女神さまは彼女に厳しいです
帝都フィラス・フィリア。帝国最大の都市であり、巨大な水晶を掘って作られた女神の胸像が置かれていることで有名なフィラス・フィリア大聖堂や三国最大の蔵書量を誇る帝立大図書館、そしてアステル王国やサーディアス連合と合同で建てられた、魔法使いの育成や魔法研究の場である魔導院がある、世界でも一、二を争うほどの巨大な都市だ。
外縁部は木造や灰色レンガを使われた住居が占めるが、街は全体的に優しい色合いの赤のレンガで建てられた住居で占められており、貴族が住む上流区画は、上質で鮮やかな赤レンガで統一されている。
赤色が多く使われているのは、五代前の皇帝が赤を好んでいたから、とのこと。
個人的な趣味の延長なのだろうが、赤は向こうの世界――主にヨーロッパでは、聖人が流した血の色であり古くから大切にされてきた。それ以外にも騎士や軍隊の外套の色として、戦いをイメージするものである。
異世界でも、この色が使われるのが軍事を重んじる国の首都ならば、中々面白い符号と言えるだろう。
そんなことを考えながら水明はふと、視線を高い位置に移す。街としての規模が大きい帝都には、背の高い建物が多くある。外周を守る壁が高いため、建物の高さの限度も他の都市より高いのだろう。
水明にしてもアステル王国の首都メテールとはだいぶ違うという印象が強い。メテールも人は多かったが、こちらの方が近代的というイメージが湧きやすい。確かにあちらにも商店や公園などがあったが、区画の整備と上下水道の整備がきちんとなされているため、発展具合ではやはりこちらが上だろう。
だが、そんな美しい街並みを見ても、水遊びをしてはしゃぐ子供たちを見ても、水明の心に蟠ったモヤモヤは晴れなかった。疲れた息を放つようにぼやいたのにはそう、理由がある。
「まさか、黎二たちに尻拭いをしてもらっていたとはねぇ……」
まさかとそう、独りごちたのはもう何度目か。
詰所で旅人が話していたのは、帝国からアステル領内に戻った黎二たちが王国軍を率いて、ラジャスと名乗る魔族の将軍とその部下一万を倒したというものだった。
それを聞いた水明にとってその話は当然寝耳に水だと驚くべきものであり、それを知ったあとには無論、口惜しさが渦巻いた。
顔を険しく歪めていると、レフィールが気遣いの声を掛けてくる。
「水明くん。まだそれは旅人の噂の域を脱していない話だろう? 本当に彼らが倒したのかどうか、はっきりとしたことはわからない」
「そうだな。だけど、俺はヤツが消滅したところを見てないからな。それに、ラジャスって名前が黎二の名前と一緒に飛び交っていることもある。こりゃ十中八九、一撃じゃ倒し切れなかったんだろうな……」
そうため息と、懊悩の理由がこれだ。黎二たちに迷惑をかけてしまったことも随分と悪い気がするが、あれで決着をつけきれなかったことで魔術師としてのプライドはズタズタだ。満を持して放った対邪霊、対悪魔用の魔術。こちらの消耗があったとはいえ、一発で消し飛ばし切れなかったことは随分と悔しくあるし、残留した聖なる雷によってそれも時間の問題だったにせよ、やはり苦いものが口の中に残る。
「まったく不甲斐ないぜ。大口叩いておいて一撃で仕留めきれなかったとはな」
「バカな。倒し切れなかったとて、十分だろう。おそらくは君の友人は消耗したラジャスを相手にしたはずだ。もし君がラジャスと戦わず、彼らがラジャスと戦っていたらということを考えれば……」
彼女の言う通り、おそらく彼らに命はなかっただろう。だが――
「そうだろうがな。そうゆう問題じゃあないんだよ……はぁ」
「倒し切れなかったことは事実だと、そう言いたいのか? 気持ちは分かるが、ため息ばかり吐いているのは良くない。鬱屈した気持ちを振りまいてばかりでは、周りから人が遠ざかっていくぞ」
「ああ、まあたしかにそうか」
