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帝都、八鍵邸にて


「…………」


 帝都フィラス・フィリアにある八鍵邸。そのリビングルームに据えられたベッドの上で、八鍵水明は一人、包帯が巻かれた左手を虚ろな瞳で眺めていた。



 ――リリアナを説得に出かけた夜からはや数日経つが、いまもって水明は自宅での療養を余儀なくされていた。

 あの夜、闇魔法の暴走、罪深き姿との戦いでアストラル・ボディの損耗激しい水明は、思うように身体を動かすことができず、背の高い影の邪魔立ても相俟ってパニックを起こして逃亡したリリアナを追いかけることができなかった。


 エリオットたちと背の高い影との予期された衝突は、多勢に無勢を不利と見たらしい背の高い影の撤退で回避され、そしてその後、水明はエリオットたちの質問をかわして何とか自宅に戻ったのだが、容体を目の当たりにしたレフィールから質問やら心配やら看病やらと、いろいろと迷惑をかけることとなった。


 いや、現在進行形でかけているが正しいだろう。いまも彼女と、そしてアステルから水明に協力しにやって来たフェルメニアにも、忙しなく動いてもらっているのだから。

 リビングのベッドで半身を起こした状態でいる水明は、水差しの中身を取り替えに現れたフェルメニアに、お礼と謝罪の両方の意を含んだ言葉を掛ける。



「悪い、まさかアンタにここまで迷惑をかけることになるとはな」


「私も意外です。まあ、陛下からはスイメイ殿のご助力をと言付かっていますし、私もスイメイ殿を呼び出してしまった責任があります。それにスイメイ殿には魔術を教えてもらっていますから」



 フェルメニアは澄ました顔でそんな風に言ったあと、ぶつぶつと「どちらかといえば私の方が迷惑をかけてるし……」と言っている。面映ゆそうに顔を逸らしたのは、やはりそれは恥ずかしいからだったのか。

 水差しの中身を取り替えたあと、彼女は水明に習った魔術を使う。



「――温もりは失われよ。我が意のように」



 フェルメニアが呪文を唱える。だが、見た目には何かが変わった様子はない。しかし、水明には、フェルメニアが水差しの中身にかけたその目に見えない変化を、知得することができた。



「慣れたモンだな」



「……中の水を冷やしただけでしょう。褒められるようなものではありません」


 世辞と聞き取ったか、むっつりと言うフェルメニア。だがそうではないと、水明は頭を振る。



「いまの魔術行使の工程には、淀みがほとんど感じられなかった。繊細で丁寧な魔術行使は、結果の大小よりも、評価される項目だと、思うぞ」


「そ、そうですか」



 称賛の言葉はいささかたどたどしかったが、水明に褒められ、フェルメニアはちょっと嬉しそうであった。水明がそれに気付くと、彼女は照れた姿を誤魔化すように言う。


「と、とにかく、お身体が良くなるまではゆっくり休んでいてください」



 しかし水明はゆったりとした口調で返す。



「いや、そうもいかないんだ」


「そうもいかないとは……ああ」



 彼の明らかにぎこちない口調で、彼女も気付いたか。そう、水明の憂慮の正体は言わずもがな。あの夜からリリアナをそのままにしていることだ。

 あのとき、リリアナはエリオットたちに顔を見られ、背の高い影の言葉に従って消えてしまった。背の高い影と合流したのかどうかは不明だが、彼女にとって良くない状況に陥っていることは間違いないだろう。証拠はないが、嫌疑を掛けられるには十分な状況なのだから。


