嫌な予感はいまも拭えず
来客を告げるドアノッカーの音が、帝都にある八鍵邸に響く。
その音に気付いたフェルメニアは、魔術の勉強を一時止め、玄関に向かった。
しばらくして、玄関から戻ってきた彼女から水明へと伝えられた言葉は、ある意味予想されたことであり、彼にとってはついに来たかといったところであった。
「スイメイ殿。帝都の憲兵です」
問題の到来に際し、深刻そうな面持ちでいるフェルメニアに、水明は落ち着き払った所作を交え、一言「わかった」と、そう告げる。
現在の水明は、数日の間回復に専念したのが功を奏したらしく、体調も以前に比べ随分と良好な状態になっていた。本調子にはまだまだ遠いが、それでも日常活動をこなすには問題ないレベルにまで戻っている。
差し当たっては動いていなかった期間を取り戻すべく、さてまずは何から始めるのが良いかと考えた、これはその矢先のことであった。
一緒に悩んでくれているか。隣でフェルメニアの報告を聞いていたレフィールも、厳しい表情で訊ねてくる。
「憲兵か。スイメイくん、どうする?」
「そうだな……まず、会ってみるよ」
「だが、会ったら会ったでそれは……」
「わかってる」
考えなしではないことを告げ、水明は玄関で待たせていた憲兵のもとに向かう。場合によっては悪い状況になる可能性もあるが、待たせたままにしても始まらない。
玄関の端で待っていた憲兵に声を掛けると、彼は向き直って丁寧な一礼を見せる。
きっちりと整えられた制服に身を包み、清潔そうな印象を受ける見た目の通り、きびきびとした挙動で、言葉遣いもまた丁寧だった。
「お初にお目にかかります。私は帝国国家第三憲兵隊所属の者です。あなたがスイメイ・ヤカギさんですね?」
「ええ。今日はどういったご用件でここに?」
「端的に申しますと、ヤカギさんにはこれから我らに同行していただきたいのです」
とぼけつつ訊ねた水明に、憲兵はそう丁寧に答えた。我ら、と言った通り、扉の外には数人の気配もある。おそらくは憲兵の詰所にでも連れて行かれ、当時の状況を根掘り葉掘り聞かれるのだろう。それに水明は、困ったような素振りを交え、らしい言葉を並べ立てる。
「そう言われましても……すいませんがまだ身体の調子が優れませんので、後日改めてというわけにはいきませんか?」
「それが……そういうわけにもいかなくてですね」
「と言うと?」
「はい。出頭要請に応じない場合は、強制的に連れて来いと上から命令が下されまして」
強制的とはまた物騒である。だが、そう口にする憲兵もいささか困った様子で、こめかみを指で揉んでいる。ということは、体調が優れないことは察してくれているのだろう。あまり強くも言えないといったところらしい。
……憲兵が強制的と口にした以上、いずれにせよ同行は忌避できないものだ。ここで魔術をかけてやり過ごしたとしても、また他の憲兵が訪ねてくる。もとをどうにかしなければ、状況は変わらない。
「我々も事情は存じております。どうかお願いできないでしょうか?」
憲兵は再度、下手に出た対応をする。すると、水明の後ろに控えていたレフィールが服の裾を引っ張った。水明が顔を近付けると、彼女は内心の憂慮を、険しい顔に変えて言う。
「……スイメイくん。良い予感がしないぞ」
「ああ、俺もだ。だが、ここは付いて行くしかないと思う」
「いいのか?」
「いま捜索の現場がどうなっているか、状況も把握したいしな」
そう、リリアナの行方の他に、それは把握しておきたいことではあった。いまもフェルメニアに聞き込みをしてもらってはいるが、現段階での帝国側の捜査状況についてはわかってはいない。動き始めようとしていたので、ちょうどよかったということもある。
そうは言っても、やはりレフィールは納得がいかない様子で口をむうと尖らせていた。
そんな彼女を納得させるために動いたのはフェルメニア。任せろといった風に、頼もしく前に出る。
「レフィール。私が付いて行きます。だから心配なく」
それには、水明が訊ね返す。
「いいのか?」
「レフィールのためです」
「……ですよね」
にべもない答えと、ジト目を向けてきたフェルメニアに、水明は苦笑いしかできなかった。
ひとしきり視線で水明を非難したフェルメニアが、レフィールに向き直る。
「スイメイ殿のことはしっかり私が監督します。レフィールはここで待っていなさい」
「……うん、わかった。スイメイくんのこと、くれぐれもよろしく頼む」
やっと絞り出したような消沈した声が聞こえる。それは心配以外にも、憂いがあってのことだろう。レフィールも、現状が歯痒いのだ。小さくなったことで、荒事からは身を引かざるを得ないし、いままでできていたことさえまともにできないでいる。背を向けた際のわずかな間にふと見えた口元には、彼女の内意を表すように、確かな悔しさが滲んでいた。
