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The sword of spirit





 ――どうやら、今ので終わりではなさそうだ。


 目を鋭く細めたレフィールの油断を排したその言葉で、第二の緊張は始まった。



 魔法使いの少女が、レフィールが指した方向に視線を向けながら、言う。



「た、確かにレフィールさんの言う通り、こっちに来ています! しかもさっきよりも多い……」



「本当か!?」




「くそっ、こっちにはさっきので負傷者もいるんだぞ? 数が足りねぇよ!」



 少女の言葉を聞き、護衛の冒険者や傭兵がそれぞれ松濤のようにざわめいた。

 もはや魔族との連戦は確定的だ。西側に感のある魔力場の気配がそれを如実に表しているし、しかも数が多い上、こちらには怪我人も出ているらしく、先刻よりもかなり分が悪くなっている。


 彼らに動揺が走るのも無理はないだろう。



 水明も遅れ馳せ、そちらの方向に感覚を研ぎ澄ます。目蓋を閉じ、不要な感覚を遮断すれば、魔術師の第六感が本領を発揮する。



(数は、十……いや、二十はいるな。言う通り、さっきよりも数が多い)


 今度も、先ほどと同じように、魔力場がこちらに向かってきていた。

 感じ取れる力の大きさはだいたい同じであるため、おそらくは今しがた倒した魔族と同種だろうが――



 水明が西の方を見る中、護衛達がそれぞれ声を上げる。



「……く、どうするんだ?」



「そんなの迎え撃つしかないだろうが! 逃げられないんだぞ!」



「おい! さっきの戦いで怪我をした奴は下がれ! 戦える奴はすぐ準備しろ!」



 怒号ばかりが飛ぶのは、焦燥が募るゆえだろう。もうまもなく接敵――戦いだ。

 先ほどの戦闘では彼らも余裕があったが、それは数に差があった故の事。数が同程度か少し多くなると、やはり危惧を抱くぐらい魔族の力は恐れられているらしい。もう、焦りと動揺が場を支配している。



 すると、今まで他の商人たちと共に身を隠していたのだろうガレオが、荷馬車の裏手から姿を現した。


 そして、忙しなく動く護衛達の中に入り、訊ねる。




「ま、まだ戦いは終わらないのですかな……?」



 上擦る問いを発する彼の顔色は、見るからに悪かった。非戦闘員である彼にとって、魔族は畏怖の対象以外の何者でもないだろうし、周囲の動きや会話から、まだ状況が終息していない事を察知したのだろう。

