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魔術対剣術、決着



 魔術を撃ったあと、こちらが追撃を放たなかったことにより、ティータニアとの戦いは仕切り直しとなった。



 構えを直し、また戦い始めたときと変わらぬ武威を放ってくる目の前の少女。自身の威圧や魔術行使を見たあとにもかかわらず、瞳に宿る闘志に衰えはない。


 剣の材質は先ほども述べた通りおそらくは腐食銀(ミスリル)だろう。銀を錬金術の作業に倣い、腐敗(ニグレド)浄化(アルベド)昇華(ルベド)と状態を遷移させる――つまり、アルカヘストで溶か(ニグレド)したものを還元(アルベド)させると、分子の配列が変化し、より強固な結合力を持つ物質へと転化(ルベド)する。この世界にも錬金術はあるらしいが、向こうほどの技術やアルカヘストの存在の有無については疑問が残る。だが見た限り、魔力の通り具合や頑丈さについては遜色がない。十中八九そうだろうと思われる。



 だが、彼女の恐れるべきはそこではない。それを用いて繰り出される剣技の方だ。


 長剣二刀を自在に操る技量もそうなのだが、驚嘆すべきはその太刀筋が曲がっていることにある。馬鹿げたことに剣の軌道が曲線を描いているのだ。どういった技術なのかは知らないが、それで地面や石ころをスパスパと斬れるのだから、空恐ろしいにもほどがあるというもの。



 いや、斬れるだけならまだいいのだ。とかく受けにくいのがこの剣撃の最も畏怖するべきところだろう。受けるときはおろか弾いたと思っても、ティータニアの剣撃は必ず刃が斜めに入るため、止まらない。受けられることも弾かれることもなく、流れに任せて刀身の上を滑ってくるのだ。剣が流れてきた先には必ず身体の一部、そのどこかしらがある。ゆえに、致命的なのである。



 ならば、剣で凌ぐ場合は弾いた直後の処置を誤った時点でこちらの負けが確定する。

 全て城壁で受けられるのならば話は別だが、いまの体調でそれを行うのはとても難しいことだ。城壁の全方位展開は時間的に許されないし、一方向を凌いでもすぐに魔法陣の円の縁と地面の隙間や側面を縫って回られ、斬り込まれる。スピード型の剣士はどんな魔術師にとっても天敵である。攻撃、防御の手を止めた瞬間に過たず斬られるのだ。



 だが、こちらも負けられぬ理由がある。身体の調子が万全ではないが、ないのならば不惜身命の意をもって臨むのみである。



 ティータニアが剣の柄を器用に手の中で旋回させつつ、隠し、即座に間合いを詰めて五月雨の剣撃を放ってくる。その呼気すら悟らせないほど技量は高くあり、常に風鳴りの音と共にある。

 それを、指弾の魔術で迎え撃つ。剣撃の最中に、目の前の空気が弾けるが、ティータニアには当たらない。爆裂が起こるわずか一瞬前にある、空間が(ひず)むのを肌で感じ取ったか。衝撃に乗っかるようにして飛び上がり、また剣撃を放ってくる。



「せあぁ‼」



 ひゅんと、空中から左の切っ先が回ってきた。身を引けば、かわせる距離。いや違う、彼女の長剣は左の方が長いのだ。ギリギリでの回避を考えるのは、累卵の危うきにあることと同義だろう。体勢を崩すことになっても、進んで大地に身を投げ出さなければならない。



「ちぃっ」



 舌打ちしつつ、目蓋の上を狙う白刃から間一髪逃げおおせ、地面を転がると、一回転を終え、もう次の攻撃に入ろうとしているティータニアがいた。一瞬見えたいささか不満そうな表情は、あのまま剣閃に甘んじていれば、目に血が入って決着だったのに、とでも言わんばかりのもの。



 しかして、水明が追撃を悟ると、彼女は剣を手の中で回しながら舞い上がった

 再び、飛び込みからの斬りかかり。それはいい。それが果たして順手なのか逆手なのかが、判断を要さねばならぬところ。



「く――!」



 地面を思い切り叩いて、上体を跳ね上げる。瞬間移動と見紛うほどの速度で、ティータニアが目前に現れた。

 そして交差された両の剣が開かれる。広く横一線に銀光が閃くと同時に、目の前の空気が、斬撃に短い悲鳴を上げた。剣の長さと腕の長さで間合いを測れることが唯一の救いだろう。もし彼女が向こうの世界の剣豪と同じ剣の理を持っていたならば、これで一度は死んでいたはずだ。



