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闇魔法との対峙



 各々の仕事を分担したこともあり、一旦その場で別れた水明たち。エリオットらとは違い、初動も遅く手掛かりを持たないため随分と後れを取った状態にあった。

 そこで水明は唯一、それらしき人物を目撃した場所へと、一路向かっていた。



 リリアナに図書館に案内してもらった日の帰り、黒いフード付きのローブをまとった人物が、魔術で編んだ疑似結界内で貴族を追い回していた。おそらくはあれが、この事件の犯人なのではないかと察するが、



「そういや、随分と小さかったな」



 あの闇の中で対峙した影は、背が低く、細身だった。動きを思い出してみても、かなり年齢が低い人物――子供だということが判る。それを踏まえると、どうにも複雑な気持ちが滲み出してくるが。



(なんなのかねぇ……)



 住民を襲って昏睡させ、恐怖を振りまき、憲兵が手を焼くその犯人は子供。まるで動機が見えてこない。

 水明がそんな風に考えを巡らせながら通りを歩いていると、前方に黒山の人だかりができているのが見えた。



「なんだ……」



 ざわざわと喧騒。その騒がしさは徐々に大きくなっている。そんな、人通りの多い往来での異変に、水明も野次馬根性が呼び起こされ、通りの端へひょいひょと近づいてみる。すると、円周をぐるりと作る人垣の囲いの内から、にわかに濃密な魔力が膨れ上がった。



「……これは」



 この感覚には、覚えがあった。つい先日感じたことのある魔力の波長。そう、リリアナ・ザンダイクの持つ魔力の膨張である。

 ふと後ろから「どうしたんだ?」「人間兵器が……」「相手はギルドの魔法使いだ」と、そんな会話の断片が聞こえてくる。うち一つは、聞き覚えのあるリリアナの異名。



 水明はすいませんと口にしながら、人垣を揉まれながら進む。やがて囲いの一番前まで来ると、そこには案の定、リリアナの姿があった。

 少女の冷え切った左の瞳が見える。それが見下ろしているのは、あの日リリアナにケンカを吹っかけていた魔法使いたちだった。地べたを這いつくばっている。

 以前とは違い、今回は彼女から苛烈な攻撃を受けたか、ローブのあちこちは焦げたり、切り裂かれたりと、見るからに痛ましい限りである。おそらくは炎、風の魔法を防御が及ばぬまで浴びたのだろう。魔力ももうほとんど枯渇気味である。



「これに懲りたら、もう私にちょっかいを掛けるのは、やめることです」



「くそ……」



 悪態をついて、身体を起こそうとしているのは粗野な口調の男の方。まだ眼光に敵意を宿らせてリリアナを睨み付けるが、彼女はそんな輩に寛容ではなかった。再び濃密な魔力を全身から吐き出すと、周囲十数メートルを包むように領域化して、武威と殺意、そして誰彼にでも分かるほどの悪意を強く滲ませた。



 魔法使いの二人も周囲の野次馬も、これには全身が総毛立ったことだろう。肌を冒す魔力は毒気に満ち満ちているためもちろんのこと、むき出しになった人の悪意が、空間に充満したのだから。

 結局、粗野な口調の男と慇懃な口調の男は、その場で泡を吹いて気を失った。魔力もなし、当分起きることはないだろう。リリアナは彼らを一瞥すると、魔力を戻して戦闘態勢を解く。



 その一方で、水明はどこか周囲の眼光が厳しいことに気付く。彼女が男たちを完膚なきまでに叩きのめし、恐怖を振りまいたことに、周囲には強い畏れと確かな嫌悪が渦巻いていた。

 今回もまた彼らが手を出してきたのだろうし、おそらく彼女は悪くないだろう。正当防衛で風当たりが強いのは、いささか不憫である。

 ここは助け舟でも出そうかと、水明は進んで前に出た。



「よ」



 声で気付いたか、振り向くリリアナ。



「……またあなたですか。よく私の前に現れますね」



「それは俺だって同じだ。だから付きまといとか言うんじゃねえぞ? で――」



 そう一拍置いて、哀れにも返り討ちにあった男たちの方を見る。



「また、そいつらが突っかかってきたのか?」



「そうです。また性懲りもなく私に、挑みかかってきたのです。大人のくせに、救

いようのない馬鹿です。大馬鹿です」



「……お前も災難だな」



 水明は男たちに向ける視線に、呆れを含ませる。それとなく周知すれば、この不穏な空気も緩和するか。そう思ったが、水明が予想した通りにはならずで、周囲の者の視線は変わらずだった。



