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案の定、無茶なご依頼。



「嘘、ホントに……」



「うん。もしかしたら、そうかもしれないんだ」


 黎二が水樹を抱き止めた後、彼女に現在おかれた状況とその推測を話した。

 水樹も最初はだいぶ混乱していたが、ここに来たのが一人ではなかった事が良かったか。友人二人の励ましも合わせ、徐々に現状を受け止めた。だが、やはり現実逃避をしなかった事には、肝が据わっていると言うしかない。


「うん。わかった」


「飲み込み早いのな、お前」


「二人とも落ち着いてるしね。私だけ取り乱すなんて恥ずかしいわ。それにこうなった以上、なるようにしかならないもの」


 水樹はそうさっぱりと割り切った。長い黒髪、優しげな眼差し。見た目は儚げな深窓の令嬢を思わせ、そして柔和だが、意外と動じない強い心の持ち主らしい。そんな彼女に、笑顔を向ける黎二。


「水樹、強いね」


「う、うん」


 彼に微笑みかけられた水樹は、敢えなく顔を真っ赤にする。このやり取りも相変わらずだが、黎二も相変わらずの無自覚なタラシスキルであった。


 そんな現状とは似つかわしくないほっこりとした空気に満ちるが、それを邪魔だと撥ね飛ばさんと、水明は水樹に訊ねかける。


「でだ、水樹。訊きたいんたけどさ」


「え? うん」


「あの類いの小説だとこのあとって確か……」



「う、うん。異世界の国の偉い人たちが現れるの。もしくは……」


 最初の言葉は読まされた小説と同じなので予想通りだったが、もしくわときた。

 と言うことは、別の展開もあり得るのか。



 それについて、間を置かず黎二が訊ねる。


「なんか他にあるの?」


「他の小説だと、呼ばれてついた場所が、つまりここが魔王の居城だったりするの」


「……うわ。それはいくらなんでもハード過ぎる」


 そう、たいていこの手の小説は、呼ばれてから紆余曲折を経て、物語の最後で魔王を倒すという運びになる。

 しかし、だ。水樹の口にしたそれ意外の展開だと、今ここが佳境も佳境、最終局面になるわけだ。

それは、あまりにも嬉しくない。命の危険しかないのだ。口から青い息が出ても勘弁して欲しい。

 そこへ、落ち着いた口調で水樹に訊ねる黎二。


「確かそれって、すぐ魔王を倒して英雄として異世界の国に凱旋するタイプだっけ?」


「うん。そうしてまた次の強大な敵に挑むとか、国同士の戦争に巻き込まれたりするんだけど……」


 と、水樹が言いかけた途端、水明の耳――魔術で聴覚を強化した彼の耳に、この場以外から発せられた音が聞こえた。


「二人とも」


「え?」


「分かってる。水樹、誰かが近付いてるんだ。それも沢山」


 黎二にも聞こえていたらしい。強化されているのは伊達ではないと言うことか。咄嗟に簡略な説明をしてすぐ、音が聞こえる向こうである扉の奥の通路を見るように視線を据えて、水樹を庇うように彼女の前に出る。


 水樹は不安そうに身体を竦ませている。


 水明も、黎二の横に立って身構えた。


「さて、鬼がでるか蛇が出るか……」


「僕たちを呼び出した異世界の偉い人たちだったら良いんだけどね」


「馬鹿言え。ドッキリですって看板持ったクラスの連中の方が絶対いいわ」


「…………」


 水明の軽口に、黎二は答えなかった。足音が扉の前に到達したからか、それとも単にここが本当に異世界で、偉い人たちの方が良いのか。彼の真意は知る由もないが――いま扉の前まで来て、恐らくここに踏み入ろうとしているのは果たして誰なのか。


