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魔族の将



 ――それはまるで、稲妻めいた落勢だった。

 大地など言うに及ばず、下にあるものの悉くを叩き潰して是とするような着地。

 そして、地に拳をついた状態からゆらりと立ち上がる、彼の魔族。身の丈は他の魔族の大きさを軽く越え、二メートル強。

 丸太を直に据え付けたような手足は、彼の者が暴力の権化であることを容易く連想させ、向こうの世界から来た自身にはそれこそ鬼やサテュロスを想起させる。

そうまさにそれは、力が全てと言わんばかりの偉容だった。



 空気を介して伝わってくる強烈な武威。恐怖心を煽るのは、まさに魔。

 人間のような造型を保ち、らしい装束を身にまとっているが、細部は無論、人間とは似てもにつかない。



「……ふん、ようやく見付けたか」



 現れた魔族は、そう口にする。ようやくとは、何の話か。それだけでは、言葉の端は捉えられない。


 そんな中、唐突な出現とにじみ出る武威に気圧され、護衛達がうろたえ出す。



「な、なんだ……あいつは、他のヤツよりもデカイ」



「す、すごい力です! 他の魔族とは比べ物になりません……」



 彼らは一瞬で浮き足だった。無理もないか。今までの魔族でも脅威を感じていたのだ。こんな見るからに強力そうな手合いが出てくれば、及び腰、引け腰に震える者が相次いでも、仕方ないと言える。




 しかし――



(っ、コイツぁマジでさっきまでのヤツらとは比べ物にならないぞ……)



 こちらも、その武威に汗がにじむ。魔族の強さの程がまだ分かっていないのにも関わらず、いきなりそれよりも上位もしくは強力なものが出てきたのだ。

 冷静になれと、心中でのみ言い聞かせるが、思うように焦りが止められない。



「虫けら共め……粋がりおって」



 嘲るかのような、鼻の鳴らしよう。

 すると、魔族は何を思ったか、緊張に身を固める周囲をその虎のような目で睥睨する。



「……ふん、話と違うではないか。まさかニセの情報を掴まされたと言うのか……?」



 ……はて、何か意外だったのか。魔族の言には困惑が混じっていたが、やがて苛立たしげにその場で唾を吐くと一転気を取り直し、息を吸った。


 そして。



「まあいい。やることは変わらん。――聞けいっ、人間共よ! 俺の名はラジャス! 我らが偉大な魔族の王ナクシャトラより一軍を預かりし魔の将の一人よ! ここで俺とまみえた貴様らに生きる道はない! 大人しく俺に殺されるがいいっ!」



