その差、抗う事能わず
その夜、アステル王アルマディヤウスが居城キャメリアの北棟その最奥の間前にて、フェルメニアは無言のまま立ち尽くしていた。
(これは、一体……)
湧いて出るのは、そんな困惑の言葉ばかり。無理もない。その言葉の出所は、目の前にある鎧の置物のせいだ。
ここに置かれた鎧の置物。その銘をスラマスアーマー。アステル王国の歴史の中でもその勇名高い一人の魔法使いが作った、国内最高峰と呼べる自立可動式のゴーレムである。土魔法の使い手で名を知られ、キャメリアの建造にも多大な貢献をした大賢者。そんな先達が生涯を掛けて造り出したとされる逸品がこれだ。
それが、何故こんな場所に有るかと言えば無論、これがフェルメニアの仕掛けたものだからだ。
以前から止まる事を知らない魔法使いスイメイ・ヤカギの“おいた”に灸を据えるために、彼女自ら宝物殿の隅から引っ張り出してきた。
恐らくは今日もここに来るだろうと予測してのこの配置。しかし、衛士の巡回が終わった頃合いを見て来てみると、ゴーレムは変わらずそのままで全く何事もない。
ならば今日は来なかったのかと不意に目を部屋に向けると――また、僅かに扉が開いていた。
――なぜ。
そう脳内を席巻する言葉を振り払い、ゴーレムが動かなかったのかと確かめてみると、国内最高のゴーレムはもう既にゴーレムの姿を象った形骸と成り果てていたのである。
(このゴーレムがこうも無残に……)
呆然と呟く。
このゴーレムが起動したのはまず間違いないだろう。配置する以前の起動実験では障りなく動き、年代物にもかかわらず新品同様の滑らかな動作をとっていた。
しかし、動いたのならば、ゴーレムはスイメイと争う事になったはずだ。だが、周囲には戦った際に刻まれるだろう痕跡は欠片もない。それは有り得ない。局所防衛に作られたとされるこのゴーレムは、起動実験の時にフェルメニアが相手をしたが、そう簡単に機能を停止させる事ができるものではなかった。
ならば、何故こうまで完膚なきまでに破壊されているのか。ゴーレムは中身の術式を悉く壊滅され、しかし外見は以前と全く変わらないままで同じ場所に置かれている。
一体どんな御技を使えば、このゴーレムをこうも無残に変えられるのか。例え力ずくで引き裂いたとしても、こうはなり得ないだろう。行使したはずの魔法の痕跡すら綺麗さっぱり消されており、ゴーレムを倒した手段やこの状況を作り出した手練さえ見えてこない。
それをした当人は、部屋の中で明かりを灯し、いつものように召喚陣を睨んでいる。
まるで、自分の事など眼中にないとでも言うように。
(クソっ……)
そんな勝手な想像に、生まれてこのかた一度たりとも使った事のない下品な悪態を、吐き捨てた。
この自分が、天才と呼ばれ誰よりも早く宮廷魔導師の地位に登り詰めたフェルメニア・スティングレイが全く相手にされていないと考えると、無性に腹が立った。ここにいるのに気付いていないのは分かっているが、それでも怒りは止められない。宮廷魔導師を舐めきった魔法の手管が許せない。
そして、フェルメニアは改めて、あの無防備な背中に思う。
良いだろう。示してやろうと。貴様が何も省みず、そう愚行を繰り返すなら今に見ていろ、と。貴様の知らない魔導の深淵を、必ず知らしめてやるのだ、と。
白炎と呼ばれる女の中に、暗い炎が燃え上がる。己が冥利に取り付かれ、正しき己を見失った者だけに力をもたらす過信の炎が。
――そうこの時、フェルメニアの中にあった義務や責任等の信条は、己が矜持と慢心の前に敢えなく破れ去ったのだった。
こちらに背を向け、ただ自分の足下にだけ没頭する異世界の少年に、静かに自信を口にする。
「……スイメイ・ヤカギよ。この白炎と呼ばれし私の力。貴様にあますところなく示してやろう」
