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思惑は思わぬ場所より


 異世界魔法は遅れてる! を読んで頂き、ありがとうございます。

 考えた結果ですが、次の更新時に、レフィール編が終わるまで感想欄を閉じようと思います。

 このままだと書けなくなってしまいそうなので…。批判はレフィール編が終わったあと、厳粛に受け止めたいと思っています。



 誤字脱字をいつも報告して下さる読者様、応援メッセージを書いて下さる読者様、本当に申し訳ございません。

 この件はひとえに僕のメンタル面の弱さゆえのものですので、その辺りのことで何かご意見があれば、またレフィール編が終わった時にお願いします。

 手前勝手ではありますが、どうかご容赦のほどお願いします。







 後続の魔族の有無を確認するため、ロフリーが哨戒に出たその直後、静まり返った周辺に響いたのは、逼迫した怒鳴り声。



「――水明を囮に使っただってっ!!」



 そうそれは、張り裂けんばかりの黎二の叫びだった。



 ――心配には及ばない。その言葉から滔々と続いた、グレゴリーの耳を疑うような話に、黎二はその胸ぐらを掴み掛かるが如く迫る。

 先程まで表していた騎士への敬意は、もうどこぞへと吹き飛んでいた。


 そんな、勇者と呼ばれる男の俄な激情の発露に、縮み上がるグレゴリー。



「は、は……」



「それは本当の話か!」


「は、はっ! 全ていま申し述べた通りにございます」



「なっ、……っ!」



 あまりの事に黎二は言葉に詰まる。そのような冗談にもならない冗談が本当とは。

 そして唇を噛みしめ、本当に彼の胸ぐらを掴んでしまいそうになった時だった。

 今まで心ここに有らずというように、驚きに放心していたティータニアが黎二を止めに入った。



「お、落ち着いて下さいレイジ様!」



「だ、だけど!」



「グレゴリーはまだ話の途中。最後まで彼の話を聴きましょう……」



「……わかった」



 ティータニアの言葉には、一理あった。確かに彼女の訴える通り、グレゴリーはまだ「スイメイ殿を囮にしたからこちらに大きな危険はない」と口にしただけである。


 それ以上、細かな話についてはまだ聞いていない。



 ……自身に取ってはそれだけでも十分大事なのだが。



 話を受け入れられ、ティータニアが胸を撫で下ろしたように息をつく。


 そして、落ち着く間もなくグレゴリーを見据え、いつも優しげな彼女からは想像もできないような厳格な視線と言葉で命令する。



「グレゴリー。お話しなさい。いいですね?」




「……はっ」



 彼女への返事と共に(ひざまず)き直したグレゴリー。差し向けられる射抜き通すような眼光に慄くか。額に汗を浮かべながら、彼はまた、話し始める。



「……私がこの話を聞いたのは、前に連絡役と接触した折りにございます。その者の話では、魔族が勇者を倒すため大軍を率いてアステル近辺に向かっており、その軍勢から勇者殿を安全に逃がせるようにするためにスイメイ殿を囮にしたと」



 それが、大まかな経緯だろう。だが、聞けば聞くほど分からなくなる話だ。

 どうしてと、何故そうなったのかと、訊きたいことがそれこそ山のようにある。



 黎二が訊ねたい事を整理する中、焦りに表情を曇らせていた水樹が、先立ってグレゴリーへ訊ねる。



「あの、水明くんを囮にしたって言うのは、結局どういう事なんですか? まさか水明くんに囮になってもらった訳じゃ……」



「はい。この件はスイメイ殿の与り知らぬ話にございます」



 グレゴリーの口から出たのは、ある意味予想できて、しかし実行するにはかなり難のある状況だった。

 水明本人は囮になった事を知らないのにも関わらず、囮になった。ならば当然、疑問が湧いてくる。



「……じゃあ何故それで水明を囮になんか出来るんだ? まさかメテールごと襲わせる訳でもないだろう?」



「は、それについては、スイメイ殿のメテール出立に合わせたらしく……」



「出立に合わせた?」



 黎二が聞き返すと、それに合わせ水樹が戸惑いを露にする。



「え? え? ど、どうして? 水明くんは町から出るなんて事言ってませんでしたよ?」




 そう、自分達が城を出る時、水明は城から出て生活するとしか言わなかった。キャメリアには居づらいので、城を出て気ままに生きるのだと。ならば水樹の疑問は尤もであり、彼のメテール出立の話は辻褄が合わないのだ。