 大気を、地を揺るがす大音声。否、衝撃波だ。それが、慄く護衛達をさらに恐怖へと追い込む。



「ひ、ひぇ……」



 聞こえる、誰かの怯えの声。周囲の人間は、みなそんな声を発したいだろう。それだけ、ここには絶望しかなかった。




「…………」



 一方、いま一番前に立っているレフィールは、あのラジャスという魔族を前にして動かない。ただ、何かに堪えるように俯き、大剣を両手で固く固く握りしめている。



 どうしたのか。さすがの彼女もあの武威に当てられたか。

 今まで先頭を切って戦ってきた少女に、周囲の人間が不安の眼差しを向け始めたそんな矢先――


 そう、そんな矢先だった。レフィールの情動が、爆ぜたのは。



「貴っ、様ぁあああああああ!!」



 ラジャスに負けぬ劣らぬ、大音声。怒りを多分に含んだ咆哮のような一声が、場を占有していた戦慄を吹き飛ばし、そして、レフィールが赤い煌めきと共に斬りかかった。



「ほう?」



 赤い旋風を見るや、不敵な笑みを浮かべてこれに打てとばかりに腕を差し出すラジャス。

 無論、剣撃と赤い煌めきはそこに集約するが、しかしラジャスの腕は斬り取れずで、あの力同士反発があるのか、激しく火片をばら蒔いた。

 巨大な剣の一撃はあのおどみに包まれた腕に阻まれたか、ラジャスの腕には届いていない。


 押し込む力か、思い切りの良い一撃にか、魔族が称賛とも嘲りともつかぬ笑いを呉れる。



「やるではないか小娘」


「当たり前だっ! 我が剣、見忘れたかっ!」



「ほう? 貴様の剣だと?」



「――っ、ラジャス! 私を、私を覚えていないと言うかっ!」




 煌めきの他に、強烈な怒気を発するレフィール。彼女の口振りから、どうやらあのラジャスという魔族と彼女には浅からぬ因縁があるように感じるが――



 魔族が身動ぎをすると剣ごとレフィールは弾かれた。

 危なげなく着地し、体勢を立て直すレフィール。

 すると、魔族はレフィールに(すが)めるような視線を送ったあと、レフィールの言うように因縁を思い出したか、哄笑を上げる。



「――ああ、ふははは! そうか! 思い出したぞ小娘! 貴様、あの時のノーシアスの生き残りだな!?」



「え……?」



「あ……?」




 ノーシアスと、確かにそう。それに聞き覚えがあるか、先ほどの冒険者たちのパーティーを含む幾人かが、反応する。


 ノーシアスと言えば魔族に滅ぼされた国だが、彼女がその生き残りとは。それで面識があるのか。



 すると激情に取り憑かれたレフィールが。



「……そうだ! ようやく思い出したかっ!」



「ははは! よもや野垂れ死にもせず、生き延びていたとはな! 他の連中はみな死んだというのに!」



「貴様ぁあああああ!!」



 喜悦に笑みを作る魔族に、レフィールは再び猛然と斬りかかった。

 彼女は完全に怒りに呑まれ、我を忘れたかのよう。それがゆえか、剣撃は先ほどとは比べ物にならないほど力が乗っている。



 だが、あの魔族の力量も相当のものか。おどみをまとった腕でレフィールの凄烈な連撃を捌いていき――そして、冷静さを失った彼女に隙を見出だした。



 剣を弾いた直ぐあとにできた僅かな停滞の合間に、砲撃めいた腕の振り。



「――動きが単調だぞ!」



「ぁ――」



 拳撃に目を奪われ、知らず発せられたような彼女の声が聞こえる。まずい。腕からにじみ出るおどみは、先ほど見たものとは一線を画する。

 当たれば、たとえスピリットでも無事ではすまないか。



「ちぃ――」



 他の者は居竦まって動けない。ならば、いま打開できるのは自身のみ。

 口の中に残る一抹の苦味に舌打ちを発して、拳の射線上で動けなくなったレフィールの身体を、魔術を用いて無理矢理引っ張る。



「なぁ――!?」



「ぬぅ――?」



 驚きは両者より。引っ張られた方と、引き剥がされた方。


 そして寸暇もおかずに駆ける。前へ。突発的な行使のせいで、レフィールとラジャスの距離が稼げなかった。それではまだレフィールはラジャスの圏内にあり、拙い。

 ゆえに今は、自身が前に出て、その差異の穴埋めをしなければならない。