その意思の起こりが、未来の自身の絶望へと変わるとも知らずに。
☆
ゴーレムを壊された夜より、数日のあと。王城キャメリアに居まわす誰もが寝静まった夜もすがら、フェルメニアは今、一人の少年の後を尾けていた。
秘密裏に出歩く時の彼と相対するのに選んだ機会が、今日。キャメリアをうろつき、引いては国王の威光を蔑ろにする少年に鉄槌を下すために、このままいずこかに追い詰めようと、付かず離れず追随する。
当然いつものように、スイメイには気付かれていない、気付くはずもない。尾行の最中は常に風の魔法を使い、足音も熱も自分の僅な呼気すらも届かないようにしているのだ。この隠行の魔法を使えばいかに気配の機微に聡くても、決して気付くことはない。誰であろうと。
明かりもなく、暗闇に閉ざされた通路を迷いなく歩く目の前の少年。彼が今日行こうしている所は、いつもと違う場所らしい。いつものように、学生服と彼らが呼ぶ“ぶれざあ”なる衣服をまとい、あてどもなく歩く様子。どこへ向かっているのかは未だ知れぬが、今日はこのまま姿を見せて、然るべき対応を、とフェルメニアが考えた矢先。
「――ッツ!」
目端に、人影が写った。
不意な事に、小さく驚く。この静かな夜に、出歩く誰かがいたのか。城の寝ず番は、この後のため、今日は大人しく寝てもらっており、彼らが出てくることはない。ならば、一体誰なのか。
……だがしかし、それはそんな気がしただけだったらしい。こんな草木すら寝ているような夜中に出歩く人間など、普通に考えれば衛士以外に誰もいない。
そして、再びスイメイを追いかけようと彼に視線を向けると。
「……消えた、だと?」
両眼の焦点は合うはずもない。少し目をはなした隙に、スイメイは忽然と姿を消していた。
あの歩く速度ならば、まだ先の辺りにいるはずなのに通路の奥の向こうにも、彼の姿は見当たらない。
だが、姿は見えなくなったところでどうしたと言うのか、見えなくなったのなら探せばいい。
フェルメニアはその意思の下に、身体の中の魔力を集め、風の魔法の術式を紡ぐ。
「――風よ。汝は我が
行使したのは、風を使った探査の魔法だ。これにより自分の知りたい情報が、風によって知覚される。
間もなく、フェルメニアの耳にスイメイの足音が風によって届いた。その音は、かつ、かつと一定のリズムを刻んでいずこかへ。まだ、そう遠くは離れていない。フェルメニアは音のする方へ、焦らずに急ぐ。
「こっちか……む?」
音を聞きながら、小走りに駆けていると、とある事に気が付いた。
(まて、ここの先は……)
そして、スイメイが向かった場所に気付くなり、再び怒りが燃え上がる。
そう、今まさに彼が行こうとしている場所こそ、白亜の庭園。王城キャメリアの内部にある庭の一つで、最も格式高い場所であった。
ここは、限られた者しか入ることはできない、国王の数少ない私的な時間を過ごす聖域だ。そこに無断で入ろうとするなどなんたる不遜か。もはや許すまじ。そう胸に怒りも怒り、赫怒を抱いて、床を踏み鳴らして追いかける。
石畳の通路を越え、途中の小さな中庭を経て、先へ。
あの少年に必ずこの怒りを叩き付けるのだと誓いながら、最後の通路をくぐり抜ける。星の光と月の光の逆光に、一瞬目眩く時を駆けながらついた先。身に宿した魔力を湛え、踏み行った。
――すると、そこには一人の魔法使いがいた。
白亜の庭園。その中心に聳えるオベリスクを横に、今まさに降り注がんと瞬く宝石のような星々を見上げながら一人背を向け佇む、スイメイ・ヤカギ。
青みがかった黒を地から天、天から地、端から端まで引き伸ばした壮大な中天を背景として、夜陰に座する巨大な月を伴侶に、夜気に立つ。
いつの間に着替えたのか、先ほどの“ぶれざあ”からその出で立ちは、“整えられた黒”と彼の姿を見紛うほどの、何一つの瑕疵のない正装へと転じていた。
