リリアナ編後編、プロローグ
前篇のエピローグも更新しましたので、ご注意を。
空を見上げると、視界一面スカイブルーが広がる。
都会の空ならばところどころにそびえ立ったビルなどが顔を出し、全てが青だけの空は見えないが、ここ異世界にはその青を邪魔するものは何もない。
この日、アステル―ネルフェリアの国境に到着した者たちは、突き抜けるような蒼天に出迎えられていた。
水明がリリアナを説得に向かった夜から、数日後。アステルの勇者である黎二、その一行は、ネルフェリア帝国国境の砦に到着していた。
一足先に検閲を終えた黎二が、目の前に広がる侵食地帯を眺めていると、次いで検閲を終えた瑞樹が足早に寄ってきた。
「黎二くん。やっとネルフェリア帝国に着いたね」
「うん。ホントだね」
にっこりとほほ笑みかけてきた瑞樹に、黎二は柔らかな表情で応える。クラント市を出てから、ハドリアスの領内を馬で移動し、アステル、ネルフェリア、サーディアス連合自治州を横切る大街道を通ってここまできた。
国境前までは多くの緑が広がっていたが、この先は緑地が少なくなり、川に侵食された独特な地形に変わる。帝都周辺まで行けば緑が増えてくるが、これまでよく目にした大きな森は当分見ることはない。
すると、瑞樹がどこかしみじみとした様子で、黎二に話しかける。
「なんか前も思ったけど、ここってグランドキャニオンみたいな地形だよね」
そう言うとは、写真や映像でよく見る絶景を思い浮かべているのか。確かに彼女の言う通り、グランドキャニオンも川に侵食されてできた峡谷だ。ここも、目の前に大きな谷が口を開けており、底には狭く、しかし随分と深そうな川が流れている。
「黎二くんはここのこと、どう思う?」
「え? うん。あそこまで険しい感じはしないけど、確かにそんな印象は受けるね」
「だよねー。ああー、またここを通らないといけないんだー。やだなー」
「うんざり?」
「だってー、前通った時は靴が壊れちゃったから……」
「そういえばそうだったね」
食傷気味な顔をして、がっくりとうな垂れた瑞樹は、今度は自分の足に目を落とす。
「それに足も痛くなるし」
「それは魔法があるからいいじゃないか」
黎二は楽観的に言うが、瑞樹の顔は晴れないままのブーたれ顔。この先の道は、その大半が整備されているのだが、一部馬を降りて歩かなければならない場所がある。そういった場所は総じてごつごつとした岩肌がむき出しになった場所であり、そこで山道を歩き慣れない瑞樹は、向こうの世界から履いてきていたスニーカーを壊してしまったのだ。随分とお気に入りだったらしく残念がったが、そのあとに履き替えた靴の履き心地の悪さにも、かなり残念な様子を見せていた。
「でもね黎二くん? 魔法でいちいち痛みを和らげるのも面倒なんだよ?」
「そうか。効果が切れたらまた術を使わなきゃならないもんね」
「そうそう。それに引き換え黎二くんはいいなー。足とか痛くならないんでしょー?」
「それは……、まあ僕には英傑召喚の加護があるから」
「ねーねー、それちょっと私にも分けて? ね? いいでしょ?」
瑞樹はものすごく愛くるしい笑顔を見せ、黎二の胸にすがり付いておねだりをしてくるが、
「無理です」
「ケチケチケチー!」
瑞樹はぶうと、言って可愛いらしく頬を膨らませる。かわいそうだが、黎二としても無理なものは無理なのだ。わけてあげられるものなら、言われる前にやっているだろう。
ふと、黎二は視線を峡谷に向ける。二度目の道はどこか感慨深いものがあった。
「またここを通るのも、なんか不思議な気分だね……」
そう、湧き上がる想いに浸りながらしみじみとしていると、
「――そうですわね。何と言っても、この前はレイジ様が飛び出して行かれましたから」
「へっ⁉ あ、あははは……」
後方からの声に黎二は慌てて振り向く。検閲を終えたティータニアが、笑顔で黎二に話しかけてきていた。
一方の黎二は苦いのか潤いがないのか、引きつった笑みを浮かべるしかない。
「ティア、あの話はこの前許してくれたじゃないか」