「ならばこれはどうです‼」



 気合いの声と共に、ティータニアは地を走る疾風へと変わった。外套をなびかせるその姿が、視界から消える。居場所を特定し、再度視界に納めたときには、真っ直ぐ向かって来るティータニアの姿が。こちらが身体を旋回さえ終える前に、ティータニアが地面に切っ先を付けるのが見えた。



 切っ先で地面を斬りつつ走るティータニア。掘り起こされ舞い上がった土と草を後塵にして、勢い殺さず駆けて来る。大地に切っ先を差し込むことで刃の勢いに歯止めを掛け、力の溜めを作っている。要は波切りの太刀を地面を使って行うようなもの。あの切っ先が地面から離れたときには、通常の剣閃に数倍する速度で、斬撃が襲って来る。



 水明は持っていた水銀刀を何の未練もなく手から放って、金色の城壁を築き上げる。だが、ティータニアは急に正面から外れ、回り込むように移動する。

 右側面。場所の精緻な特定は諦め、なおざりに城壁を右に向けると、斬撃を教える火花が散った。攻撃を防ぐと、どうして背中に凄絶な悪寒が走る。



 咄嗟に身をよじって後ろに飛ぶと、突き出した切っ先が引き裂いた空気、それが頬を撫でた。



 そしてすぐに、次の突きが繰り出され、その行為が繰り返される。

 二刀で織りなす突きの連射は、仮借なき猛攻と呼ぶに相応しいもの。レイピアでの連続突きならば、虚実と呼ばれるフェイントが存在するが、ティータニアの突きにはその全てに必殺が内包されている。



 切っ先の行方を見逃さぬようにして、猛攻を回避し凌いでいると、突きが止まった。

 この距離ならば、城壁を挟んだのちに間合いを取って、魔術行使に転じるのがベストだが――否。これ以上の防御は愚策と断じて前に出る。

 突然の前進に、正面にいるティータニアの表情が怪訝に歪むが、地面から手へと引き戻された水銀刀を見て驚きに変わった。



 だが、



「――あなどりましたねスイメイ」



 ティータニアの口もとにふっと、勝利の喜悦が浮かんだ。こちらの峰が下ろされるよりもなお早く、彼女の切っ先がこちらを向く。狙いは腹部、内臓の隙間でも縫うつもりだろう。

 それは、かわせないタイミングでの突きだった。確実に当たる。剣の扱いの素早さを比べれば、向こうの優位は考えるべくもないことなのだから。

 しかし、そんなことはこっちにとって承知済みのことであり、そうであってなくては困るのである。



 ティータニアの剣の切っ先がずぶりと身体に突き刺さり、貫通する。



「これで終わりです。スイメ――なっ⁉」



 彼女の勝利宣言の途中で突然、水明の身体がどろりと溶けた。彼女が驚きから回帰する間も与えず、水明が変じた真っ黒なコールタール状の液体が、ティータニアの身体に絡みつき、硬質化。彼女の身体の自由を奪った。