「……やれやれ、人の後を尾け回したり、嗅ぎ回ったりするのは、いい趣味とは思えないけどな。そう言う事をしていいのは、物事の道理も摂理も分からない、哀れで愚かなストレイシープだけだぜ?」
そして彼は、ニヤリと不敵な笑みに口を曲げ、さながらこちらの動きにそも初めから気付いていたかのように、こちらに対し振り向いた。それはまるで、いく宛の分からぬ迷い子を嘲笑うかのように。
「……まさか、気付いていたのか?」
「まあな。あれだけ後ろをちょろちょろされれば、気付かない方がおかしいな」
「……!」
問うと、さも当然とばかりに涼しく返したスイメイ。尾行は既に知られていた。
まさか、こちらの完璧な隠行の見破る術を持ち合わせていようとは、驚きであった。
ならば今回、いっぱい食わされたのはこちらになる。そして、この追跡が誘いの手の内にあったという事も。
歯の根が軋みを上げるほどに、ぎりりと歯噛みをする。踊らされるという事が、これほど悔しい事だとは。初めて味わう屈辱に、怒りの炎が熱を上げた。
誘われた。その油断ならぬ事実に警戒を解かぬまま、こちらを向いた彼に問い掛ける。
「……ならば貴様、何のつもりだ?」
「何のつもりも何も。俺は単に散歩に出歩いてただけさ。夜に部屋を出てはいけないなんて規則、ここにはないだろ? それでまあ今回は、たまには行ったことのない場所に来てみたのさ」
「そんな理由でこの私を煙に巻けるとでも思ったか? 気付いていたのなら、分かっていてここに来たのだろう?」
知られていた事、誘きだした事に苛立ちを隠そうともせず、そう叩き付ける。
するとスイメイは悪戯がバレた悪童のように悪びれなく笑った。
「やっぱりダメか。だよな」
「もう一度訊く。何故、このような場所に来た?」
「何故ね。それは――」
口にするスイメイはやはり、そよ風に吹かれたが如く涼しげに笑っている。まるで、この先起こるであろう事を予見し、その上で楽しむように。
そして、こちらの真意を見透かすような目で。
「そんなの、あんたと同じ理由だよ。そうだろ?」
「…………」
「おっと、黙りかい? 俺はてっきりそうだと思ってたんだが、違ったのかな」
スイメイはそう口にしながら、慣れた動作で、黒い手袋を付けている。
その話には、こちらは取り合わない。目論見すらバレていたのが癪だと誤魔化すように、話題を逸らす。
「貴様、そんな服一体どこから持ち出した?」
そう、スイメイが身に付けている服は、今まで見たことがなかった。初めて見るタイプである裾の長い黒いコートに、その中に着ているのは内側が開き中の見えるようになった黒い服、飾り布と固く編まれた真っ白なシャツ。上着と同じ黒のズボン。そんな、出で立ちである。
「ん? ああ、スーツとコートかい? 戦闘礼服はいつも持ち歩くようにしてるんだ」
「持ち歩くだと? 召喚された時の服以外、衣服を持ってきてはいなかっただろうが」
「鞄に入れてたんだよ。あんただって持ってたの見ただろ?」
思い出してみろ。そういう風に口にしたスイメイは、何かを持ち上げる動作をする。その行為が、記憶に繋がるか。
確かにあの時、三人とも私物を入れる手提げの物入れをあのとき持っていた。
だが。
「あのような小さな物入れにそんなかさ張りそうな衣服が入るものか」
「あのさ、いくらなんでもその言い草は頭堅いと思うぞ?」
呆れたように肩を竦めるスイメイはの姿は癪だが――そうだ。彼は魔法使いなのだから、よくよく考えれば思い当たる節がある。
「……そうか、魔導具か」
「なんかやたら俗っぽい言い方だが、正解だ。見た目よりも数倍物の入れられる俺のお気に入りだよ」