「ええ。ですがちょっとぐらい愚痴を言われてもいいのでは?」
「そうだね。ティアの言う通り、私もそれくらいは許されると思うよ?」
「あう。瑞樹ぃ……」
友人に敵に回られ、恨めしそうな顔をする黎二の横で、当の瑞樹とティータニアは笑顔を揃えて「ねー」と言っている。
そんな中、お付きの女騎士であるルカが、砦の中から追って出てきた。よく見れば彼女は手に見慣れ包みを携えている。間もなく、ティータニアのもとまで来ると、
「姫殿下、お忘れ物です」
「あら、ルカ? 何かありまし――てっ⁉」
瑞樹と同じく笑顔だったティータニアが、ルカを見た途端、まるで瞬間冷凍でもされたかのように凍り付いた。何故、驚いたのか。忘れ物とは、そうおかしなことでもないが、はて。
瑞樹が小首を傾げる。
「どうしたの?」
「ど、どどどどどどうもしませんよミズキ!」
瑞樹に訊ねられ、あたふたとするティータニア。黎二はそんな彼女の横を抜け、先んじてルカの持っている包みを見る。包みは棒状に伸び、触るとかちゃりと金属的な音を立てた。
「……これ、剣だね。ティアの持ち物なんだ?」
「はっ――⁉ レイジ様いつの間に⁉」
「こんなの持ってたんだね。剣なんて、ちょっと意外かな」
「それは、ええええと……あの……その……」
「あー⁉ ねーねー! それってもしかして、王家の宝剣とかそういうのじゃない? こう、実戦で使うのには適さないけど、王族が旅立つ際は絶対に持っていかなきゃならない権威のあるものだったりとか!」
「あっ⁉ それです! ミズキの言う通りです! そんなものです!」
「……なんかティア、さっきからすごい必死なように見えるんだけど……」
「それはレイジ様の気のせいです!」
そう言って、額から汗を噴き出すほどの勢いで否定にかかるティータニア。わたわたは収まらない。いつにないほどの取り乱しっぷりである。そんな彼女の横で、瑞樹が何か思い出したか、空を仰いだ。
「剣かぁ……そういえば、黎二くんの剣も随分ボロボロになっちゃったよね」
「あぁ、そうだね……」
瑞樹の言った通りというように、黎二は困った様子で腰に挿した剣を抜く。鞘から顔を出した刀身には、ところどころに刃毀れができていた。魔族との戦いに加え、ラジャスと戦ったことがその原因にある。もともと付け焼刃のような剣技で剣に負担をかけていた上に、ラジャスの拳と激突したため、オリハルコンの刃面が欠けてしまったのだ。
すると、ティータニアがわざとらしい咳払いをして、
「帝都に行けばいい鍛冶師がいるかと思いますよ。そこで打ち直すなり、新しいものを求めるなりするのがよろしいかと。私としてはできればサーディアス連合か自治州に到着するまで保たせたかったのですが……」
仕方ないと諦めたような顔をするティータニアに、黎二が訊ねる。
「ティア。連合の鍛冶師の人ってすごいの?」
「ええ。サーディアス連合が多くの国が集まってできた国というのは、以前お話したと思います。連合はその昔、連合の全ての国の代表たる宗主国を決める時に、各国の代表が剣と剣で争ったのです」
「あ! だからそれでいまも剣に関係するものが盛んってことなんだ!」
「はい、剣術、刀鍛冶、強い剣士の待遇に至っても他の国とは異なります」
すると黎二はオリハルコンの剣を掲げ、どこか遠い目で眺め出す。
「剣の国か……僕もそこで剣の修行とかしたいな。こう、すごく強い剣士のところで」
そう言ったあと、「なんてね」と冗談めかす黎二に、ティータニアが、
「確かに現在連合には、七剣が三人もいらっしゃいますからね。連合に行く機会があれば、お会いするのもいいかもしれません」
「その七剣って良く聞くけど、強いの?」
「七剣は大陸北方、中央で最も強いと謳われる剣士たちに冠せられる称号です。その腕前は、一人で千人の兵士に匹敵するとも言われています」
「千人ってすっごいね! 一騎当千! リアルりょ、呂布だー! だよ!」
ティータニアの話を聞いた瑞樹は、中二心が触発されたか、かなり興奮している。