レフィールの窘めに、水明はそう省みる。
いま言った『ため息を吐くと人が遠ざかる』。これは、『ため息を吐くと幸せが逃げる』というものと同じ意味を持つ言葉だろう。人の幸せは人が運ぶもの。人が寄り付かなければ幸せも寄り付かないと、転じた話。
確かに、彼女の言う通りだ。いつまでもぐじぐじしていても仕方ない。
「よし、この話はやめだ、やめ。気持ちをまるっと切り替えよう」
「そうだ。それがいい」
と言って「おー、だな」と彼女らしい落ち着いた笑みを見せて拳を突き上げるレフィール。こういう時、明るく合わせてくれたりするのはさすがである。
「――で、レフィール。行きたいところがあるって言ってたが、これからどこに向かうんだ?」
「うん。救世教会だ」
「……マジで?」
★
レフィールの要望を受け、たどり着いたのは、外壁門からほど近い場所にある一画。帝都内にも数か所ある、救世教会の敷地である。
異世界の一大信仰の施設に赴くのはこれが初めてだが、足を踏み入れると他の場所とはまた違う印象を受ける。途中から道はレンガ敷きでなく、丸石を地面にばらばらと埋めたものに変わり、手入れが行き届いた花壇と、小さな池。そして、所狭しと並んだ木々は林となり、この一画だけのために緑が残されたよう。
耳を澄ませば、小鳥の声が聞こえてくる。まさに新緑の聖域だろう。向こうには、それらしき白い建物もある。
そしてその奥に誘うかのように敷かれた小道。そこを二人歩きながらいると、水明は自分の顔が段々と険しいものになっていくのが分かった。
「教会……教会か……」
「さっきからやたらと変な顔で呟いているようだが、なにかあるのか?」
「いや、何かあるってわけじゃないんだがな。……まあ、それはそれとして、本当にここで良いのか?」
教会の雰囲気に慣れていないことを隠して、水明はそうレフィールに訊ねる。
「ここで良いかとは、なにがだ?」
「確か帝国にはもっとデカい聖堂があるんじゃなかったのかなってさ? ほら、他の国から観光にも良く人が集まるってとこ」
「フィラス・フィリア大聖堂だな。前に話した場所だが……正直あまりああいう大きなところには行きたくないんだ」
レフィールは眉をひそめてそうこぼす。まるでそこに行けば確実に悩みが頭を占拠するという確信があるかのように。
「どうして?」
「ああいったところには必ず徳の高い神官がいる。つまり、女神に祝福された力の強い者だな。そういったものに祝福を受けた者の力の成せるところや、力の強弱については私よりもスイメイくんの方が詳しいと思うが……その者に私の正体を見抜かれれば、一体どうなると思う?」
「うん……? 別にこの世界ならスピリットって言うのが見抜かれても、そこまで大きな問題にはならない気がするが、そうじゃないのか?」
問うたのも、前に彼女から聞いたこの世界の話があったからだ。この世界では精霊というものは身近にあるはずだし、以前にもレフィールが居るためか寄ってきた微精霊の気配を感じ取ったこともある。ならば、そうおかしなものではない気もするが、どうなのか。
するとレフィールは目の上にたんこぶができたかのように顔をしかめたまま、
「私はこれでも戦いと緋色の嵐精霊、イシャクトニーが血を分けた存在だ。イシャクトニーはアルシャリア聖神話において女神アルシュナの右腕として邪神ゼカライアと戦った存在とされる。要は女神の直属の部下だ。つまり……」
「そんなのが分かればものすごーくありがたがられるな。きっと。というか絶対、間違いなく」
「そうだ。ノーシアスにいた時はまだいい。私が半分精霊でも同じ人であるということは、みなが理解していたからな。だが他の地域で、それも救世教会の信仰の強いところで正体が露見すると、おそらくは途轍もないことになるだろう」
