あの人、再び!
事件の犯人と思しきものと遭遇した日から、明けて翌日。この日も水明は帝立図書館で英傑召喚の儀についての調査を進めるため、いまは帝都の街を歩いていた。
ランチタイムともあって、この時間の通りは人の雑踏する場所が多くあり、下手な場所を通ろうものなら、人いきれで息が詰まってしまうほどだ。ジルベルトの話によるとどうも最近は通りの
店員が忙しなく動くのを見ながら、水明はふと、昨日のことを思い出す。
昨夜、黒い影が目の前から消えたあとのことだ。
あの不気味な疑似結界に囚われ、ほうほうのていで助けを求めてきた男性を保護した水明は、そのまま彼を明るい通りまで連れて行った。
その男性もその頃には落ち着きを取り戻しており、では何があったのかと話を訊こうとしたのだが、どうも男は帝国の貴族だったらしく、事情を訊ねても「平民に話すことはない」と突っぱねられ、結局あの影に文句や悪態を吐きながら終始態度悪いままにいなくなってしまった。
水明も下手なことに首を突っ込む理由はないと、そのまま放置したが。
「…………」
不自然な闇は晴れてしまったため、真相は闇と一緒に消えてしまった。あれもこの世界の魔導の業によるものだったのだろうが、現代魔術師である水明にも一見して術理がいまいちよくわからなかった。積極的に調べていればまた違ったのだろうが、まあ、それはともかくとして。
――こそこそ。
「…………」
後ろから、何者かの気配を感じる。いや、実際はかなり前から、大通りに入ってから自分を尾けているだろう同じ気配を感じていた。
しかし振り向いても、特にこれと言った変わりはない。見えるのはいつもの帝都の街角だ。軽食店の外には屋外席が並び、野菜売りの露店商や、帝都の治安を守る見回りの憲兵などもいる。やはり人の流れが絶えない雑踏である。
八方睨みを利かせても、目に見えておかしなところはないなと、水明が再び前を向いて歩き出すと、
――こそこそ。
「…………」
今度、水明は気付かれないように少しだけ首を回して後ろを見る。先ほどは違い、魔術師の眼に魔力を灯して。すると後方にいただろう何者かの影が、ふっと路地の方に引っ込んだのが見えた。
よく見ると、建物の角から白いローブの端と、銀色の髪がちょこっとだけ飛び出ている。
「…………はぁ」
水明はため息を吐いた。そして、道化になり下がった追っ手に気付いていないふりをして、また歩き出した。
★
――白炎の異名を持つアステル王国の元宮廷魔導師、フェルメニア・スティングレイは、クラント市で黎二たちと別れたあと、ネルフェリア帝国に入り、数日前に帝国の首都であるフィラス・フィリアについていた。
というのも、彼女は王城での一件後、アルマディヤウスのとある意図のもと宮廷魔導師の任を解かれ、その後に言い渡されたとある任務を任されていたからだ。
そのとある意図、つまり国務から離れた王の個人的な頼みというのが、呼び出された異世界の魔術師、スイメイ・ヤカギを追いかけ、彼に協力することだった。
アルマディヤウスは城の一件からスイメイ・ヤカギのことを目に掛けているし、フェルメニアにとっても呼び出してしまったことへの責任もある。それに彼女はアルマディヤウスとは違い自らの驕りで彼に戦いを仕掛けたことへの負い目もあった。
彼女自分がその頼みを任されるのについては、なにも依存はなかったが――
(どうしよう……なんて声を掛けたらいいものか……)
彼女は現在、絶賛困り中であった。
数日の間帝都を回り、この日風の魔法を使ってやっと彼を見つけた。……見つけたはいいのだが、後ろを追っているばかり。
スイメイとは城で一度は敵対したため、どうにも声を掛けにくい。何食わぬ顔で「こんなところで奇遇ですね!」など面の皮の厚いセリフを吐けるわけでもなし、顔を合わせた途端怪しまれるに決まっている。
国王アルマディヤウスの頼みを聞いてきたゆえ、最初に怪しまれようが事情を説明すれば問題などあるはずもなかろうが、
「……うう、どうすればいいのだろう」
