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闇との遭遇



 リリアナに導かれるまま、彼女の後ろに付いて行く水明。彼女は時々こちらを振り返ったり、話に付き合ってくれたりと気を遣ってくれている。素っ気ない態度や、剣呑な雰囲気の絶えない彼女だが――



「なんだかんだで、優しいヤツなんだな」



「何か言いましたか?」



「いや、何にも。――で、リリアナはこんなところでなにしてたんだ? まさかからまれに来てただけじゃないだろう?」



「……警邏です」



 図書館への正しい道のりを進みつついる水明は、快くかどうかは分からないがしっかり先導してくれるリリアナに、質問タイム。素気無いが一応は答えてくれるリリアナに、ふとした疑問を投げる。



「仕事熱心だな。だけどそういうのは憲兵の管轄なんじゃないか?」



「よく、わかりましたね。確かにそうです。ですが最近では、帝都を騒がせる事件がありまして、人手が足りていないのです」



「あーそれ確か昏睡事件だっけ?」



「そうです。あなたも巻き込まれたくないなら。一人であんなところを歩かないように」



 と口にしたリリアナに、水明はぽっといま閃いただけの適当な推理を口にしてみる。



「つーことは、事件は上流区画付近で起こっているんだな」



「…………」



「おーい、答えてくれよー」



 リリアナは答えない。だんまりを続けたまま、振り向かない。会話中は気遣ってくれていたのか、ちょくちょく振り返ってくれていたのに。

 まさかいまの当てずっぽうが良い線をいっていたのか。捜査をしている者の前で言い当てるのはマズかったかと水明が取り成そうとした時、不意にリリアナが訊ねてきた。



「……訊きたいのですが」



「なんだ?」



「あなたは私が、怖くないのですか?」



 と、首だけ少しこちらに向けて、彼女特有のジトっとした視線でそんなことを訊ねてくる。



「は? ああ、そうでもないが? なんだいきなりそんなこと訊いてきて」



「あなたは、私が凄んでも変わりなく話しかけてきます。他の人は、怯えてすくん

でしまうか、さっきの方たちのように終始反発するのに。何故です?」



「ちょっと威圧されたくらいでビビってられるかっての。しかも相手は年下だぞ?

 年下。みっともない真似さらせるか」



 確かに有する魔力が多ければ、場を占有できる力も強い。場を一方が占有すれば一方はその瞬間に異物となり、それが深層心理にも作用してしまう。相手を威圧する時は空間を自分の魔力で満たすのが最も効果的とされる所以だ。

 だが、それでいちいち竦んでいたら、なにもできない。確かにリリアナが放つ心霊瘴気(サイキックアシッド)はかなり強力ではあるが、こちらは一般人ではないのだ。



「……そうですか。珍しい方です」



 そう言って、ぷいと前を向くリリアナ。確かに、彼女の容貌を不気味に思ってしまう者もいるだろう。軍人の肩書も一般人の気後れを誘うものだ。そんな要因ばかりに身を固めていれば、何故と疑問を持ってしまうものなのかもしれない。



「というか、ピリピリしてるっていうの、自覚あんのな」



「まあ、多少は。ですが軍人にはそういうのも必要であると、私の直属の上司からそう教わりました。軍人は、舐められてはいけない。戦う術を持つゆえ、畏怖の対象でなければならないと」



 リリアナの言い様に水明はため息を吐く。そして彼女から視線を外し、空の彼方を仰いで、呆れ声で、



「嘘つけよ」



「……」



「そうだろ? お前が常に周囲に滲ませてる威圧は、敵を圧倒するものじゃなくて自分を守るもの――警戒してる類のものだ。違うか?」



「どうして、そう思うのです?」



「相手と意味なく距離を保ったり、周りの動向に細かく反応し過ぎだ。言葉にも動きにも。詰所でもそうだが、すぐに相手を威圧するのもだな。――あとは勘」



「……」



「相手を寄せ付けないって意味じゃ同じだが、結局それは犬が吠えまくってるのと同じだ。なあお前、どうしてそんなに周りに対して殺気立ってるんだ? さっきの奴らを見たあとに言うのもなんだがよ、別に周囲に敵ばっかりいるってわけじゃないだろう?」



 リリアナに訊ねながら、角を曲がると、食欲をそそる惹句が書かれた看板が仰々しく掲げられた店が。その付近では子供たちがボールを使って遊んでいる。しかし、何かしらに気付いたのか。天敵の存在を感じ取った草食動物のようにすくみ上がり、こちらを向いて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 リリアナはそれを一瞥して、