「スイメイくん! ダメだ! 退け!」



「雑魚が! 俺に向かって来るか!」


 後ろ髪引く声を掻き消すラジャスの猛りが、硬質な風となって身体を打つ。その衝撃を一身に受けながら、魔族へと自分がいま出せる最大の速さで、立ち向かう。



 その際の際、挙動が見える。動く肩。こちらを消し飛ばさんと振るわれる拳の一撃だ。

 その一手に講じるは、以前のようにその威力を利用した投げが善手か。――いや、しかしそれは拙い。あの威力の乗った拳は例えかすめるのでさえも、悪手と言えよう。


 跳ぶ。振るわれた拳を厭って。魔族の身体を駆け上がるように。

 そしてそれは加速を殺さぬままであったゆえ、魔族の腕が伸びきった時にはもう自身の身体は奴の頂点にあり――



「ふっ――」




 蹴足。肩口に、踏みつけるような蹴り足を見舞う。今の時点で注ぎ込めるだけの魔力を注ぎ込んだ一発。

 自身の身体に心地よい衝撃と確かな手応えもとい足応えが伝わるが、しかしそれでもラジャスには何ら痛手は負わせられない。

 そう、今の自分に出来た事と言えば、対象の足元の地面を轟音と共に盛大に陥没させたのみだった。



 ――くそ、直に当てても通らねぇのかよ。



 冒険者の振るう剣は魔族に対し有効なのに、この違い。もどかしい。何か細工があるんじゃないか、普通ならば肩口から半身ごとぐしゃりと殺せる一発なのに、詐欺臭い。

 そんな風に中空に身を舞わせながら悪態と余念に暮れていると、苛立たしげな形相が。


「ガキがっ!」




 雑然と振るわれるラジャスの腕。焦点は定まってはいないが、それでも十分、否十二分。こちらの身体を五度は破壊できる余剰を伴っている。

 レフィールはこれと真っ正面から斬り結んでいたのか。さすがはスピリット、恐れ入る。



「――Via gravitas」

(――重力路、形成)



 ヴィア・グラビタス――と、その攻撃を、単語一声。魔術を用い、中空で身を操って急速着地でかわし、目端に捉えたラジャスの蹴撃の予備動作に反応。そして。



「――!?」



 次の瞬間には、魔族の背後に。

 奴には、自身が煙になって蹴り足をすり抜けていったようにしか見えなかっただろう。驚く顔が目に浮かぶが、一拍遅れで聞こえた巨大な破砕音に振り向くと、魔族が出した蹴り足のその先が、木の根ごと地面を抉って見える一帯ごと消し飛ばしていた。


 そういう力任せ過ぎるのは止めて欲しい。そう思いながら、ラジャスが振り返れない僅かな間暇を用い、後ろを歩く。


 今ここで暴虐の限りを尽くさんとする魔族を視るための、それはゆったりとした闊歩だった。



 細めた視線の前にある後ろ姿。巨大な身体と、上位種を思わせる人間よりの容姿。溢れる武威は強壮で、魔力量はそこいらのとはまるで比較にならない。そしてそれに輪をかけるのが、真っ黒なおどみ。


身体からにじみ出はしているが、明らかにそれだけ別物の匂いがする。




 と、ラジャスの振り向きが追い付き、一瞬視線が交差するが、どうでもよいと振り切って、そのまま横合いを歩きのみですり抜ける。



「くっ――」



 こちらの翻弄に、逸るような声。

 そして次に来るのは、振り向き様の一撃か。ならば。



「――Omissa vicissim」

(――逆理の天地)



「なぁ!?」



 魔術で空間の上下をひっくり返し、対象を叩き落とす。背転倒立よろしく、頭から地面に突っ込む魔族。

 当然ダメージは期待できないが、今は時間が稼げればそれでいい。


 そう、この詠唱に掛ける時間があれば。


 後方に跳ぶ、そして。



「――Abreq a、ッツ!」




 しかしその詠唱は中断を余儀なくされた。

 まるで地面を弾き出すような攻撃が、土砂や地中の岩を雪崩のように吹き飛ばしたのだ。



「は、土塊ごときか……」



 自分でもゾッとしてしまうような冷然とした声を、つい吐き出す。

 そしてそれに振るうは、こちらも雑然とした腕の振り抜き。



 瞬間、自身に雪崩かかってくる大質量の地面は、カバラの始祖たる男が起こした神秘のように、真っ二つに分断されて避けていった。



 そこでふと、近場に滞留したおどみの残滓に触れる。



(……胸くそ悪ぃ)



