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信を貫いた果てに



 ――いつか、誰かが言っていたのを思い出す。


 信じることを、捨てるなと。


 まだ全てがあったころに聞いた、その言葉。精霊の子ゆえ与えられる厳しい訓練の辛さに、何もかも投げ出したくなった時に聞かされた、友人の言葉だ。

 目指すものや追い求めるものを掴み、誰しもの希望になりたいのならば、この言葉を忘れてはならない。いつも胸の内のその最奥に秘めて、挫けた時に思い出せ。


 ――そう、他人を信じることを、自分を信じることを。そして、自分の信じたものを決して諦めないことを。


 だから、信じることを捨てるなと。



 女神を信じなくてもいい。奇跡を願わなくてもいい。だけど、自分のことを最後まで信じれば、誰であろうと報われると。そうすればきっと、お前の望みは通じる、守りたいものを守ることができるだろう、と。

 そんな優しくも強い言葉を聞いた過去いつか。そんなことがあったからこそ、その言葉がしかと胸に響いたからこそ、だから自身はその思いを胸に抱いて決して捨てなかった。



 そしていまもそれを信じている。信じているからこそ、いま自分はここにいる――










 駆ける。そう、ただひたすら。足がちぎれんばかりに。

 自身を待つだろう人たちがいるからと。ただその事実にのみ、急かされるように。

 レフィールは来た道を一人駆けていた。

 己が身に宿した尋常ならざる力を用い、精霊に祝福されたその真紅に輝く疾走で、木の間をすり抜け、脛にまとわりつくツタや木の根を強引に踏破して、森を割り、山の斜面を足で引き裂くように。

 最悪の想定が影となって走る背中に付きまとうがそれでも――待つ者が無事である可能性を諦めずに、信じて。



「…………」



 そんな中、彼女は山の中腹ほどに差し掛かったところで立ち止まり、ふと背後を省みる。

 見えるものと言えば、どこか雲行きの怪しい暗澹とした空と、不気味さを催すような木々の不自然なざわめきしかないが――視線の先に浮かび上がるのは、道のりの途中のあったもの。

 そうこれまで駆けて来た場所には、無数の屍がある。待つ者のもとに馳せ参じようと駆け行く自身、その踏破を阻もうと立ちはだかってきた魔族共のなれの果てだ。


 どうやらもう、この辺りに集ってきていたらしい。自身を討ち果たさんとするために、あちこちへ展開させていた連中を呼び戻したのだろう。あと数刻遅かったならば、森と山とのあいだ十里の境界を魔族の垣根に埋め尽くされ、抜け切ることができなかったかも知れない。


 おそらくは魔将ラジャスも、この辺りにいるのだろう。

 己から大事なものを全て奪い、大切な人たちを苦しみの内に横死させ、そしてまた関係のないものたちまでも手に掛けようというその魔性。奴が、手ぐすね引いて待っているのだ。

 人間を苦しませることのみが己の喜悦だとでも言うように、嗤いながら。


 ゆえに、聞こえないはずの声が聞こえる。

 助けてくれと。いつか聞いた救いを(こいねが)う声。その声言葉を聞いても、手を伸ばしても、守ることのできなかった者たちの声が。



 だから、決してこのままにしておくわけにはいかない。



 と、そうレフィールが今一度胸奥に秘めた埋み火のような怒りを再確認した、そんな時だった。



 ――行くな! レフィール!



「ぁ……」



 ふと耳を打ったのは、記憶の残滓か。もう聞こえるはずのない声の幻が、怒りに焼かれた心を揺さぶる。

 決戦の前に心鎮めようとしたゆえに、その声を思い出してしまう隙ができたのか。

 一度その思いに心とらわれると、溢れてくる記憶にはもう抗えなかった。胸の内を去来するのは、大事なものを失くしたような、振り切るには余りある喪失感の淡い仄めきだ。



 そう、人知を超えたこの走りで突っ切ってきたあの先には、つい最近知己となった不思議な少年がいる。

 名を、スイメイ・ヤカギ。アステル王国の首都、メテールで出会った一風変わった魔法使いだ。


 この辺りでは珍しい黒い髪を持っているという以外は、これといった特徴のないどこにでもいそうな風貌をしている少年。特別何か挙げるならば、優しげな瞳を持っているということぐらいか。