 捕縛されたという話は聞かないが、いまはどうなっているのか。水明も幾度、そんな想像に気を揉んだことか。


 そこで、ふと気付いた。フェルメニアが口を一文字に結んで、半眼で見据えてきていることに。

 それに水明は、観念した様子で、



「わかってる。ちゃんと、良くなるまで待つよ」



「そうして下さい。スイメイ殿はリリアナ・ザンダイクのことが心配なのでしょうが、スイメイ殿のことが心配でしょうがない人間もいるのですよ」


「すまん。レフィールのことだな」


 水明の言葉に、重く頷くフェルメニア。しかしすぐに、呆れのため息をこぼして、


「……王城では慎重な方なのかと思っていたのですが、結構無鉄砲をなさるのですね」


「ああ、それはよく言われる」


「笑いごとですか……。そんな風ですと、またレフィールに説教されますよ?」



 フェルメニアの苦言の混じった窘めに、しかし水明は苦笑いのまま変わらない。

 そう、家に戻ってきて、身体の調子が安定したあと、待っていたのは小さなお姉さんレフィールの怒り心頭の説教だった。

 君は心配ばかりかけるとか、もう無茶はするななど言われたのは、記憶に新しい。

 だが、彼女の言う通りだった。水明も、いざことに巻き込まれると、慎重さが欠けることがままある。今回のこともそうだが、レフィールのときなどはそれが顕著に出ていたはずだ。直そうとは思っているのだが、どうも性分ゆえ、難しい。

 フェルメニアとそんな話をしていると、ちょうど積み上げた荷を抱えたレフィールがリビングに入ってきた。



「うんしょ、うんしょ」



 発しているのは、どこか一生懸命な声。重くはないようだが、前が邪魔でそんな声を出しているのだろう。しかしどうも危なっかしい。

 それに、フェルメニアが優しい口調で、



「レフィール。物を抱え過ぎると危ないですよ。少し下ろしたほうがいいのでは?」



「大丈夫だフェルメニア殿。ちょっと背を超えるくらいの荷などなんともない。何しろ元の姿のときは、自分の背丈よりも大きな剣を扱っていたのだからな……うんしょ、うんしょ」


「レフィール、気を付けてな」


「ああ、ありがとう」



 水明がレフィールに気遣いの声をかけると、フェルメニアが不思議そうな表情を向ける。彼の様子がいつもと比べておかしいことに、どうやら彼女は気付いたらしい。



「……スイメイ殿、先ほどから話し方が」


「あー、これか。いま身体を治すのにほとんどの機能をそっちに傾けてるから、頭の方もあまり回らないんだ」



 いまの水明の状態をよくよく見ると、寝起きのボーっとしたような虚ろさであることに気付くだろう。魔術を使ってアストラル・ボディの回復に専念しているため、このような状態を取るしかないのだ。

 フェルメニアが険しい表情を向けてくる。



「見た目ではよくわかりませんが、状態はかなり酷いのですか?」



「普通の怪我なら魔術ですぐ治せるんだがな、今回消耗してるのは精神殻(アストラル・ボディ)だから、肉体みたいに魔術で簡単に治すことはできないんだよ」


「……身体は簡単に治せるのですね」


「まーなー」



 と、間の抜けた口調で言って退けた水明のもとに、荷物を運び終えたレフィールが戻ってくる。そして、呆れ顔をして枕元に腰を掛けた。



「身体の怪我など然したる問題ではない、か。しれっとすごいことを言うものだな君は。……ふむ、アストラル・ボディだったか。前にも聞いた覚えがあるが、君はそれに防御や耐性を回してはいなかったのか?」


「闇魔法が特殊すぎるんだ。俺たちの世界の魔術師や、それこそ悪魔崇拝者だって、いまどきあんな危険な呪いの使い方なんてしないからな。そんな攻撃するヤツなんていないって頭になってるのが普通なんだ。まあ、つまるところ俺の準備不足だったと言うべきか、油断と言うべきか、あー」



 ぼぅっとした声を出しながら、水明は次に口に出す言葉に困窮する。思考する機能も鈍くなっているため、上手く言葉が出てこない。



「……あまり質問するのもよくないですね」


「そうだな。やはり難しいことを訊くのはあとにしよう」


「悪い。そうしてくれ」



 状況を鑑みて、気を遣ってくれる二人に水明は謝意を示す。すると、フェルメニアが椅子から立ち上がった。



「スイメイ殿。食事を作ったので、お持ちします」



 フェルメニアはそう言うとキッチンの方に行って、やがて食事が入った器と匙を持ってきた。お椀型の木の器の中には、真っ白なスープが湯気を立てており、ぷりぷりとしたまんまるの白い豆が入っている。



「フェルメニア殿は料理ができるのか?」


「ええ」


 フェルメニアが作ったという料理を見て、レフィールは意外そうに目を丸くする。貴族の子女は、普通食事は専属の人間が作るため、調理ができる人間などいないに等しい。そのため、レフィールは驚いたのだが……。