 すると、グレゴリーは顔に汗をにじませたまま咳払い一つ。

 水樹の訊ねに答える。



「我らがメテールを出立したあと、スイメイ殿が冒険者ギルドで商隊を護衛する依頼を探していたという情報が入り込んで来たらしいのです」



「スイメイが冒険者ギルドへ、ですか?」



「はい。話によるとスイメイ殿は城を出て数日後にはもう宵闇亭のギルド員になっていたらしく、そこから推測するに元々彼はメテールを発つつもりだったのではないかと。スイメイ殿がメテールを出る理由までは分かりませんが……そして、それを知った魔王討伐に関わる貴族たちがスイメイ殿を……」



 利用したというのか。

 だがしかし、水明は一体どうしたのか。彼は安全を望んで自分たちとの同行を拒否し、王都に残る事を選んだはずだ。


 なのに時を移さず、メテールからいなくなった。ギルドに登録してから商隊の依頼を受けるとは、何か思惑がなければそうはなるまい。



「水明くん、どうしたんだろ……? 町から出たら危険なの、分からないはずないのに」



「分からない。だけど水明の事だから何かしらの考えがあっての事だと思う」



「うん……」



 水樹が不安そうに瞳を揺らすのを見て、黎二はまたグレゴリーへ訊ねる。



「それで、その商隊の向かった先は?」



「ギルドに残されていた情報によれば、クラント市を経由してネルフェリア帝国に向かうと」



「それは……私たちの通ってきた道とほぼ同じですね」



 それは、ティータニアの言う通りである。

 そうだ。ルート上、クラント市には立ち寄らなかったが、水明が通ってきている道程は、ネルフェリアからサーディアスへ向かう自分たちとほぼ同じだろう。

 という事は一つ、可能性が生まれる。



「もしかして水明くん。私たちを追いかけて来ているのかな?」




「……追ってきた、か。それも、考えられない話じゃないけど」



 考えられない話ではない。しかし、その可能性を当てはめても、それでは釈然としないのだ。

 八鍵水明は堅実だ。寂しいからとか、不安だからとかの理由で考えを変えるような男ではないし、それに追いかけて来なければならないような理由があるならば城へ直接申し出るはずだ。

 だからよくわからない。動機がまず不明瞭。だが、それを今ここで懊悩していても詮ないこと。


 その話は置いておくとして、また黎二はグレゴリーに問う。



「……まあいい。水明を囮に出来た理由は分かった。だけど貴族たちは何でそんな事をしたんだ? 別に無理に水明を囮にする必要はないはずだ」




 そう、魔族が大軍を率いて来たのならば、今は戦い抜く力がない以上、自分達には逃げるしかない。なら、逃げればいいのだ。

 水明を囮にしなければならない(よし)はない。



「勇者殿。いま向かってきているのは魔族の大規模な軍勢なのです。規模のせいで全体の動きは鈍いかとは思われますが、それでも相手は魔族。その行軍に関しては速度、範囲ともに人間の軍の進行などとは一緒にできるようなものではありません。もし万が一捕捉され勇者殿にもしもの事があってはならぬと、ハドリアス卿が……」



「え……ハドリアス公爵がですか!?」



「は……」



 ティータニアの驚きの声に、グレゴリーは恐縮そうに頭を下げる。

 はて、そのハドリアス公爵とは。確かずいぶん前に聞いた覚えがあった名前のはずだが。

 記憶を掘り下げるも、しかし黎二は思い出せない。



 故に、詳しいだろう今は面持ちの固いティータニアに、訊ねた。



「ごめんティア。ハドリアス公爵って?」



「……ハドリアス公爵はアステルでも有数の大貴族で、今回の魔王討伐に関する国内の指針を決める方。つまりアステル内で我らを支援する作戦などを取り決める権限を持っている者です。魔王討伐は容易にはいかぬでしょうし、少数では何かと不備があるだろうと、お父様が私たちを支援する組織体を作りその筆頭として彼を任命されたのですが……」