 芝生の上に転がるティータニア。地面に投げ出された衝撃のあと、彼女が見上げると、いつの間にか水明がそこにいた。



「俺の勝ちだ」


「っ――。自分の身体を変化させることもできるとは……やられました」



 文字通り手も足も出なくなったティータニアは悔しそうに口にする。そんな彼女の口調から、これ以上の戦意はないと見て、水明は彼女にかけた戒めを解いた。



「で?」


「……わかりました。潔く負けを認めましょう」


「じゃあ俺が自由にしても構わないんだな?」


「それほどの力量なら、私が文句を言える筋合いではありません」



 これで、決着はついたか。剣を拾い直したティータニアが怪訝そうに見つめてくる。



「スイメイは何故、力を隠しているのですか?」


「向こうの世界じゃそれが当たり前みたいなモンだからな。その名残みたいなモンだな」



 ティータニアは「そういうものなのでしょうか……」と合点がいかず不承顔を作っている。

 するとどうしたのか彼女は、すぐにその表情を変え、急におどおどとした態度になる。



「それと、スイメイにお願いがあるのですが」


「なんだ?」


「今回のこと、レイジ様には言わないで欲しいのです。こちらから仕掛けておいて虫のいい話ですが、お願いできないでしょうか」



 確かに、無理やり言うことを聞かせるために戦ったなど、言いたくないか。虫のいいとは言う通りだが、水明も断る理由はなかった。



「そうだな。俺も似たようなモンだし、いいぜ。戦ったことは言わないでおいておく」



 しかし、ティータニアはそういう意味で言ったわけではないらしく、



「いえ、そうではなく。私が剣を扱えることをですね、その……言わないで欲しいと言いますか……なんというか……」


「ん? ティアが強いの黎二たちは知らないのか? なんでまた言ってない?」


「そ、それはその……よんどころ無い理由がありまして」


「なんだよ。そんなに重大な理由があんのかよ?」



 水明が訊ねると、ティータニアは急に顔を紅潮させた。そして、



「だ、だってだって! レイジ様にお転婆な女の子だと思われて嫌われるかもしれないではないですか‼」



 突然の叫びに、水明は呆けて固まる。内容が、上手く頭に入って来なかった。それでも、やっと声を出すことができて――



「は……?」


「は? ではありません⁉ なんですかそのマヌケ面は⁉」


「マヌケ言うなっての! ……というか別にあいつはそんなこと気にしないと思うぞ?」


「それはスイメイの推測でしょう? 絶対にそうだとは限りません! ですから、いいですね⁉」



 詰め寄るティータニアの顔は、至って大真面目だった。それほどレイジに嫌われたくないのか。ちょっとズレている気もするが、それはともかく。



「――まあ、構わないがさ。さっきの話を蒸し返すわけじゃないが、そっちだって隠してるんじゃねぇかよ」


「うるさいです! 私には理由があるといま言いました‼」



 目を三角にして叫び返してくるティータニア。そんな彼女に、水明は少しだけ茶化すような態度をとる。



「ティアはそんなにアイツのことが好きなのか」


「……なんです? おかしいですか?」


「あ、いや、まーおかしいとまでは言わないけどさ……」



 おかしいとは言わない。黎二に惚れる女の子はいままで散々見てきたのだから。だがそれでも、ティータニアの場合は水明の目から見ても急だと言わざるを得なかった。

 向こうの世界でも、確かに黎二の容姿に一目で惹かれたなどの話はあるが、ほとんどは黎二との間に何らかのイベントがあって好きになる、というのばかりなのだ。



 男好きというなら話は別だが、ティータニアはそういったタイプではない。今回の戦いを通してわかったことだが、彼女の性格は冷静で、芯がしっかり通っており、かつ慎重な性格だ。良い意味で打算的とも言っていい。



 そんなデキる女が、果たしてそんな簡単に、容姿が端麗というだけでコロリとやられてしまうものか。

 水明が疑問を深めていると、ティータニアは目をつぶったままの真面目顔で言う。



「私だって最初は乗り気ではありませんでしたよ」



 その言葉が、水明には引っかかった。



「……なんだそれ。どういうことだ乗り切ってのは?」


「勇者召喚のもう一つの理由です」


「もう一つだと?」


「はい。異世界から勇者様が召喚される理由の一つはスイメイ。あなたも知っている通り、この世界に降りかかる大きな厄災を払いのけることです。今回は魔王の台頭とそれによる魔族の侵攻が理由になりますね。そしてもう一つが」



 そこまで言うと、ティータニアは急に恥じらう乙女のように赤くなって、戸惑いがちに口を開く。



「ええと、その、こっこっこっこっ……」


「ニワトリの真似か? 上手いな」


「違います! どうして私がいまニワトリの真似などしなければならないのですか!」



 ティータニアは大声で否定すると、やはり先ほどの羞恥心のある調子に戻って答えた。



「……勇者の子孫を残すことです」


「はっ⁉ おいおいおい……」



 予想外の答えに、水明は驚きで目を白黒させる。子供を作ることだとは予想もしなかった。



「何です」


「いや、まあ……えっと、じゃあ乗り切ってのはそういうことなのか?」



 水明の訊ねに、ティータニアは頷いた。


「いま言ったように勇者を召喚した国家は、その国の姫もしくは勇者の望む女性を勇者の伴侶とし、その子孫を作る義務があります。ですがいくら相手が勇者様と言えど、私だって見も知らぬ殿方に添い遂げるのは抵抗がありました」