「……答える必要は、ありませんね。それでも何か、言うべきだというのなら、私は軍属、あなたはいち市民、それ以上でもそれ以下でもない、ということだけです」



「もっとこう普通にしてりゃあ良いなって思ったんだが……余計なお世話だったか。悪かったな」



 水明が個人に踏み込み過ぎたことを謝った折、リリアナがぼそりと呟く。



「……名前」



「ん?」



「あなたの、名前です。私はあなたの名前を、知りません。片方だけが名前を知っているのは不公平ですので、速やかに教えなさい」



 その言に水明も、そう言えば名乗り合ってはいなかったことを思い出す。



「スイメイ・ヤカギだ」



「しゅいめー・はかぎ」



「…………」



「……なんですか? しゅいめー」



「違う違う、スイメイ・ヤカギ」



「しゅ……す……スイメイ・ヤカギ。こうですか?」



 頷く。発音の方は及第点と言ったところか。リリアナの「変わった名前、です」の発言には、やはり苦笑するしかない。

 互いが名前を共有すると、曲がり角から軍装をまとった男が現れた。灰色の交じった黒髪をオールバックにした、いかにも男盛りといった年齢の男性だ。腰に剣を佩き、軍服はしわの一つもなくきっちりしている。

 その姿に、水明は見覚えがあった。以前教会に行った時、小道ですれ違い、レフィールが強者だと評していた男だ。そしてリリアナがその男の姿を目に留めると、彼女の身体に緊張の糸が巡らされたかのように、彼女がぴしりと硬直する。

 彼とは知り合いなのか。一方の男も彼女を目に留めると厳めしい顔についた眉をわずかにひそめ、彼女の前に歩み寄る。



「リリアナ。ここで何をしている」



「大佐……」



 果たして予想は的中した。呼ばれたリリアナはどこか驚いているよう。そして、緊張に心縛られたまま、男への返答に滞る。



「リリアナ、答えろ」



「れ、例の件でこの辺りを、調査をしていました」



「例の件か。お前はそのようなことしなくていい。それは他の者がすることだ」



「ですが」



「お前は私の言うことだけを聞いていればそれでいい。軍務中以外は余計なことはしないで、大人しくしていろ」



「……はい」



 鋭い光が宿った眼差し。そう、表現できる視線をリリアナに突き刺し、大佐と呼ばれた男は厳しく言い放った。叱りつけるような高圧的な物言いに、リリアナの肩が顕著に下がる。その悄然とした表情が、男に不興を買うのがとても辛いと語っている。

 だが、男の言葉と声音には、確かに――



「君は? どうしてリリアナと一緒にいる?」



「え? あ、俺は彼女に道案内をしてもらっていた者です。どうもこのあたりの地理に慣れなくて、迷っていたところを彼女に助けてもらいまして」



「あ……」



「帝都の人間ではないのか?」



「つい最近ここに」



 水明が短く返答すると、男は水明をつま先から頭のてっぺんまで眇め見て、瞑目する。怪しい部分や、咎めるような部分がないか探していたのか。そしていまそれがないことに気付いたか。詮無きことをした己を嗤うように息吐いて、その落ち着き払った声で言葉を紡ぐ。



「そうか。いまの帝都はあまり治安が良いとは言えない状況にある。道の判らない場所もそうだが、夜間もあまり一人では出歩かないようにしなさい」



「お気遣いありがとうございます」



「それと、帝立図書館はこの道を真っ直ぐ行って、突き当たったところを左に曲がると見えてくる」



 ここからは一人で行けということか。

 どこか先生と呼びたくなるような男の物言いに、頭を下げてもう一度礼を言いうと、彼はリリアナの方を向いて短く一言告げる。



「……いくぞ」



「はい」



 リリアナはその言葉に逆らうことなく、男の背後に大人しく付き従った。背を向ける男に倣うように同じく背を向けて、小道へと入って行く。二人の姿が影の中になくなると、やがてその気配も煙のように消え去った。



「お菓子、買ってやりそびれちまったな……」



 取り残されてしばし、水明はそう言えばと思い出す。しかし同じ帝都に住む間柄、また会うこともあるだろう。一方的な約束だが、義理はその時に果たせばいいかとも思う。

 ……リリアナは自ら大佐と呼んだあの男に、調査と言った。どうやら警邏ではなかったらしい。どこかもやもやが残るやり取りもあったが、畢竟(ひっきょう)自分には関係ないことである。



「……まあいいか。俺も自分のやるべきことをするか」



     ★



「なんか随分と時間くっちまったなー」



 帝立図書館での下見を終えた水明は、玄関口に出てかったるそうに肩を回しながら、首の骨をぽきぽきと鳴らす。図書館の中は帝国一、三国一と呼ばれるだけあって中々に広く、蔵書量もかなりのものだった。今日のところは到着が遅れたこともあり、目ぼしい本が置かれている棚を探すだけにとどまったが、次回来るときは魔術品などを用意してこなければと思いつつ、空を見上げる。