 前列の野次馬は自分よりも先にいたはずなのに、何故か「人間兵器がギルドの魔法使いを痛めつけた」「不気味な子供……」「何故こんな危険なガキを野放しにしているんだ」など、厳しい声が聞こえてくる。おかしい。普通、どちらが正しいのかはっきりすればこのような言葉は飛び交わないはず。というよりもそれ以前に、先ず小さな女の子に暴力を仕掛けた大人の方が非難される方だ。なら、どうして彼女が槍玉にあげられなければならないのか。それともこれがリリアナに対する帝都の人間の認識なのか。



 水明が辺りの悪意に唖然とする中、リリアナが動く。



「どきなさい。見せ物では、ありません」



 人垣を睨み付けるリリアナ。その眼光に射抜かれまいと、警戒に険しい表情を浮かべた人々がゆっくりと散らばっていく。そんな野次馬たちの去り際、



「……化け物」



 誰かがそう忌々しげに呟いた。



「……おい」



「黙っていれば、いいのです。しばらくすれば、いなくなりますから……」



「いなくなるって……そういう話じゃないだろこれは? 状況を誤解してるって話じゃないぞ?」



「いいのです」



 俯き加減のまま口にした、彼女の語気は心なしか強かった。言葉にも、どこか投げやりで、諦観の念も混じっている。



「……これでいいのか?」



「ええ、いつものことです。不気味な魔法の使い手は、忌み嫌われるもの。帝国で私は――いえ、どこでだって私は、そういうものですから」



 リリアナのどこか寂しいげな呟きが聞こえる。もうどうにもならないのだという訴えにも似た声が。



「私の所属する部署は特別です。元々嫌われやすいところですから、私のような者がいれば都合がいいこともあるのです」



 確かに、軍というところには特別な部署があり、そこには人から嫌われるところもままある。内外からの不満は募るが、攻撃をし易い対象がいれば目はそこに向かなくなる。ならばその悪意の矛先を、彼女は一身に受け止めているというのか。



 水明が周囲に目を向けると、皆まるでそこに手の付けられない猛獣でもいるかのように、誰もが彼女を窺いながら後ずさっていくのが見えた。あるものは店の軒先に隠れささめき合い。またあるものは建物の陰から睨むような鋭い視線を送っている。眼光は一様に、目の前の者を貶めんと昏い光を放っていた。子供に向ける、目ではない。



