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眠りから覚めて



 ほどよい温もりに抱かれたまま、リリアナは目を覚ました。

 温かな微睡(まどろ)みから意識を取り戻したのもつかの間に、ぼぅとまだ本調子でない頭のまま、上体を起こす。

 どうやら、どこかの部屋のベッドに寝かされていたらしい。触り心地のいい真っ白でふかふかのベッドカバーをぎゅっと抱きしめながら、周囲を見回す。いかにも安物らしい毛羽立った栗色の絨毯に、華美に走らない木製の質素な家具、徐々に見覚えがあることに気付くが、頭の中に靄がかっているため、ここがどこなのか明確には思い出せない。


 微睡みの(ものう)さにおぼれたまま呟くと、



「ここは……?」


「――目が覚めたか」



 幼い声音だが、凛とした声が響く。近くで作業していたのか。赤い髪の少女が廊下から顔を出した。その顔にも見覚えがあるが、一致する名前が出て来ない。



「あなたは……?」


「む? まだ寝ぼけているのか? 休む前に自己紹介はしただろう?」


「あ……」



 両腕を腰に当てる少女――レフィール・グラキスの言葉で全て思い出した。そう、スイメイ・ヤカギに保護された自分は彼に連れられ、彼の住まう家に来ていたのだ。

 そこで、以前詰所で会った彼女と再会し、また、夜の戦いのときに一度顔を見たアステル王国の魔法使い、フェルメニア・スティングレイとも顔を合わせた。そして、久しぶりのまともな食事にありつき、このベッドをあてがわれ――眠りについたのだ。


 思い出して咄嗟に、右目を調べる。普段眼帯を付けているように、右の視界が利かなかったため、違和感に気付かなかったが、代わりの眼帯が当てられていた。

 ぶるると、知らず震えが全身に走る。追われていたときを回顧し、そしていまとの差を思い知ったことによる、それは怖れの身震いだった。曰く言い難い感情の溢れが、身を揺すっては止まらない。もしここにあるものが、いままで起こったことが全て夢で終わったら。そんな恐怖が、おいでおいでと手招きしている。


 この現実が逃げ出さないように、ベッドカバーごと身体を強く抱きしめていると、レフィールが肩に手を置いた。顔を上げると、柔らかな表情に迎えられる。



「リリアナ」


「……なんです?」


「いまからスイメイくんを呼んでくるから、少しそこで待っていろ」



 肩をぽんぽんと優しく叩くレフィール・グラキス。恐怖にとらわれていることを見抜いているのか、恐れよ消えろと言うように微笑み、彼女は部屋から出ていった。


     ★



 レフィールが部屋から出ていって間もなく、彼女がスイメイとフェルメニアを引き連れて戻ってきた。

 各自、用意した椅子に座るのを見計らって、一人だけ歩み寄ったスイメイが顔を覗き込んでくる。何かを確かめているようで、不躾ではない視線。やがて、それまでは硬かった表情が、そこでやっと人心地ついたという顔になった。



「落ち着いたようだな」


「はい、おかげさまで」



 礼を言い、頭を下げると、スイメイが何もない場所からコップを取り出す。



「何か飲み物でも飲むか?」


「いえ、大丈夫です」


「そうか」



 そう言うと、彼はコップを消し去った。彼の魔法だろう。

 やがて、スイメイの表情が真剣みを帯びた。



「さて早速だが、聞かせて欲しいことがある」


「事件のこと、ですね」



 何をなどとは問うまい。もはや知れたようなことだ。

 だが、わかってはいたが、口に出して自然と身体が強張った。話したら、追い出されるのではないか。そんな憂慮が自身の心を乱したから。

 そんなこちらの機微を察したスイメイが、心配るような柔らかな笑みを作る。



「なに、追い出したりなんかしないさ。というよりも、いままでの発言から考えて、筋の立たないことをしてるようにはどうも思えないしな」


「……はい」


「さ、話してくれ」


「私は」



 彼の言葉を聞いて安堵することができたが、ふとスイメイ以外の二人の顔色が気になった。彼はいいが、彼女たちはどう思っているのか。だが、レフィールは真面目腐った風に目を瞑り腕を組み、フェルメニアは優しげな笑みを向けている。悪くは思っていないようであった。