と少しだけ自慢げに口にするスイメイ。魔導具とは、通常存在するものに何らかの力を付加させた、通常では有り得ない効果を発揮させる物品を言う。確かにそれならば考えられる話だが、入れ物の許容を増加させるエンチャントなど自分は聞いた事がない。八属性のどれにも当てはまらないように思うし、しかしそのような優れた魔導具を持つなら、自慢したくもなるか。
こちらが鞄の効果に唸っていると、手袋をつけ終えたスイメイは、コートの襟を整えて、不敵に切り出す。
「――さて、夜ももう遅い。そろそろ始めようか」
「バカな事を言うな、たわけ者が。お前はここを何処だと思っている。ここは国王陛下が特別気に入っておられる白亜の庭園。このような場所で戦うなど、許される事だと思っているのか?」
ここは白亜の庭園、王の庭。そこを戦いで荒らすなどと、なんたる思慮の浅いこと。そう、あまりに不遜な言い様を、鋭い睨みをもって咎める。
しかしスイメイはというと、まるで滑稽な物でも見たかのように、不敵な笑みを口元だけの嘲笑に変えた。
「へえ? 白亜の庭園ね。確かにきらびやかな造りによく合う大層な名前のお庭だが、――果たしてあんたが言う通り、本当にここはその白亜の庭園ってところなのかね?」
「何を意味の分からぬ事を言う。ここが白亜の庭園であるのは、お前の横にある庭の中心を示した白のオベリスクの存在が何よりの証。庭を彩る花々は王国全土から取り寄せたありとあらゆる種であり、そしてここが国王陛下のお気に入りなのは、左手側に見えるあの尖塔が――あ……?」
ない。勢いよく左手を振りかざしたが、国王陛下の部屋がある王位の塔が、あるはずの場所に、なかった。影も形も。
頭の中身が、一気に混乱の奈落へ落ちて行く。
そんな自身の困惑を知ってか、言葉を紡げずにいる自身を嘲笑うかのように、スイメイは言い放った。
「どうした? あんたの左手側には何もないぜ? あんたが言いたい白亜の庭園を望む国王陛下の寝所たる尖塔は、あんたの右手側だろ?」
その指摘に、はたと振り向く。
「……バカな。陛下のご寝所は左手側に間違いないはずだ。何故、何故右手側にあるのだ……」
逆を向くとそこに、塔が。不可解な現象に、言葉が出ない。理由がでない。そして、有り得ない。自分が指すはずの尖塔が、彼の口にした通り右手側にあった。
一体何が起こったのかと、頭の中を渦巻く疑問と混乱。本来、王位の塔は左手側にあるものなのだ。ここに呼ばれた機会はさほど多くはないが、その時にしかと見ている。それに間違いない。だが、今は何故か右手側にある。何故だ。
するとスイメイは、瞑目しながらの心得顔で、説き明かす。
「そうだな。考えられる答えは二つある。簡単だ。あの尖塔が右手側にあるのは、単にあんたがあれを左手側にあると思い違いをしてたのか、もしくは、ここがあんたの知ってる白亜の庭園じゃあないって事だ」
「バカな。それこそ有り得ん……」
「そうか? なら何で左にあった尖塔が右にある? 俺たちを見てる月が右側から昇ってる? 庭を彩る花々の植えられた場所が、左右逆転してるんだ? その答えを、そおら言ってみろよ」
「そ、それは……」
答えを出せと問い質されるが、その答えが分からない。
確かに彼の言う通り、今いる白亜の庭園はその存在が鏡写しのように、逆転していた。月も、星座も含め、自分が今見ているものすら全てが真逆。
これはまるで突然、異界にでも迷い込んでしまったかのようだった。
「Phantom road……」
(異界反転……)
「ふぁんとむ……ろーど?」
スイメイが口にした言葉――こちらの言語に変換されていないゆえ、恐らく彼らが日常用いる言語以外の言葉だろうが――それを、分からぬままに反復する。
「そう、ここは俺の作った結界の中。何もかもが現世から反転した鏡写しの幽幻世界。この世に存在しない数値を編み込んで存在しない場所を作る、いわゆる虚数空間って奴さ」
