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宮廷魔導師の疑念



 勇者レイジが魔王討伐を承諾してから二日の時が経った。

 この日、宮廷魔導師であるフェルメニア・スティングレイに対し、勇者レイジ出立までに彼とその友人であるミズキ・アノウへの魔法の指導が、国王陛下より言い渡された。



 そして今、彼女は勇者レイジの下へ向かっている真っ最中にあったのである。


「まさか、勇者の師か……」


 ふと、歩きながらに溢す。いま彼女の胸に渦巻いているのは、昂揚と歓喜だ。何と言っても、十数名いる宮廷魔導師の中から先達を差し置いて、一番の若輩である自身が、世界を救う使命を持った人間に魔法を教える事ができるのだ。

 言うなれば自分は勇者の師になるのである。これほどに栄誉なことはない。ならばやはり、フェルメニアも忍び笑いは禁じ得なかった。この事が意味するのはつまり、国王陛下や国家の重鎮達からの期待と信頼が他の宮廷魔導師達を上回っていると言う事に他ならないのだから。


「ふ、うふふ……」


 知らず、笑いが漏れてしまった事に焦りが生じるも、しかし笑いは止められない。ここが人気のない場所で良かった。いつも威厳のある魔導師を自認する自分には、全く似つかわしくない少女めいた笑い声だ。誰かに聞かれていたら恥ずかしい。


 さて、それはともかくとして。指導の話である。どうやら勇者レイジのいた世界には、魔法が存在しなかったらしい。だから、勇者に魔法を教えるという風変わりな事態が現在起きているのだ。

 過日である召喚決行日、初めてこのキャメリアに降り立ったあの日に、謁見の間の大扉を開く魔法を見て、彼等が大いに驚いていたのも記憶に新しい。自分が初めて魔法を目の当たりにした時のように、彼等もその瞳を輝かせていた。


 しかし、それで勇者レイジの世界の文明がどう発達したのかと訊ねたところ、勇者レイジのいた世界では魔法の代わりにカガクと呼ばれる才能の有無に関わらず誰でも使える絡繰り仕掛けの技術が文明の発展を助けたらしい。

 世界が変われば頼みにする技術も変わる。面白い話である。もし時間が有るのならば、それについてフェルメニアもゆっくり聞いてみたいところであった。


 と――


「……あれは、スイメイ殿?」


 栄誉ある職務へいざ行かんと、勇者の下へと足さえ勝手に急ぐ最中、フェルメニアは回廊の先に勇者レイジの友人であるスイメイ・ヤカギの姿を捉えた。


 ――スイメイ・ヤカギ。勇者レイジの友人にして、極々平凡そうな男。整えられた黒髪と、優しげな瞳、それくらいしか挙がる特徴がない。見た目からはどこにでもいそうな雰囲気を拭えず、レイジと一緒にいると非凡さや才気と言った言葉が一層目立たなくなる少年だ。

 そんな彼が、いま目の前を歩き、回廊の先の曲がり角へ消えて行った。自分が向かおうとしていた場所とは、全く別のところ。


 彼の行動を看過して暫し、思う。はて、何かあったのだろうか、と。

 向こうは王城キャメリアの北側であり、であれば厨房も厠もなく、勇者レイジもいない。彼が向かうような場所ではないはずだが、一体何用であちらに向かっているのか。


(……いや、待て。確かスイメイ殿は謁見の間以来、宛がわれた部屋に引きこもっておられると聞いたが……)


 目を細め、顔を険しくさせたフェルメニア。ふと、そう言えばと思い出す。

 彼とはそれほど関わり合いがない故、あまり事情は知らぬが、確かに彼は謁見の間で勇者との同行を拒否した後、部屋に籠って出てこなくなったと周囲の者から聞いた。出てくるとすれば、厠に用を足しに行くときか、勇者レイジ達の顔を見に行く時くらい。


 尤もな理由として挙げられるのは、見知らぬ土地に呼び寄せられたので、怖くなったのではないかや、結局思い通りにならずだったゆえ、幼子のように部屋で不貞腐れているのではないかと、教えてくれた者は臆病者めと嘲笑っていたが。