 やがて野次馬は、いなくなった。視線に堪え切ったリリアナも、この場から立ち去ろうとするが、



「ちょっと待て」



「なんです?」



「怪我してるぞ」



 リリアナは男たちから魔法を受けたのか、その首筋が少し赤くなっていた。おそらくは火傷かなにかだろう。水明はすっと近くに歩み寄って、患部に手をかざした。



「何をっ――」



「少しじっとしてろ」



 手から淡い翠の燐光が舞い上がり、光に満ちる。治癒の魔術。炎症を起こした皮膚は水明の癒しの手によって、すぐに元通りの状態へと戻った。



 リリアナは不思議なものでも撫でているかのように、火傷のあった首筋をさすっている。



 そして、



「……どうして」



「ん?」



「どうして私に、優しくしようとするのですか、あなたは?」



「なに、物好きのお節介だが、気に障ったか?」



「はい。とても」



 肯定したリリアナがあらわにしたのは、怒りのような感情だった。そんな顔を見ていると、どこか遣る瀬無い憐情が湧いてくる。



「あなたも、彼らと同じようにすれば、いい」



「蔑めと? あんな目で見ろと?」



「そうです」



「お前は、本当にそうして欲しいのか?」



「それは……」



「そんなことないんだろ? な?」



「……」



 リリアナは俯いて黙ってしまった。肩の力が抜けている。



「一人で帰れるか?」



「――こ、子供扱いしないでください!」



「そうか、なら大丈夫だな。俺も用事があるから、もう行くぞ?」



 そう言って水明は犯人と思しき者と出会った場所へ、足を向ける。



 ……勝手にしろ、です。



 背後から、そんな呟きが聞こえた気がした。



     ★



 闇の中に、その者たちはいた。

 周囲の黒との境界がわからない、一見して見分けのつかないローブをまとう、背の低い影と背の高い影。寝静まった街を飛ぶように移動して、闇と闇を繋ぎ縫い合わせていく。気配を薄く研ぎ澄まして獲物を探すさまは、まさに狩人だろう。



 不意に、小さな影が止まった。ニュートンに真っ向から対立するような、ゆったりとしたアーチ描く跳躍を止め、静寂を壊さぬようレンガ敷きの上に降り立つ。



「……どうした?」



「いえ、なんでも、ありません」



 追って隣に降り立った背の高い影。それに問われ答えた言葉は、もしかすれば偽りだったのかもしれない。その場で止まったのは、塀の上にいた生き物を見咎めたためだ。いや、止まったのは逆にこちらが見咎められたからなのかもしれない。

 それは周囲と比べ高い場所に座り、瞳孔が目一杯に開いた両眼をらんらんと光らせ、じっとこちらを見詰めている。猫だ。帝都に住まう野良猫が、自分のことを黄色ともつかない二つの光で捕まえている。



「なぁ」



 一声鳴いた。果たしてそれは何を示すものだったのか。猫はその柔らかそうな毛並の四肢で立ち上がると、音もなくその場から去っていった。

 背の高い影が、肩に手を置く。



「行くぞ」



「……はい」



 短く諾意を示す。そして再び背の高い影に追随し移動する。無論、目的を果たしに行くために。今回の標的は、これから上流区画の端を通るという。情報の出どころは後ろの影。そう、背の高い影はいつも恐ろしく正確な情報を持ってくるのだ。いままでもそれを元にして目的を果たしている。おそらくは、帝国の情報部を凌ぐ情報網を持っているのだろう。



 今回の標的は以前に無関係の人間が入り込んだせいで、取り逃した相手だ。



「このあたりだ。網を仕掛けろ」



 その言葉に、反意なく頷く。彼の求め通り手早く術式を編んで、呪文の詠唱をし始めようとした時、



「にゃあ」



「――⁉」



 思い掛けない時機で発せられた鳴き声に、図らずも背中が驚きに震えた。遅れて振り向けば、猫が背後に座っていた。音もなく忍び寄っていたのか。建物の壁に寄り添うようにしてあり、先ほどの猫のようにじいっとこちらを見詰めている。じいっと。まるで、こちらの動向をつぶさに監視しているように。腕には暗色の布切れが巻かれている。飼い猫か。



 魔法の行使を一旦やめて、猫に向かって一歩踏み出す。だが猫は動じない。ただ瞳孔が目一杯に開いた瞳を向けてくるだけ。もう一歩、二歩と近づくとようやく猫は危機を感じたのか、あくびのような仕草を最後に背を向けて、その場から退散した。



(…………)



 一体何だったのか。猫の思惑は杳として知れないが、気を取り直して闇の魔法を行使する。辺りの光を覆い、視覚を弱める術だ。これで、僅かな偶然を除き、標的はこの区画から抜けられない。



 すると間もなく、標的が現れた。酒精の入った飲料をたらふく飲んだか。足取り

は覚束なく、この暗闇の領域にも気が付いていない。今回も簡単な仕事だ。ただ酔っぱらいに魔法を行使するだけの瑣末事。他の人間にそうしたように、この男にも闇の魔法をかける。



 そしてまもなく用件は済み、レンガ敷きの上には意識を失った憎き貴族が転がっているのみとなった。



 ……これでまた一つ、憂慮の芽を摘み取ることができた。あと少し、あと少しこんなことを繰り返せば、あの人の歩む道にある障害は取り除かれる。



 そう知らず知らずに安堵の息を吐いて、踵を返そうとしたみぎり、



「――やっぱり、後手後手に回っちまうか」



 その声は掛けられた。



     ★



「…………」



 声に意識を誘われ、振り向いた先には男がいた。歳の頃は十代後半。背格好は中肉中背。一見どこにでもいそうな雰囲気をまとい、しかしどこを探してもいないような風体。声に遅れて、背の高い影もそちらを向いた。



 ――なぜ?