その危惧が実際に起こった時の場景を想像したのか、レフィールは顔を青くさせ、身体をふるると震わせた。予想される途轍もないこと。それはどこぞのカルト教団のそれでは比較にならないだろうし、現人神のように扱われることは想像するに難くない。むしろもみくちゃにされて困っているレフィールの姿が容易く想像できる。
「ははは、それも別にいいんじゃないか?」
「そんな笑いごとではないんだ! 毎日毎日拝みに来られたり、ありがたられて泣かれたり、付きまとわられたり、世界の行く末はどうだとか無茶苦茶な質問をされてみろ! 辟易とする以上に鬱になる!」
「うん。それはまあ……嫌すぎるよな、ははは……」
レフィールの怒りを含んだ心からの訴えに、水明がおかしな笑いしか浮かべられないでいると、教会の方から蝶番のこすれる音が聞こえた。
ふと視線を誘われそちらを向くと、入り口から男が出てくる。
灰色が交じった黒い髪をオールバックに決めた男。良い体格というほどではなく、だがほっそりとした身体つきでもない。どこにでもいそうな感じではあるが、どことなく普通ではない雰囲気が漂っているような気がしないでもない。感想はよくわからないが、どうにも教会のイメージとは符合しない違和を感じさせる。厳格そうな顔に付いた瞳は閉じられ、しかししっかりとした足取りで進んでくる。礼服のような着衣の裾が、風で揺れた。
小道は二人並んで通るのもやっとという狭さなため、水明とレフィールが通りやすいよう静かに道を開くと、男は軽く会釈をしてそのまま去っていった。
やがてして、レフィールが首を後ろに軽く回し、男の背中を眇めるように見詰めだす。男の背に向かっているのは、幼い姿からは想像もつかないような鋭い視線。
「スイメイくん。あの男」
「さっきの人がどうした?」
「いや、あれは相当な使い手だと思ってな……」
相当な使い手。しかしいまのすれ違いで過度な魔力の揺らぎや神秘的なもの、事象の不可解なねじれなどは感じなかった。それを踏まえて、レフィールが言ったと考えれば、
「と――いうことは剣士か?」
「そうだが……どうした? 君も剣の心得があるんだろう?」
レフィールはそう、わかるだろうと言いたげだが、水明にはその限りではない。
「いや確かに俺も剣を使うけど。まだ剣士相手の機微を見抜けるほど達者なモンじゃないんだよ。強い奴は周りに出すよりも内に秘めているのが多いからな。そういう微妙な線を読むには、まだまだ道に遠すぎる」
「む……そうか」
だが、ということはよほどの使い手だろう。スピリットであることを抜きにしても、尋常ならざる力量を持つレフィールが評し、自分が見抜けないような相手ならば、それはつまりそういうことだ。
その点で言えば、以前の詰所では、
「この前のリリアナだっけ、アイツも結構な感じだったしな」
リリアナ・ザンダイクという魔法使いの少女。彼女の周囲を取り巻いていた魔力は、無視できなものだった。あの時の見立てだけでも、相当な魔力量が窺える。魔力炉もないのだろうに、よくもまああれだけの魔力と制御をやっているものである。
「リリアナ・ザンダイクか。情報は多くないが、南方の国家との小競り合いに数回参加し、功績を上げたようだ。それでついた異名が、帝国の人間兵器」
「随分物騒な異名だな」
「与えられた任務をタ淡々とこなしていくことから付いたものだそうだが、感情の起伏が少なそうだったことも要因の一つかも知れないな」
確かにレフィールの言う通り、詰所でのリリアナは感情の起伏の揺れ動きというものが少なかったような感じもする。二、三言葉を交わしただけゆえ、実際はどうなのだろうかとも思うが。
「――と、こんなことをしている場合ではないな。早くお祈りをしなければ」
そう口にするや否やレフィールは先んじて前に飛び出し、階段をちょこちょこと登って真白い扉を開けた。そして聖堂内に入るや否や、脇目も振らず女神像の前に勢いで駆けていく。