「な、なんだそれは? 存在しない数? きょ、きょすうくうかんだと? なんだ。お前は一体何を話している? 一体何をしたんだ?」
スイメイの魔法の説き明かしに、口をついて出たの炙られるような焦躁だった。聞き覚えのない言葉もそうだが、このような魔法見たことも聞いたこともない。宮廷魔導師である、自分が。全く。何一つ。
魔法はエレメントの力を用いて起こす神秘だ。火、水、風、土、雷、木、光、闇の八つのエレメントの力を借りるため、魔法は必ずいずれかの属性を持ち、そのエレメントの威によって奇跡をなす。魔力を原動力に、詠唱でエレメントに呼び掛け、エレメントを術式という道に乗せ、
だが、この魔法にはそれがない。魔法に必要不可欠なエレメントの力が、ないのだ。
「やれやれ、そこからかよ……。ま、俺も分かってはいたがね。こっちの魔術の拙さと、俺達で言う中世ぐらいの文明だ。中身はそれよりも数世紀ぐらい前っぽいが。まあ、だから言語とか概念関係からもう既に未知の事になってんだろ?」
「これが、これが魔法だと……? こんな世界を変容させる魔法があるものか。何の属性にもよらず、辺りの情景を変えてしまうなど……」
「変わってるのは見た目だけじゃないんだが……そんな混乱するようなもんかね? こんなのちょっとばかし手の込んだ結界魔術だぞ?」
そう、そもそもその聞いたことのない、属性なのかすらも怪しいものを用いた魔法が――。
「けっかい……まほう?」
「おいまさかそこからか!? まさか結界っつう概念すら無いのかここは!?」
「だからお前は一体何を――?」
「結界! 結界魔術だ! あんた本気で聞いたことないのかっ!?」
「し、知らん! 何を言っているのかは分からんが、そのような得体の知れない魔法、この世に存在しないっ!」
「……ま、マジかよ。俺なんかこの世界で無双できそうな気がしてきたぞ」
スイメイは何かに大きく驚いたあと、片手では重そうに頭を抱える。それほどにこの世界の魔法が彼には衝撃的だったのか。
そして彼はもう説明さえできぬと判断したのか。大きな大きな諦めのため息を吐いた。
「……まあいいさ。難しい話はなしにしよう。要はここはあんたの知ってる白亜の庭園じゃなくて、俺が魔術で白亜の庭園を元に作り出した別の場所だ。だから、ここで騒いでもケンカしあっても、魔術ぶっぱなしても誰も気が付かないで夢の中。オーケー?」
「っつ……」
言っている意味は半分も分からない。使われた魔法など全くの謎だ。だが、置かれた状況は理解した。今、己は彼の用意した檻に、誘い込まれてしまったのだと。
沈黙を理解と受け取ったスイメイが口を開く。
「ま、解らないなりに飲み込んではくれたようだな。ま、状況を冷静に受け止めるのは大事な事だ。さて、じゃそろそろ……始めちまおうか」
「ぬかせ。訳の分からないところに迷い込ませていい気になっているようだが、お前程度の魔力で私を倒せると本気で思っているのか? 私はアステル王国が宮廷魔導師、白炎のスティングレイ。このような臆病者の使うような小細工を使ってでしか相手に面と向かえないような男に、負けるような私ではないっ!」
あくまで上にいることを崩さない少年に、そう吼える。そうだ。よく考えればいいのだ。自分は白炎。炎の真理に行き着いた魔法使い。ならば何を後込みする事があろう。戦いになれば自分は絶対者。これまで幾体の魔獣や魔物を焼き払ってきたのだ。
魔力も少ないこんな少年に負けるはずもない。例えいずこかに引き込んだところで、何が有利だと言うのか。彼は自分を引き込んだのではなく、こんな場所に引き込まなければ戦う事もできないのだ。
――そう、自分が彼を恐れる理由も、危惧を覚える理由もない。
「――ふん。訳の分からぬ事をごちゃごちゃとほざいたようだが、結果は知れた事だ」