 ここにきて、自身の頭を占拠したのは混乱だった。何故、この男がいまここにいるのか。



 詰所で出会い、帝都の街並みに戸惑っていた男。スイメイ・ヤカギ。

 まるでここに来ることが目的だった――そんな物言いをして遅まきの到達に顔をしかめたのは、まるで自分たちの目的を止めるために現れたというような表情であり、そんな様相。こちらと同じく闇を供にして現れた彼。その背後から見覚えのある小さな姿と、見覚えのない銀髪の女性が現れる。予定外の闖入者だった。理由は知れないが、自分たちを捕まえに来たのは間違いない。しかし事はもう済んでいるため、彼らに用はない。だが、見られた以上そのままにするのは得策ではない。




「……あとは任せる。一人でできるな?」



「はい」



 言外に始末しろと言う背の高い影の言葉に一言、承諾の旨を告げる。



「――待て!」



 影の遁走に気付いた銀髪の女が声を上げ、すぐにスイメイ・ヤカギに目くばせした。しかし彼は背の高い影が闇と同化したのを横目で見て、不要だと昏倒した貴族を一瞥する。



「いい。深追いはダメだ。二人はそこのオッサンを頼む」



「は、はい」



 彼女は了承すると、スイメイ・ヤカギの連れの赤髪の少女と共に男へと駆け寄った。



「――で、事件の犯人はお前さん方で間違いないかい?」



「……」



「黙ったままってことはそう見做すが?」



 答える気はない。スイメイ・ヤカギとは言葉を交わし合った間柄。いくら魔法で声色を変えていても、気取られる時はままあるのだ。呪文詠唱中のように言霊に神秘が宿っている時ならば話は別だが、いまはそんな愚は犯さない。



 そうしている内に、スイメイ・ヤカギはゆっくりと腕を持ち上げ、指を鳴らす仕草をする。あれは――魔法使いギルドの術師が持っていた魔杖を破壊した技だ。どういうわけか、指が鳴ると同時に、空気が爆裂する風属性の魔法が発動する。単純に見えて、高度な魔法だ。詠唱や鍵言もそうだが、術式を構築し発動するまでの時間がごくごく短い、実戦を考慮して作られた恐るべき魔法。腕を上げる動作が緩慢なのはこちらの目算を狂わせるためのものであり、実際は全てが一秒以下の世界で終結するため、察知できなければ回避や防御は感覚に頼るしかない。



 ――パチン。



「……ッ」



 回避を頼みにした横飛びは、真横の空間が弾けるのとほぼ同時だった。だが、あれはどうやら視線と指の交差との直線上にある物体のみに、その効果を及ぼしているようだ。以前に見てなければ気付くことなく打ち倒されていただろう。だがいまはそんな余念に心とらわれている場合ではない。こちらの姿勢が崩れることを見越したスイメイ・ヤカギは、もうすでに地を駆けている。速い。特段魔法での強化をしているわけでもないのに、駆ける速度は十二分にある。



「――Permutatio.Coagulatio.Vis cane」

(――変質、凝固、成すは巧技)



 走る最中、スイメイ・ヤカギの口からアルマ・メリクリウスとの呟きが聞こえた瞬間、先端が二つに分かれた金属杖に変化する。銀色の金属杖の旋回と同時に、辺りに散乱するひゅんひゅんと風が鞭の如き風切り音。切っ先は過たずこちらに。駆けこむ速度に一切の翳りはない。魔法使いのくせに恐ろしく戦闘慣れしている。



 そんなスイメイ・ヤカギに対し、闇の魔法を紡ぐ。



「――闇よ。汝、天覆う帳から剥がれ落ち、我が敵を挽き、打ち、叩き、潰し、そして地に落とせ」



 ―― ダークネスパニッシャー。

(――我の前に跪いた時、全ては闇により潰される)