信心深い……いや、女神アルシュナはこの世界の人々にとって存在するものなのだから、少々違うか。水明も追って聖堂内に入り、天井を仰ぐように視線を高く持ち上げる。
救世教会の聖堂。向こうの世界にあるポピュラーな教会とは違い、ステンドグラスもパイプオルガンもない。が、静謐な雰囲気を醸し、胸像が飾られ、趣はそれらしくある。
天井近くに据えられた窓、そこから射した日光が床にパラパラと砕けた光を落とし、その輝きの届かない場所には魔法で灯された暖かな光が。教会内には当然疎らに人がいて、あまり裕福そうにない格好をした小さな子供も、穏やかそうな年配の女性も、身だしなみをきちんと整えた初老の男性も、みなそれぞれ胸像に向かって祈りを捧げている。
れっきとした聖堂であった。
「こんにちは」
異世界の教会のことを心の中で評しながら、眺めていると、横合いから女性の声がかかった。振り向いて、挨拶を返す水明。
「あー、こんにちは……ああ!?」
ああと、そんな挨拶のあとにのど元をせり上がってきた驚きを、水明は制止することができなかった。怪訝そうな叫びと共に、水明は思わず目を白黒させてしまう。そんな彼を見て、声を掛けた妙齢の女性――シスターは不思議そうに小首を傾げた。
「いかがなされました?」
「み、耳が付いてる!」
驚きの度合い甚だしい水明は、やはり驚きから回帰できない。ただ目についた特徴を上擦った声で言うばかり。
「それは当然でしょう。あなたにも耳はございますよ?」
「そうじゃなくて、だから、その、それ」
「――ああ。もしかして、獣人種を見るのは初めてなのですね?」
「あ……」
――獣人。そうか、帝国には多様な種族がいるのだ。ということは、彼女はいわゆる獣人なのか。獣の特徴をもって生まれる、人間よりも強い力を持った異世界ならではの種族。
やっとその外見に得心がいった。獣人種ならば、獣耳がついていてもおかしくはないだろう。救世教会特有の修道服なのか、ひらひらの多い青い衣服。それに身を包んだシスターが被ったベールの下側からは、軽くウェーブがかったピンクの髪が。頭からは垂れ気味のネコ科の獣耳が飛び出ている。
さりげなく顔に視線を移すと、柔和そうな表情があった。しかし、おっとりとした雰囲気は微塵も感じさせないような才気が感じられる。
そんなシスターに、水明はいましがたの動揺っぷりを丁寧に詫びる。
「耳が付いているのでつい驚いてしまって……取り乱してしまい申し訳ありません」
「そうでしたか。それなら驚くのも無理ありませんね。獣人を見たことがない方には、よく驚かれますから」
シスターはくすくすと、控えめに笑いをこぼしている。年上の女性にそんな風に振る舞われると、どことなく恥ずかしさを覚えるが――ともかくとして。
ケモミミシスターは頬に人差し指を当てて、小首を傾げる。
「あなたはお祈りをされないのですか?」
「いや、俺は彼女の付き添いで」
と、膝を突いて祈りを捧げるレフィールに視線を向けると、シスターはまたニコリと笑顔を作って、
「あら、随分と小さな恋人さんですこと」
「は? だしぬけに何を――」
「でもいけませんよ。あなたくらいの歳の男性と小さな女の子がお付き合いするというのは、帝国ではあまり推奨されていないのですから」
「は――いや違いますから!! 彼女とは言いましたがそう言う意味の彼女ではなく!!」
「ふふふ冗談です。わかっていますよ」
と、言外に陥れたことを白状するシスター。微笑ましいと言うように笑みを咲かせている姿は、無用に取り乱した男を嗤っているようにしか見えない。完全にしてやられた図である。肩が重い。
すると彼女は一転、レフィールの方を向いて静かに口を開く。
「熱心な子ですね」
「……ええ。帝都に到着してまずどこに行くか訊ねたら、真っ先に教会が挙がりまして、こうしてここに来たんです。お祈りが出来る時は、できるだけ教会に赴かないと……って服を引っ張られて」