するとティータニアは、帝都のある方を仰ぎ見る。
「これから向かうネルフェリア帝国にも、『孤影』の名を持つ剣士がいらっしゃいます。夜戦、奇襲戦で多くの武功を上げた、帝国屈指の使い手です。帝国南方に隣接する国家群には、その強さと神出鬼没さから、言うことを聞かない子供に対する歌まで作られているほどです」
「歌ってことは、言うことを聞かないとその人が来るってやつだよね? それはすごい」
「ねえティアティア! どんな歌なの?」
「ええと……では。『ひとたび出れば、オーガも逃げる孤影の剣将。いい子は早くベッドでお休み。夜更かしするよな聞かない子には、夜の闇から孤影が出てきて、お前のことを殺しにくるぞ』」
「うわ……」
瑞樹の声に構わず、ティータニアは続けて、
「『ひとたび出れば、散々殺す孤影の剣将。いい子はいつも優しくおなり。意地悪するよな悪い子は、自分の影から孤影が出てきて、お前のことを殺しにくるぞ』」
「結構、キツイ歌なんだね……」
ティータニアの歌に、瑞樹が顔をしかめる。殺しにくる。という言葉が彼女にはきつく感じられたのだろう。だが、そのくらいの歌でなければ、子供も怖がりはしないか。
逸話に黎二が感嘆としていると、ティータニアはどうしたのか。急に訳知り顔を作る。
「いろいろと剣士の話をしましたが、私は別にレイジ様が誰かのもとで剣を覚えなくてもいいと思いますが?」
「どうして?」
「レイジ様は剣筋が良いですから。基礎も城で覚えましたし、変に誰かの剣技を取り入れるよりもそのまま伸ばした方がよろしいかと」
「ティア、そんなことわかるんだ?」
「え? あ、そ、そんな気がしただけです! だってレイジ様は勇者様ですし!」
「……黎二くんの言った通り、今日のティアってなんか変」
「だから気のせいですって!」
「……まあ、修行するにせよしないにせよ、サーディアス連合に向かうのはすぐには無理だろうけど」
抜いた剣を鞘に納めた黎二がそう言うと、瑞樹とティータニアが険しい表情をして彼の方を見る。そして、
「帝都でこの前のお姫様の動きを牽制しろだったよね、確か。ティアはそのこと、どう思う?」
「さあ? あの男、一体なんのつもりなのやら」
ティータニアにしては珍しく、気に染まないと言った風にふんと鼻を鳴らす。やはり彼女はハドリアスのことが相当に気に食わないらしい。以前クラント市で帝国に行けと言われたことを告げたときも、彼女が烈火の如く怒り出し、抗議しに行こうとしたことを思い出す。
結局、グレゴリーのことがあるので、諦めざるを得なかったが、
「……あの男、今度会ったら絶対歯ぎしりさせてあげます」
「うわ、ティアったらすごいやる気」
「当然ですとも!」
彼女にとってハドリアスを悔しがらせるのは、もう確定らしい。握り拳まで作って、いつになく闘志を燃やしている。そんな彼女に、黎二は、
「ティアって最初からあの人に対いてそんな感じだけど、ハドリアス公爵と前に何かあったの?」
「え……? ええまあ、公爵とはいろいろとありまして」
視線が泳がせ、横の方に行かせたっきり合わせようとはしないティータニア。曖昧な返事をする彼女だったが、そこで彼女の後ろに控えていたルカが口を開いた。
「それは以前姫殿下が、ハドリアス公爵と勝負をされた際――」
「る、ルカ――⁉」
「え? 勝負? ティアったらハドリアス公爵と勝負なんかしたんだ?」
「へぇ、どんな勝負?」
黎二が興味津々な様子で訊ねるが、しかしティータニアは答えているような状況ではないとばかりに、ルカに向かって叫ぶ。
「ルカ‼ 今日のあなたは迂闊です!」
そんな風に騒いでいると、やがて検閲を終えたグレゴリーとロフリーが馬を引き連れてやってきた。彼らを目に留め、元気よく手を振る瑞樹と、ルカに切羽詰まった表情を向けているティータニア。
彼女たちに穏やかな表情を向けてから、黎二は帝都のある方角を眺める。旅をするにはよい日和だが、ハドリアスの指示が気にかかる。果たしてこの先、何が待ち受けているのか。