「あらら、そりゃあ大層な自信で。でも、本当にあんたで俺を倒せるかな?」
「よくぞ言った。ならば見せてやろう。私がこのアステル王国で白炎と呼ばれる所以を。魔導の極みたる真理に到達した、私の炎をっ!」
「む――真理だと?」
高らかに謳い上げるように声を放つと、対面から巫山戯の一切ない険しさを帯びた声。自分の口にした言葉を聞いて、今まで涼風を受けていたようなスイメイの顔色が、目に見えて変わったのだ。
当然だ。自分が扱うのは炎の真理だ。それを聞いて、それを見て、市井の魔法使いが平静でいられるはずもない。
故に、自身は唱える。自身がたどり着いた魔法を、ここに顕現させるために。
「――炎よ。汝、炎が炎たる理を有し、しかし炎の理を外れたもの。あらゆるものを焼き尽くす、真理にて禍なる白! トゥルースフレア!」
鍵となる言葉を唱え切ると同時に、自身の周囲に白く輝く炎が渦を巻く。この白い炎は周囲の風を取り込んだ、赤い炎の数倍の熱を持つに至ったもの。
あらゆる物質を焼き尽くす炎なのである。
「な――え?」
白の炎に取り囲まれたスイメイは、そんなよく分からない音色の声を口にした。顔色は困惑に満ちており、何ができる訳でもなくただ呆然とその場に立ち尽くしている。
当たり前だ。誰もが憧憬を持ち、畏敬の態度を崩さない白の炎が自分を取り囲んでいるのだ。
同じ魔法使いなら抵抗を諦めるのも無理はない。
そう、無理はないのに、スイメイは困惑顔で一度ぐるりと周囲を見回したあと、“恐る恐る指を鳴らした”。
その直後だった。白の炎は瞬時にその色みを失って、ただの赤い炎と化した。
「な、なんだと!?」
そして自身がその現象に驚いたのも束の間、炎はスイメイの周りで徐々にその猛威を失い、結果、何事もなかったかのように消えてしまった。
驚くこちらを尻目に、先程まで白の炎が燃え盛っていた場所を暫し眺め、やがてこちらに緩慢に振り向き口を開くスイメイ。
「……あの、こんだけ?」
それは、募るほどあった期待をちっぽけな結果で裏切られたような、拍子抜けの台詞だった。
想像が、焦躁が、行き場を失い蟠っては発散できぬスイメイ。彼の発したその言葉を切っ掛けに、自身の口から堰を切って溢れ出たのは、混乱。
「な、な、な、何故!? 何故だ!? 何故私の白の炎が消えるのだ!? あれは真理に到達したもののみが扱える炎の極みだぞ! 何故それが、指を鳴らしただけで……」
「うわぁ……なんだ、マジで言ってるのかよあんた。真理っつうからどんなヤバい魔術に手ぇ掛けたんだと思ったら、単に酸素混ぜて燃焼を少し加速させただけかよ……」
「な、何だその態度は!? わ、私の炎はっ!」
スイメイが見せた顕著な落胆に、言葉が上手く出てこない。何故白の炎が消えたのか、何故彼は失望の念を抱いたのか。そんな考えだけが先走って、言い返す事すら妨害する。
しかしスイメイはそんな自分に、呆れも足りんわ追撃だと、苦言を呈した。
「……呪いもねぇ。炎に掛けた意味もねぇ。どっかの伝承から引っ張ってきたような謂れもなければ、魔術の強さすらもない。俺があんたの師匠だったら、基礎からやり直せって怒鳴ってるところだ」
「な、なんだ! 私の魔法に一体何が足りないと言うのだ!?」
「全部だ全部っ! さっき言ったモンが全く無くて、あんたはただの火炎放射器になってんだよっ! つーかそれより酷いわっ!」
「なにっ!?」
「はあ、もういいよ……もう……」
そんな、説明も諫言も諦めたような物言いをするスイメイ。呆れを通り越して憐憫となった瞳の揺めきが、魔法を破られた自身の苛立ちに拍車をかける。
そんな中だった。何が起こったのか。彼は何を起こしたのか。
彼が再び大きなため息を吐いた時、彼の足元に突然――
. . . . . . . .