「ならば、一体何故……」


 あの者はここにいるのか。こんな、人があまり来たがらない北棟に。そう気にしだした途端、フェルメニアの深奥に、興味が鎌首をもたげてくる。

 そして、暫しの思案。



(国王陛下やレイジ殿とは魔法の指導を今日のいつ始めるかなど、予定を示し会わせたわけではない。なら、時間はまだある。少し追い掛けるか――)


 と、フェルメニアは早々に結論して、スイメイが消えた先に向かう。消えたスイメイを追いかける。

 それは当然、ただの興味からだけではない。城に勤める一員として、これも宮廷魔導師としての義務、責任からくるものだ。彼がもし望まぬ召還の腹いせに、何か良からぬ事でも起こそうと企んでいた場合、自分がそれを止めなければならないからだ。


 それだけではない、あのスイメイ・ヤカギという少年は、自分達に隠し事をしているのだ。

そのため、宮廷魔導師である自分は宮廷魔導師であるがゆえに、彼の動向を気にしていなければならない。


(……そうだ。あの日、私たちが彼らを迎えた際、スイメイ殿は確かに)


 あの場で、何らかの魔法を使おうとしていたのだ。そう、北棟の右手最奥にある儀式の間。英傑召喚のため設えられた特殊な部屋の扉を開けると、三人の中でただ一人魔力を制御し、何らかの魔法をあの場で展開させようとしていた。気付いていたのは自分だけ。王女ティータニアも気が付かなかった。


 だがしかし、その魔法は直ぐに解除され、その後スイメイは何事もなく振る舞うばかりであった。


 だが、だからと言って計り違えてはならない。あの時のあれは間違いなく、魔法使いの所業だった。


 ……勇者レイジは向こうの世界に魔法はないと言った。カガクがありとあらゆるところにあり、発展に発展を重ねた素晴らしい世界だと。街は夜であろうと昼間のように明るく、このキャメリアの数倍は高い建造物がいくつも建ち並び、人は月まで行く術を持ち、生活は豊かである。


