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レフィール危機一髪!



 聖庁エル・メイデで召喚された勇者、エリオット・オースティンのパレードもあと少しという時期に迫った帝都は、いつにない賑わいを見せていた。

 華やかと噂される勇者のお目見えに、町に住む人間の興奮は日に日に沸き立ち、勇者を一目見ようと、帝国内外から観光客がひっきりなしに帝都入りしている。町の中の宿だけでは捌き切れないほどの数で、城門の外にある安宿さえ期間中は逗留と予約でいっぱいだ。



 一方、その賑わいにまつわる商売の方も盛んであり、通り沿いの店舗は一様に特別な飾りつけを施し、いつも以上にきらびやかな帝都の通りを演出している。一日見ないだけで知らない店舗が建つほどの力の入れようだ。

 そんな即席の店舗を作るのに駆り出されているのは大工だけでなく、ドワーフたちもそう。彼らの活躍はいつも以上に大きなもので、店舗に飾る細工や、大工仕事、勇者の召喚に触発された戦士たちの武器作りなど、ここ数日はほとんど休む暇もない。



 いつもは『商売は道楽』と言い切り、適当な仕事をしている獣人たちでさえも、この期間は、とばかりに精を出している。

 それはまるで、事件のことなど忘れてしまったかのよう。ここ最近事件が起こっていないのも、理由の一つにあるのだろうが、それはさておき。

 この日、普段よりも人の数がやたらと増えた帝都を、レフィールは一人歩いていた。



 幼子のように遊びに出かけた――というわけでは当然なく、買い出しである。

 広場で水明たちがグラツィエラと一悶着あったため、表立って外を動くことは憚られる状況になり、それにより、情報収集、食料の買い出しなどが彼女の役回りとなったのである。

 あれで水明たちに手配がかけられたり、憲兵が来ることもないのだが、ほとぼりが冷めそうな頃合いを見計らって念のため、ということになった。

 レフィールは食料その他をこれでもかと詰めた袋を抱えながら、人ごみを掻き分ける。人に揉まれながらの移動は厳しいと、路地に逃げおおせ、一息ついた。



「ふぅ……」



 荷物を一度置いて、肩を回したり腰を回したりと、身体をほぐす。クラント市で買った、ふわふわの付いたお気に入りのワンピースに汚れやほころびがないことを確認し、赤い髪を結ったリボンをきゅっと引っ張って整えた。そしてその青い双眸で、まだ押し合いへし合いをしている人ごみを見やる。



 最近に入って状況が急激に変化し、目まぐるしくある。女神の予言や、リリアナの説得で水明が大怪我をして帰って来たこと、その怪我を押してのグラツィエラとの戦い、そしてリリアナの保護である。



「スイメイくんにも困ったものだな……」



 そう、無理をするなと止めても、彼は最後まで自重しなかった。自分がやらなければならないのだとそう言って、大変な道を突き進んだ。だが、それはそれで彼らしいとも言える。彼がそういう人間だからこそ、自分はこうして歩いていられるのだから。

 ため息を吐いたはずなのに、気が付けば顔はほころんでいた。



「それにしても人が多いな……」



 そろそろ行かなければと、荷物を抱え直してふと通りのある方を見返る。少し離れたため人ごみは見えないが、雑踏の音は伝わってくる。またあれの中に入ると相当難儀することは、目に見えていた。



 そして、やはり裏通りを歩いた方がいいかと振り向いたとき、誰かとぶつかった。



「――おっと、申し訳ない」



「い、いいんだよ、お嬢ちゃん」



 咄嗟に謝ると、そんな優しい声音が降ってきた。声は男性のもの。だがその声音には、興奮、いや、どこか落ち着かなさのようなものが感じられた。

 レフィールが顔を上げると、その男は喜悦を抑えきれないといった風に、引きつった笑みを顔に浮かべていた。その様子に、何か得体の知れない寒気を感じて後ずさるが、意を決して切り出す。



「……すまないが、そこをどいてもらえないだろうか」


「ごめんね。そういうわけにはいかないんだ」


「何? 何がそういうわけにいかないのだ? ――っ⁉ 何だお前は⁉」



 目の前の男の行動に、非難の入った叫びを上げる。立ちはだかった男は手を気色悪く動かしていた。わきわきと、そんな音が出てきそうなほど、不快な動き。



「えへ、えへ、ちょっとお兄さんと一緒に遊ばないかい」


「お兄さん……? どこがお兄さんだ! おじさんではないか!」


「そんな、これでもぼくはまだ三十代後半……」


「十分おじさんの範疇に入る年齢だ!」



 レフィールはぴょん、と後ろへ飛ぶ。



「ほら、お兄さんと一緒にあっちで遊ぼうよ、ぐへへへ……」



 男の目付きは尋常ではなかった。最近帝都によく出没すると噂の幼児性愛者(ロリコン)か。



(う……どうする? マズいぞ……)