「じゃあ水明を囮にしたのは、その?」



 聞き返すと、ティータニアは確証なくも重く頷く。

 それには事情を知るグレゴリーが。



「……は。仰る通り、ハドリアス卿と魔王討伐に協力する一部の貴族たちの独断にございます。無論勇者であるレイジ様のお力を疑う訳ではない、とのことでしたが、支援に兵を用意したとしても勇者殿が軍勢に立ち向かうには時期尚早との判断から、その策をとられたそうです」



「……それでも、それが無理に水明くんを囮に仕立て上げなければならないような理由にはなりませんよ?」




「それについては、魔族が勇者殿の存在を察知できた理由が判然としなかったという事が挙げられます。ハドリアス卿の手の者が捕まえた魔族は勇者を殺しに来たとしか言わず、いくらごう……失礼、問い質しても結局はその理由が分からなかったので、同じく召喚されたスイメイ殿を使えば撹乱出来る可能性も高いのではないかと……それ故、魔族の元に偽の情報を流し、商隊ごとスイメイ殿を狙わせたと」



 確かに、それは効果があるかもしれない。魔族の軍勢と接触していないという事は、目下の状況は魔族側も完全に自分たちの居場所を知らず、しかしその存在だけは知っているという事になる。



 もし、もしもだ。勇者の召喚を察知する手段が魔族側に有ると仮定するならば、その予想の当たり外れに関わらず、そんな手を打つ価値はあるし、魔族側も勇者という存在を脅威と考えるのならば、今回のように居場所が大まかでも軍勢を向かわせれば、倒せる可能性は決して少ないものではない。


 だが、それにはまず、知っておかなければならない情報がある。



 呼ばれた、タイミングだ。



「……私たちが初めて城の外に出たのはパレードの時だし、その時に魔族達にバレたとしても、ここまでの進行は――あるのかな?」



「ええ、考えにくいでしょう。ミズキの言う通り、早すぎますね」



「うん」




 だから、やはりそういう事まで察知できる力を持つ者が魔族の中にいるのだろう。

 だがそうしたというならばここで、とある問題が浮上する。



「そのハドリアス公爵は魔族に偽の情報なんてどうやって流せたんだ……? まさか魔族に知り合いがいるって訳でもないだろう? 一体どうやった?」



 柄にもなく、黎二はきつい視線をグレゴリーに呉れる。

 そう、人間同士ならば敵対関係にあってもスパイ行為は出来るだろうが、相手が魔族ならばそういうわけにはまずいかない。 人間から魔族に情報を送っても、情報に信憑性を保てないし、恐らく信じる以前に魔族に聞く耳などないだろう。

 つまり、パイプがないのだ。故に、嘘の情報を流すには何らかの策、もしくは考えにくいが内通に近い何かしらがあると思われるのだ。



「れ、連絡役の話では、兵を、シャルドックへの使いとして送ったと。魔族の事を知らぬ兵に、召喚した勇者は現在クラント市へ向かう商隊に紛れて行動していると嘘の情報を覚えさせて届けさせようとしたのです」



「なっ!?」



「そ、それってまさか……」



 震えるような水樹の声が、おぞましい想像を掻き立てる。彼女はグレゴリーが何を言わんとしているかを正しく察知したらしい。顔を青くさせ、不安を通り越したような表情。そんな彼女に、グレゴリーはその渋い顔に苦々しさと無念さの入り交じったような表情を張り付け、答える。



「……嘘の情報しか知らない兵が行軍中の魔族に捕まれば、その用が何なのかを吐かせられる事もあるでしょう。ですが、あらかじめ兵に嘘を教えていれば、兵が口を割ってもその口からは当然嘘しか出てきません。魔族がそれを信じれば、こちらの策は成ったも同然だと、それで真っ先にこの案が通ったそうで……」



「なんという事を……」


「ひどい……」


 それは、二人にも相当強い衝撃だったらしい。口元に手を当ててそれ以上言葉を継げなくなるティータニアと、なかば泣きそうな顔になる水樹。

 そんな彼女たちの前で、黎二はグレゴリーに憤慨を突き付ける。



「兵士を……人間をそんな風に扱うなんて……あ、あんまりじゃないか! 人の命をなんだと思ってるんだ!」




「ゆ、勇者殿のお命と兵の命は秤に掛けられるようなものではないと。兵士数人を助けるために、万人を救われる勇者殿を失うのなら、大局的に見て、釣り合わないとの考えらしく……