 空はもう闇の色。吸い込まれてしまいそうな黒に上弦の月が映えており、帰りの時刻を逸したことを暗に告げていた。


 不意に扉の開く音が後ろから聞こえる。



「失礼――おっと、ヤカギ君でしたか」



「ああ、司書さん」



 図書館の中から出てきたのは、この日水明に館内を案内してくれた、エルフの男性であるローミオンだった。図書館の職員が着る服に身を包み、エルフと名乗った通り、長い耳を持っている。



「今日はありがとうござます」



「いえ、私もここの職員になってからまだ日が浅いので、人を案内するのは勉強になります」



 そう言って謙遜するローミオンに、水明は朗らかに返答する。



「にしては随分すらすらと出てきたじゃないですか」



「エルフですから、記憶力には自身があるもので」



 と言って、ローミオンはこめかみを人差し指でトントンと叩く。この世界でいうエルフは、記憶力が高いのか。確かに、長命種とされ、人間とは比べ物にならないほど長い時間を生きる種族ゆえ、記憶し、それを引き出す力と言うのは重要なものなのかもしれない。

 しばらく世間話をしたあと、ローミオンは「では、私はこれで」と言って、水明の前から去っていった。



 一方水明も、これから家路である。さてこれからどう帰ろうかとも思ったが、結局のところ道はまだよくわからないので、来た道を大人しく戻ることにした水明……だったのだが、上流区画の手前に、それはあった。




「ん――」



 歩いている途中で気が付く。前方の空間に一切光がないことに。まるでそこに町と町を切り離す境界でもあるように、数歩先にある美しい街並みであるはずの区画は暗く淀んだ闇の中にある。不自然だ。図書館を出た時は、空に上弦の月があったはず。現代のように空を覆う背の高い建物があるわけでもなし、影絵の中に落ちているわけでもなし、光を遮る物がないのにもかかわらず真っ暗とはありえない。


 それにほのかに魔力の気配も感じられる。ということは、



(結界か? いや、この世界に結界の概念はないはずだから――ふむ。空間内の光を弱めて疑似的に暗くしたのか、光を吸収する要因でも作ったのか……)



 周囲を油断なく見回し、そして術式の存在、事象の変化、神秘の有無を探す。やはりこの不自然な闇は魔術で作られたものだ。上流区画が、いまは闇に落ちている。夜明け前の暗さか、いやそれ以上に昏くある。はて、これはどういったことか。不穏な匂いが感じ取れるが、



「た、助け! 助けてくれっ……」



「あ?」



 ふと気が付けば、正面の闇の中から、何者かが助けを請いながら走ってくる。間隔の短いかすれた呼気が、走るのももう限界なことを訴えているが――なにかあったのか。



「そこの! 頼む! 助けてくれ!」



「あ、ああ、構わないけど、なにがどうしたんだ?」



 水明が訊ねると同時に、男は足をもつれさせたか、つんのめって転倒してしまう。「大丈夫か?」といって手を貸そうとするが、男はその手を取るのもいまはいいと言う風に、うつぶせの状態からすぐに後ろを向いて、それを指さした。



「あれだ! あれが私を……」



「あれ? ――‼」



 水明が男に訊ね返そうとしたその折に、まずあらわれた兆候は濃密な魔力の気配だった。近づいてきているからか、闇の奥から隠しきれない分が徐々に滲み出てきている。



 そしてすぐに、まるで闇の一部がくっきりと切り取られたかのように、墨で染めたかの如く真っ黒なローブを来た背の低い何者かが、目の前の空間に現れた。



「ひっ! ひいいい!」



「…………」



 黒のローブについたフードを目深に被ったその影は、何も語らない。慄いては情けない悲鳴を上げる男をじっと見つめているのか。どうかは杳として知れないが、水明は尻をレンガ敷きにつきながら後ずさる男を支えながら、胡乱げな視線を鋭く細めて黒い影を眇め見る。



(もしかして、こいつが?)



 ふと、そんな推測が頭の中に浮かび上がる。もしや、いま帝都を騒がせている昏睡事件の犯人とやらはこれなのではなかろうか、と。

 こんな状況だ。おそらくは当たりだろう。



 巻き込まれるかと思い身体に戦いの緊張を巡らせるがしかし、影はその気が失せたのか、闇の中に消えてしまった。



「た、助かった……」



「なんだったんだ……」



 男がへなへなと脱力し、その場に手を突いたのを尻目に、水明は一人先ほどの影を訝しむ。狙いはこの男だったのか。それでたまたま無関係な者が居合わせたから、一旦退いたというところか。そんな風にいまの一連の出来事に結論を付ける。


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