 するとフェルメニアは、これが自慢なのだと言うように、ちょっと得意げな顔になって、



「私は幼少の頃から魔法の師のところに行かされていましたので、そのときに自分のことは何でもできなければならないと言われ、身の回りのことなどはほとんど一人でこなせるのです。料理もその一つですね」


「それは素晴らしい。私も見習いたいものだ」


「そう言うレフィールもその歳でいろいろなことをこなせるではありませんか。それはとてもすごいことですよ」


「…………」



 フェルメニアは褒めたつもりなのだろうが、当然レフィールにはそう感じられない。小さい子供と暗に言われ、「だから私は……」と、一人悔しそうにしている。

 一方、持ってきた料理の方に集中しているフェルメニアは、水明に料理の入った器とそれを掬う匙を渡す。



「では、スイメイ殿。真珠豆のポタージュです。どうぞ。栄養たっぷりな品ですよ」


「ああ、ありがとう」


「真珠豆のポタージュか」



 料理を見て、目を輝かせるレフィール。真珠豆はそのおいしさもさることながら、病人が食べればすぐに元気になると言われるほど、栄養がたっぷり詰まった豆類として広く知られている。そのままでは固くて食べられないが、ゆでることで柔らかくなり、噛めば歯と歯の間で弾けるような歯ごたえに変わる。

 真っ白なポタージュスープの入った器を受け取った水明は、しかしちゃんと見ているのかいないのか。目を細めた状態のまま、中身を匙で掬い、ゆっくりと口に運ぶ。

 だが、思考の機能まで回復に回しているため、ぼうっとしており、腕の動きが覚束ない。



「スイメイくん。あぶなっかしいぞ」


「すまん」


 ぼうっとしたまま謝る水明を見て、レフィールは突然手をポンと叩く。


「……そうだ」


「どうしましたレフィール?」


「いま私は名案を思い付いた」


「名案?」



 フェルメニアが訊ねると、レフィールは水明に向かって、



「スイメイくん。器と匙を私に貸すんだ」


「おう」



 請われた水明は、特に疑問を抱くこともなく、レフィールに器と匙を渡す。

 すると彼女は、ポタージュを匙で掬って、笑顔で、



「ほらスイメイくん。あーんだ」


「は? れ、レフィール、スイメイ殿にいくらなんでもそれは……なっ⁉」


「あーん」



 口を開かせるその言動に、水明は何の疑問も抱かない、というよりは抱けない。フェルメニアに言われたままにあーんと言って口を開け、匙の先を口に含み、飲み込む。ごくん。もう一度レフィールが匙を水明の口に含ませると、今度は真珠豆が入っていたのか、彼の口もとからくぐもった弾ける音が聞こえてきた。


「うまい」


 一方でフェルメニアは、平時では考えられない水明の行動を見て、開いた口が塞がらない。



「……まさかあのスイメイ殿がここまで無防備になるとは……」



 いつもの水明ならば、そんなことは恥ずかしがって絶対にしない。だが、それでもこうやって受け入れているということは、そんなことにまで思考を回す余裕がないということだ。



「んぐんぐ……レフィール、すまないな」



「いや、いいんだスイメイくん。むしろいつもそんな感じに素直だと、私はとても嬉しいぞ」



 優しげな表情で、語り掛けるレフィール。慈愛に満ちた眼差しで水明を見詰める姿は、まるでお姉さんである。

 かまわないと言うレフィールに、フェルメニアが興味あるというように。



「レフィール。私にもやらせてはいただけませんか?」


「ああ、構わないが」



 そう言って、レフィールはフェルメニアに匙を渡す。



「ではスイメイ殿。あーんを」


「あーん」



 やはり水明は、フェルメニアのあーんにも素直に従って口を開ける。抵抗する様子も、嫌がる素振りも全くない。うつらうつらとしながらに、口をもぐもぐさせている。そんな水明の様子をまじまじと見詰める二人は、どこか興奮気味であった。



「……なんか面白い。私を叩きのめしたスイメイ殿が、いまは私にいいように扱われているとは……ふふふ」


「うん。スイメイくんが可愛い。これは滅多にないことだ」



 黒いことを口走るフェルメニアと、感慨深げに言うレフィール。

 フェルメニアは、器と匙をレフィールに渡す。

 結局水明は器の中身がなくなるまで、彼女にポタージュを食べさせられたのであった。



     ★



 帝都フィラス・フィリアの南側に座す巨城、グロッシュラー。

 帝都においては最も高い建造物であり、ここで皇帝が貴族たちの助言をもとに政務を執り行う、政庁の役割を兼ねた、帝国の政治の中心でもある。もとは城砦都市である帝都の本城であったため堅固であり、これまで何度も陥落の危機を凌いできた歴史を持ち、荘厳な佇まいから国外にも名を馳せるほど。