「そうやって水明の事も……!」



「商隊の人達だって、何の関係もないんだよ。それなのに……」




 激情に任せた黎二の怒鳴り声、そして水樹の発した嘆きを聞いたグレゴリーは、これ以上は何も言えないか、黙りこくる。

 そんな彼に、ぶちまけて多少溜飲の下がった黎二は、語気を落として問い掛ける。



「……それ以外に、何か手はなかったのか?」



「私が話を聞いた時には、魔族の軍勢がシャルドックの領土の半ばを越え、国境付近の山々を前にしていたそうなのです。その頃にはもうどんな手の打ちようもなく……」



「そんなに早くから知っていたのなら、どうして今まで言わなかったんだ!」



「し、仕方なかったのです勇者殿! 時が来るまで決して言うなと命が下され、一介の騎士でしかない私にはその命令に背く権利がなく……それに、この話を聞いた時には策は既にもう……」



 と、何も出来なかったと口にするグレゴリーに対し、水樹が心配に駆られたように言う。



「そ、そんな……じゃあ水明くんは」



「……恐らくは今はもう魔族と接触しているかと。情報はスイメイ殿にはこれといった特徴がなかったので変わった衣服を身に付けていることと、商隊が居るだろう大まかな位置しか伝えていなかったと言う事なので、確かな事は言えませんが、王都メテールとクラント市との中間あたりでその条件に当てはまる者を探られれば……」




「で、でも! どこかに逃げたり身を潜めたりしたら……」




「難しいでしょう。どういう訳か魔族はここネルフェリア帝国内にまで手を広げています。それを鑑みて、魔族の軍勢の規模は相当なもの。特定された場所があれば、そこをしらみ潰しに探すと思われます。そうなれば、何も知らぬ商隊など……」



「そんな……」



「スイメイ……」



「…………」



 グレゴリーの推測に、銘銘表しがたい感情に襲われる。言葉が出ないのは、悲哀か、失意か、そのどちらもが故か。水樹もティータニアも、こうなった以上、水明が無事で居るとは思わないだろう。

 斯く言う自分も、そうだ。

 水明は確かに抜け目ない男だが、だからと言ってこの状況を無事に切り抜けられるとは言い切れない。


 いや、おそらくは切り抜けられはしないだろう。いくら剣術を身に付けていても、水明は所詮ただの学生で召喚の加護や魔法も使えない身。それでは小型の魔物ならまだしも、魔族に太刀打ちできる訳がない。



 ……歯痒く、しかしもうどうにもならない状況に、言葉をこぼすように訊ねる。



「……どうして今だったんだ?」



「今、とは……?」




「僕たちにこの事を話したのがだ」



 グレゴリーはあの時、頃合いだと呟いた。なら、彼は話すタイミングを計っていたと言う事だ。

 一体何が話す条件に当てはまったのか。



「は。勇者殿には魔族の本隊が来てしまう前に安全圏へ避難して頂かねばならないため、話すのが遅くなってはいけませんし、話すのが早すぎれば……失礼ながら勇者殿がどんな行動をお取りになるかわかりません。それで――」



「どうしようもなくなる今だって事か!」



「はっ、はっ! 申し訳ございません!」



 合点がいった勢いで赫怒に喉を震わせると、縮こまって平伏するグレゴリー。


 そんな彼に、ティータニアが訊ねる。



「グレゴリー。お父様はこの件については?」



「……ぞ、存じてはいないはずです。陛下はスイメイ殿の事を格別気に掛けておられました故、おそらくはハドリアス卿も怒りを買うのを危惧してお伝えしてはいないかと……」



「そうですか……」



 息を吐くティータニアのその心中は、僅かな安堵か。自分の父がそんな非情な事に加担していたと思うと、気が気ではなかったのだろう。

 呼び出した側である方の不安は、少しばかりは晴れたか。


 と、そこでティータニアは何か初耳があったか。グレゴリーに訊ねる。


「それにしても、お父様がスイメイの事を格別気に掛けていたとは?」



「は。会議の場でスイメイ殿が出立すると言う話が出た際、公爵様方が猛反対をされたのですが、陛下はそれを押し切ってスイメイ殿の事は彼の自由にさせろと。その上資金も用意したということで、……失礼ですが、逃げた男に対しての扱いにしては些か過剰だったのではないかと城で噂が立っていたらしく、我らが出立したあと城では小さな騒ぎになったそうです」