 嘘を吐いていた訳ではないだろう。あの真っ直ぐな瞳に偽りの色はない。彼はそんな不審さは、まるで滲ませてはいなかった。


 ならば何故、スイメイだけが魔法を使う事ができるのか。何故スイメイが魔法を使えることを友人であるレイジ達は知らないのか。


 そう考えながら歩いていると、またスイメイの背中が見えた。追い付いたか。ここからは尾行の始まりだった。


 当たり前だが、スイメイは気付いていない。自分を一定間にくっ付けながら、尾けられている事も知らずにただ気ままに歩いている。


 また、角を曲がった。それを追って自身も角を曲がると――


「――ッツ!?」


「キャッ!?」


 前から誰かの悲鳴。出会い頭にぶつかりそうになり、咄嗟に避ける。

 そして、体勢を直して再度前を向くと、そこには宮仕えのメイドがいた。先程の悲鳴は彼女だろう。


「すまない。怪我はなかったか?」


「い、いえ! 私こそ申し訳ありません! スティングレイ様こそ、お綺麗なお顔にお怪我は……」


「え? い、いや、顔にはないが?」


「で、では他のところにあるのですか!? ああっ! どうしましょう!」


「いや。それもない。寸ででかわしたので埃の一欠片も付いてはいないよ」


 何故だろう。まるで自分を見失ったように大仰な態度で騒ぐメイド。そんな彼女に対し、フェルメニアは優しげに微笑みかける。

 するとメイドは、ほっと一息。安堵の表情を作る。


「そうですか……それは良うございました……」


「すまぬな」


「は、はい……!」


「うむ」

 年相応の淑女然としたものではなく、師事した老魔導師を見様で真似たこの態度。こうしていれば威厳を保てるような気がして、堅苦しいしゃべり方で今も自分を固めている。

 すると、メイドはどこかうっとりとしたようすで顔を綻ばせ、やがてその失態に気付くと思い切り頭を下げた。


「も、申し訳ございません!」


「はは、構わぬよ」


 と、気にするなと声を掛けると、メイドはもう一礼した後、そのまま些か覚束ない足取りで去って行こうとするが――



 そこでフェルメニアは、ふととある事に気付く。


「――すまない。少しいいか?」


「え? あ、はい。何かございましたでしょうか?」


「先程私とぶつかる前に人とすれ違ったはずだが、その者がどこへ行ったか分かるか?」


「……いえ? 私はスティングレイ様とお会いになるまでは誰とも会ってはいませんが……」


「なんだって!?」


 らしくなく、声を荒らげてしまうフェルメニア。今のメイドの発言は、聞き捨てておけるようなものではなかった。


「あ、あの、何か良くないことでも……?」


「もう一度訊くが、本当に誰とも出会わなかったのか?」


「は、はい」


「嘘偽りなく?」


「はい。女神アルシュナに誓って、スティングレイ様にそのようなことは一切」

 フェルメニアの剣幕に目をぱちくりさせながらも、メイドはしかと真実のみを口にしたと誓いを立てる。

 だが、それはおかしい。絶対に、物理的に有り得ないのである。


 その事を頭の中に渦巻かせながら、フェルメニアはメイドに切り出す。

「……君が誰にも会わなかったはずはないのだ。私がこの角から出てくる前に、この角からスイメイ殿……勇者殿のご友人が来たはずなのだ」


「勇者様のご友人ですか? ですが私は誰とも……」


 辺りをキョロキョロと見回して、戸惑うメイド。そんな彼女以上に、彼を追っていたフェルメニアは戸惑っていた。


「これは、一体……」


「あ、あのスティングレイ様。私はこのあと南棟に行かなくてはならないので……その」


「あ、ああ。済まない。おかしな事で引き留めてしまって悪かったな」


「いえ、では失礼します」


 メイドはそう遠慮がちに頭を下げ、フェルメニアの前から去って行った。


(…………)


 メイドを見送るフェルメニアは、実態のつかめない出来事に、表情を険しくさせる。


 何が起こったのか。何があったのか。それは定かではないが、確かな事は、彼は自分が目撃したのを最後にこの先で忽然と消えてしまったと言うこと。それにはただただ謎めくばかりであった。


(……いや、まだ時間はある。奥まで見てみるか)


 そう考え、フェルメニアは北棟の先へ進む。その後はメイドの言った通り、彼女以外には誰にも会わなかった。


 そして到達した、北棟右側最後の部屋、儀式の間。そこにたどり着いたフェルメニアは、見過ごせぬ事態に直面する。


(な――!?)


 まさかな、と。肩を竦めた先程の、なんと隙だらけだった事か。確認だけだと目を向けた今、常日頃この部屋の扉は誰にも開けてはならぬと宮廷魔導師筆頭から仰せつかっている、この特別な扉が、あろうことか半開きになっていたのだった。

 開けてはならぬの通達のみならず、ここは特殊な魔術によって厳重に封をされており、開け方を知らなければ決して開けることの出来なくなっている。だが、開いている。開けられた形跡がある。法を知るのは国王陛下と魔導師筆頭、そして自分の三人だけなのにも関わらず、だ。


 国王も魔導師筆頭もここに来た様子はないのなら、何故開いているのか。


 フェルメニアはごくりと息を飲み、気配を殺して扉に近付く。身を縛るのは当然緊張それ以外にない。

 果たして中に何が居るのか。一連の流れで予想はつくが、それでも心を引き締めずにはいられない。


 そして、僅かな隙間から見えたのは、アステルでは見るのも希である真っ白な帳面と、細長い筒状の何かを持って、召喚陣を睨んでいるスイメイ・ヤカギの姿。 何やらぶつぶつと独り言を呟きながら、一心不乱に帳面に細長い筒を走らせている。


(やはりか……)


 この扉を開けてしまうとは、どういった魔法と手管を使ったか。驚きだが、しかし彼がここにいるのは事実。彼が魔法使いであるれっきとした証左であった。


 だが――


(……っ、どうする? これは出ていって良いものか?)