 心を決め、口を開く。



「前に、お話ししましたが、帝国軍の情報部に所属するローグ・ザンダイクは私の養父です。平民出身で、剣技と魔法の腕前を認められ、いまの地位に就いた方ですが、そのためいわゆる成り上がりですので、そんなところを貴族たちから疎まれ、嫌がらせを受けて、いました」


「なるほど、高貴な生まれでない者はどんな人間だろうと卑賤として追い落とそうというのは、ありがちな話だな」



 矮小な奴らだ、とレフィールが厳しく断じるとスイメイが、



「あの魔法使い共もその関係だな?」


「はい。彼らも、その嫌がらせの一つ、です。そんな悪意は日を追うごとに多くなり、やはり大佐の職務や行動にまで、影響が出ました。私はそれを見ていることしかできず、歯痒く思っていたのですが、そんなとき、あの人が、私に接触してきたのです」



 ――父の窮地を、救いたくはないかと言って。



「もう一人の、あの黒ローブか」


「はい。先ほど言った通り、大佐のことを心配していた私には、あの人の言葉は天啓のようなものでした。法に触れることだとはわかっていましたが、私は一も二もなくあの人の言葉に応じ…………あとは皆さんもご存じの通り、夜に、大佐の邪魔をする貴族たちを闇の魔法で眠らせたのです」


「それが事件のいきさつか」



 得心がいったと、スイメイは頷いた。



「……大佐の力になりたかったとはいえ、いま考えれば、とても浅はかだったと思い、ます」



 リリアナは説き明かして、今更ながら事の重大さに気落ちする。今回の件は、帝国法に触れるどころの話ではない。いくら相手が卑怯な手に出たとはいえ、人としてあるまじき行いをしていた。

 すると、腕を組んで静かに聴いていたスイメイが、



「……まあ、仕方ないと言えるか」


「え?」


「いままでしたことは、やってはいけないことだって、ちゃんとわかっている……いや、そう思えるんだよな?」


「はい……」



 スイメイの発した不明瞭な訊ねに、自分の解釈をもって首肯すると、彼は自分のこめかみ人差し指でとんとんとつつく。



「リリアナ。事件を起こしているときや、そうでないときも、自分の行いに疑問を抱いたことはあるだろう?」


「あまりありませんが、初めのうちは、何度か」


「そんなとき、時折だが、背の高い影……お前に話を持ち掛けてきたヤツの声が聞こえてこなかったか?」


「あの人の声、ですか? そういえば……」


「やっぱり心当たりはあるようだな」



 スイメイに言われたことを胸に置いて、思い出してみる。確かに、事件を起こした当初や、憲兵たちから逃げているときも、あの人の言葉が頭の中に蘇ったことがある。だが、そんなものは煮え切らない自分を自分自身で叱咤する反芻だ。訊くようなことではない。

 と、そんな推測の入った視線を向けると、それを察したスイメイが頭を振った。



「魔法だ。リリアナはあの影に知らないうちに催眠を掛けられていたんだ」


「……魔法?」


「そうだ」


「い、いえ、そんなことは!」



 ないはずだ、と。そう否定しようとはしたが、



「記憶にないか。それだけそいつの魔法の腕が立つってことだろう。現に、その声が聞こえたことで、襲撃を続ける思いを強くしたことがあっただろう?」



 その確認に出された問いに、何の言葉も返すことはできなかった。指摘されていくうちに、思い当たることが徐々に、頭の中に現れたから。まさか、いつの間にか利用されていたとは、思いも寄らなかった。