 夜の闇とは全く異質の闇が、天に広がる。覆い被さるように伸び上った暗幕が真下にあるもの全てをその身で圧殺せんと。追い風に祝福された男の疾走を阻もうとしたその時、彼はすぐ様に横飛びを敢行して、その端すれすれをすり抜ける。暗幕を操作し巻きつけようとすると、彼はまるで何か見えない巨人の手に掴まれて引っ張られたかのように弾かれ、闇の鎚の只中で自然の摂理に反発した回避を見せる。完全に崩れた体勢から危なげなく着地したスイメイ・ヤカギ。そんな彼が表情に出していたのは、怪訝だった。



「おい、なんだその術は?」



 その咎めるような問いに当然のように答えないでいると、彼の後ろにいた銀髪の女性が、自分の使った魔法の正体を明らかにした。



「スイメイ殿! 闇属性の魔法です! しかもかなり強力な!」



「闇、属性……?」



 どうやら目の前の男、スイメイ・ヤカギは闇の魔法を見るのが初めてらしい。胡乱な話でも聞いたように当惑をあらわにしている。闇属性のことは良く知らないらしい。ならば、好機だ。



 そう思った最中に、彼の口が動きを見せる。



「―― Et factus est invisibilis. Instar venti」

(――我が刃は不可視なりて、しかし我が敵を鋼の如き鋭さを以て血だまりへと沈めん)



 彼の足もとに魔法陣が形成されると同時に、鼓膜を切り裂くような音。先ほどの金属杖が起こした風鳴りの音とは別物だ。闇にまぎれた音は冷たい夜気を太刀風が如く変えたように研ぎ澄まされて鋭くある。これは、どこか虚空に剣がある。しかしどれほど目を凝らしても見えないのは、ただ夜陰に紛れたわけではないからか。元々が見えないのならば、感じるしかない。すぐに感覚を密にして、厳にして、周囲に鋭敏な糸を巡らせる。そして、かわす。剣撃をかわす動きではなく、飛来する矢を避ける身のこなしで。一つかわすと後ろの地面に斬撃痕。それを数度繰り返す。



 だがその機動をもって成した動きの最中に、彼の口が動いた。



「――Flamma est lego vis wizard」

(――炎よ集え。魔術師の叫ぶ怨嗟の如く)



 紡ぐ呪文は、やはり聞いたことのないものだ。ならばと、こちらも。



「――闇よ。汝全てを惑わせ狂わせる、奇貨が如き誘い。黒き蛇は手にした全ての者をあまねく滅びへと導かん」


 ――ハンドオブフレンジー。

(――か細き闇こそ、滅びに至る闇は過大なり)



 呪文を紡ぐ。この魔法は特別製だ。闇属性を用いたオリジナル。闇属性の特質を利用することにより、相手の術式を不安定にさせ、起こり得る現象を不確定化させるものだ。不確定化した魔法は、発動しないか、別の現象を引き起こすか、相手に返るか、そのいずれかになるが、それを見越して相手に返るよう調整すれば相手に直接的に痛手を与えられる。



 はずだったのだが――



「ッ――Resonatur! Illi qui flagitant Discordia et lost in ventum!」

(音合わせ! 安寧を乱し不和を呼ぶ響き、揺らぎよ変じて風鳴りに消えよ!)

 


スイメイ・ヤカギは元々の呪文詠唱を中断して、別の呪文を割り込ませる。



「Harmonies aeolian!」

(調律風!)



