決意、それぞれ
遅くなって申し訳ございません。
にーかーげーつー。とかマズイですよね。すいません。
折からの雨でぬかるんだ地面を馬が駆ける。跳ねた泥が再び地に落ちる前に、他の疾駆が続いて行く。遅れて飛んだ微細な飛沫の輝きは、まだ空の顔色が悪いためか灰色の結晶のようにおぼろげに目に写った。
――水明とレフィールが帝都フィラス・フィリアに到着した日より、数日ほど前。
水明の危機をグレゴリーから聞いた黎二は、馬に乗って飛び出したあと、追いかけてきた瑞樹やティータニアたちと合流し、ネルフェリア―アステル間の国境を越え、クラント市の東に広がる森林地帯の手前にまで来ていた。
街道をはずれ、もう道すらない広大な沃野も、そろそろ終着のみぎり。そこにいる誰しもの目の前には、照葉樹林が広がっている。
黎二の隣を並走するように馬を急がせるティータニアは、手綱を固く握りながら黎二に向かって口にする。
「途中で馬を借りられたのは僥倖でした。これがなければレイジ様には追い付けなかったでしょうね」
幸運だったと安堵を見せる彼女が口にしたのは、合流までの経緯だ。
友人八鍵水明の危機を知り、道理を分かっていながらも一人飛び出していった黎二。そんな彼を追う形となっていたティータニアたちだったが、アステルへの戻り道の途中で運良く馬を借りることが叶い、道半ばで馬を休ませていた黎二に追いついたのである。
そんな彼女に、黎二は申し訳なさそうに言う。
「うん……でも、ティアは良かったのかい? こうして僕のわがままに付き合わせることになってしまったけど……」
「いいも何もレイジ様が行くと言ってきかないのですから、どうしょうもありません。そうである以上、私は付いて行くほかないのですから」
「ごめん、今回のことは……」
そう、今回のことは自分にも責任がある。魔族がアステルに進攻したのも、勝手に飛び出したりしたのも、元をただせば自分にもその所在があると言っても間違いではないのだ。
それに付き合わせてしまっている以上、その負い目は拭い去ることができないものだった。
しかし、ティータニアはそんな悔悟の意識など気にしてはいけないというように、微笑みと共に首を横に振って、
「いいえ。今回の件、レイジ様が悪いわけではありません。スイメイを陥れたのは我が国の貴族ですし、そもそもを言うのなら私たちがレイジ様たちをこの世界に呼ばなければこんな事態は起こり得なかったこと。それに私もアステルの王族として、レイジ様を補佐する責任もあるのです。だから、レイジ様が負い目を感じるいわれは一切ないのです」
「……うん、ありがとう」
「私のことはお気になさらず。それよりも――」
ティータニアは馬上から後ろに見返る。その憂慮に染まった彼女の視線の先にいる者については、問うまでもないだろう。そこにはこの勝手な行いで、危機に巻き込んでしまったもう一人の少女がいるのだ。そう、
「瑞樹……」
まだ馬に一人で乗れない瑞樹は、女性の騎士であるルカの後ろにしがみついてこの場にいた。戦いにまだ慣れていない、恐怖心も和らいでいないにもかかわらず、魔族の大軍がいる場所に行くというのに、再び恐怖をおしてついてきてくれていたのだ。
黎二も、その気持ちは素直に嬉しかった。だが、
「ミズキ、無理をしてはいけませんよ。戦えないと思ったら、必ず下がるのです。いいですね?」
「でも……」
瑞樹の口から出たのは、それでいいのかという彼女の思い。友達の危機を知り、そしてついてきたのに、なにもせずに引き下がって良いのかと言う、どうにもならない呵責である。
責任感とのせめぎ合いにとらわれている彼女に、黎二もティータニアと同様気にしてはいけないと口にする。
「瑞樹は無理をしなくていいんだ。それに水明だけじゃなく瑞樹にも何かあったら、僕は……」
そう、これ以上なにかあったとしたら自分を許せそうにない。だから、迷わず下がってほしかった。
「黎二くん……」
「だから、僕たちが無理だと判断したら、瑞樹はルカさんと一緒に安全なところまで下がってもらう、いいね?」
「……うん、わかった。黎二くんも無茶なことはしないでね? 絶対だよ?」
「ああ、約束するよ」
憂いを帯びた表情に、黎二はひと時の安堵のために嘘をつく。そう、いまのは嘘以外の何物でもないだろう。当たり前だ。その約束を絶対守れるかと言えば、その自信は自身の胸の内にはただの一欠片もないのだから。
黎二と瑞樹のやり取りが終わったのを見計らってか、ティータニアが訊ねてくる。
「レイジ様。このあとのことは何かお考えで?」
「うん。まず魔族がいると思うところの近くまで行ってみようと思う。様子見をしている暇はないのかも知れないけど、僕たちはまだ水明たちがどこにいるかも分からないからね。魔族の規模を慎重に確認してから、身を隠せそうなところを探してみるのがいいと思うんだ」
そう、自分たちの第一の目的は、水明を助けることだ。無意味に魔族に仕掛ける必要はない。状況をよく把握し、万全を期して捜索に臨むのがいまの自分たちの目的にあった行動だろう。
確かに彼が一緒にいるという商隊が見つかる可能性は、限りなく低い。だがそれでも――
「ふふふ、魔族相手に正面突破はなさらないのですか?」
「そんな!? さすがにそれは僕も無茶だってわかってるよ」
「同意しないと……どうやら冷静さは忘れていないご様子。いらぬ心配でしたね」
「カマをかけたのかい? 抜け目ないなぁティアは……。――で、どう?」
「そうですね。様子を見てから動くというのは良い判断だと思います。それには私も賛成です」
と言うティータニアに黎二はそう答えなかった時の場合を訊ねてみる。
「……ねぇティア。僕がもし突っ切るなんて言ってたら、どうしてたの?」
「その時はご一緒するまでですわ」
「それは」
「――旅立つ前に言ったはずです、レイジ様。あなたに付いて行くのは、私の責務と。そしてレイジ様が散る時は、私の散り際でもあるのです」
「…………」
前を向いて何を見るか、見ているのか。まるで目の前にある困難を見据えたような瞳。ティータニアのその淡々と、しかし重々しく繰り出された決意に、黎二は言葉を忘れてしまう。そう彼女の声には確かに力強さとひた向きさが宿っていた。それが、覚悟というものなのだろう。やはりティータニアは、誰かに言われるがままに付いてきただけの少女ではなかった。自分のやらなければならないことをしかと決め、散り際も定めて、それらを確固として自分の中に宿して、いま彼女は自分の隣にいるのだ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、ティアはすごいね。僕なんか比べ物にならないほど、ずっと」
「……?」
前後のない言葉の意味するところを、彼女は把握できなかったか。馬上で不思議そうに首を傾げるのが見える。
ティータニアは一国の姫として、自分なんかよりもずっと強い覚悟を持っているのだ。いや、彼女の決意の前では自分の覚悟など、取るもとりあえず繕ったような虚飾にしかすぎないだろう。いまの彼女の姿を見ると随分と引け目を感じてしまう。
だが、いまはそんなことを考えて入る暇はない。そう気持ちを切り替え、黎二は訊ねる。
「ティア、いまの策を踏まえてここから先はどのあたりに向かえばいいと思う?」
「はい、まずはここから北上しましょう。クラント市の東に広がる森林地帯は北東側が南東部よりも小規模となっていて、ほかよりも小高くなっていますから、状況を確認するのには最適かと」
「わかった。行こう」