「そんな事があったのですか……」



 ティータニアの驚き混じりの声は感嘆よりのものだろう。アステル国王アルマディヤウスが、水明の事をそこまで考えてくれていたとは。王様は優しい人間だ。そこは正直に嬉しく思う。



 と、そこで水樹が、ふとした疑問を提示する。



「でも、何でアステルの貴族達が水明くんが出ていくのを反対するの?」


 そんな水樹の疑問には、黎二も思い当たるふしがあった。



「それは、僕たちが言うことを聞かなくなった時に、言うことを聞かせるようにするためだよ」



「え……」



 水樹の驚きに囚われた面持ちは、黎二には半ば予想できていたものだ。

 自国の兵士や無関係な商隊を簡単に切り捨てられるような非情な人間ならば、おそらくそんなことを考えかねないだろう。自分達の気が変わり魔王の討伐を取り止めたら、アステルの人間としては事である。

 こちらも人間だ。心変わりだってある。向こうもそれを危惧しないことはないだろう。



 彼らもそんな心変わりを防ぐ事は出来ないだろうが、しかし魔王討伐の取り止めは防ぐこともできる。



 そう。



「――水明を人質にして、無理矢理でも僕たちに魔王の討伐をさせる。そうだね?」



「おそらくは」



「――!!」



「……そして、今それができなくなり、自分達で水明の事を管理することも出来そうにないから、ついでとばかりに囮に仕立て上げた。水明が何をするか分からないから、早めに始末しておこうって」



 グレゴリーが再度頷く。

 そしてその頷きを見た水樹は、目尻にうっすら涙を浮かべた。



「ひどいよ。ひどすぎるよそんなの……」



 その嘆きも涙も、正しく水樹の本心に違いない。魔王討伐へ毅然とついてくる強さを持とうとも、彼女も一人の少女なのだ。


 ……助けろと呼ばれ、しかし協力すらしないような者にはこんな扱い。そんな話を聞けば、水樹のように、心に湧き上がった辛きを口にしたくもなる。



 そこで、ティータニアが。



「……国の、いえ、メテールやクラント市の守りはどうなっています?」



「あ……」



「そうだ……!」



 ティータニアの訊ねで二人ははっと思い出した。水明の話で頭が一杯で、その事を完全に失念していたのだ。

 魔族が水明たちを狙っているなら、いま国内には魔族が入り込んでいるという事が確定的になる。


連中が商隊を襲ったあと、暴れないという可能性は全くない。ならば順当に考えて、近場の都市に危険が及ぶのは必然とも言えるのではないか。



 アステルの王女であるティータニアにはそれは自国の憂いだ。そこも聞き逃せない話だったのだろう。



「は。クラント市側の防備については現地の傭兵団や魔法使いギルドから戦える者を募り、冒険者ギルドから極秘裏に精鋭を招集、メテールについては防衛部隊の他に魔族軍を攻撃する部隊を。各貴族の直属軍、宮廷からは騎士団及び魔法師団より選りすぐりの手練れをかき集め、現在編成をしている最中でしょう」



「そこまで手際がいいなら何故囮なんか……」




「部隊の編成に予想される時間が僅かばかり足りなかったのです。クラント市への伝令や各貴族領からの戦力の移動。そのために、スイメイどのや商隊には的となり、犠牲になってもらうほか……」



 なかったのか。大を救うために、小を切り捨てる。理にはかなっているが、望まず呼ばれた者に対しての行いとしてはあんまりではないか。

 何も知らない水明の事を考えると、遣るせなさだけが心の中を通りすぎていく。



 それは、水樹もティータニアも同じだろう。

 俯き加減の面持ちには、悔しさや悲壮感、失意が入り交じって浮かんでいる。



 そこに再度、グレゴリーが平伏する。




「申し訳ございません」




「…………」



 これ以上謝ってどうなるというのか。水明が危機に陥る事はもう覆せない。故に、掛ける言葉はなかった。もう憤りも出尽くしてしまった。晴らすことのできない鬱屈の蟠りが残るだけ。