 ここで規則と目の前の謎が、板挟みと化してフェルメニアの頭を悩ませる。ここは立ち入りが制限された場所だ。普通ならば即座に声を掛け、然るべきところにつき出すか、自分でどうにかしなければならないが、相手は勇者の友人であり、しかも魔法使い。


 確かにいくら相手が同じ魔法使いとはいえ、もちろん自分で取り押さえられる自信はある。だが、問題は彼が勇者の友人であること。それが元で騒ぎとなり、勇者の気分を損なわせ、魔王討伐の意思が覆るような事となれば、世界にもアステルにも一大事である。


 個人の意思だけでは、どうにもなるような話ではなかった。



 ――にしても、彼は一体何をしているのだろうか。


(恐らくは召喚陣を調べているのだろうが……)

 魔法使いとしての傍目からは、彼の行動は不可解なものだ。召喚陣を調べて解析しているとはまるで言いがたい。ただ、白地の帳面に細長い筒を走らせ、召喚陣の上を無作為に歩き回るばかり。 術式を解析するならば、描かれた魔法陣の外側にそのための魔法陣を描いて魔法を用い、術式を露呈させて読み取る。それが魔法の術式を分析する常道だ。いま彼が行っている行為はそれに当てはまらない。フェルメニアにはあれがまるで、魔法を知らない一般人がどうにか魔法を覚える事が出来ないかと、全く意味のない試行錯誤をしているようにしか見えなかった。


 いずれにせよこの召喚陣は、術理が分からずただ使えるだけのものが伝わっているようなもので、その術式を解析出来た者は今まで誰一人としていないのだが――



 ……結局、手を出す事も声を出す事も出来ないフェルメニアは、スイメイが召喚陣の上でただただ不可解な行動をする様を、勇者の所に赴くまで見ているしかなかった。



       ☆



「――勇者レイジの友人について、とな?」



 フェルメニアがスイメイの不審な行動を目撃してから十日ほど後。彼女は現在、王城キャメリアが謁見の間にて、国王陛下の眼前にいた。

 理由は無論、スイメイの事だ。先日、彼が儀式の間にいたのを皮切りに、フェルメニアは彼の動向を逐一探り、今こうしてその旨を国王陛下に申し伝えようとしていたのだった。


 国王の怪訝そうな聞き返しに、跪きながら頷くフェルメニア。


「は。いかにもにございます」


「それは、ミズキ・アノウの事か?」



「いえ、私に申し上げたい旨があるのはもう一人の友人、スイメイ・ヤカギに対してでございます」


 フェルメニアの指摘に、国王は眉を寄せ、目を細める。


「……ふむ。私の知る限りであの者は、ここでの一件の後からは殆んど部屋に引きこもって、出てこなくなったと存じておるが」


「いえ、実際はその後から幾度となく城内を出歩いているのです」


 フェルメニアは今までに探った結果、スイメイが出歩いた回数の多さをここで国王に匂わせる。あの日から彼女は暇があればスイメイの動向を探るようになった。それは無論、彼が実際に何をしているのか、見たままでは分からない真実を読み取ろうとしためだ。



 結果分かったのは、引きこもっているのは完全なまやかしで、実際はかなり能動的だった。


 ふと、国王から差し向けられる探るような視線。彼の声音も言葉にも、険しさが一層増す。


「そのような報告、私は誰からも聞いてはいないが?」


「引きこもっていると周囲に見せかけ、秘密裏に動いているのです」


「誰の目にも留まらずか?」


「は。恐らく城内でその事を知っているのは私だけでしょう」


 そう、その真実を知るのは自分のみ。何度か他の人間にそれとなく訊ねたが、やはりみな見たことはないの一点張り。彼は部屋に引きこもって拗ねているのだと、一様に同じ答えしか返さなかった。