 ――ハーモナイズアイオリア。その言葉が風に乗った時、確かに何かが変化した。



「なっ……⁉」



 蛇を模した闇が中空に浮かびあがった魔法陣に絡みついた瞬間、闇蛇は魔法陣と共に光となって砕け散った。ばらばらと紙吹雪のように弾けた光の粒が照らしたのは、何事もなくそこにある男の姿。



 無事、ということは完璧に防御したということになる。だが、あり得ない。魔法とはその全てが、エレメントが発動における手間を肩代わりしているものだ。ゆえに、魔法使いが使う全ての魔法はどこかに術者の意識が介入しない部分が出てくるため、術者が完全に魔法を掌握しているということはない。いまの魔法はその隙を利用した部分もあるため、それがないとはありえない。いや、仮にそうだと言うのならば、あの男は自分の使った魔法の全てを精密に制御し切っている――つまりあの男の使っている魔法はエレメントを介した魔法ではないということになる。



 驚きに呑まれていると、スイメイ・ヤカギは腕に残った余剰魔力でも振り払うよ

うに、徒手空拳の右手を払う。



「……事象撹拌(フェノメノンミキサー)



「……?」



「いまお前が利用した魔術法則だ。確かに完璧に利用したわけじゃないようだが……ったく、魔術概論も知らねぇのによくやるぜ……」



 吐き捨てるように告げられたその悪態ぶりは、彼なりの称賛だったのだろう。

 次いで、寒気が辺りを占有する。完全に自分を敵とみなしたのか。目付きも鋭く、威圧も増した。魔法使いギルドの術師を倒した時にも思ったが、やはりスイメイ・ヤカギは相当な使い手だ。高度な魔法を短い時間で発動させ、相手の制御の掛かった魔法さえ奪い取って使ってしまう。その実力、十二優傑にさえ匹敵するだろう。もしかすれば、それ以上ということもあり得えない話ではない。



 スイメイ・ヤカギが動き出す。ゆったりとした踏み出しに反応して下がろうとすると、こちらの動きを読んでいたのか、初速からあり得ない加速を以って距離を詰めてくる。



 接近されての戦いはあまり得意ではない。呪文を早口で紡ぐ。スイメイ・ヤカギは指を鳴らそうとしていたが、何か良くないことにでも気付いたようにその場から急に身を脱した。



 反応が早い。術式の構築を始めた段階で躊躇なく回避行動に徹することができるとは、どういった感覚を身に付けているのか。もはやその反応は予知にすら等しくある。

 そしてそんなことを考えている間にも、既に対策を取ろうとしているのが目に見えた。



 また魔法陣が空中に浮かぶ。しかし一つ――いや一種類ではない。



 二重詠唱(ダブルキャスト)。いや、これは――



「――Ad viginti transcription. invocatio Augoeides!」

(――光輝術式。二十番まで転写、発動!)



「――くっ!」



 光属性でもない光槍が驟雨のように襲って来る。濃密な魔力に術式をあてがい、攻撃手段に変えたのか。しかもそれと同じものを複数用意し、同時に起動。化け物か。横殴りの光の雨をかろうじてかわす。かわして、反撃に移らなければ。そう、邪魔するものは倒さなければならないのだ。あの人のために。だから自身は自分の身を顧みない。懐に飛び込むのがあまりに危うい行為なのだとしても、舞い上がる土煙のようなレンガの粉塵と破片が目の前をゆっくりと過ぎ去っていくのを見計らって、もぐり込むように彼に向かって駆ける。しかしそれはお見通しだったのか。そこにはいつの間にか金属杖を剣の形に変えたスイメイ・ヤカギが。



 そのまま黒檀の杖の先を剣の腹にぶつける。剣技はあの人のものをいつも見ているため、対応する自信はあった。帝国にはあの人を上回る剣技の持ち主はいないのだから。しかしスイメイ・ヤカギの剣は別物だった。杖に打たれ弾かれた剣は予想外に相手の制御を離れず、流れるように流麗な軌道を描いていく。二の打ちで出した杖の先端を跳ね上げるとその勢いのままに、手の中で一回転させた剣の鋭い切っ先で輝く軌跡が円を成した。



 魔法陣。浮かび上がった魔力光の引いた輝きは赤。炎術――

 気付いた時には完成した魔法陣と、こちらに向けられる剣の先鋭が瞳に映る。かろうじて肩口狙いと分かったため突きの回避は間に合ったが、魔法は別だ。この状況で防御する手段はない。どうする。魔法陣からは熱を感じる。火属性の魔法だ。光の次に闇を妨げ、強い威力を誇る属性。