 ――それでも、目の前には地面に額を擦り付けるほど頭を下げている熟年の騎士の姿が。

 その謝罪はどんな思惑を端に発したものか。その場しのぎの姑息な謝罪。真剣に申し訳なく思う気持ちの表れ。嗤いを堪えた裏腹な心中。

 いずれかと、腹を探るような、自己嫌悪にでもなりそうな憶測に腐心していると。



(あ――)



 そう、そこで黎二は不意に稲妻に打たれたかのように理解できた。


 そうだったのだと。自分は激情に任せ、何も考えず、怒りや言葉を彼に対しぶつけていただけだったのだと。

 彼の心境も心中も顧みず。冷静になってよく考えれば、分かることだったのに。



「黎二くん?」



 水樹が訝ったのは、合点がいった自身の様子を見たからか。

 だが、今は彼女にそれを説明している場合ではない。



「もういい、グレゴリーさん」



「ゆ、勇者殿?」



 グレゴリーの両肩を掴んで、長い長い謝罪の幕を引く。

 そう、彼が謝る必要はなかったのだ。むしろ、こちらは彼に感謝しなければならない立場であった。



 だって――



「グレゴリーさん。本当はこの話を聞いたとき、全て話すなって言われていたはずですね。僕たちには魔族が近づいているとだけ言って、上手くどこかへ誘導しろと言われていたはずだ」



「え――?」



「――!?」



 ティータニアとグレゴリーが目を瞠る。そしてすぐに、水樹が訊ね掛けてきた。



「黎二くん、どういうこと?」



「グレゴリーさんがそのハドリアス公爵っていう貴族の言うことを聞いてるだけだったら、僕たちに水明の話をする必要なんてないんだよ。グレゴリーさんは僕たちを逃げさせるだけでいいんだから、わざわざそんな事を言って自分に対する不信感を作らなくてもいい」



「あ……」



 水樹のそんな小さな気付きの声だけが、辺りのどんな音よりも際立った。

 不信を買う。そうだ。思い返せば、おかしな告白だったのだ。水明の置かれた現状を口にすれば、自分たちの怒りを買うのは必定だ。それを分かっていながら、上役や自分に不信を抱かせるような事はするはずもないし、それがこの策を採った者の手の者ならば、なおのこと水明の事は隠しておきたいことだろう。



 それに、知らせずに黙ったままでいれば、こんな子供に頭を下げずとも済むのだ。

 それでもグレゴリーが水明の話をしてくれたのは、おそらくこの人には曲げられないものが内にあったためだろう。

 そして、それを言わずただ頭を下げるだけだったのも一本、筋が通っていたからだ。



「すいません。ようやくいま気付きました。あなたの事を考えずに怒鳴り付けてしまい、申し訳ありません」



「勇者殿……」



 正直な思いと一緒に黎二が頭を下げると、感に堪えないといったグレゴリーの声が。

 そんな彼に、ティータニアが。



「グレゴリー。申し訳ありません。私もレイジ様の話を聞くまで、あなたの事を不信に思っていました」



 その言葉を聞くと、グレゴリーは項垂れるようにこうべを下げる。

 そして、彼は懺悔するように、訥々(とつとつ)と言葉を連ねていった。



「……私には出来なかったのです。この世界になんの縁もなく、ただ魔王を倒すためだけに呼ばれ、それを引き受けてくださった方たちを騙すことは。そして、今そのご友人が危機に瀕しているのに、それでもそ知らぬ顔をしているのは、人でなしの所業ではないでしょうか」



 そう所懐を隠さず打ち明けたグレゴリーは最後にもう一度、ゆっくりと頭を下げた。



「申し訳ございません。私に力がないばかりに」



 それに対し黎二は首を横に振る。



「いいんです。だって――」




 そう、何が悪いと言えば、全て自分が悪いのだ。ここに呼ばれる人間は自分一人のはずだったのに、友達二人を巻き込んでしまった上、友達の言う通り拒否しなかったから、こうなった。