「女神さまの教えを大事にしているのでしょう。あの歳で、しっかりしたものですね」
「あはは……まあ歳のことに関しては、彼女の前では言わないでおいてください……」
「……?」
水明の言及を聞いて、シスターは耳をぴくぴく、不思議そうにしている。
レフィールも、早く元に戻らないと不憫なものである。
そう水明が頭の後ろをぽりぽりと所在なさげに掻いていると、ふと、レフィールの隣にできた列が目に入る。みな説教を終わらせた神父の前に立ち、期待に胸を膨らませたような顔をして、一体何を待っているのだろうか。
シスターに訊ねてみる。
「礼拝が終わったあとに並んでるあっちの列は一体なんです?」
「アルシュナさま託宣です。お祈りが終わると、司教様が女神さまのお告げをああして教えてくれるのです。ない場合の方が大半なのですけれど」
「へぇ……」
なるほどあれが、レフィールに変なことをさせて自分と引き合わせた託宣なのか。神父が胸像の隣に立ち、本を胸に置いてブツブツと何か呟いている姿が目に入る。そしてよく視れば、確かにそれらしい働きが。魔術的な式や魔力の移動は感じられないが、局所的、あの場だけ、
おそらくはあの神父、自らの身体を媒介に女神の干渉を受けているのだろう。本物の神託である。
水明が託宣の実を見抜いて感嘆の声を上げていると、シスターが怪訝そうな声を出す。
「それにしても託宣をご存じないのは意外ですね。どの聖堂でもああいう形式をとっているはずですが……」
「俺のいたところには救世教会の信仰とやらがなかったので」
「あら、珍しいですね。でも、私のいた集落にも女神様の信仰はありませんでしたので、少し親近感が湧きます」
意外な偶然と言わんばかりに手を叩き、笑顔を咲かせるシスター。穏やかな笑顔だ。動物的な気配も合わせ、どこか心穏やかな雰囲気に引き寄せられる。
「そういえばなのですが」
「なにか?」
「もしかして、今日フィラス・フィリアにご到着に?」
「わかります?」
「獣人種を見るのが初めてのようですし、あとはなんとなくですがそう思いまして」
「ありゃ……、無学なのがバレましたか」
辺りを興味深そうに見回したり、常識的なことを訊ねたりしたのが関係して、シスターにはお上りさんのようにでも見えたのだろう。水明が自らの不明をおどけて言うと、シスターは失礼なことを言ってしまったかと少し狼狽え気味になる。
「ああ、いえ、別にそのようなことはないのです……」
と、そんな彼女に、水明は爽やかな笑顔にちょっと悪戯っぽい雰囲気を上乗せして、
「――ということで、そんな無学な俺に何か耳寄りな情報をいただけませんかね?」
「は……。はい、なるほど承知しました。では耳寄りな情報というほどのものではありませんが」
「何かあるので?」
「二、三ほど。あまりよろしくないお話と、よいお話どちらからお話ししましょう?」
「では悪いお話の方からお願いします。良い話をあとに聞いた方が心持ち嫌な気分も和らぎますから」
水明がそう言うと、シスターは「はい」答え、穏やかだった顔を一転険しく変えて忠言でもするように寄ってくる。
「先ほど帝都にお越しになられたばかりとおっしゃられましたが、それなら夜間の外出にはお気を付けてくださいませ。このところ帝都ではよからぬ事件が起きていますので」
「よからぬ事件、ですか」
「はい。一ヶ月ほど前からでしょうか、朝になると人が昏睡状態になって発見されることがしばしばありまして、帝都に住む方々の不安を煽っているのです」
「昏睡事件とはまた物騒ですね。暴漢に襲われたとかそんな類の話なんですか?」
「おそらくは。魔法を受けたあとらしいということが判っているので、人為的な犯行とみてまちがいないらしいのですが」
「……事件が起き始めてから結構経ってるように思いますが、解決できないんですか?」