近づくためのその一歩が踏み出せない。ごきげんようと掛ける声も出せない。それだけ、彼女にとってスイメイとの戦いの一件は印象強く、尾を引いていたのであり、つまるところを言えば怖かったのだ。
確かにアルマディヤウスの前で蟠りはない、とあの場では決着がついた。だがそれはもう数週間も前の話。心変りがあるかもしれないし、自分にはまだ国王のように人の心の機微を見抜ける力はなく、彼のようにスイメイ・ヤカギの人となりというものを見抜けてはいないのだ。
どうも、右往左往してしまう。
だが、このままではいけないと、彼女にも理解できている。帝都まで来たのに何もしないのは、はっきり言って意味がない。
「やっとスイメイ殿を見つけたのだ。せめてどこにいるのかだけでも把握しておかなければ……」
謁見の間で話した通り、帝都で活動しているということは、どこかに拠点を作ったはずだ。今日はそこだけでも知っておこうと、フェルメニアは胸の内で決めておく。
こうやって追いかけていれば、そのうち適当な声の掛け方も見つかるはずだと、思って。
そう少しだけ楽観、というよりは臆病な答えを出して尾行を続けていると、スイメイが急に通りを曲がった。フェルメニアは彼を見失わないように、すぐさまそのあとを追ったのだが、彼女が角を曲がると、そこにスイメイの姿はなかった。
「消えた……」
確かにここを曲がったはずだ。見間違いはしていない。
通りには、地面に敷き詰められたレンガと、背の高い住宅があるばかり。しかもこの辺りの建物と建物はぴっちりとつまっていて、ある程度先に進まないと路地もない。身を隠す場所は少しもなかった。
ということは、まさか――
「人のあとを尾け回したり、嗅ぎ回ったり、そんなことをしていいのは――」
「ひゃぁあああああああああ!?」
やにわに背後から掛けられた声に、フェルメニアは盛大な驚きの声を上げてしまう。絶叫を追って口から飛び出そうになった心臓の早鐘もそのままに、声のした方へと振り返ると、壁に身を寄せ、腕を組み、呆れた表情で瞑目しているスイメイの姿があって、
「んな、でっけぇ声出すなよ……」
「は、はぁ、お、脅かさないでください! というか気付いていたのですか!?」
「そりゃああんな下手くそな尾行だったらわかるっての」
「へ、下手くそってそんな……」
折角強化した隠遁の魔法を用い、身を隠していたのに簡単にバレてしまうとは。そんな残念さを表情に滲ませ、フェルメニアは涙声になっていた。
そんなフェルメニアの顔を見て、スイメイは何やら複雑そうな表情を浮かべると、ややあって口を開く。
「……まあいい、立ち話もなんだし、近くの店にでも入ろうか」
「は、はい」
水明に導かれ、フェルメニアはその後を付いて行った。
★
時間帯ということもあり、店に入るのには少々時間を要したが、水明はフェルメニアと共に軽食店に入り、適当な席へ腰かけた。
注文を取りに来た店員に葡萄水を二つ頼むと、間もなく並々と注がれた陶器の杯がテーブルの上に置かれる。ふとその紫色の水面に目を落とすと、そわそわそわとやたら落ち着かないでいる様子のフェルメニアが映っていた。
緊張している。まあ、無理もないことかと思いつつ、葡萄水をすすめた水明は、彼女が一息ついたところを見計らって切り出した。
「まあ、何を訊かれるのかはわかっているかとは思うが」
「はい」
葡萄水を飲んで、幾分かは落ち着いたらしい。そんなフェルメニアを見て、水明は率直な問いを投げる。
「で? なんでアンタはがここにいて、俺を尾け回してたんだ?」
「は。国王陛下から、スイメイ殿に協力しろと言い渡されまして」
「俺に、協力?」
聞き返すと、フェルメニアは肯定に頷く。
さて協力とは、一体どういったことなのか。国王アルマディヤウスの存念は不可解だ。アステル王国でも最高と言われる魔法使いを手元から放し、特に誰のためでもなく動く自分のところに寄越しても、何も得をする部分がない。