 だから――



「……レイジ様?」



 立ち上がる自身の背に、追い縋ったのはティータニアの声。

 それに振り返らずいると、再びティータニアが、今度はひどく焦ったように呼び止める。



「ど、どこへ行かれるおつもりですかレイジ様!?」



「……決まっているだろ? 今から水明を助けに行くんだ」



 その言葉は、半ば衝動的に出たものだった。

 決まっていると。助けに行くのはもはや確定事項だと。そう一握の逡巡もなく告げて振り切ろうとすると、またティータニアが困惑を口にする。



「そんな、今から行ってどうなるというのですか!?」



 それに追随したのは、グレゴリーの声。



「勇者殿! お気持ちはお察ししますが、今からでは間に合いませんぞ! 馬はもういないのです!」



 確かに彼の言う通りだ。馬は先ほどの戦いで殺されてしまった。足がなければ間に合わない。

 だが、一頭たりともいないわけではない。




「馬ならいるさ。ロフリーの馬がいる」




「た、確かにレイジ様の仰る通りですが、いま行って一体どうなるというのですか! 例えスイメイの下に間に合ったとしても、いるのは魔族の大軍。今のままでは犬死にするだけです!」



「でも……」



 と、ティータニアの諫言がこちらの反論を阻みにかかる。彼女の言い分は正しくあり、異を唱えるのを許さない。

 そして止めとばかりに畳み掛けてる。




「レイジ様、お考え直し下さい。レイジ様にいま何かあっては、一体誰がナクシャトラを倒すと言うのですか?」




「……っ!」



 そうだ。ティータニアの言う通り、ここに来て彼らの頼みを引き受けた以上、自分は勇者なのだ。

 それを忘れ、私情に走って果ててしまうのはある意味、裏切りと言えよう。



 ――だが、それでも、納得できない事だってある。



「……レイジ様。スイメイの事は私もつらいですが、今はどうか――」



 だから。



「いやだっ!」



「れ、レイジ様?」




「僕は水明を見捨てたくないんだ! あいつは僕の友達なんだ! だからっ!」



 悔しさからの歯噛みも、握った拳も、諦めはしなかった。

 助けに行きたかったのだ。友人を。水樹と同じく、彼も自分にとって掛け替えのない友人なのだ。だから、失いたくはなかった。失うかもしれないのに、何もしないのはいやだった。


 そこに、ティータニアの心配が突き刺さる。



「魔族からスイメイを助け出せる保証などないのですよ!?」



「そんなの僕だってわかってる! それでも、それでも僕はっ」



「レイジ様……」



 息急き切って訴えると、困惑に瞳を揺らすティータニア。自分を心配する心、王女としての責務、それらのに心悩まされているのがよくわかる。

 魔王討伐と自身の身を案じる思いで言葉がどっち付かずに揺らいでいたのがその証拠だ。



 そんな彼女から視線を外し、黎二は水樹の方を向く。同じ世界から来た者なら分かるはずだ。



「……水樹」



「わ、私は……」




「水樹! 行こう! 水明を助けに行くんだ!」


 水樹の肩を掴み、黎二はそう訴える。友達を、助けに行こうと。強く。彼女なら賛同してくれると信じて。


 しかし――



「あ、う……」



 気が付くと、水樹は小さく震えていた。



「あ……」



 射干玉(ぬばたま)のように黒い瞳を、戦慄きに震わせる水樹。

 そう彼女はついさっき、初陣を終えたばかりなのだ。初めての戦いで、初めて魔族と戦った。そしてその時、確かに彼女は戦いへの恐怖を感じとっていた。ならば、そんな彼女に魔族の軍勢と戦うのを強要するなど、あっていい事だろうか。


 いや、ない。

 震える少女にそんな無理を課すなど、完全にどうかしていた。



 いま一瞬、一人よがりという言葉が頭の中を駆け巡る。ここで出た全ての思いはそうだったのだと改めて周りを見ると、みな困惑に表情を揺らしていた。



「ごめん、水樹」



「れ、黎二くん?」



 謝罪に返ってきた呼び声に背を向ける。一人よがりなのは分かった。だが、諦めたくはない。


 そんな思いが混在する。だから。



「行くのは僕一人でいい。みんなは安全なところで待っていてくれ。ロフリー!」



 丁度哨戒から戻ってきたロフリーに、遠間から呼び声を放つ。すると今までの成り行きを知らないロフリーは、首を傾げながら馬を急がせてくる。



「は、え? いかがしましたか、勇者殿?」




「馬を貸してくれ」




「は? はあ、構いませんが、一体どうされた……」



 馬の背から降りてくるロフリー。彼の言葉を遮るように、二つの声。




「お待ち下さいレイジ様!」



「待って黎二くん!」




 後ろから掛かる追いすがり。その時、黎二は――






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