 この辺りでは一般的とされるなんの変哲もない服で身を固めていたが、しかし漂う趣は異国風。いや、そんな言葉では説明できない雰囲気を持ち、戦いで扱うのは彼の故郷の魔法か、いままで見たこともない魔法を使っていた。


 だが、感じたものがそれだけなら、ただ変わった人物だという所感や所懐で終わるだろう。しかしそうではなく、彼が醸しているのは、不思議さなのだ。

 ネルフェリアに向かうと言って己自身を旅人と称したが、それは真実どうなのか。世を流れているのならば時勢の機微には相応に鋭くなければならないはずなのに、蓋を開けてみれば世情に疎く、知識に疎い。

 だが、かと思えばハッとさせられるような知識を披露して、驚かせられたのもつい最近の話。

 その性格は、簡単に言えばお人よしだろう。魔法使いだからか、学士然とクールに賢しらぶろうとしているのだが、行動、発言の端々から感じられる思いやりの一つ一つと子供っぽさが、彼に冷酷さはないと否定している。


 あの日、商隊から別れた折に森まで追いかけてきたのも、その一端だと言えよう。魔族に追われる自身に付いて来ることの危うさ、その身に負うだろう損失は分かり切っているはずなのに、彼は打算なく追いかけてきた。自分のことを思って。その後、来るべきではないと訴え食い下がった自身の後ろ向きな心も、清々しく振り払った。

 頭の良い判断とは決して言えない。確実に狙われるのだから。

 それでも付いてきた。だからこそ分かる。


 それに、彼の性格が垣間見えるのはそのことからだけではない。

 魔族に掛けられた呪いが発動したあの日の夜。浅ましい行為の末、果てて動けなくなった自身を、彼がやにわに抱きかかえた時。



(そうだ。あの時、私は――)



 ――そうあの時、確かに自分は怯えていた。


 自身の異変を察し駆けつけてきた少年が、怖かった。怖くなったのだ。

 いくら思いやりのある人間でも、相手は男だ。あのような姿を晒せば、何をされるか分からないし、あんな浅ましい行為のあとだ、どんな行動に及ぶか分からない。

 両腕が、自分を包み込んだあの刹那。自身の行く末を慮って助けとなろうとしてくれた少年にさえ、計り知れないほどの恐怖を抱いていた。

 弱々しい動物のように縮こまり、小さくなっていただろう。



 しかし、蓋を開けてみれば自身を見据える彼の瞳はそんな怯えに反して、獰猛さとはまるで無縁のものであった。

 確かに、彼の瞳が宿した光には同情や憐れみの色はあった。惨めな姿を晒す自身を、情けなく思ったのだろう。


 だが、だがそれでも。あの時自身に触れたその手は、優しかった。湧き上がるだろう劣情に心とらわれることなく、肌に触れた手のひらは、ただただ思いやりに満ちていて、呪いに対する怒りで静かに震えていた。

 ああ、と。それに気が付いた時には、不甲斐なさを詫びる声が落ちてきた。自分ではこの呪いを解くことはできないと、そう己の無力を詫びる無念そうな声が。

 呪いを解かなければならない責など彼にはないのに。彼が謝罪をしなければならないいわれなど、あるはずもないのに。それでも、これが己の責だとでも、言うように。




 そして、計らずして来た別れの時も、彼が訴えたのは自身のことを思っての制止の言葉だった。そんな、自身の無事を思ってくれた彼の行動に、優しさがないはずもない。



「スイメイくん……」



 だから、これで良かったのだ。そんな彼だからこそ、これ以上危険な目に遭わせることはない。破滅へと向かうしかない自身の運命に、彼まで付き合わせることはないのだ。

 森の中で大人しくしていれば、そのうち終わる。自身がラジャスを倒すか、奴らが自身という目的を達していなくなるか。そのいずれかを以ってして。



 そう、無事であるのなら、これ以上のことはない。



 そう、たとえ彼の見せるあの晴れやかな笑顔を、もう二度と見ることができなくても。



 たとえあの追い縋る引き留めの声に後ろ髪引かれても。



 たとえあの悲しみと焦りが混じった面差しが、自身が見た彼の最後の表情(かお)になるのだとしても。



 これが、この選択が、救いようのないわがままだと言うことは分かっている。自身を切り捨てた者を助けたいと言って、一人になった自身を助けに来てくれた彼の思いを酌むことなく、裏切ったのだ。こんな者に、救いがあるはずもない。