 横をチラリと見ると、咄嗟に飛び掛かる事も出来るように身体の撥条を引き絞っている黎二。彼の足手まといにはならないように下がろうとする水樹。


 そして水明。知れぬ状況に身を固くする反面、予想できない状況に心がふつふつ燃え、昂揚する。それは当然、魔術師としての心が。

 そして、静かに持ち物を改める。ここには何の準備もないままで現れたのだ。常日頃持ち歩くようにしている物以外、全く用意はない。さて――


(手持ちは、施術した鞄とその中にチェーンアクセサリー、水銀の入った試薬瓶、カード、背広、齟齬のグローブ、八鍵の秘薬が少し……はっきり言って心もとないな。だが――)


 何かあれば、自分がやるしかない。みな日本で生きてきた故、戦闘経験など恐らく世界の裏側に浸かっていた自分にしかないのだ。確かに魔術師であることは隠しておきたいが、それを友人の命には変えられると聞かれればそうでなし、ならば最悪申し訳ないが記憶の操作も選択肢にある。


 身をそれぞれの緊張で固くさせる、三人。そして遂に、足音が扉の前で停止する。


 訪れる、胃を引き絞られるような短くも永い間。やがて、重いものを引き摺るような音を伴って、ゆっくりと扉が開いた。


「――っつ!」


「Firmus――」

(我が堅牢――)



 黎二が気を昂らせている横で、防御の魔術を待機させる。出合い拍子の攻撃もあり得ない話ではない。準備はしておくに越したことはないのだから。


 ――そして、その入り口から現れたのは、甲冑で身を固めた集団だった。観察するに、鎧を着ているのはどうやら人間であるらしい。魔物とか魔族とか魔人ではないので、一先ずの安堵。

 その鎧の集団は整然と隊列を整え、油断なくこちらを向いた。


 何が起こるか。まだ待機した魔術を霧散させずにいると、しかしてその鎧の人垣が割れ、奥から仕立てのいい白いドレスを纏った青い髪の少女と、磨きあげられた真珠が如く純白のローブを身に付けた女性が現れた。



 そして――


「え……?」


「む――?」


 その二人は一様に、不思議そうな、まるで予想外の展開を迎えた時のような顔をした。

 そして、顔を近付け合い、内緒話か。囁き合う。


「白炎殿。召喚される勇者は一人との事でしたが……?」


「は、その通りでございます」


「しかし、ここには三人もの呼応者がいらっしゃいますが……」


「それについては推測ではありますが、恐らく三人の内二人は、英傑召喚に巻き込まれてしまったのかと」


「なんと……」


 内緒話だったが、強化された耳の前では筒抜けだ。しかし、彼女らの扱う言葉が解るのが意外だった。日本語でも、まして地上のどこの国の言葉でもない不思議な韻を踏む言語。耳に入る言葉は違えど、しかし解るのだ。

 頭の中でよく使う言語に置き換わっていると言えばいいか。多分に感覚的なので言葉にしにくい。

 その理由については恐らく、召喚された時にそういった(まじな)いが掛けられていたのだろうと考えられる。便利である。



 勇者、召喚などの言葉から、警戒はそこまで必要でないかと人知れず魔術を解除する。黎二の方も、身に纏った緊張をほぐしていた。


 そこで、二人に身を寄せ、水樹に訊ねる。



「……どうやら向こうも予想外らしいな……なあ水樹、こんな展開もあるのか?」



「うん。勇者召喚に友達が巻き込まれたって場合の話はあるにはあるけど……」


 突然言い難そうに口ごもった水樹に、首を傾げざるを得ない。はて、何がそんなに憚られるのか。


「……?」


「水樹。何か心配ごとでもあるの?」


「あの、その展開だと、勇者として呼ばれた人間の友達、私達の場合だと黎二くんの友達である私と水明くんのどちらかが邪神と契約するの。そして勇者と争う関係になっちゃうの」


「なんだそれは? なんでそこで邪神なんてそんなとんでもないモンが出てくるんだ?」


「それは私もよく分からないけど……」


 水樹は不安そうに狼狽える。正直言えばこっちだって狼狽えたい。邪神が出てきて契約されるとかどんな理不尽か。

 召喚時に数千人単位で人が死んで、生きてたらそこで一生の運を使い果たすような危険な悪徳の具現に、目を付けられて対価を持っていかれなければならないなど、確実に不運な末路しか想像できない。


