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闇魔法とは



 闇魔法の説明をすると言った水明だが、ふとリリアナに聞かなければならなかったことがあったのを思い出す。



「すまん。聞き忘れていたことがあるんだが、先にそれを聞いてからでもいいか?」


「なんでしょう?」


「リリアナが魔法を使ってるときに、時々呪文の最後に付け足していた言葉は、背の高い影から聞いたのか?」



 問うと、フェルメニアが思い出したように手を叩く。



「蛮名ですね」


「ご存じなのですか?」


「ちょっと知ってる人に縁があってな」



 そう言うと、リリアナは、



「はい。闇の力を増幅する魔法だと聞かされ、これから魔法を使うときは積極的に使え、と言われました。最初は半信半疑でしたが、言われた通り、呪文の最後に付け足すと、闇魔法が強くなったので」


「使っていたと。ふむ……」



 水明はしばしの間黙考して、呟くように口にする。



「ノミナ、バルバラ……」


「どうか、しましたか?」


「いま、なんて聞こえた?」



 なんてことはない訊ねに、やはりリリアナは小首を傾げる。おそらくは、こんな問いかけに何の意味があるのだろうと、疑問に思っているに違いない。

 答えてくれと視線で再度訊ねると、リリアナは怪訝な表情を浮かべたままに言う。



「蛮名と、聞こえましたが?」


「……リリアナには、そう聞こえるんだな?」


「そうです」


「じゃあ、フェルメニアにも?」


「……はい。蛮名と」


「なるほどな」



 二人の答えを聞き、水明は納得したように瞑目する。



「いまの問いには、なんの意味が、あったのですか?」


「いや、気にするな。そんなた大したことじゃないから――じゃあ、闇魔法の説明に移るか」



 そう言って、水明は気持ちを切り替えて、説き明かしを始める。



「さて、前に俺は闇魔法がその力の根源としているのは、恨みや憎しみだと言ったのは、覚えているな?」


「はい。あのときは、にわかには信じられないこと、でしたが」


「だが、それに間違いはない。それは俺のアストラル・ボディの損耗や、リリアナの皮膚や目の変質からわかることだ」



 水明はそう前置きのように説明してから、わずかの間考え事をするように俯く。説明をまとめているのか。やがてして、切り出す。



「ま、少し話はズレるんだが、まずこの世界の魔法についての俺の考察から、話し始めようと思う。この世界の魔法っていうのは、この世界の周りをエレメントという概念が取り囲んでいるから使えるんだと思う」


「この世界の周り、ですか?」


「ああ、みんなが想像するこの世界の形は、境界のない球体でも湾曲したサドルでも、真っ平らな板でも何でもかまわないが……その外側にエレメントという広い概念が取り囲むように存在していて、その中に狭い概念である火、水といったエレメントが存在しているんだろう。この世界の魔法使いは、そこへ一度魔力を送って、エレメントに属性と一部の術式を肩代わりしてもらっているというシステム――方式を採っている……ま、使ってる人間は意識してないと思うが」


「確かに、こちらでは普通、魔法はエレメントを通じて行使するものだとは教えられていますが、そこまで詳しくは解明されていませんね」



 フェルメニアの合いの手に、水明は「だろうな」と言って首肯する。そこまで解明されていれば、闇魔法がどんなものなのかなど、すでに周知となっているはずだ。

 それはともかく。



「長短についてはいまさら言うことでもないが――一部術式の不明化、術の掌握ができないなど弊害は出てくる。だが、概ね便利な方式ではあるな。それで、闇魔法はその概念の中に交ざり込んだ怨嗟などの力を抽出しているんだ」



 突拍子もない話に、リリアナが眉をひそめる。



「待って、下さい。どうしてそんなものが、エレメントの中に交ざっているのですか?」


「私も理解に苦しむな。スイメイくんは先ほど自分で、魔法はエレメントを通じて行使すると言ったばかりだ。それなのにどうして、そんなものが魔法にかかわることになるんだ?」


「それについては、もともとこの魔術の体系を作った人間の意思によるものだからな。先にリリアナの質問から答えることにしよう」



 水明の言葉に二人が頷く。



「つまりここで言う誰かや何かを憎む心ってのは、人間がいる限り生まれるし、そしてなくならないものだ。人は誰しも、妬みや憎しみを捨てきれないからな。それは当然、人間が増えれば増えるほど、多ければ多いほどそういったものも増えていくことになり、やがて世界という一つの箱がいっぱいいっぱいになる」


「そうなると一体どうなるのですか?」


「どうなる、か。……俺の世界(いたところ)がそうなってしまったところでな、科学の発展で医療技術が格段に進歩し、それによって人が増えすぎたせいで、恨みつらみの出切らなかった分が世界中に溜まって、おかしな現象ばっかり起こるようになった。簡単に言えば、そんなものが溜まると世界がおかしくなるのさ」