 そこにある執政の間は、床に真紅のカーペットが敷かれ、紋章旗が掲げられた豪奢な内装を施されている。


 この部屋の存在はいわば皇帝の権威の象徴だ。そして、居合わす人間全てに厳しい態度を強要する場でもある。だが、その部屋はいま、そんな張り詰めた空気の他に、ところどころから湧き出る浅ましく卑賤な感情で満たされていた。



 城に呼び出されたローグ・ザンダイクは執政の間に漂う不穏さを肌身で感じていても、いつも通りの硬い表情のまま、王座に就く皇子の前に跪いた。



「情報部通信大佐ローグ・ザンダイク、召喚に応じ参上いたしました」



 ローグが面を伏せたまま、召喚された者の倣いに則り、口上を述べると、元老の一人が「面を上げよ」と口にする。


 ローグはその言葉に従い顔を上げた。目の前の席に座して見下ろしてくる優雅な服装に身を包んだ青年は、ネルフェリア帝国第一皇子レナート・フィラス・ライゼルド。その冷めた容貌から繰り出される厳然たる判断により、この欲望が跋扈するグロッシュラーでも、皇帝不在時の政務をそつなくこなすことができる、才人である。

 レナートを前にして、ローグは再び礼を取る。



「ご機嫌麗しゅうございます、レナート皇子殿下。瑣末なことをお訊ねいたしますが、本日の政務は皇帝陛下が執り行う日取りのはずでは」



 現在帝国の政務はネルフェリア皇帝が高齢ということと、世継ぎである皇子の政務基盤を固めるため皇帝と第一皇子であるレナートが順々に執り行う形式を採っている。この日は皇帝がここ執政の間で政務を執り行うはず、と記憶していたローグの問いに、レナートは薄笑いを浮かべて、皇帝のいるだろう場所を一瞥する。



「うむ。陛下は紅玉宮だ。今日は政務に就く気が起こらないらしいゆえ、私が出ることになった。まったく、陛下の気分屋も困ったものだ」



 くくく、と、さも可笑しそうに笑うレナートに、ローグは面を下げて礼を深める。別邸の一つである紅玉宮で、女遊びに耽る皇帝に、皇子も内心ではため息を吐きたいのだろう。そう思いながら、ローグは時を待っていると、レナートは忍び笑いをピタリと止めた。

 小さくなっていく笑い声の残響が、空気の変化を予感させる。本題に入ることを察したローグは、畏まった状態にさらに緊張の糸を通し、レナートの発言に身構えた。

 豪奢な椅子の肘掛けに、頬杖を突くレナート。



「それでローグ。ここに今日そなたが呼ばれた理由、すでに心得てはいるか?」


「……僭越ながら、リリアナのことと存じますが」


「そうだ。昏睡事件の下手人がそなたの娘なのではないかという話の続きだ。先日現場にいて、逃走したまま見つからないが、その後行方は掴めたか?」


「いえ、捜索に手は尽くしているのですが、いまだ所在の判明には至っておりません」


「そなたの邸宅にも戻らぬのか?」



 ローグが「仰せの通りにございます」と短く答えると、控えていた元老の一人が声を上げた。


「大方、貴公が匿っているのでは? なんせ自分の娘だからな」


「いえ、決してそのようなことは……」


「ほう? 憲兵の話では、この事件で狙われているのは貴族の中でも身分の高い者ばかりだと聞く。成り上がりの身である貴公なら、娘を使った謀略を企てるのもあり得ない話ではないのではないか?」



 暗に、などという婉曲な物言いですらない元老の言葉。ローグが自らの地位を上げやすくするために、邪魔な人間を蹴落としているのだと言っている。

 だが、ローグはそれを認めることはなく、



「被害に遭われている方はなにも地位の高い方だけではないと聞いております」


「白々しい! 大方自分に疑いの目が来ぬよう、貴公よりも地位の低い者も狙わせたのであろう!」



 元老のどこか作為の混じる糾弾の声が執政の間に響くと、それに同調するような声が口々に上がる。リリアナの疑わしさが濃厚になりつつあるこの状況では、ローグの味方である貴族も、大きな声を出すことはできない。