 元の姿だったならばと、いまは言うまい。人ごみから逃げたのは失敗だった。まさかこんなところに人ごみよりも危ないものがあろうとは。叫べば、誰か勘付いて来てくれるか。しかし、路地に入り込んでしまったため、誰かが来てくれる可能性は、叫び声が雑踏の音にかき消されることを考慮に入れると随分と低くなる。

 だが、何もしないよりはマシか。そう考える間にも、にじり寄ってくる男。



「――やめろ! 近づいてくるな!」


「えへ、えへ、そんなこと言わずにさぁ……」



 斯くなる上は荷物をぶちまけて目晦ましにして逃げおおせる。

 小さくなったことを恨みながら、構えていると。



「待て!」



 何ともちょうどよく、猛々しい声が響いてきた。



     ★



 某テーマパークの土日祝日のような混雑の人ごみから、辛くも抜け出した瑞樹は、膝に手を突き、額の汗を拭いながらうんざりした声を放つ。



「す、すごい人だねー」



 後ろには、同じように人ごみに揉まれ、人いきれで汗をかいた黎二たちの姿があった。

 黎二は瑞樹に「そうだね」と力なく同意し、一方でティータニアは手ごろな木箱に腰かけながら、お付きの騎士からもらったタオルで額の汗を拭いていた。



 この日、ちょうど帝都に到着した黎二たち一行は、帝都のあまりの人の多さとそれが原因となる息の詰まり様に気息奄々、喘いでいた。観光客と商人、救世教会の信者などでどこもかしこもいっぱいで、一息つける場所がない。様々な色が目に飛び込んでくるせいか、瑞樹の長い髪の黒色が、どこか心の安寧を誘う。



 黎二は片雲の端から見える陽光を、目の上に手を置き鼬の目陰を作って眇め見る。帝都入りする前までは良い日和だと喜んでいたものの、いまではやたら憎たらしい。ふと気付くと、視界の端に青い髪が見えた。いつの間にか隣にいたティータニアが、瑞樹よろしくうんざりとした様子で口を開く。



「これも、聖庁で呼ばれた勇者様のパレードの影響でしょうね」


「パレードって確かまだ何日か先でしょ? 当日になったら一体どうなるんだろこれ……」



 瑞樹の言葉が、全員の顔を辟易とさせる。誰も、そんなことは考えたくなかった。

 だが、人の多さもそうなのだが、当面の大きな問題が自分たちの前に居座っている。



「結局、今日の宿、取れなかったね」


「そうなんだよね。う~ん、どうしよっか?」


「それでしたら、救世教会に申し出れば丁重にもてなしてくれると思いますよ? 何せ勇者であるレイジ様がいらっしゃいますし」


「そっか! その手があるんだ! ティア、ナイスアイディア!」



 瑞樹は親指を立てグッドサインを作り喜ぶが、しかし黎二はその案には首を横に振った。



「それは止そう」


「え? な、何で? どうして? 黎二くん」


「僕が名乗り出れば、帝国にいることが知れ渡って、身動きが取れなくなりそうだからさ」


「確かに、救世教会の信者たちの口から広まる可能性は否定できませんね。街中を歩けば人が群がってくるでしょうし、聖庁の勇者様のように、パレードなどに駆り出されるでしょう。何せお布施を出すのも出されるのも好きな方が、たくさんいらっしゃいますから」


「お布施はどうかわからないけどね」



 黎二は首肯する。とにもかくにも自分の存在が大きく知れ渡ると、帝国で自由な行動ができなくなる恐れがある。それもそのはず、公にはラジャスを倒したということになっており、それが大々的に広まったせいで、クラント市ではほとんど宿にこもっていることを余儀なくされた。そのことを思い出せば、どうなるかなど明らかなことだろう。



 それに帝国に来た理由はグラツィエラの動きを牽制すること。自分の存在が知れ渡れば影響が出るだろうし、ハドリアスに指図されたように一応は、そういった素振りもしなければならない。

 個人的にグラツィエラという人間のことが気になっていることもあるが――



「うう~じゃあ野宿でもするの? 折角大きな街に来たのに野宿はやだよ~」



 いつもは我がままなど言わない瑞樹が、珍しく駄々をこねている。旅の最中、野宿などそうそうなく、やるとすればやむを得ないときだけなのだが、確かにこんな大きな都市にいるのに野宿しなければならないのは、納得がいかないのもわかる。