 水明は「というわけだ」と区切って、また語り出す。



「身体の異状を取り除きたいと考えるのは、誰だって思うことだ。それは世界という大きな概念だって同じだ。だから、世界は常にそれを外に排出しようとする。そうして外側に出されたものが、エレメントというものがある場所で留まって、蓄積されていったと推測される」


「でもスイメイ殿。それではエレメントと同じような力ではないと思われますが」


「だが、魔法としては成り立つ。エレメントがなくても、手順さえしっかり作ってあれば、それを力の源とした術を作り出すことはできるんだからな。それに実際、魔術はエレメントがなくても作ることができる」


「あ……」


「――最初にこの世界の魔法の概念を作り出したヤツが、どうしてエレメントなんてものを知得できたかは、いまは話から除外しよう。その何者かは、まずエレメントという広い概念をどんどんどんどんと火、水、風などの狭い概念に分けていった。そういったことをすることによって、限定した力のみを呼び出すことを可能とし、魔法の行使にかかる煩雑な手順を少なくしようと考えたわけだ。そしてその概念を狭めて特定していく過程の中で、いわゆる闇の力と呼ばれるものを見つけた。それは憎しみや怨嗟であり、力として顕現させれば黒く、おぞましい。そういったものは得てして夜の闇が連想されてきた。その人間も同じように闇を連想したんだろう。強い力の魅力にとらわれちまったからなのかどうかは知らないが、手を出してしまったのが間違いだったのかもしれないな」


「……スイメイくんが言ったことを要約すると、最初にこの魔法を生み出した人間が、憎しみや恨みの力をエレメントと勘違いしたせいで、闇魔法ができたということか」


「そうだな」


「……それが、私の使っていた力の正体、ですか」



 目を伏せるリリアナの言葉に、水明は肯定の頷きを返す。すると彼女はその琥珀色の瞳を憂いで揺らしながら、



「それと、あの不気味な生き物は、なんなのですか?」



 ベッドカバーを握り締めた彼女を、怯え顔にさせたのは、あの日の夜に現れた存在か。



「罪深き姿だな。あれは隠秘学における禍々しき者(アストロソス)と同義にあるものだ。恨みやつらみが凝り固まったものが、そのアストロソスと同じ濃度に達したとき、外殻世界にある無貌(アソマトゥス)という概念が相似関係にある罪深き姿を世界に投射して、世界に現界される」



 あの夜は、リリアナの闇魔法の暴走により、恨みつらみが色濃くなった。それゆえ、現界してしまったのだ。

 そしてあのときリリアナが動けなくなったのも、罪深き姿に原因がある。通常、精霊、邪霊が人間に影響を与えるときは、三つの状態のいずれかを取ると言われている。一般的に良く知られているのが内側から対象に影響を与える憑依(ポゼッション)。もう一つが、水明がラジャスにアブラク・アド・ハブラを見舞ったときに使った聖守護天使の半憑依(ハーフ・ポゼッション)。そしてあの夜にリリアナを苦しめたのが、神秘的な存在に外側から干渉された『オブセッション』と呼ばれる状態なのである。



 邪悪な存在に外側から影響を受け、精神が耗弱したのだと思われる。

 水明がそんなことまで説明したのだが、



「……なにか急に、難しくなったのです」


「……スイメイ殿は説明に熱が入ってくると難解な言葉を使い始めるので」


「……最初の内はわかりやすくたとえたりしてくれるからいいんだがな。こうなってくると、もう駄目だ」



 そんな三人の内緒話が聞こえないほど、水明は説明に熱が入っている。

 やがて一通り説明を終えた彼は、



「そう言うわけだ」


「なんとなく、わかりました」



 満足そうに頷いた水明は、一呼吸置いて眼差しを向ける。それはおどけの一切含まれない真摯な視線。それにリリアナも、居住まいを正して向き直った。



「……俺が魔術の基礎を教えてやれば、闇にとらわれない術の使い方もわかる。それを身に付ければ、もう身体のことも、心の中にある闇に苦しまなくてもよくなる。どうだ?」



 その問いに、リリアナが無意識に口を開きかけたのは、どうしてとそこまでしてくれるのかと、そんな訊ねが出かけたからなのかもしれない。そして口に出すのを思いとどまったのは、自分がお節介焼きだと言ったことを思い出したからなのだろう。



「わかりました。よろしく、お願いします」



 水明の差し出した手に、再びリリアナの手が重ねられる。

 それは水明一行に、また一人仲間が加わった瞬間だった。


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