 だけどそれでも、それでも――



「これで良かったんだ。これで……」



 まなじりに溜まる熱は、抑えられなかった。心の奥底深奥から、波濤のように寄せては引かぬ熱の波。それが、悲哀に暮れろと責め立てる。

 辛くはあった。自身に、こんな宿命がなければと。違う形で会っていればと。そんなもしもがあれば、また違う行く末があったのではないかと。

 付いてきてくれた時も、引き留めてくれた時も、正直な胸の内をさらけ出せば、嬉しかった。

 だから、思い返せば、いままで抱いたことのない感情が溢れてくる。大切な人たちと死別した辛さでもなく、いまは亡き故郷を思う悲しみでもない、焦がれるような離愁。別れを未練と嘆くような、そんな思いが。


 だけど、もう逃げたくはなかったのだ。誰かが死ぬのは、もう嫌だったから。魔族に苦しめられる者がいるのに、何もせずにいるのが嫌だったから。



「…………っ」



 だから、だからいまは、目尻からこぼれる熱い思いを振り切ってただ一人、走るしかなかった。



     ★



 疾走を邪魔するものを斬り分けて、レフィールはやがてそこにたどり着いた。

 感覚を研ぎ澄ませば、複数の人の気配と魔族の気配。そして、ただならぬ気配を木立の奥から感じ取り、行く手を阻むそれらを切り払って、自身はそこに躍り出た。


 木々が乱立する山の中にあって、不自然にひらけた場所。暮れ果てる前なのにもかかわらず淀んだ天と鈍い空気を擁したそこにあったのは――



 惨憺たる、地獄だった。



「――ッツ⁉」



 間に合えと願い、木々を斬り分け躍り出たレフィールにまず襲い掛かってきたのは眩暈がするほどの血の臭いと、肉の臭いだった。

 そしてすぐにその臭気の原因が、彼女の清廉な瞳に飛び込んでくる。目の前に広がったのは酸鼻な光景。戦場か。否、ここはもはや処刑場だった。


 ラジャスの部下か。複数の魔族が真っ黒なおどみをもって暴虐に及び、そんな奴らに追い立てられ、自らの命に窮する者と、魔族に嬲り殺されたか、過剰な傷を持って血だまりに沈んだ者の姿がある。飛び交うのは、怒号と悲鳴と、耳障りな哄笑のみ。