 護衛の内一人が、そんなガレオに答える。



「あ、ああもう少し待ってくれ。魔族がまだこっちに来ているらしい」



「な、なんと……それで私たちは大丈夫なのですか!?」



「……それが、話によるとさっきのよりも数が多いらしいんだ。こっちにはまだ治療の済んでない怪我人もいるし、今度は厳しい戦いになるかもしれん」



「そんな……では我らは魔族に殺されてしまうというのですか!?」



「いや、そうはならないよう力を尽くすつもりだが……」



「どうしたのです?」



「最悪、護衛が瓦解して逃げ出す奴も出るかもしれない」



「――!? ……そ、そうですな。それはそうでしょうな……」



「ああ、そうなって全滅する前に、あんたらも他の商人を連れて逃げるんだな」



 ガレオに小声で護衛の逃走を仄めかす冒険者。その表情は厳しく固い。確かに彼の言う通り、命には変えられないという事だ。

 金で雇われた者ばかりなら、命を惜しんで逃げ出す人間も出るだろう。

 それに、もしそうなった場合、予見した彼も逃げ出す腹積もりか。今の言葉にはそう言うニュアンスが多分に含まれていた。



 絶望にも似た苦渋を浮かべ、頭を抱えるガレオ。



「ネルフェリアに商売をしに行くだけだったのに、どうして魔族なんかが……」



 顔が先ほどにも増して青い。彼にとってはこの旅程、比較的安全な道中で、何も問題なく帝国に着く予定のものだったのだろう。それが、蓋を開ければこの有り様だ。



 どういう訳か魔族がいて、ただの商人と護衛の集まりにひっきりなしに襲ってくる。そんな訳の分からない状況に悩ませられる現状。



 その心中、察するにあまりある。



 と、ガレオが呻吟に悩まされるそんな時だった。この第二の危機にいち早く気付いたレフィールが、歩み出る。



 そして凛とした、頼もしい気を放ちながら、ガレオに声を掛けた。



「――心配しないで下さいガレオ殿。我らに向かってくる魔族は、私が一匹残らず倒します」



 すると、ガレオは顔を上げ。



「た、確かグラキス殿……でしたな。お言葉はとても頼もしいですが、あなたのような年端もいかぬ女性に魔族など……」



 口で言うほど簡単に倒せるものか……とでも言いたいか。言葉を濁したガレオ。その双眸に映るのは、たかが小娘と侮りに惑わされて歪んだ彼女が。

 彼は先ほどのレフィールの苛烈さも、奥で彼女が倒した魔族の事も知らないのだ。

 そう思うのも無理からぬ事かもしれないが……。




 そこで、先ほどの戦いの中、水明と言葉を交わした冒険者がずいと前に出てきて、自信を持って口にする。




「いや、大丈夫だ! レフィールは強いぜ! さっきもほとんどの魔族を一人で倒しちまったしな!」



「はい! それにレフィールさんはセミ・ジャイアントも真っ二つに出来る程の剣の腕前なんですよ! だから、魔族の事も大丈夫です」



 戦士風の冒険者に魔法使いの少女が便乗する。他の冒険者に比べ彼らに不安が少ないのは、一度レフィールと一緒に肩を並べたがためなのだろう。 そんな毛筋のシワほども不安を作らない彼らと、そしてレフィールに、ガレオは意外そうに視線を行ったり来たりさせる。



「そうなのですか……?」



「はい。ですので、何も心配する必要はありません」



 力強くはないが、しかしさらりと自信を覗かせ断言するレフィール。そこに全く弱気を見せないのは、ガレオを落ち着かせるためだろうか。

 いや、先ほど魔族を一人で倒してきた彼女に、魔族に対する引け目など塵芥(ちりあくた)もないのだろうが。


 それにしても――




「……すげぇ信頼ぶりだな」



 戦士や魔法使いは、何か眩しいものでも見るように彼女を見ている。それだけ、当時の戦いが印象強いものだったか。

 彼らを見ながら、そうささめくように感嘆を口にすると、レフィールは面映ゆそうに返す。



「……よ、止してくれスイメイくん。あの時は本当に少し張り切った程度だったんだ。それがどういう訳か」



「あんな風になったか。でも十分すごいって顔だぞあれは」



「……む、むう」



 追撃のように口にすれば、レフィールは照れて照れと。こそばゆかったらしく、顔に僅かに紅葉を散らしてそう中々に可愛く唸った。



 一方、戦士と魔法使い二人の説得もとい力説が終ったか、ガレオがレフィールの方に向き直る。

 そして、まだ半信半疑そうな雰囲気はあったが、咳払いを用いて出来うる限り体裁を調えた。



「……わかりました。あなたの活躍を期待しています」



「はい。ご期待に添えるよう力を尽くす所存です」



 そんな事務的な言葉にも、レフィールは謙虚に返した。



 そして、そんなやり取りが終わたのも束の間、レフィールは改まって水明の方を向く。



「スイメイくん」



「ん? どうした?」



 唐突に、一体何か。深刻さのにじみ出る呼び声に応じ、彼女の方に振り向いて訊ねると、生真面目そうな返事が来る。



「改めての話になるが、君は大丈夫か? もし先ほどの戦いで何かあったなら、無理せず下がった方がいい」



 その提案の出所は、魔術が効かなかった事への懸念からか。確かに“魔術師”として無難な選択をするのなら、ここは任せるのがいいだろうし、彼女や他の護衛達も、任せられた方がいいと思うだろう。