 背中に冷たいものを感じる水明の横で、今度は黎二が水樹に訊ねる。



「しかも敵対って……。どうして突然僕と争う関係になるんだ?」


「その展開だと私か水明くんが黎二くんのこと毛嫌いしてることになるから、すんなり契約して勇者と戦いだすの」


「え……?」






 水樹の言葉に黎二は顕著に顔を青ざめさせ、呆けてしまう。

 そんな彼に、水樹は慌てて否定する。


「……あ、もちろん私は黎二くんのこと嫌いじゃないよ。ど、どっちかって言うとす、すすす、好き……」


 面と向かって言うのは恥ずかしいか。徐々に尻すぼみになっていく水樹の言葉を最後まで聞くことなく、本当に幾分程度だけ顔色が良くなった黎二は、ぎこちなくこちらを向いた。


「そ、その……水明は?」


「いやそれはないし。嫌いだったらまず六年も一緒にいないだろ? 考えてくれよ」


「よ、良かった……」


 水樹と水明の返答を聞いて、今度こそほっと安堵の息を吐く黎二。正直こんな良い奴を嫌いになれる訳がない。

 三人でそんなやり取りをする中、青い髪の少女がこちらに声を掛けてきた。


「あの、お取り込み中のようですが、よろしいでしょうか?」



「あ、はい」



 黎二が気付いて承ると、青い髪の少女はその場で優雅に居住まいを正して一礼、口を開いた。



「突然のお呼び立て、誠に申し訳ございません。私はアステル王国国王アルマディヤウス・ルート・アステルが第二子、ティータニア・ルート・アステルと申します。そしてこちらは今回貴方方をお呼びするのに力を尽くして下さった……」


 紹介する者を示し、本人にも促すようにして、ティータニア王女が軽く横を向くと、その当人であるローブを纏った女性は一歩前に歩み出る。


「宮廷魔導師のフェルメニア・スティングレイと申します。どうぞお見知りおきを」


 先程、王女から白炎と呼ばれた女性だ。魔導師と名乗る通り、彼女の身体には魔力が淀みなく巡っている。魔力の扱いに長けた相手のようだ。


 そして彼女達が名乗り終わると、今度は黎二が前に出て丁寧に名乗り始める。


「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。僕の名前は遮那黎二。ファミリーネームが後に来るのでしたら、レイジ・シャナとお呼び下さい。僕の隣の二人は僕の友人で向かって右がミズキ・アノウ、左がスイメイ・ヤカギです」


 黎二がそうこなれた自己紹介を済ませると、鎧の戦士達がどよめきだし、王女であるティータニアと魔導師であるフェルメニアは感心した表情を作る。物腰も凛と、しかし礼儀を弁えた黎二の名乗りが良かったのだろう。


 今度は、水樹がすっと前に出て二人へ名乗る。


「ご紹介に預かりましたミズキ・アノウと申します……」


 そして、水明も一歩前に出て、水樹に倣う。


「スイメイ・ヤカギ……です」


 名乗りは簡単に終わらせた。特に言うべき事もないし、話すのもどうかという状況なのだ。下手に口を開くべきではない。

 するとティータニアは一通り名乗りを終えた水明達に視線を送って、どこか噛み締めるように目を閉じる。

 そして。


「レイジ様、ミズキ様、スイメイ様ですね。今回、貴殿方をお呼びしたのは貴殿方……の内のお一方に、どうしてもなさって頂きたい事があるからです」


「それは?」


「はい。現在、この世界の平安を脅かさんとしている魔族の長、魔王ナクシャトラを討ち滅ぼして頂きたいのです」


 ……王女ティータニアのその言葉を聞いた瞬間だった。水明、黎二、水城の三人はやはり来たかと予想通りの答えに心を同じくし、水明は一人額に手を当てて天井を仰ぐのだった。





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