 ここにはもう朱に染まらない者は誰もいなく、朱を流さぬ者は誰もいない。

 戦士も、商人も、男も、女も、全て等しく奴らの(にえ)であった。



 いつか見た、そしてもう二度と見たくはなかったこの光景に、レフィールの心が沸騰する。



「おぉおおおおおおおお!」



 そして、激情の燃え上がるままに身を任せ、手近な魔族に斬りかかった。


 不意に襲い掛かったレフィールの斬撃に対して、魔族がとれる行動があるはずもない。

 赤い煌めきを帯びた縦一文字の断撃は、轟音と共に巻き上げた土塊(つちくれ)と死の間際の断末魔さえ大剣の前に吹き飛ばして、魔族を真っ二つに斬り飛ばした。


 二つに分かたれた魔族のなれの果てが、風鳴りの音を突き破って戦場を引き裂く。

 それによって注がれる、数多の視線。まだ抗い生き残る者たちと、多数の魔族。何が起こったのかと、ようやくたどり着いた闖入者に対し、みなが眼をこちら一点に揃える。



 そこで、一人が気付いた。



「あ、あんたは!」


 お前は誰だと問う誰何ではない。見知った者を認識したという、そんな声がする。


 まだ、遅くはなかった。まだ、生きている者がいた。助けを待つ者が。魔族に囲まれた、この先の見えない窮地に抗って、死に抗う者たちがいた。


 そう、自分は間に合ったのだ。希望を待ち望む者を、守ることに。

 希う声に応じてひたすら走り続け、彼らを助けに来たのだ。なのに――



 なのに。



「なんであんたがここにいるんだっ‼」



 浴びせられたのは、そんな容赦ない憤りの声だった。



「なっ……⁉」



 唐突に差し向けられた嫌悪と敵意に驚き、身体の動きが鈍る。どうしてここで、そんな怒りを向けられるのか。自身は窮地を知って、馳せ参じたと言うのに。



「グラキスさん……」



 今度は別の場所から声がかかる。重みを帯びた壮年の男の声は、そう、ガレオのものだ。戦いとは無縁の商人の身でありながら、まだ生きていたか。

 だが、それに対して喜びの言葉はかけられなかった。

 血だらけの身をおして発せられたその震える声は、確かな怒りで紡がれていたのだから。



 そしてその瞳に宿っているのは、怨嗟だった。こうなった罪の所在はここにあると、そう言わんばかりの怨色をあらわに、こちらに強いまなざしを向けている。



「ガレオ殿……」



「商隊から離れてくれと言ったじゃないか……あなたがいると魔族に襲われるからと……」



「そ、それはそうですが、いまはそんなことを言っている場合では……」



 ない。それどころか、いまはもう魔族の襲撃を喰らっているのだ。もうどうしようもないし、とにもかくにも話はあとだ。それくらい、分かるはず。

 隙を見せていれば、魔族は容赦なく襲ってくるのだ。無防備に会話をしている場合ではない。


 だが、そんなレフィールの思いに反して、周囲の者が反応する。



「そんなことだと……? そのせいで俺たちは襲われているんじゃないか!」



「う……」



 その指摘に、言葉を返す余地はなかった。魔族がいるのは自分のせいにほかならない。ゆえに、その厳しい言葉を受け止めるしかないのだから。


 切っ先と精霊の力で魔族を牽制したまま、理不尽な、しかし的外れでもないそんな怒りに歯を噛んで堪えていると、先ほどから怒号を放っていた護衛の一人が不意にその血飛沫にまみれた顔を怪訝なものに変える。



「待て……お前、どうして俺たちが襲われてるって分かったんだ?」



「先ほど護衛の一人だった冒険者が襲われていると伝えに来たんだ。それで」



「伝えに来ただと……どこにいるかも知れないお前のところにか?」



「あ、ああ」



「なんでこんなに早く駆けつけて来れた?」



「だから、いまはそんな話をしている場合ではないだろう――」



 と、注意を促すが、護衛は全く聞く耳持たずで。



「答えろよ」



「う……」



 有無を言わせぬと声放った護衛の物言いが、空気に不穏をにじませる。血だらけで鬼気を孕んだその形相は、それだけの凄味を持っていた。

 だが、何故なのか。

 状況の悪さは彼らの方が良く分かっているはずなのに、どうしてそんな不毛なことばかり追求したがるのか。



(いや……)



 いまはまずいと、警戒は敏にしなければと、そう思い改める。

 そして口止まったまま警戒に周囲を見渡すと、魔族共は嗤っていた。

 まるで、さもしく醜い争いの舞台を立ち見から眺める、傍観者たちのように。



「な……?」



 こちらに仕掛けてくるような素振りはまるでない。

 一向に手を出してこないのは、何ゆえか。悪辣な笑いが、言い知れぬ悪寒を駆り立てる。自分たちを皆殺しにするには、内輪で争ういまが絶好の機会だというのに、一体何故その血に赤く染まった手をおろそかにしているのか。