「――ッ‼」



 熱と痛みが身体を襲う可能性を考慮しながらに歯を食いしばり、身体をレンガ敷きに投げ出す。その勢いのままに、受け身もとらぬままに身を転がした。自分の状態は――炎はローブを舐めるのみで、害はほとんどなし。即席の発動で魔法の格が先ほどのものよりも数段落ちるものだったことと、未成熟だが小回りが利く体に助けられた。



 銀髪の女性がスイメイ・ヤカギに訴える。



「援護を……」



「いい。それよりそのオッサンとレフィールを頼む。周囲の魔力と事象の変化に気を付けてろ。目立たないように自分の領域を横に引き延ばしてる」



「これは……」



 銀髪の女性が辺りを見回す。ほどなくして、瞬きのあとにその両眼が豁然と見開かれた。かくしてその瞳が捉えたのはきっと、夜が落とした闇とは別の異質な黒に違いない。



 それをヤカギ・スイメイは気付いていたか。夜陰に隠した黒い靄。さすがだ。知らぬうちに闇の内に沈めてしまおうとしていたのに、そちらにも気を配っていたとは。だが相手の魔法を奪うことのできる彼も、知らぬ属性の魔法に干渉することはできないらしい。黒い靄に染められて黒真珠かと見紛うほどに顔色を変えた月には、いま一つの瑕疵もない。周囲の異変に気付いた女性がスイメイ・ヤカギに頷き返すや否やに、闇の魔法を紡いでいく。



「――闇よ。汝その身を隠す混沌よりいま這い出よ。汝が力を示すために。私は報復しない。怒りもしない。ゆえにそう――」



 詠唱そしてそれに乗せるは、闇魔法を強化する禁断の言葉。



「オルゴ、ルキュラ、ラグア、セクント、ラビエラル、ベイバロン……」



 ――リタリエーションヘイトレッド。

(――ただ闇の怒りに任せるのみ)



「―― (Primum ex Quartum excipio!」

(――第一から第四まで、全域防御!)



 スイメイ・ヤカギは金色の魔法陣を半球状に重ねて展開する。衝突する闇と光。輪転する魔法陣がけたたましい音と発光を散らして、多数の闇の帯を防御するが、



「ぐ――」



 彼の口から、小さく苦悶が漏れた。金色の防御から染み出すように通過した闇が、スイメイ・ヤカギの左腕へと集っていく。彼の無事を脅かした証か、鼻梁を伝う冷たい汗が目に見える。成功だった。初めてこちらの攻撃を通すことができた。

 だが、ややあってもスイメイ・ヤカギは倒れない。あの威力の闇の魔法を受ければ、その激痛や、患部から虫のように這いあがってくる倦怠感と神経が侵される絶望に、どんな相手でも顔を歪めて苦悶を叫ぶはずなのに。スイメイ・ヤカギは地に両足を据えたまま、ただじっとこちらを見ている。



「お前……」



 にわかに発せられた言葉は、敵に対する憎しみの表われか、。しかし向けられていたのは、



「お前こんなモンをそのまま操っているのか……?」



 怒りと、そして哀れみのような感情がぎこちなく混ざり合った疑念だった。



 ……今更、そんなことを問おうと言うのか。自分は闇魔法の使い手だ。我が身を蝕むこの魔法を操り、こうやってあの人の障害になり得る者を沈めてきた。当たり前だ。これが自分にとって当然やるべきことなのだ。そう全ては、全てはあの人を守るために――



 ――守るために、自分は彼を傷つけているのか。



「――⁉」



 そこで、何かに気付いた。そう、自分の、越えてはならない一線に。

 これは誰だ。この男はあの人を脅かす貴族ではないではないか。それを何故、言われるがままに始末しようとしているのか。スイメイ・ヤカギ。自分がいくら威圧しても、不気味さを見せても怖がらなかった男。優しく声を掛け、孤独の内にある自分を慮ってくれた人。そんな人間に、自分はこんなことを、人の命を簡単に奪うことのできる危険な闇魔法を放っているのか。



「おい、待て――‼」



 気付いた時には、彼のいるところとは別の方向に駆け出していた。




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