができたんなら、踏み出せるようになるのもすぐだって」
水明がそう言うと、彼女は送られた言葉を噛みしめるように俯いた。そして、もう一度、頭を上げたときには、沈鬱だった表情は先ほどよりも少しばかり、晴れやかだった。
「うん。ありがとう。少し楽になったかも」
そんな瑞樹に、水明はいつものように斜に構えた笑顔を向ける。
……二人がそんな話をしている一方で、二階の窓辺で覗き見か。ごそごそする四人がいた。
水明と瑞樹を眼下に押さえ、ティータニアが黎二に言う。
「スイメイは思った以上に頼られているのですね」
「瑞樹にとっては水明が初めての友人だからね。ちょっと特別なんだ。正直、ああやって事あるごとに頼られるところは、羨ましいなって思う」
こういったことではあまり頼られない黎二はそう言って寂しそうな笑顔を作る。そんな彼を見たフェルメニアは、わけ知った表情を作り、
「……なるほど。これが好きな人には弱みを見せたくないというヤツなのですね」
「え? 先生、好きな人って誰のこと?」
難聴である。いや、耳が悪いと言うよりも察しが悪いと言った方が正しいか。ティータニア、フェルメニア、レフィールの三人は、理解に苦しむといった表情になる。
「いえいえ、そこは文脈から察しましょうレイジ殿……」
「スイメイくんもそうだがレイジくんも大概だな……」
フェルメニアの呆れ声に続き、隣にいたレフィールも同じように呆れ声を放つ。一方黎二はどういうことなのかわからず、不思議そうな顔をして首を傾げるばかりだった。
そんな風に四人が窓から二人を覗いていると、玄関からがちゃりとドアの開く音がする。
ドアを開けて外に出たのは、リリアナだった。
「あう……すいめー、いますか?」
寝間着姿で、ヴァイオレットの髪はいつものツインテールではなく、下ろして流した状態。
枕を持って、眠気眼を擦り、口調もぽわっとしている。足元は少々覚束ない。寝ぼけで、出てきたのだろうか。
彼女に気付いた水明が問いかける。
「どうしたリリアナ?」
「さみしくなったのです」
「レフィやメニアはどうした?」
水明が訊ねると、リリアナは頭を振る。
「二人とも、いないのです」
「いない……?」
リリアナの言葉を聞いて、水明は怪訝にとらわれる。いないとははて如何に。出入り口はここに一つしかないのだから、家の中にいないわけがないのだ。
そこでふと気付いて水明は見上げると、窓のところで動く影が見えた。
「なるほどな……」
どうやら窓から、こちらのことを窺っていたらしい。各々出していた頭を引っ込めるのを見て、ため息を吐き、椅子から立ち上がる。
「じゃ、戻ろうか」
水明がそう言って立ち上がると、リリアナは大きなあくびをして、うつらうつらとしながらこくんと頷いた。
「水明くん懐かれてるね」
「んー、そうだったらいいな」
「そうだったらって、そうでしょ……ほんと水明くんはそういうとこ誰かさんと似た者同士と言うか……」
そんなことを話しながら、三人は家の中へと戻ったのだった。