 漂う異常な雰囲気。命のやり取りをする場であるはずなのに、その土台を無視して繰り広げられるこの出来の悪い戯曲のようなやり取りは、一体。



「おい、聞いてるのかよ⁉」



 不可解なこの状況に困惑していると、護衛はいきなり怒鳴り声を浴びせてきた。



「――っ‼ そんな話いまはどうでもいいだろう⁉ 早く態勢を立て直すなり、逃げるなりするんだ‼」



「 逃げる? この状況で一体どこに逃げろって言うんだお前は! この辺りはもう魔族でいっぱいなんだ! 今更何をしたってどうしょうもないんだよ!」



「それはそうかもしれないが……」



「どうやってここにきたんだよ、お前は?」



「そんな話をしている場合ではっ」



「おいっ!」



「っつ! 魔族に襲われていると聞いて急いでここに来たんだ! だからっ!」



 食い下がる護衛をわずらわしく思い、叩きつけるように叫び返す。彼らに精霊の力がどうと説明しても、分かるはずもないのだ。そう返すしかない。

 すると護衛は、そんなこちらの語気にも構わず噛みついてくる。



「嘘をつけっ! お前は大方俺たちの近くでもうろついていたんだろっ! だからこんなに早く来れたんだっ! そうなんだろ⁉」



 そうではない。森の中から精霊の力を使い、十里の距離を駆けてきたのだ。決して近くにいたわけではない。



 だが、それが一体何だと言うのか。ここでそんな話をしても、さしたる意味は――



「だから俺たちが襲われたんじゃないか! お前が俺たちから離れなかったから、近くにいた俺たちまで襲われたんだ!」



「違う! そうじゃない!」



「そうじゃない? そうじゃなきゃこんなに早くわけないだろうが!」



「くっ、うぅ……」



 だからそれは、と。言葉を返せないやるせなさが襲ってくる。

 そんな話をここでしてなんになるのかという冷静な部分と、説明したところでどうなるのかという醒めた部分が、感情のままに叫ぶことを許さない。


 追求して、責めの根底を暴いて、それで是というのか。

 いや、彼らはそうまでして自分を(なじ)りたいのか。死の淵に立たされた人間というのはこうも、誰かに感情をぶつけずにはいられないものなのか。それほどまでに人間という生き物は、容赦ないものになれるのか。



「グラキスさん、あなたは……」



「私は……」



 まるで横ざまに幾度も殴りつけられたかのように、周りから浴びせられる糾弾が衝撃となって頭を揺さぶる。

 責任の所在は全て自分にあると言うような、そんな物言いばかりに襲われて、ぐるぐると景色が回転する錯覚に陥る。敵意が、責める言葉が、自身の平衡を奪っていく。



 どうして自分を責め立てるのか。こんなところで責め立てられなければならないのか。自分はみんなを思って来たのに。自分はみんな思って窮地に来たのに。自分はみんなを思って彼が伸ばした手を振り切ったというのに――



「どうして……私はみんなを助けに……」



「うるさい! お前のせいだ! お前のせいでみんなこんな目にあったんだ‼」



「わ、私は……」



 浴びせかけられる言葉は、まるで呪詛のよう。自分のせいなのか。全て。一つの例外もなく。罪の在処は自分にあるのか。

 自分を切り捨てた者の無事を願ってここに来ても、蛇蝎の如く忌み嫌われなければならないのか。



 そんながなり立てるような責めが頭に渦巻く中、突然、苦しみに満ちた叫び声が辺りに響く。



「……がぁああああああ‼」



 その絶叫は、命をもぎ取られる前のもの。視線をそちらに走らせると、一人の護衛の胸板から、丸太を削ってできたような太い腕が、ずぶりと不自然に生えていた。

 それは紛うことなく、魔族の腕。

 その貫き通す一撃で絶命せしめられた護衛の身体は力なく崩れ、前に向かって倒れ込んだ彼の後ろから現れたのは――



「来たようだな。ノーシアスの剣士よ」



 怨敵である魔族の将、ラジャスだった。



「――、ラジャス‼ 貴様‼!」



「相変わらず威勢がいいな貴様は。なんだ、そんなに俺の首を取りたかったのか?」



 嫌味のように嘲るラジャスに殺気を飛ばす。今更何をと。当然ではないかと。破壊と暴虐の権化のような貴様に、大切な全てを奪われたのだから。この殺意も敵意も、正しく貴様に責がある。

 そう、その恨みがあるからこそ――



「貴様らのせいで、こんな……こんなことにっ!」



 また繰り返されようとしているから、抑えられない。そんな思いから、任せるように口にした言葉だった。

 しかしその激情は奴にとってどう聞こえたのか。ラジャスは四周をぐるりと睥睨して、まるでその言葉を待っていたとでも言うように口もとを釣り上げる。



「何を言う、お前のせいだぞノーシアスの女。お前がこんなところにいるから、こいつらはこんな目に遭っているんだぞ?」



 にたりとした嫌らしい笑いは、何を期してのものか。確かに遠因はあるかも知れないが、そんなことを口にできる資格は、このような惨状を作ったラジャスにはあるはずもない。



 だがラジャスは嗤っている。愚か者を見据えるような目で。自身の後ろに立つ者たちを。



(ぁ――)