 そうこれだ。やはり、これはああ言う類いのものだ。邪悪でも負と呼ばれる力でもなんでもない、ただただ吐き気ばかりを催すだけの、人間には決して相容れない力。



 そう、外界の力を請うたものなら、やりようもある。やはり、先ほど使おうと試みた魔術が鍵だ。



 ……そして、改めて対峙する。

 片やポケットに両手を突っ込み気だるげで、一方は、翻弄するような攻撃を一通り加えられ頭に血でも上っているかと思いきや、落ち着いた表情。



 将と名乗れるくらいは、冷静さを失わぬ度量があるのか。

 身体についた土塊を払い落とす、ラジャス。



「小僧、やるではないか。魔法使いにしては、思い切りのいい事だ」




「そりゃどうも」




「だが、れくらい手応えがなくては話にならんが――」



「手応えね? 俺から見たら空振りばっかりだったと思うが、そこんとこどう感じられたのかね?」



「ふ、黙れ。俺に傷一つ負わせられない身で言える言葉ではないぞ」




 挑発にも一笑と扱き下ろし。どうにも油断は期待できない相手らしい。


 すると、体勢を立て直したレフィールが並び立ち――



「スイメイくん! 気を付けろ! そいつの力はそんなものではないぞ!」



「……やー、まだ本気じゃないとかそう言うの、マジで勘弁してくれよ……」



 と、場違いにげんなりと息を吐くが、いや、内心でもげんなりとしている。

 ラジャスにも余裕がある上、レフィールの、レフィール程の手合いがこんなものじゃないと言う辺り、まだこのラジャスという奴は持っている力の半分も出していないのかもしれない。



「ヤツがその気になればここら一帯ごと簡単に……っ!」



「おいおい、そんな危ない相手なのかよ?」



「そうだ。今の太刀打ちなど、戯れにしか過ぎないぞ。油断するな」



 柄を握る手に力みが見える。嫌な記憶でも、あるか。あるだろう。ないはずがない。



「ククク、そういう事だ。たかだか人間の魔法使いごときが、調子に乗るな……」



「く――」



 俄に膨れ上がった武威に、レフィールが呻き、危惧を見せる。

 ……さすがにこれ以上の力があるなら、このままではよろしくない。対応の手が間に合わなくなる前に、対応する。



 ならば。



「Archiatius over――」

(魔力炉、負荷――)



 ――と、スペルを口にした、そこが転機であった。

 再びこちらに向かって来るとばかり思っていたラジャスが、突然、レフィールに向かって忍び笑いを漏らした。



「クククク……」



「何がおかしい!?」




「いや、面白いことを思い付いてな」



「面白いこと、だと?」


 レフィールの問いにラジャスは答えず、そのまま上空へ飛び上がった。



「一旦、この場は預けよう」



「な――!?」



「だが、覚えておけ。ノーシアスの女よ。貴様のその力は我らにとって捨て置けんものだ。今この地に集まってきている俺の部下どもが揃ったら、またお前の相手をしてやる」



「部下ども、だと? では……」



「こいつらは俺の軍団の一部だ。いや、全体から見れば数でないことは、お前もよく知っていよう」



 絶句するレフィールをそのままに、ラジャスは続けて。



「無論、助けは期待しない方がいいぞ? なんせこの辺りには幅広く兵を送っている。“動いている人間は容赦なく襲え”と、言付けてな」



 そう言うと、ラジャスは背を向け、残った魔族と共に去っていく。

 レフィールはその背に追い縋ろうと、すわ駆け出そうとするが――



「ま、待て!」



「レフィール」



「――!!」



 彼女の肩を掴む。それは、駄目だと。

 そして向けられた何故止めるのだという視線に、首を横に振って返答すると、レフィールははたと気付いたか、我に返ったような顔。

 それに、気遣いを一言。



「大丈夫か?」



「ああ、すまない……だいぶ冷静さを欠いていたようだ」



 レフィールはそう、悄然と俯いた。



      ☆




 魔族が退いたあと、落ち着く間もなく、水明には次の仕事が待っていた。

 魔術による、怪我人の治療である。それについては他にも治癒系の魔術を使える魔法使いがおり、何人か従事していたが、水明に関しては治癒魔術の知識に平行して、向こうの世界の医療知識も持ち合わせがあるため、当然だが腕も彼らより良かった。