「……しかし、わからん話だな。何故その事を知り得ているのはそなただけなのだ?」


「私も出歩いていた彼を見付けたのは、全くの偶然にございます。恐らく余人の目につかないのは、何らかの魔法を使っているのだと推測されます」


「魔法だと? そなたが教えたのか?」


「いえ、スイメイ殿は元々魔法が使える人間らしいのです」


 その言にはやはり、国王は不審そうな顔を作る。


「しかしフェルメニアよ、勇者殿の世界には魔法は存在しないものだと聞いたが? あちらでは別の技術が発達していて、魔法は空想の産物だと勇者殿は申していたぞ」


「確かに。私もそう窺っていおりますが、事実スイメイ殿は魔法を使っておられました」


「では勇者殿が嘘を?」



「いえ、そのような素振りは、全く」


 なかった。それは確実に言える。それにレイジは、魔法使いの適性こそかなり高いものだったが、魔法に関する事前知識は全くと言っていいほど持ち得ていなかった。

 勇者が嘘をついているか否かについては、国王も信頼していたようで。


「……そうよな。私もそう思う。だが――」


「何故、魔法に関してはレイジ殿の発言と齟齬が有るのかですね」


「うむ。あの少年が個人的に魔法が使える事を隠しておきたいということそれ以前に、そもそも勇者殿があちらの世界に魔法の存在があるのを認知していない事が、不思議だな」


 やはり国王も、首を傾げるのはそこだった。魔法は技術の一つだ。この世界でも、迫り来る危害を振り払ったり、人々の生活をより良くしたりと、魔法は人間のみならず知性を持つ生き物とは切り離せない密接な関係がある。それは人の発展と共にあるものなのだ。


 ならば何故向こうの世界は、そのような技術があるにも関わらず、存在を知られていないのか。いくらカガクと言う魔法とはまるで違う技術が発達していようと、そも技術は技術なのだ。カガクとは別物なら、用途に応じて使い分ける局面も出てくるため、決して要らないものではないはずなのである。


 ならば何故、ああも真っ直ぐな瞳で、勇者レイジはないと言い切れたのか。


「……国王陛下。勇者殿の世界にも色々と複雑な事情があるのだと思われます。ただ、今は――」


「あの少年が魔法を使って出歩いているという事。それは城の誰にも知られていないという事。何故彼はそうまでして自分が動いている事を隠したいのか、だな?」


「はい」


「……彼らの動きには制限などつけておらぬし、彼もこちらの世界に来たばかりなら出歩くのにやましい事などもないはずだ。隠さなければならない理由はないはずだが……」


 そう。彼も勇者レイジと同じ客人だ。国王もレイジ、ミズキ、スイメイの三名に関しては、各々行きたいところ見て回りたいところがあれば、好きにさせるので周囲も協力せよとの通達を出している。これ以上彼らの自由を縛りたくはないという、国王の格別の気遣いだった。

 しかし――


「それが、スイメイ殿が赴く場所が問題で……」

「どこだ?」


「まずは書庫部屋です。あそこから毎日何冊かの本を持ち帰っています」


「ほう? 引きこもっているだけだと思っていたが、書庫とはなかなかに感心だな。戻れぬ故、知識を得ているのだろう」


 向かうのが書庫と言うと、国王は驚きに目をしばたたかせた後、そう感嘆の声を上げた。重く、うんうんと、頷いている。

 どうやら、この世界に勝手に呼び出された不条理に負けず、書庫で勉学に励んでいるのだと思い、

感じ入ったらしい。

 確かにそれも間違いではないが、それにはまだ続きがある。


「いえ、それが禁書庫の方にまで出入りしている形跡があるのです」


「な、なんだと!? いや、しかしあそこはそう簡単に入れるような場所では……」


 国王が驚きで言葉に淀みが出る通り、禁書庫は、いや、禁書庫も容易には入れない場所なのだ。そこには歴史的に重要な資料が保管され、魔法で封をし、人の立ち入りを制限している。


「それが、いとも容易く」


「なんと……。して、あの少年が出入りしているのはそこだけか?」



 それ以上はどうかの訊ねに、フェルメニアは少しの間を頂き、その事の重大さを噛み締めた上で口にする。


「……儀式の間もでございます」


「バカな……。あそこに入る術を知るのは私とそなたを含め三人だけのはずだ」


「はい。ですが、スイメイ殿は何らかの手管で、あの扉を開けたのだと思われます」


 言った後の、空気が重い。それもそのはず。あの部屋は入り方を知らない者は決して入れないように作られている。土属性の魔法を掛け合わせたあの扉は、土属性に理解のない者を寄せ付けないのだ。


 それこそ、スイメイが余程の魔法使いでない限りを除いては。

 ならば、それが意味するのは、言わずもがな、か。


「何をしているかは……愚問か。あの少年は召喚陣を調べているのだな?」


「私には全くそうは見えないのですが、状況を見るにそうなのだと思われます」


「……それほどにまでに、帰りたいのだな」


 懊悩を漏らすように口にした国王の表情は、みるからに沈鬱さを含んでのものだった。やはり、国王は彼らを呼び出した事にかなり心を痛めているのだろう。スイメイの心を慮ってはいかばかりか。優しき王。