 だが数も多く、それで打ち止めとなる確証のない今、手を(こまね)いている訳にもいくまい。



「いや大丈夫」



「本当か?」



 と訊ねるレフィールに重ねるように冒険者が。



「おいお前、本当に大丈夫なのか? さっきは結構な回数魔法使ってたし、その疲れはないのかよ?」



「ああ。大丈夫、まだ余裕がありますから」





「余裕ねぇ……力の配分を過信してると、取り返しのつかない事になるぜ?」



「忠告、ありがたく受け取っておきます」



 素気無くも、しかし言葉は慇懃に。心配から出た言葉に食ってかかるわけにもいくまい。

 一応は形だけ、素直に頷いたのだが、得心がいかない冒険者が胡乱げな視線を向けてくる。

 そこで、レフィールが。



「だがスイメイくん。魔族に君の使う魔法が効きにくいというのは良いのか?」



「ああ、そこも何とかするさ」



「出来るのか?」




「俺の魔術はさっき使ったあれだけじゃない。さっきの“系統”が効かないんなら、効果のあるのを奴らの特徴から推理するか、もしくは当てができるまで数を試せばいいのさ」



 そう当ての根拠を肩を竦めて口にすると、レフィールは聞き覚えのない言い回しに眉をひそめて。



「……? 効く系統……? 属性、ではないのか?」



「あーそうだよな……ま、色々とあるのさ」



 頭の上に疑問符を浮かべているのが、いま明確に見てとれる。だが、そんな彼女が口にした問いを、適当な言葉でうやむやにした。

 そう、確かに魔族に魔術の通りは悪いようだが、決してそれが自身にとって致命的だという訳ではない。



 向こうの世界の魔術には、“系統”という魔術の流派を大別する分類が存在する。



それは向こうの世界の魔術の源流が、単一ではないという証左だ。

 魔術、魔術師と聞けばファンタジー世界がその最高峰と思うことなかれ。科学の蔓延る向こうの世界も、改めて数えれば恐ろしいほどの神秘がある。



 カバラ、星占術、呪術、有名どころを挙げれば錬金術、ウィッチクラフトと呼ばれる魔女術から、集合魔術体系である陰陽道、枝分かれの激しい密教、大陸最大規模の魔術系統である、仙術。



 確認されているだけでもその数は、三十を超えるのだ。



 その中から、細かく属性、系列、効果などを分ければ、また膨大な数になる。



 つまるところ、向こうの世界にはそれほど神秘あるのだ。


会得していない魔術や、現状使えるもの使えないものは別にして、その中には必ず、魔族に効果のある魔術もあるだろう。


 エクソシズム、聖なる魔術。当たりを列挙すれば、そんなところか。

 それに、魔族に対して効果が薄いからと言って決してこちらの魔術が見劣りするようなものではないし、試し尽くして効果が無いのならば先ほどのように力押しに訴えるのみ。



 ――そう、十も二十もくるならば、同じ数だけ撃てばいい。ただ、それだけの話。



 そうなるとどちらかと言えばこちらの危惧は、全力を出さなければならない可能性があることだろう。



 だが、背に腹は変えられまい。



(魔力炉の起動は、いざとなった時のために必要だな。事前にやれる事は全て、やっておくべきか)