「ふぅ、これで一通り終わりか」



 怪我人の最後の一人の治療を終え、息を吐く。治癒の専門家ではないため多少拙(つたな)い部分はあったろうが、自己評価では上々である。


 すると、先ほどまで怪我人だった護衛の一人が腕を回しながら言う。




「すまないな、魔法使いの兄さん」



「いえ、俺はこう言う時のために呼ばれたものですから」



 と当たり障りのない返答をすると、護衛の男は快活そうに笑って。



「いや、それにしてもすごいぜ? 兄さんが回復魔法を掛けたところには傷痕一つ残ってないんだからな。しかも、治したとこは直ぐに動かしても障りないしよ。こんな完璧な回復魔法見たことないぜ」




「普通、障りが出るんですか?」



「そりゃあな。小さな怪我ならなんともないが、魔法で治したデカイ怪我はある程度安定するまで動かさないのが、普通だぜ?」



「へぇ」



 意外だ。

 そんな制限があるとは。治療に当たった魔法使いの施術を見た限りでは、ちゃんと治っていると思っていたが、その話が正しいのなら案外細部までには治癒が行き届かないものなのかもしれない。



「兄さんのとこのは違うのか?」



「まあね」



 と、何気なく訊ねてくる護衛の男に、適当に返答しておく。

 それについては、機会があったら調べても良いかもしれない。



 それはそれとして。



「――なんか向こうが騒がしいんだけど?」



 少し離れた場所から、喧騒が聞こえる。勿論それは商人たちや護衛たちが発しているものだが、何かあったのか。



「……そうだな。もう出発するのかもしれねえし、そのせいじゃねぇのか?」



 護衛の男の、気がふさいだような声の推量に、ああ、と得心がいく。

 ラジャスの口振りでは、麾下の魔族が集まり始めているということだ。安全を確保するため、悠長にはしていられないなら、出発にも焦りが出よう。

 それで騒ぎとは、何らかのトラブルが起こったか。



「治療も終わったし、行ってみます」



「お、おう」



 護衛の男の返事を背にして、喧騒の現場に赴く。

 すると、そこはもう既に剣呑な雰囲気に包まれていた。



 果たして、このギスギス感は何のせいか。そう疑問に思いながらその辺りをよく見ると、誰かが護衛や商人たちに取り囲まれていた。



 そして、その囲みに瀕している当人は、先ほどまで勇猛果敢に戦っていたレフィールであった。

 普通に考えれば、魔族を一手に倒した事に対する礼が筋だが、しかし周囲を包む気配は剣呑なのだ。どうにも彼女の活躍や戦果を称えるような集まりではない。


 今まではただ取り囲んでいただけなのか。しびれを切らしたように口にするレフィール。



「……みんなで私を呼びつけて、一体どうしたんだ? こんな事をしているよりも先に、やることがあると思うが?」



 そう口にして集った顔を見回す。すると、冒険者の一人が前に出た。



「あ? やること? やることって何だよ?」



「無論早く安全な場所に向かう事だ。急がないと、また魔族に襲われる」



「襲われるねぇ……」



 思わせ振りに、何を溜めるか冒険者。言動には嫌味ったらしさしか感じない。

 その物言いに、レフィールは些か語気も強く、言う。



「何だ。何か言いたい事でもあるのか? あるならはっきり――」



「ああ、あるさ。俺たちが襲われるのは、アンタがいるからだろう? なあ、ノーシアスの生き残りさんよ?」



「――っつ!!」



「……は、何が早くしろだよ。白々い。全部お前のせいなんだろうが! 俺たちが襲われたのも、襲われる羽目になったのも!」



 冒険者は、叩き付けるように叫ぶ。それに対しレフィールは先ほどよりも気後れと戸惑い態度に滲ませ。



「た、確かに奴は私を狙うとは言ったが、襲われたのは私のせいでは……」



「ないって言い切れるのかよ? それを、お前は?」



「……っ」



 レフィールはいきり立った冒険者の言に口を噤まざるを得なかった。

 あのラジャスという奴は彼女を狙うとは言った。言ったが、言及はそこまでで、元々奴らがここに現れた理由はまだ判然としていない。


 ならば、冒険者の言う事は確かではないと言えるだろう。だが明確に否定できるものでもないため、彼女も強く言うことができないのだ。



「あの魔族はお前を追いかけて来たんだろ? お前をぶっ殺すために、自分の軍団を引き連れてよ」



「そ、それは……」



「それは? それは何だよ? 何か思うところがあるなら言って見ろよ。言えるもんならな」



 突き放すような冒険者の言葉に、レフィールは返す事ができず、俯いた。


 追い掛けられていなかった事を証明できないための沈黙だろう。だがしかし、それには自身から反論がある。



「いいか?」



「あ?」



「さっきの魔族は、レフィールと戦ってる最中に“思い出したぞ”って言っただろ? あの口振りからするに、レフィールがいたのをあの魔族が知ったのはあの時だ。元々狙ってたんなら、そんなことは言わないはずだ」


 しかし。



「はっ、関係ねぇよ! そんなこと!」



「な、関係ないっておい……!」




 この冒険者は冷静な判断力を欠いているのか。持論が正しいものだとして疑わない。

 そして彼は捲し立てるように言い放つ。



「別にあんなのは、それらしい奴の情報を追っ掛けてきて、そこで顔を知ってる個人だと特定したに過ぎねぇだろうが? そうじゃねえのか?」



 つまり魔族は、自分達の敵らしい何者かがいるとして、ここに現れただけということか。そこでそれがレフィールだと、初めて気付いた。確かにそれなら理屈は適うが――



「それに、俺たちが襲われる前に、その女がなんて言ったかお前覚えてるか? 俺たちを襲おうとしてるのは魔族だってそいつははっきり断言したんだぞ? なんでそいつにそんなのが分かるんだよ? 魔物か魔獣かも知れないのによ。――ああ、そりゃあ分かるよな? 自分が魔族に狙われてるんだ、心当たりがある」