「それについては憲兵隊の方々が手を尽くしてくれているのですが、いまだ。犯人の足取りを掴む手掛かりとなるものも少なく、使われた魔法の効果も威力が甚だしいため、どの属性の魔法を使ったのか判断もできないらしく、犯人を捕まえるには至っていないようなのです」
残念そうに目を伏せる。見た目通り優しいのだろう。被害に遭った人物や、その周囲の人間の心情を推し量っているような表情だ。
にしても――
「シスター、お詳しいんですね」
「ええ、教会にはいろいろな方がお越しになられますから、いろいろと耳に入ってくるのです」
と言って、聴力への自信を覗かせるか、自分の耳をぴくぴくと動かすシスター。超さわりたいという気持ちが水明の心を揺さぶるが、そんな失礼なことはできるかと我慢。
するとシスターは吉報があるとでもいう風に、ぽん、と両手を合わせる。
「ですがこの事件の調査に勇者様も加わるということなので、じきに解決するでしょう」
「勇者?」
「はい。聖庁エル・メイデで召喚された勇者様が現在、フィラス・フィリアにご逗留なさっておいでです」
「――ほんとですか?」
「はい。一般の方にはまだ知らされてはいませんが、近々帝国政府と救世教会を上げてのお披露目もするそうなのです。良いお話にございましょう?」
これが良い話か。こちらにすれば良いというよりは、関心を呼び起こされるような話だ。聖庁エル・メイデは帝国の南にある中立の宗教国家。そこで呼ばれた黎二以外の勇者とは、気にならないわけがない。どんな人間が来たのか気になるし、呼ばれる傾向と言うのも把握しておきたい。
「それに、先日サーディアス連合に呼ばれた勇者様も動かれたということですし」
「そう言えば、呼ばれた勇者ってのは四人でしたね」
「サーディアス連合で呼ばれた勇者様は、見目麗しい女性らしいです。剣の腕も確からしく、連合兵団の剣士や剣王と呼ばれる宗主国の第一王子をあしらうほどの凄腕とか」
三人目の勇者は女の子なのか。そうなると呼び出される基準はどういったものなのか。しかし男だけという選択肢はこれで潰えたことになる。それにしても
「……女の子ってホント強いよなぁ……どうなってんだ一体……?」
「……なにかおっしゃいましたか?」
水明の呟きに近いぼやきが聞こえたらしい。シスターに「何でもないです」と言っておく水明。おそらくはこの謎の答えは永遠に出ないだろう。そんなことを考えていると、シスターが両手をその大きな胸の前で握って言う。
「これで魔王や魔族への対処についても
「吉報ですね」
と、水明が同意したそんな折、神父の前にある列――よく見るといつの間にか神父から託宣を受けていたレフィールが、逼迫した声を放った。
「な、なんだと!? ――あ、い、いえ、そ、それは本当ですか!?」
見ればいつの間にか彼女は神父に詰め寄っている。焦り慌てたレフィールに縋られた彼は一瞬困り顔を作ったが、託宣を取り仕切っている以上、そういった対応にも慣れているのだろう。すぐに表情を引き締め厳かに頷く。
「そんな!」
肯定はして欲しくなかったらしく、レフィールの悲鳴にも似た叫び声が聞こえる。悪い報せでも告げるようなそれを発してすぐ、彼女は水明の方を向いた。
「す、スイメイくん!! ど、どどどどどうしよう!? 大変だ!」
「慌て過ぎだぞレフィール。一体どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもない! わ、私はどうすればいいんだ!」
「どうすればいいって……まず何があったかを教えてくれよ。話はそれからだ」
そう言っても、レフィールは平静を失ったまま、そのまま喚く。
「託宣だ! また私に託宣が下ったんだ!」
「またかよ……で?」
彼女をこんなにも取り乱させるほどとは、尋常ではない。今度女神は、彼女に一体どんな無茶振りをしたのだろうか。