 各国首脳の集まっての議論の場でも、国王は英傑召喚の儀には反対だったと聞いている。関係のない者に、こんなとんでもない事を押し付けようと言うのは酷であると。達成における報酬もはっきりとは考えず、一度呼べば戻すことさえしてやれない。

 それに、誰かに頼らず自分達の力で事を治めねば、これから先何度もこのような事態に直面し、いずれこの世界の人間は滅んでしまうだろうと。


 そう声高に叫んでも、魔王の恐怖に畏縮し切った各首脳の考えの前には、一部の小さな声でしかなく、結局大多数の意向に押され英傑召喚を余儀なくされた、と。


 国王の味わった無力感、高潔な心を踏みにじられた苦さに、フェルメニアが思いを馳せていると、国王が重そうだった口を開く。


「……して、フェルメニアよ。何故今まで何もせず、誰にも、この私にも伝えなんだか?」


「は。私個人の判断で彼に接触し、何らかの問題を起こすのは得策ではないと判断したからにございます。もし騒ぎが大きくなりレイジ殿の耳に届けば……」


「確かに、確執が生まれる可能性は無視できんな」


「は。そして国王陛下のお耳にも届けなかったのは、まだお知らせするまで情報が足りなかったからでございます」


 そう、不確かな情報は危ういのだ。それは必ず誤解や間違いを生じさせる。国王ならびに他のお歴々に話さなかったのも、偏にそれゆえでしかない。


「無論、何かあった時は行動を起こすつもりであったのだろうな?」


「は、勿論でございます」


 それについては当然だ。だから逐次動向を探っていたのだ。



「それで、この件、他の者には?」


「いえ、私や国王陛下以外には誰も。レイジ殿も、この事は知らぬようです」


「ならば今後ともこの件については他言無用だ。私がいいと言わぬ限り、誰にも話すな。よいな?」


「は」


 釘を刺す国王に、フェルメニアは短く(がえ)んずる。誰にも知らせたくない国王の意図は分からないが、彼は尊敬する御方。フェルメニアは素直に了承しておいた。


 そしてこの後訊ねるのは、以降の方針。


「陛下。今後私はどうするべきでしょう?」


 そう、スイメイに対して何をするべきか。いかな対処をするべきか。フェルメニアとしては、このまま彼を放って置くわけにはいかないと考えていた。それが、例え勇者の友人だとしても。


 しかし、国王は取り分け予想外の言葉を聞いたように、眉を寄せる。


「む? どうするも何も、そのままでよかろう? あの少年が何か悪さをするわけではないのなら、干渉する事もあるまい。あの少年も干渉されたくないゆえ、秘密裏に動いているのだしな」


「しかし、禁書庫の件については……」


「入られたのならもう仕方あるまいよ。あそこに入っているのは詳細な歴史書や地図のみだからな。彼が中身を知ったところで、何があるわけでもなかろう」


 確かに、その通りである。それを他国の人間に知られるならばいざ知らず、彼はこの世界で宛も伝手もない身の上なのだ。

 それは分かる。だがそれでも、その判断は甘すぎるのではないか、いや――


(だから、陛下は先ほど他言無用と?)


 規則に反した者を見咎めない甘さは、周囲に示しがつかなくなる。それは秩序の崩壊をもたらす毒だが、しかしそれは逆に、周囲の者が知らなければ、示しをつける事も何もないという事になる。

 だから国王は、彼の行動を見逃すために他言無用としたのか。



 王に必要とされるのは厳正さだ。フェルメニアはそう考えている。

 だから、らしからぬ国王の考えに苛立ちを覚えてしまう。


「……では、陛下は彼に対し何かを講じる事はないと?」


「そなたは反対か?」


「スイメイ殿は魔法使いです。何らかの処置はするべきかと。確かにレイジ殿の件で行動は慎重にならないといけないでしょうが、このままこのキャメリアで好きにさせるには、陛下の沽券に関わります」