 ――そうかこの男、そう言えば最初に自分たちに迎撃を告げに来た冒険者。そう言えばあの時、レフィールの断定に胡乱そうにしていたのを覚えている。



 だが。



「っ、そんなのこじつけだろうがっ。レフィールには魔族を特定できる感覚があったってだけだろ?」



「かもな。だけどな、それをお前、証明できんのかよ?」



「――それは」



 なんとも底意地の悪い質問だった。そんな詭弁を使われれば、水明は冒険者に弁明できない。気配の察知とは多分に本人の感覚が主。つまり主観であるわけだ。

 それを証明しろと言われて、証明できる訳がない。

 それに、その手段があったとして、こう頭に血が昇っていれば。



「できねぇんだろうが? じゃあしゃしゃり出てくるんじゃねぇよ」




「っんの……」



 この男、物言いが一々こちらの神経を逆なでする。

 きつい言い様に水明も熱くなり始めたそんな矢先だった。

 人垣を割って、一人の男が現れた。



「待ちなさい。お二方とも」



「ガレオさん……」



 声の方を向く。怒鳴り声を聞き付けて来たのは、キャラバンリーダーであるガレオだった。



「商隊を守る者同士、不和は困ります。即刻、諍いは止めて頂きたい」



「争いを止めろって、ガレオさんよ。じゃあアンタがちゃんと決着つけてくれんのかよ?」



「ええ。この商隊を取り仕切る役目は私にある。この話は、私に任せて頂きたい」



「お、おぅ……」



 ぴしゃりと言い放ったガレオに、冒険者は頷かざるを得なかった。腰は低いが、されど商隊の長ということか。その圧力に、冒険者は気勢を上回られたらしい。



「みなさんも、よろしいですな?」



 冒険者に言って直ぐ、ガレオは周囲にも確認を取る。

 周りの人間もそれには異論を挟む余地はないと頷き、レフィールにぶつけていた声を抑え込んだ。


 声が収まるのを確認したガレオは、レフィールに向き直り、冷たい声でそして。



「……グラキスさん。私はこの商隊の責任者だ。つまり、私はこの商隊の安全を第一に考えなければならない立場にあるという事になる」



 そんなもの、わざわざ宣言しなくても誰にだって分かっている事である。

 それをいま改めて言うなど、これはまるで。



「今、私たちは魔族に狙われていて、その原因になっているのは君だ。商隊を預かる者としてはそんな現状を放置しておくことはできない。だから、分かるね?」



「はい。分かっています。商隊から離れろと、おっしゃるのですね」



「――!?」



「ああ、そうだ」



 もって回った言い方から真意を汲み上げたレフィール。彼女の言にガレオが頷くと、それに同調するか、追い討ちのように声が上がる。



「当たり前だ!」



「さっさと出ていけ!」


「この疫病神め!」



 それは、あまりの言い様だった。彼女だって狙われたくて狙われているのではないし、商隊に害意があるわけでもないだろう。第一、いま一番危ないのは彼女で、いま一番周囲への飛び火を憂いているのも彼女なのだ。