 そんなラジャスの口にした言葉が及ぼすところにはたと気付いた時には、もう何もかもが遅かった。

 後ろから、視線が背中に突き刺さる。

 それは冬の訪れる前に降るような、冷たく厳しい氷雨さながらの仮借なさ。

 その気配に見返ると、怒りに爛々とした眼光が、一つ残らずこちらに向けられていた。



「やっぱりお前のせいなのか……」



「お、お前さえいなければ……」



「お前のせいだ……」



 それらの声はもう、人の発する声ではなかった。恨みとつらみが凝り固まってできたような、悪意がむき出しで口から吐き出されたような音。

 それに、何故か自分の口から出てきたのは、否定の言葉だった。



「ち、違う! 違うんだみんな!」



「黙れ! お前だ! お前が悪いんだ!」



 息のある者たちが口々に罵りの声を上げる。

 気が付けば比較的落ち着いていたガレオさえ、罵倒の言葉を口にしていた。



 四方から降りかかる、恨み言。

 何故、助けにきた自分を信じず、殺しにくる魔族に呼応するのか。

 良く考えれば分かることなのに。どうして彼らは目先の事柄と言葉にばかり囚われ、本質を見ようとしないのか――



「……違う私のせいじゃない! 私は誰かの迷惑になることなんて、なにも……」



 嘘だ。お前のせいだ。お前が悪い。お前がいたから。魔族も言っている。人殺し。死神。

 そんな声ばかりが、聞こえてくる。自分が悪だとがなり立てる。



「私は悪くなんてないんだ‼! どうしてっ、どうしてみんな分かってくれないんだ‼」



 それは、張り裂けんばかりの叫びだった。もしやすれば、ずっと心の中に秘めていた本心だったのかも知れない。



 それを見ていたラジャスが、さも喝采と大きな笑い声を上げる。



「ふ、ふはははははは! 貴様ら人間は本当に愚かよな! 何かあれば他人を罵り、貶めることしかしない! 一皮むけば、いつも蛆虫にも劣るような醜い生き物だ!」



 そう口にして、ひとしきり喜悦に及んだあと、ラジャスは周囲の魔族に向かって――



「――やれ」



 そう、殺せと命を放った。



 その言葉に、摩耗しかけた心が今一度奮い起こる。過剰な責めに苛まれ、悔しさと辛さに涙せんとなりかけた顔そのゆがみを、歯を食いしばって押しとどめた。

 させるわけにはいかない、と。



 だが。



「え――?」



 身体が応じない。上手く動かない。いつものように駆け出す力は足に入らず、常時ある機敏さはまるで死滅したかのよう。

 踏み出した足の遅々たるものは、果たして一体どれほどのものだったか。



 動きが、鈍った。言い訳のしようもなく。完璧に。

 何故かとはもはや問うまい。自身は射竦められていたのだ。それはラジャスでもなく、周りの魔族でもなく、同胞であるはずの人間に。彼らの責めに、自身は身体の制御を失していた。


 そして、その遅れは、どうしようもないほどに致命的だった。



「ぐあああああああ!」



「あ、あ、あ! あぁああああああ!」



「死にたくない! 死にたくないんだ! あ、あ、あ、――――!」



「来るな! 来るな! 来るなぁあああ――がっ⁉」



 周りの人間が魔族になす術もなく殺されていく。自分を糾弾した護衛が、自分を罵った護衛が、怨みの視線を向けていたガレオが、冒険者たちが。



 そして最後の一人に魔族が襲い掛かった時、ようやく身体が言うことをきいた。

 間に合わない。頭の中ではわかっていても、心は立ち止まることを許さなかった。

 覆いかぶさった魔族を背中から斬り裂く。


 魔族の血と、自分の血で真っ赤に染まった者。

 それは少女だ。以前、ギルドに寄せられた依頼を受け、一緒に魔物を討伐したパーティの魔法使い。

彼女はそのパーティの中では一番親しくなった、そう友人で――


 気を持てと、膝をついて彼女を抱きかかえる。



「しっかりしろ!」



「あ、う……」



 苦しそうに呻き声を放つ少女。自身に伸ばされた手は小刻みに震え、血で染めあげられている。

 気が付けば彼女は、喘鳴の合間に微かな声で言葉を紡いでいた。



「……お……んて……」



「え……?」



「おまえなんか……いなければ、よかったんだ……」




 そう最後に、呪いを口にして彼女は息絶えた。

 あとに残ったのは、自身を絞め殺そうと首に付けられた真っ赤な手形と、安らかとは無縁の彼女の亡骸。

 憎しみに歪んだ表情だ。まるで、魔族でもそこにいたかのように。死ぬ最後の最後まで、自身に憎しみを向けていた。



 ……彼女を抱いた肩が、腕が、力なく垂れ下がる。

 それと同時に、自身が信じていた全てが、音を立てて崩れ去ったような気がした。



書籍化について、祝福のメールを送って下さった皆様、ありがとうございます。

そしていつも僕の拙作を読んで頂いている皆様、投稿が遅くなって申し訳ありません。

こちらの方も更新頑張っていくので今後ともよろしくお願いします。

頑張るぞ!おー!

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