「だが、いまの口振りじゃあ満更でもない、と。なんだ、どこに惹かれたんだよ?」


「そんなことスイメイには関係ないでしょう⁉」


「あー黎二に言わない件どうしよっかなー」


「ひ、卑怯ですよ⁉ さっき言わないと約束したではありませんか!」


「でも人間気が変わることもあるしなぁ」


「…………」



 彼女は水明に恨めしげな視線を向けている。



「いいだろ? 俺をハメるわ、不利な条件で戦わせるわしたんだから」



 水明がそう言うと、彼女は少し拗ねたように屈んで、渋々といった表情で答えた。



「……他人を思いやるところと、ひた向きなところ、でしょうか」


「熱いもんな、アイツ」



 軽口を言うように水明が黎二のことを評すると、ティータニアは胡散臭いものを見るような視線を彼に向ける。



「それはスイメイも人のことを言えないのでは?」


「う゛……」



 自分のことを棚に上げた罰か、ティータニアから的確な突っ込みを入れられる水明。確かに今日、あれだけのことを言っておいて、他人をどうこう言う権利はなかった。

 だが、それにしても、



「それはわかったが、勇者の子孫を残さなきゃならないってのは一体どういうことだ?」


「それについては、女神の加護を得た強い種をこの世界に取り入れるため、だそうです」


「強い種ねぇ……英傑召喚の加護とやら子供にも残るのか?」


「救世教会ではそう伝わっています。私にはそれ以上のことはわかりません」



 ティータニアはそれで、英傑召喚について口を閉ざした。

 一般人をあれだけ強くするのだ。確かに彼女の言った通り、強い血が受け継がれていく可能性はある。だが――



「……なあティア。いま救世教会って言ったが、その義務ってのは、アステル王国で作ったわけじゃないのか?」


「いえ? これは救世教会に残された言い伝えです。それが何か?」


「何かも何もだって、力のある子孫を残すっていうのは国のために残すってのが普通だろ? それが世界って、つまり世界のためってことだろ? なんでそんな規模の大きな話になる?」


「確かに言われてみれば……ですがスイメイ。魔王を倒すのも世界のためですから、今後この世界にまた脅威が現れたときのためと考えれば……」


「それじゃあいちいち勇者を呼ぶ必要はないはずだ。勇者の子孫を残すのが、世界のためって話には直結しないぞ?」


「それは……」



 水明の言葉を聞いて口ごもるティータニア。一方疑問を提示した水明も、再度自分の言ったことについて考えてみる。



「まああり得るのかもしれんが……なんか腑に落ちないな」


「先ほども言いましたが、アステルに残る文献にはそれ以上のことは書かれていなかったそうです。それに、考えるための材料がそれだけでは、きっと答えには繋がりません」


「まあ……そうだな」



 もっともな話だと、ティータニアの言うことに、水明は頷く。だが、心の内に残ったもやもやとした蟠りはそのままだ。英傑召喚の儀は、やたらとおかしなことが多い。確かにいまの話で強い者がこの世界にもいるのに勇者を呼ぶ理由がわかったが、その答えが、また一つ謎を呼んだ。



 話が終わってふと、唐突にティータニアの態度が戸惑い気味なものに変わる。



「そ、それとスイメイ。あなたに一つ言っておくことがあります」


「なんだ急に?」


「先ほど私を打ち負かした魔法、あれは女の子に使っていい魔法ではありません」


「…………は?」


「は? っではありません! よく考えてみなさい!」



 ティータニアは怒り心頭だった。どこにそれほど気色ばまなければならないような要素があったのか。先ほどの魔術は、奇を衒った攻撃だ。液化後、絡みついて硬質化し、相手の身体の動きを封じる――



 ――液化後、絡みついて。



 答えに至った水明は、顔を真っ赤にさせ、反論する。



「べっ、別にあれはいやらしいモンじゃねぇよ!」


「スイメイはそう思っても、やられた方はそうは思いません! うねっとしてすぐ硬くなって、とても変な感じになりました! 変態です!」


「おかしな表現すんなこのお転婆姫が!」



 顔を赤くさせて剣を向けてくるティータニアに、水明はそう盛大に突っ込んだのだった。



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