 それなのに、こんな仕打ちとは、ないではないか。



 それには水明も、黙ってはいられなかった。




「お、おい! こんなとこでたった一人ほっぽり出すのかよ!?」



「当たり前だ! 魔族はその女狙うって言ってたじゃねぇか! その女と一緒に行動なんてしてみろ、あの魔族の大将やその部下の軍団とカチ合う事になるんだぞ!?」




「そりゃあそうだけど! 食料や水の問題だってあるだろ!」



 例の冒険者の噛み付きに、魔族の次に切実な問題を挙げる。

 一人旅に関わらず水、食料はともに命に直結する大事なものであり、それらの必要な分量の確保は旅の中ではとても重要な要素である。

 商隊では輸送手段が整っているため、それらをより多く運べるが、一人旅だと当然、その限りではない。

 距離や掛かる時間の計算を誤れば、道半ばで底を尽きる可能性もある。

 ならばこんな突然に、周囲に宿場などもないような場所で放り出される事の危うさは、誰も想像するに余りあるだろう。


 だが、冒険者はお構いなしに。



「そんなもの知るか! 俺たちには関係ねえよ!」



 そんな事を言う。

 そして、水明は周囲を見回した。



「……全員、同じ意見かよ?」



 問う。答えなど最初から分かっていたが、それでも訊かずにはいれなかった。


 だが、冷たい言葉に返された答えは予想通り、氷雨のような視線だけだった。



「…………っ」



 それに水明が小さな歯軋りを漏らしていると、冒険者が侮るような視線を向けながら、とんでもない事を訊いてきた。




「で? テメェはいつまでいい子ぶってんだよ? お前だって内心こんな女さっさとどっかに行けば良いと思ってるんだろ?」



「なっ!? 俺はそんなこと――」



「仲の良い振りなんてしてると、離れる機会を失っちまうぞ? それとも何か? お前その女の色香にでも騙されたのか? ああそうだな、見てくれはいい女だもんな?」



「なん――」



「は、魔族は引き連れてくるわ男は騙すはほんととんでもねぇ女――」




 その言葉に、サー、と水明の言い合いに昂っていた感情が、沸騰を超える怒りのせいで急速に冷めていく。

 黙ってはいられない。

 さすがにそんな下種な物言いを看過できるほど、自身も人間ができていなかったらしい。

 だから、冒険者に向かって指を弾こうと手が持ち上がったのにも、仕方がないと言えるだろう。


「あ、なんだよ? その手はよ?」



 知らぬとは愚かな事だ。数秒後には、その下種な笑みが文字通り吹き飛ぶと言うのに。


 しかし、その義憤まじりの怒りに心とらわれた一発は、レフィールによって止められた。



「――よせっ! スイメイくん!」



「……」



「そんな事をしてなんになるというんだ!? 結局はなにも変わらないんだぞ!?」



「く……」



 レフィールの制止の声に、我に返って思い直す。確かに、こんな事をしても状況が変わることはないのだ。彼女が出ていく事は、もうどうあっても覆せない。冷静に考えれば分かるのだ。