「……個人的にも、私は気乗りはせんな」


 フェルメニアの進言に国王が見せたのは、些かの興も見当たらない倦んじ顔。彼の表情からは、処遇についての話は早く終わらせてしまいたいという意思さえ見える。


 だが、ここで退いて何が宮廷魔導師か。


「陛下。多少の仕置きのようなものです。御身が危惧なさるようなことには致しません。それにスイメイ殿からレイジ殿に何かあれば、レイジ殿には私から言い聞かせます」


「説得するとはまた、随分な自信だな」


「短い期間ですが、私は彼の師です。ならば、彼も私の言うことは蔑ろには出来ないでしょう」


 フェルメニアも何かあったときの説得には自信はあった。なにせ、自分は宮廷魔導師であり、勇者に魔法を教えた人間だ。その人間の口から、友人がいけない事をしたから強く叱りつけたとでも言えば、彼とて納得もするだろう。日々の他愛ない会話でも、彼が曲がった事が嫌いな人間だと分かってもいる。

 問題は何もない。だがら、いま必要なのはただ一つ。


「あとは陛下のお言葉のみにございます。どうか、賢明なご裁可を」


 そんな奏上に、国王は暫し目を瞑って思考した後、やがて厳粛な語気で声放った。


「……ならぬ」


「陛下! しかしっ!」

「フェルメニア。私はならぬと言ったのだ。スイメイ殿も我が城の大事な客分だ。彼に害をなすなど決して考えてはならぬ」


「私は害などとはっ! 好き勝手に振る舞う彼に然るべき対応をするに過ぎません」


 もはや意地だと食い下がるフェルメニアだが、国王は一転静かに穏やかに、彼女へ再度承諾の意思を求める。


「ならぬことはならぬのだフェルメニアよ。よいな?」


「……」


「よいな?」


「承知いたしました……」


 力を宿した訊ねに、フェルメニアは了承の言葉を口にするしかなかった。そして無念を噛み締めながら、深く頭を下げる。

 自分の考えが思い通りにならなかったのは、いつぶりか。宮廷魔導師になった直後は何度かあったが、ここ最近では久しくない。焦点となる相手が魔法使い故に、悔しさは一入(ひとしお)だった。奏上を受け入れない国王陛下にもそうだが、やはりその怒りの矛先はスイメイに。万倍になって向かっていく。


(いや、まだだ……)


 だがしかし、国王は認めてくれなかったが、その裁定に大人しく従うつもりはない。ここは宮廷。国王の庭だ。そこで好き勝手にさせるわけにはいかない。要は国王の耳に入らなければいいのだ。秘密裏に事を起こし、事が終わった後はスイメイに他言無用と釘を刺せばよいのだから。


 いける。スイメイにはまだ、自分が尾けていることは知られていないのだ。自分が何かを言わなければ、このまま、誰も知らないままに全てをまるく納められる。

 ……どこぞと知れぬ魔法使いが、このキャメリアにて不埒な振るまいとはなんたる事か。決して許されるものではないし、許すはずもない。身の程は、弁えてこそ輝けるものなのだから。


 国王の沽券は、キャメリアの秩序は、宮廷魔導師たる“自分が守る”のだ。宮廷魔導師たる自分が。例えそれが誰知らぬ話になったとしても、自分は一向に構わない。



 あの不届きな少年に、今いる場所がどこなのか、宮廷魔導師である自分が今一度知らしめてやるのだ。









「やれやれ、若いなフェルメニアよ……」


 国王アルマディヤウスは、扉の外に消えたフェルメニアの背に向かって、そう漏らした。

 この後確実に起こるだろう若さ故の暴走を、彼女の背中に予見して。そう、彼女のあの目は何も諦めてはいない目だ。恐らくは今後、自分の預かり知らぬ場所で何か行動を起こすだろう。


 それも、仕方なき事か。あの少年には申し訳ないが、フェルメニアが事を起こした後は、叱るなり相応の処罰をするなりすればよいか。


「才気があると言うのも、難しいものだな……」

 フェルメニアは最近、慢心が強い。それは彼女の責任感の強さの裏返しなのだろうが、強過ぎるのも考えものだった。



 国王アルマディヤウスは、再びため息を吐いた。

誤字があるはずなのに見付けられない。なぜ……

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