 口にする言葉を見つけられずにいると、水明が頭を振る。



「だからそう気にするな。確かに操られるまではいかないものだが、付け込まれたことに変わりない」


「それはわかりましたが、その魔法は」


「寝ている間に解いてある。もう問題はない」



 大丈夫だというように、肩を竦めるスイメイ。そんな彼に礼を言って頭を下げると、彼はまた話の続きと、訊ねてくる。



「ローグ大佐のところには戻らなかったのか?」


「はい。どこに行けばいいのか、わかりませんでしたし、それに大佐には……見限られ、ましたから」


「見限られた?」


「逃亡中に出会って、責任は取らなければ、ならないと言われ……」



 それ以上は、言葉にできなかった。沈鬱な空気が室内に広がる。ローグに敵意を向けられたことは、やはり辛かった。スイメイたちもそれを察したか、表情が暗くなる。



「話をしたのか?」


「いいえ。過程が何にせよ、私は法に触れることを、行いました。大佐は、耳を傾ける余地がないと、判断したのでしょう」



 すると、フェルメニアが、



「養父とはいえ、お父上なのでしょう?」


「大佐は、実直な方です。悪事に手を染めた私が許せなかったのだと思います」



 あの人は、そういう人だ。悪いことが、許せないのだ。だから、自分は彼の打つべき対象になった。それだけのこと。

 ただ、あのとき、剣を突き刺そうとしていたローグの手の動きが、淀んだのは――



「恨んでは、いません。大佐はいままでずっと、私を守ってくれていましたから」



 背の高い影の企みに、耳を傾けてしまった自分が悪いのだ。憎しみなど、あるはずもない。

 しばらく部屋を沈黙が支配したが、スイメイが切り出す。



「もう一つ、背の高い影のことを聞きたいんだが、そいつの名前とか、特徴はわかるか?」


「いえ、特定する手掛かりは、何も。あの人は、黒いフード付きのローブを着ていて、そのうえ何らかの魔法で、正体をわかり難くしていましたから、私があの人について持っている情報は、ほとんどありません」



 それを聞いたスイメイは瞑目した。いまの言葉を吟味しているのか。どんな思慮を巡らせているのかは、判然としない。そんな様子に、再び恐れが心を捕えた。



「あの、これから、私は……」



 どうすればいいのか。やはり、出ていかなければならないのか。そう、訊ねようとすると、彼は落ち着いた表情で出迎えた。



「ん? いいさ、ここにいろよ」


「いいの、ですか? 私は罪を犯したの、ですよ?」


「それはお前だけのせいじゃないってさっき言ったろ? 俺に言わせりゃあ貴族どもの自業自得だし、あの黒ローブの催眠もあったんだ。いま罪の意識を持っているだけで、もう十分だろうよ」



 と、片目つむりでなげやりにそう言って、スイメイは足を組んだ。



「まー、ここにいることにも条件があるがな」


「……何を、すればいいのですか?」


「条件って言っても、お前の闇魔法のことだ。もうあれを使わないこと……というよりは、だ。正しい使い方を覚えることだな」



 スイメイの提示した思ってもみない言葉に、リリアナは表情が硬直した。



「……どうした?」


「もっと、すごい条件を出されるのかと思っていたので」


「そんなことないっての。なんだすごいのって……」



 スイメイは呆れたような表情をして、首を下の方に傾けた。そんな彼に、まだ解消し切れていない疑問をぶつける。



「正しい使い方……それはこの前も言っていましたが、闇魔法とは一体何なのですか? あなたには、理解できていたという口ぶりでしたが」


「それは私も気になります」



 フェルメニアも同じく知りたいらしい。魔法使いのさがか。スイメイの方に身を乗り出してくる。


「またスイメイくんの難解な話が始まるのか……」


 一方レフィールは魔法が不得手らしく、いささか苦悩っぽい表情を作っていた。


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