 元老たちの糾弾が過熱する中、レナートが聞こえよがしなため息を吐いた。



「……よさぬか。まだ下手人がリリアナだと決まったわけではない」


「はっ」



 レナートの言葉で、室内に響いていた大声が嘘のように収まった。最初にローグを責め始めた元老もきっぱりと引き下がり、同調の声を上げていた貴族たちもすぐに黙り込む。

 レナートや中立の貴族たちに悪い印象を与えるのが目的だったと言わんばかりの潔さだ。いや、実際はそうなのだろう。ローグは室内に涌く忍び笑いの気配を感じていた。

 周囲の雰囲気が落ち着いたのを見計らって、レナートが口を開く。



「この場でこのような議論をしても始まらぬ。まず、嫌疑のあるリリアナの捜索、事件の調査に全力を挙げるべきだ」


「もっともですな」



 先ほどの元老はあっさりとレナートの言に同意する。だが、まるで魂胆ありというように、すぐ自分の意見を口に出した。



「ですが、まず先に決めておかねばならぬこともあるかと思われます」


「決めておかねばならぬこと、とは……?」


「ふむ。責任か。確かに、そうだな」



 元老の言葉にローグは眉をひそめたが、レナートは言葉の真意を察したらしい。ローグに対し、その冷めた視線を向ける。



「このまま捜査を進めればそなたの娘もやがて見つかるだろう。もしそのとき、リリアナが下手人だったとしたら、そなたはどうするかということだ」


「お待ちください。まだ、リリアナが犯人と決まったわけでは」


「――そうであった場合の責任をどうとるのか、いまの内に決めておけということですよ」



 元老の一人がレナートの言葉を要約するように、ローグにそう求めた。

 罰を提示するには明らかに性急過ぎる。ふっとローグが視線を忍ばせると、声を上げた元老がニヤニヤと笑っているのが見えた。

 彼らがレナートに讒言をしたのは、もはや明白であった。

 それでも、レナートはローグの存在を重要視しているのか、先ほどの要約に付け足す。



「ローグ、そなたやそなたの娘は、帝国にとって大きな力だ。私も、無実であると信じたい。だが、そなたもわかっている通り、わが国には厳しい規律がある。ゆえに、そのときのことも、決めておかねばならぬのだ」



 レナートの言葉を継ぐように、元老が口を開く。



「帝国軍務要綱第十二条、第三項。その重みを、大佐という地位にある貴公が軽視しているということはないだろう。そのときは貴公も、相応の処罰を自身に望むものと思うが?」


「…………」


「ならばローグ、そなたは如何なる答えを出すか?」



 レナートの問いに、ローグはしばしの沈黙を挟んだあと、口を開く。



「……娘の不始末は、私の不始末。軍の地位を返上し、十二優傑の席も退く所存と致します」


「わかった」



 レナートの了承の声が響くと、また図ったように元老が作為的な声を響かせる。



「そうですな。ご息女のことも大佐自らけじめをつけるのがよろしいかと存ずるが?」


「しかし、それはいささか厳しいのでは?」


「この情勢下でこのような不始末を起こしたのです。妥当でしょう。……そうであるな? 大佐」


「……承知いたしました」



 圧力を伴う元老の問いに、ローグは深く頭を下げた。

 その様子を、しばらくの間眺めていたレナートは頃合いだとでも言うように、口を開く。



「……事件解決の遅れについては、陛下も重く見ている。魔族の侵攻が活発なこの情勢で、国の不安がいつまでたっても解消されないのは、よいことではない」



 その言葉に、元老が賛意を表する。



「そうですな。我らも調査に本腰を入れねばなりません。ですが、何やらこの事件の捜査には聖庁の勇者殿がかかわっているご様子」


「手を出し難いのは承知している。だが、このままでは埒があかぬのも事実だ。そこで、今後この件の捜査について、変更がある」


「変更、でございますか?」


「そうだ。これまでは憲兵と情報部ともに内々で捜査させていたが、捜査の本営を統合する。さしあたっては、その指揮をこの者に執らせることにした」



 レナートの発した「入れ」との言葉に合わせ、扉が開く。そして、レナートの隣に歩み出てきたその者は――




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