水明はそんな彼女の寂しげな背に心とらわれたまま、フェルメニアと共に家を出た。
★
数人の憲兵たちに引き連れられ、街に出た水明とフェルメニア。前と後ろを憲兵に挟まれ、
フェルメニアによると、帝国の軍人や憲兵には厳しい規律が定められているため、大抵は相手への対応も体裁の良いものになるらしい。
ふと以前、帝国に来たばかりのときにレフィールからそんな話を聞いたことがある。帝国軍には厳しい規律があるゆえ、他国よりも兵の質が高いのだと。そんなことを聞いてふと思い浮かぶのは、ドイツ軍の規律の厳しさか。もしかすればこの国もまた、彼の国と同じように、軍事国家として近代化の道を走っているのかもしれない。
帝都フィラス・フィリアは、街の作りや人々の生活を取ってみても、アステルの王都メテールとは違い近代的であるし、話を聞く限り、他の国からも大きく抜きんでたものだそうだ。
……もしこのまま向こうの世界のように産業が発展し、第一次産業革命、第二次産業革命と発展していけば、向こうの世界の二の舞となる可能性もある。近代化が進み、この世界の人間が科学技術、物理法則を獲得するに至れば、やがて神秘的な場が破壊され、精霊の居場所も消えてしまうのだ。そうなれば、神秘は衰退の一途をたどることになる。
まだ人間が自然や神秘と融和しているが、どうなるかはわからない。どちらが良いかというのは甲乙つけ難いものではあるが――
「スイメイ殿。外の空気は久しぶりでしょう」
「ん? ああ、そうだな」
フェルメニアの声に、水明はそう同意する。
彼女の言う通り、水明も街に出るのは久々だった。アストラル・ボディを損耗してからというもの、ほとんど寝たきりの状態が続いていたため、気晴らしに外を散歩するといったこともしていない。
そして、久しぶりに見る街は、どこか浮ついているようにも見えた。
帝都の住人たちは、そわそわと落ち着かない様子。挙動の節目節目に辺りを盗み見る様は、まるで目に見えないものに警戒を払っているかのような気の配り方であり、外を駆けている子供たちにも心なしか怯えが混じり、のびのびとできていないように見える。
そんな所感を口に出そうとした折、察したらしいフェルメニアが、
「スイメイ殿が伏せていた間、リリアナ・ザンダイクが指名手配を受けたようで、いま帝都はずっとこんな調子です」
「……予想はしていたが、騒ぎにはなっているんだな」
水明がフェルメニアに返した答えは、「予想内」の言葉とは裏腹に沈んでいた。
「容疑者の正体が明らかになりましたからね。危険が身近にあるという実感も増したのでしょう」
「だが、同じ国の軍人なのに、この怯えようとはな……」
「リリアナ・ザンダイクはもともと正体不明の魔法を使うということや、帝国十二優傑という地位、そして軍部でも特異な立場に置かれていたため、帝国内部でも畏怖の対象として認識されていました。それを考えれば、この変化も自然な流れなのでしょう」
「街の人間にしたら、遂に来たかってところか」
フェルメニアが頷く。だが、送られた肯定に、水明もいまはため息しか生み出せない。
「子供なのにな……いや、子供だからか」
普通、強さを得るには相応の年月がかかるものだが、リリアナはそれに反して魔法使いとしての力量が高い。幼くしてそこまでの力を持っていることが、人々の畏れを強く煽ったのだろう。加えてあの周囲を威圧する言動があれば、拍車はかかる。
そして、リリアナには元々敵が多い。それに今回のことが加われば、街の人間はみな敵に変わってしまうはずだ。容易に外を出歩くことはできないし、この世界は個々の道徳も育まれていないため、人前に現れればどうなるかはわからない。
背の高い影に匿われているという可能性もあるが、そちらも良いとは言えない状況だ。あの日の夜に背の高い影がリリアナに言い放った言葉から、どうも唆されているような節がある。利用されているということを考えるならば、切り捨てられることを一緒にして考えなければならないだろう。
水明がそぞろに遠間を見詰める中、ふとフェルメニアが魔術を用いて話かけてくる。聞こえる声に変わりはない。しかし、音は周囲に漏れていない。囁きの魔術だ。
「……スイメイ殿は随分彼女を気に掛けていますね。リリアナ・ザンダイクと言葉を交わしたのは数回程度とお聞きしましたが、どうしてそこまで?」
「変か?」
「いえ、別にそういうわけではないのですが……」
「いいって。自分でも変なのはわかってるんだ」
水明はそうぎこちない笑みを作ると一転、空の遠いどこかを見上げるようにして、
「……なんて言うんだろうな。この世界にはさ、どうしようもないって言って諦めなきゃならないことってのが、どこにだってあるだろう? 俺はそれが好きじゃないのさ。諦めなければそこに確かに笑顔があるのに、泣かなきゃならないなんてのはさ、やっぱ嫌だろ?」
「スイメイ殿……」