以前城を出立する際に金貨を押しつけられた時は、些少恩まで押しつけられたかと思ったが、人員と金貨では、向こうが被る損失の両天秤の傾き具合はだいぶ違う。
すると、フェルメニアが、
「スイメイ殿はこれから帝国を拠点に、活動なさるのでしょう? 他国へ向かうときは道中のみならず、風習などにはお困りになるでしょうし、それについて助言や、支援などをするように仰せつかったのです」
「……それはわかったが。俺は別に構わないって言ったはずだ」
「国王陛下はそれでもと申されました」
フェルメニアの言葉から、ふとアルマディヤウスが断じる姿が連想された。
確かに今後、困ることは多いかもしれない。いまの自分は、仲間であるレフィール以外には頼る者がいないのだ。自身は魔術師ゆえ、なくてもどうにかできだろうが、正直なところあればあるに越したことはない。
つまりアステル国王アルマディヤウスは、そういった「かゆい場所の存在」すら見越して、フェルメニア・スティングレイを遣わしてくれたのだろう。
(こりゃあ、マジで良い人だわあの御仁。これはいよいよ何か報いなきゃバチが当たるレベルだぞ……)
水明にだって良心や道義心はある。確かに呼び出した責任の所在というものを考えれば正当な対応なのかも知れないが、その上に面の皮も厚く胡坐をかいてふんぞり返っているのは、また違う。ここまでされれば、焦りも出てくる。
アルマディヤウスの存意は知れた。だが、この件にかかわっているもう一人については、まだ分かってはいない。
「あんたは良かったのか?」
「私としても、呼んだ者の負い目がありますので」
と、フェルメニアは少し悪びれた風に口にした。
それについては、水明もそうだとは思うが、
「だが、あんただって無理に俺に協力しなきゃいけない立場じゃあないはずだぜ。補佐っていうんなら、あんたじゃなくたって構わないはずだ。それに、俺だっていやいや何かしてもらうつもりはない。……あー、まあこれは別に嫌みを言ってるわけじゃなくてな」
「わかります。それに先ほど述べたこともそうですが、これは私にとっても見聞を広めることにもつながりますし、異世界の魔導を修める者の近くにいることで、物の見方がどう違うのかを考えるいい機会ともなりますから」
「なるほど、自分のためってことか」
フェルメニアの言葉を聞き、水明は納得する。
都合のいい話のためつい邪推してしまうが、彼女はあんな一件があってもこうして帝国まで来てくれた、ということもある。それにいまのやり取りの内で、フェルメニアは目を逸らすこともなかった。責任については真摯に向き合うつもりなのだろう、ということが窺える。
「あの、やはり」
「いや、あんたが義理堅いのは分かったよ。手助けしてくれるっていうんなら、よろしく頼む」
水明はそう言うと、席から立ち上がってフェルメニアに軽く頭を下げた。
そう、蟠りはあの時だけのものと決め、解消してきたのだ。ここからまた、関係の方は一からやり直すという意味での、これは儀式のようなものだった。
「いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「ここまで来てもらったんだ。そういうもんだろ」
そう言って、水明はフェルメニアに握手を求めるように手を差し出す。
「結社の魔術師、八鍵水明だ。改めてよろしく頼む」
「は。よろしくお願いします」
と、フェルメニアもそれに応じた。
それが終わると、水明は口をへの字に曲げて、
「……あと、喋り方は変えないからな」
と言う。ここまで来て、今更口調を変えるのもおかしい気分なのである。そんなことを水明が告げると、フェルメニアは首を傾げ、少しだけ不思議そうな顔をしたあとに噴き出した。
「…………ぷっ」
「なんだよ!?」
「い、いえ、その発言はちょっと子供っぽいなと」
「……悪うございました。俺はまだガキだよ」
水明はバツの悪そうに、苦い顔を作る。
そして疑心のある話はこれでおしまいにして、また席に就いた。
なんにせよ、取りきれなかった蟠りは晴れたようだった。