魔法陣が出現した。
「なんだとっ!?」
「……今度は何?」
非難するような口調は呆れによって占められている。だが、それよりも何よりも、自分は目の前で起きた有り得ない現象に、驚愕するので手一杯だった。
「魔法陣が勝手に描かれただと……有り得ない……」
「……へ?」
「へ、ではないっ! 何故……何故足下に突然魔法陣が出現するのだ!? それは有り得ない事だろうが!? 貴様、何をしたっ!?」
事を甚だしさに対し怒鳴り付けると、スイメイは今度は先程までとは違い血の巡りの悪そうに眉を潜めた。
そんな顔をしたいのは、こちらである。
そも魔法陣とは、地面のみならず、床や壁、岩肌、紙など、筆記できる事が可能な媒体に魔法を使用する時に構築する術式の一部または全部を構成して、魔法行使における行程を簡略化させるための補助の役割を担うものだ。
通常、術式を文字または数、図形を組み合わせて書くまたは描き込まなければならない労力が発生するため、戦闘中は言うに及ばず儀式等でしか用いられず、今のように何の行為も無しに描かれる事はないものなのだが――
「いや、普通だろ」
「普通なものかっ! 何をどうすれば魔力を干渉させただけで勝手に魔法陣が描かれるという事態が起こるのだっ!」
再度怒鳴り付けると、スイメイは再び頭を抱え出して。
「あ゛ー、そこもか? そこからなのかこの世界は。マジ終わってないか? この世界の魔法って」
こちらに構わず懊悩。そして、一頻り頭を悩ませてそこから回帰すると、こめかみを人差し指でくるくるとなぞり、今までとはまるで違う声音を出す。
「えっと、あのな。こいつは予め決めておいた魔術の術式を構築すると、自動で魔法陣が形成されるように、前もって世界に干渉してその魔術の基盤を組み込んでおいたものだ。そうしておくと、魔術を使うとき魔法陣が自動で発生して、高速で魔術を行使できるんだよ。分かるか?」
「え、あ……?」
「そんなのできる訳がないって言葉は
「…………っ」
少年の、異論は言わせぬと迫るような厳しさに、こちらの言葉は封じられた。
彼の物言いが真っ当だったこともあるが、そも魔法陣を自動で発生させるという技法が存在すること自体、初耳だった。今まで誰も魔法陣をそんな風に使わなかったし、老魔法使いもそんな話はしなかったのだから。
「……魔術行使のための工程の簡略化なんぞ、戦闘中は必須だろうが。ここホントに剣と魔法のファンタジー世界なのかよ。
これじゃあ俺達がいたところの方がよっぽどファンタジーしてたぜ……」
「ま、魔法を行使するまでの工程の簡略化くらいある! 無詠唱がその最たるものだ!」
「え? なにそれ? 無詠唱がそんなに高度な技術なわけ?」
「あ、当たり前だ」
「そりゃ大魔術なら話は別だがよ。じゃあなにか? こんなのも、すごい技になるのか?」
スイメイはそう簡単に口にしてから、パチンと指を弾いた。すると俄に、弾かれる音――指が親指の付け根を叩く音と全く同期して、自分の目の前の空気が激しい勢いで弾けた。
息を吐く間も飲む間もない。四方に爆散した空気が、風を越えた衝撃波となって辺りの物を蹂躙する。
「く、あ……。なんだ……と? 無詠唱、その上鍵言もなしに……」
「すごいよ水明君っ! 無詠唱で魔術を行使したから、これで今日から大魔術師の仲間入りだねっ! ……はぁ、馬鹿らし」
胸を張って、すぐへこむ。自分のおどけが寒いものだと一瞬で吐き捨てたスイメイは、もう気分すら萎えきっていた。
だが――
「説明も飽きた。これ以上あんたの疑問に付き合う気はない。だから」
そう口にして、言葉を唱えた。
「Archiatius overload!」
(魔力炉、負荷起動!)