そうだ。この世に、そんな思いがあるのがただただ許せないのだ。なんの救いもなく、涙のうちに消えてしまわなければならぬ思いがあることが。だから、憂いは増すばかりだった。あの少女も、そんなしがらみにその身を縛られているゆえに。
水明は、あの夜に聞いた言葉を頭の中で反芻する。
――戦うことでしか誰にも必要とされないなら。
そう、リリアナの口にしたあの言葉は、己の不幸を嘆く言葉にほかならない。あれは、誰からも疎まれ続け、その居場所のみならず自分の存在にすら安寧を抱けずいる者の発する言葉だ。だから水明は、そんな彼女をそのままにしてはおけないのだ。
水明がリリアナの行方を思い浮かべる中、ふとフェルメニアが訊ねてくる。
「スイメイ殿が向こうの世界に戻りたいというのは、やはり向こうの世界でも戦う理由があるからなのですか?」
「……どうしてそう思う?」
「王城や、ここに来てからのスイメイ殿の行動や言葉の端々から、そう思っただけです」
「まあ……な」
そう短く、しかし曖昧に答えながら、水明は周囲を見回す。
すると、気付いたことがあった。
「そういえば、戒厳令は敷かれないのか?」
街の様子は普段とは違うが、住人が街の中を出歩くことには、制限がなさそうに思える。
城壁によって街の広さが制限される異世界の都市は、現代と違い凶悪犯と鉢合わせになる確率が高い。普通ならば容疑者が捕まるまで不要な外出は控えたり、集団で行動することを促すものだが、それに反し街は表向き普段の状態を保っており、商工関係の人間やドワーフたちに至ってはいつものように精力的に動いている。
「それについては、救世教会挙げての勇者殿……エリオット殿のパレードもあるからです。予定日が迫ってきているので、いま戒厳令を敷くには何かと困るのでしょう」
「なるほどね……」
フェルメニアの言葉で水明は合点がいった。ここで戒厳令を敷けば、のちのパレードに障ると見て、そこまでの通達は出していないのだろう。
ここで住民の活動を止めるとなれば折角の民衆を鼓舞する機会を棒に振る羽目になりかねないし、パレード目当ての外国人が流れ込んできているいま、帝都の収益にも打撃が出る。それならば、多少のことには目を瞑るといった方針なのだろう。
雰囲気の原因がわかったところで、水明は憲兵に訊ねる。
「すいません。そろそろどこに向かっているのか話していただいても?」
「これからあなた方をお連れするのは、フィラス・フィリアの南広場です」
「南広場?」
憲兵の答えに、水明は眉をひそめる。てっきり追加の取り調べのため、憲兵の詰所に連れて行かれると思っていたのだが、向かう場所が広場とは連行の意図が見えない。
憲兵、連行、広場と言葉が重なると、ギロチンという単語が脳裏をちらつくが、まさかそんなことはないだろう。
「どうして広場なんかに?」
「そこでグラツィエラ皇女殿下がお待ちになっておられるのです」
「……?」
憲兵の言葉に水明はやはり、はて、と眉をひそめることしかできなかった。判然としないことに、また判然としない要素が積み重なったのだ。当然合点がいくはずもない。
待っているということは、呼び出されたということだ。だが、いまのところそんなやんごとなき人物と関わり合いを持ったことはない。ならば何故、そのような人間に待たれているのか。水明が訝しんでいると、フェルメニアが補足するというように顔を寄せてくる。
「グラツィエラ皇女殿下は、ネルフェリア皇帝の三番目のご息女です。ひとたび戦場に立てば大地を割り、敵の足場を崩すことから、
「なるほどな……だが、話はなんでその帝国最強の魔法使いが俺を呼ぶのかだな」
その皇女と今回の連行に、関連性が見いだせない。まさか別件かとも思うが、それでは呼ばれる心当たりがとんとない。
そんな疑問をそれなりの声で口にしたが、しかし憲兵は答えない。言えないのか、知らないのか。どちらかはわからないが、彼も弱ったような表情を見せ、
「皇女殿下は、あなたからお話をお伺いしたいと」
「なんの?」
「私からそれを口にするのは……」
憚られるのか。核心は呼びつけた当人が口にするまで待たなければならないということだろう。
憲兵への質問は一時取りやめ、水明も囁きの魔術を使い、フェルメニアに訊ねる。
「なぁフェルメニア。そのグラツィエラ皇女ってのはどんな女だ?」
「先ほども言った通り、帝国最強の魔法の使い手です。無茶なことを平気でやってのける型破りな方で、かなりきつい性格をされていますね」
「……そういえば黎二がラジャスを倒したときにもいたって話だったな?」
「はい、私もそこに居合わせておりましたので、二、三言葉は交わしました。やることなすこと強かな方です。一筋縄ではいかないことを心に留めおいてください」
「そうか……」
水明は、だんだんと見えてくる南広場に嵐の存在を感じながら、自分の顎をさすった。
レフィールの言った通り、嫌な予感がしてならない。