 商隊の無事を少しでも考えるなら、彼女が出ていくのはそも当たり前という事を。


 呻きに悔しさにも似た感情を滲ませると、ガレオが再び口を開く。



「グラキスさん。私たちは引き返す。これも分かっていると思うが……」


「はい。商隊とは違う方向に行けという事ですね。分かっています」



 だろう。そうする他あるまい。商隊が狙われる危険性を下げるには、それは必須だろう。



 そんな二人のやり取りの中、水明はふとレフィールと仲の良かった冒険者のパーティの方を向く。

 彼女と仲良く談笑をしていた魔法使い。彼女を自慢げに誉めていた戦士。彼ら彼女らは一様に、気まずそうにこちらを見つつも、決して視線をあわせようとはせず、レフィールを庇うこともない。


 そんな彼らだが、責める事は出来ない。彼らも魔族の軍勢は怖いだろうし、ここで他人の振りをせず彼女を庇えばどんな事になるかわからない。それか単純に彼らももう、彼女を魔族が現れた元凶としか見る事ができないのかもしれない。


 それは我が身可愛さだ。しかしそれを卑怯と罵るのはどうあろうとお門違いだろう。特に自身は言わずもがなだ。



 ……やがて、食料などの取り引きを終えたレフィールに声を掛ける。




「レフィール……」



「……短い付き合いだったな、スイメイくん。無事にネルフェリアに着ける事を、ささかではあるが祈っているよ」



「…………」



 こんな時も笑顔か。寂しげな笑みを呉れる彼女に、それで良いのかとは言えなかった。彼女ならば「これで良いと」間違いも迷いもなく口にするだろうから。


 そして、向けられた背中。大剣を軽々と背負うその後ろ姿に、今はあの頼もしさは微塵もなく、年相応の少女が持つ儚げな背だけが、ただただ目に映るばかりだった。



 だから――



「おい、行くぞ」




 そう、だから――




「おい? 聞いてるか?」



 そう、これは、黎二たちの時とは違う。

 そう、これは、見捨てるということなのだ。

 あの、寂しげな背中を瞳を。

 誰も助ける者がいない孤独という奈落へと。



「……俺にも食糧をくれ」



 だから、いつの間にか自身はそう口にしていた。



「は?」



 怪訝な表情でこちらを見る冒険者、そして一同に、彼女を見たまま言い放った。



「俺は彼女についていく。世話になった」



「あ?」



 怪訝さを増した冒険者の声に次いで、ガレオが呆れたようにため息を吐いて、訊ねてくる。



「よろしいのですかな? 依頼を途中で投げ出すのなら、無論報酬の方もお支払いは致しませんよ?」




「いらん。ただ、食いモンや水は必要だから、今までの護衛の働きに見合う分の物は融通してくれ」



「……分かりました。ヤカギどのも、お達者で」



 瞑目したまま言うガレオ。引き留める時間を割くこともなく、別れは随分とあっさりしたものだった。いやドライでなければ勤まらないか。




「へ、なんだ結局――」



 ――パチン。



 それで、何かを言い掛けた冒険者は横合いに吹き飛んだ。下種の(さえず)りを、これ以上耳に入れるつもりはなかった。



 そして、心配そうな視線を向け、訊ねてくるあの戦士たち。



「おい、お前、いいのか……?」



「ああ。あんた達も気を付けてな」




 そう言って、水明はバッグに食糧を詰め込み始めたのだった。


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