「確かに、休めるときにちゃんとした場所で休めないのは身体に障ります。宿は確保した方がいいように思われますが」


「そうだよね。どうしようか……」



 休息、任務。どちらも大切だ。だがこの状況下では、どちらの条件も満たす解決策はない。



「じゃあ帝都の外にある宿屋は? あそこならもしかして……」



 瑞樹の言葉に、お付きの騎士では年長であるグレゴリーがいかつい顔をさらにいかつくしかめさせる。



「いいえミズキ殿、それはいけません。たとえ都市外の宿に空室があったとしても、あのような安宿は野宿よりも粗悪です。ミズキ殿や姫殿下にはいささか不健全なものかと」


「そ、そうなんだ……」



 お父さんは許しません。そんな台詞を想起させるグレゴリーの迫力に、瑞樹は引き気味に頷く。すると、お付きの若い騎士、ロフリーが、



「街を探せば姫殿下とレイジ殿、ミズキ殿の分くらいはあると思いますよ」


「僕たち三人って、それじゃそうするとロフリーたちの泊まるところが……」


「いえ、私たちの分はお気になさらず。優先されるのは勇者殿、姫殿下、ミズキ殿です」



 ロフリーと同じように、ルカも言う。だがそれではと、黎二の気持ちが許さない。



「うーん。やっぱり多少のことには目を瞑って、教会に行った方がいいのかな――」

 そんな風に、今後の行動とその如何について額を集めて頭を悩ませていると、不意に近くから少女の叫び声が聞こえてきた。



「――やめろ! 近づいてくるな!」



「レイジ様」


「近くからだね。行ってみよう」



 声のした方へ、黎二は先頭をきって向かう。立ち込めているのは、何やら剣呑な臭いのよう。角を曲がると、尋常ではない雰囲気を放つ男に、幼い少女が追い詰められていた。



「れ、黎二くん。あれ」


「うん。わかってる」



 黎二はその様子を瞬時にただならぬもの――男が少女に襲い掛かろうとしているものと判じ、止めに行く。

 そんな凛とした表情で駆け出した黎二を見て、ティータニアは上気した顔になった。



「さすがレイジ様です。ミズキ、見ましたか? あの悪を許さぬといった凛々しいお顔を」


「私は黎二くんのああいうところは見慣れてるしー」



 そう言って胸を張り、得意げな顔をする瑞樹を、ティータニアは羨ましそうに、そして恨めしそうに見る。



「……ミズキ、ズルイです」



 一方、黎二はすでに男と少女の間に割り込んでいた。



「な、何だお前⁉」



「僕のことなんてお前には関係ない。いますぐその子から離れろ。じゃないと……」



 そう言って、黎二は眼光鋭く睨み付け、男を威圧する。哀れを催す声を漏らしてたじろぐ男に、黎二はダメ押しとばかりにおもむろに剣を引き抜く挙動を見せる。



「ひ、ひぇええええええ!」



 この世界に呼ばれてから魔族や魔物と相対してきた黎二を前に、幼女をかどわかそうとするような男の精神が保つはずもない。根負けという言葉すら必要ない早さで、男は一目散に逃げて行った。



「まったく、いい大人がこんなことをするなんて……」



 黎二は嘆くようにため息を吐いてから振り向くと、少女が頭を下げた。



「助けてくれてありがとう」


「いいや、構わないよ。それよりも君の方は大丈夫? 何かされてない?」


「大丈夫だ。叫んだら、君がすぐに来てくれたからな」



 黎二は少女とそんなやり取りを交わす。

 適度に梳かれた綺麗な赤髪と、二つ並んだ泣きぼくろが特徴的な少女。男がかどわかそうとした理由がわかるくらい可愛らしいが、よく見ると仕草と瞳から凛とした印象を受ける。


 黎二がそんなことを考えていると、ふと少女が男の逃げて行った方を見る。



「助けてもらって言うのもなんだが、あの追い払い方は少し乱暴だったのではないか?」


「わけのわからない問答に付き合っている間に、おかしなことになったら大変だからね。少し乱暴でも、ベストだよ」


「そうか、そうだな」



 納得したか。ああいった手合いは往々にして会話にならないものだ。下手に平和的な解決を試みようとすると、かえっておかしなことになる。

 遅ればせて瑞樹たちが、後ろから歩いてきた。



「ああいう人って、どこにでもいるんだね……」


「あれが世に言う幼児性愛者ですね。向こうにもいるのですか?」


「うん、時々逮捕されてニュースになってるよ」



 瑞樹とティータニアがげんなりとした声でそんな話をしているのが聞こえる。

 一方、目の前の少女が名を名乗った。


「私の名前はレフィール・グラキス。改めて礼を言う。もしよければ君の名前を聞かせてはもらえないだろうか?」



「名乗るほどの者でもないよ……って言っていなくなるのは気障すぎるよね。僕の名前は遮那黎二」



 黎二が名乗り返すと少女、レフィールはにわかに眉をひそめる。そして、



「しゃなれいじ……? ――まさか君はスイメイくんの知り合いの……」


「え?」


「は?」


「スイメイって……君、水明を知っているの⁉」



 黎二の問いにレフィールは頷く。彼女の発言を黎二と同じく聞いていた瑞樹たちが、彼の両脇から首を出してきた。


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