それは魔法の詠唱だったのか。アルキアティウス、オーバーロード。呪文や鍵言の区別もつかぬほどあまりにも短く、何に呼び掛けたのかさえ分からない独り言は、しかしその足下にあった魔法陣を一際強く輝かせる。
そして、虹の煌めきを含んだ白光の魔法陣が、少年の中の何かを解放した。
「――ッツ!?」
直後、吹き付けてくる膨大な魔力。その目眩く力に一瞬目を閉じるも束の間、治まった奔流に目を開けるとそこには、静謐な魔力を湛え強力な威圧に身を固めた何者かの姿があった。
「ま、魔力が増えただとっ!? 何が――」
「何が? 俺は飽きたって言ったぞ? それ以上は言うんじゃねえよ。ああ、分かってるさ。今みたいに魔力を
スイメイはどこか苛立たしげに口にする。もう、こちらの疑念に答える気がなくなった少年は咄嗟に放った言葉にさえ仮借ない。
そして再び静かな意気を取り戻して、改めて切り出した。
「始めようと言ってから、もう随分と無駄な時間を過ごしたが――さて、魔法使いさん、そろそろ俺の番かな?」
と、訊ねの最後に、スイメイは面白くも無さそうに鼻を鳴して。
……いま目の前で起こっているのは、何なのか。ここに来てから、幾度そう思っただろうか。今の魔力の増大もそうだが結局この男は先ほど言った通り、魔法陣を用いて魔法を発動させた。
魔法の工程を簡略化して使うための魔法陣をわざわざ作ってから魔法を行使するなど、矛盾した行為だ。魔法陣を描く手間が増え、結局魔法を行使するまで時間が増えてしまう。なのに、目の前の男はその工程をとったにも関わらず、魔法という奇跡を行使するのに最低限必要な時間さえ無視した速度で、魔法を行使した。
その事実に偽りはなく、その事実に虚飾はない。ならば、もうこの少年を格下だと扱う事は出来ないだろう。自分の出来ない事、理解出来ない事を苦もなくやって退けているのだから。きっとこの少年は掛け値なし。自分の知らない世界で、自分の知らない魔導を歩んできた、絶対の
――きっと、この少年は自分より強い。
――きっと、この少年は自分が師事した老魔法使いよりも強い。
――きっと、この少年は勇者レイジよりも強い。
――きっと、この少年は世界を破滅に導く魔王よりも……
「……お前は何者だ?」
「そういや、ここに来てから一回もまともに名乗った事はなかったな。いいぜ、あんたには名乗ってやろうじゃないか」
そう、スイメイは思い出したように口にしてから、再び口を開いた。
「――俺は魔術師、八鍵水明。世界の全ての理に辿り着くために神秘を志した、現代日本の神秘学者だ」
魔術師、八鍵水明。
それが後に、アステル史上最高と謳われた魔法使いに初めて土を付け、彼女に決して辿り着けないと言わしめた魔法使いたる男の名だった。