 そう危機というなら、臨むは全力をもってしてだ。出し惜しんで自らを窮地に追い込むなど、ここでは間違いなく後悔を呼ぶことになるだろう。

 そんな愚挙はおこすまい。

 そんな風に考えていると。



「さっきもそうだったが、落ち着いているなスイメイくんは。こんな状況になれば、他の護衛と同じようになるのが普通だと言うのに」




「それはあの二人も言えることなんじゃないか?」


 レフィールの言葉に、軽く顎をしゃくると。



「君と彼らのは違う。君からは彼らと違って不安が微塵も漂ってこない」



「そうかな? やせ我慢かもしれないぜ?」




「ぬけぬけとよく言う」


 白々しさが憎らしい。そんな言葉に、今度は真面目に返答する。



「――まあ、取り乱したってどうにかなる訳でもないし」



「では、こういう危険は以前にも?」



「ぼちぼちね。これでも命を諦めそうになる修羅場は、何度かくぐってるつもりだよ」



「それは?」



「内緒だ」



 そう、のらくらと答えると、レフィールはやれやれと、しかし快さそうな息を吐いた。



「君は変わった人間だ。たいがい話には乗ってくるのに、肝心な手の内は決して見せない」



「そういう生き物なんだよ。魔法使いだからな」



「あんまりそんなのだと化けの皮を剥ぎたくなるぞ?」



「――へぇ、どうやって?」



「ふ、私は昔から剣しか……」



「うっふ、うへぇ……レフィールさんはコエーこって」




 と、にやりと不敵に笑うレフィール。先ほどの意趣返しか。そんな冗談を言い合っていると、心配そうにガレオが。



「……グラキス殿。他の方のように準備をしなくてもよろしいのですか?」



「ええ、私にはこれがありますので。この剣一本有れば、十分です」



「ヤカギ殿、あなたは回復魔法の使い手として選ばさせて頂いたのですから、無理はなさらなくてもよいのですよ?」



 ガレオがこちらにも気を遣ってくる。それに、水明は後ろ頭をポリポリ掻いて。




「お気遣いありがとうございます。ですが、心配しなくても大丈夫ですよ」



「しかし……」



「治療が必要な時は下がりますし、無理はしません。俺も本分を越える事をするつもりはありませんよ」



「……分かりました。あなたもお気をつけて」



 ガレオは生真面目な表情でそう返す。

 ……些かの取り乱しはあったが、それでもキャラバンのリーダー。都市を股にかける商人だけの事はあって、案外しっかりしているようだった。


「――さて、そろそろかな」



「のようだ」



「……?」



 だしぬけに発した抽象的過ぎる言葉に、一も二もなく同意したレフィールは、重そうな剣を片手で回転させ持ち直す。

 そんな、短かすぎて不明瞭なやり取りに、ガレオが首を傾げていると、魔法使いの少女が全体に叫んだ。



「皆さん! そろそろ来ます!」



 風と、それ以外の要因に、木々がざわめく。合わせて、高まる場の緊張。


 そんな開戦の雰囲気を察せずおろおろ。右往左往するガレオに、冒険者が叫ぶ。



「おい、ガレオさん! あんたは後ろに下がれ! 戦いが始まる!」



「は、はいっ! ではよろしく頼みましたぞ!」


 と、おたついていたガレオは応じるや否や、冒険者の言葉に弾かれたかのような勢いで、脱兎さながら後ろに下がる。



 そして、護衛達が迎撃の準備を終え、それぞれの位置に着く。

 そんな中、レフィールがそれを破って前に歩み出した。



 まさかまた、一人で戦おうと言うのではあるまいか。



「おい、レフィール」




「心配するな。今度はこの場で戦うつもりだ。スイメイくん、君は必要であれば援護を頼む」




「それは構わないが、周りとの連携はどうするんだ?」




「それはな――」




 再びのスタンドプレーか。そんな推測にこちらが戸惑っていると、レフィールは全員を見渡せるような位置に行き、くるりと振り返る。



 そして、これ見よがしに地面に大剣を突き刺した。

 音波と、そして目に見えない何らかの波が、護衛たちを注目させる。



 そして。



「……私が前に出る!! みんなは圏内から外れた魔族を撃破してくれ!!」



 数の多さに焦り、萎縮している護衛達を鼓舞するように声を張り上げたレフィール。力強い声が衝撃波の拡散が如く鳴り渡る。

 その雷声、ならびに気概は堂に入ったもので、一軍の将と見劣りするものではないだろう。



 応じる声は上がらない。悪い空気を払拭せんとするそれに、誰も応える事は無かった。

 だがしかし、それは小娘のクセに生意気だという類いの沈黙ではない。


 突飛で、呼応する要素は全くないはずなのに、周囲はそれに感化されているらしく、不思議と場にあった浮き足だった雰囲気がなくなって、よい緊張が高まった感じがした。



 ……そういう才が彼女にはあるのか。まさにそれは、カリスマと呼ばれるもの。

 そんなレフィールの意外な能力を目の当たりにしたあと直ぐに、彼女が西へ振り向いた。

 それと同期して、木々の中から現れたのは無論、ヤツら。



 獰猛かつ、耳障りな声が辺りに響く。



「き、来たぞ!」



 誰かの声。

 魔族は空を駆けるその勢いを保ったまま、一斉に襲い掛かってくる。



 突然、それに合わせるように、レフィールが地を蹴り、駆け出し、加速し、そして跳んだ。



「はぁああああっ!!」


 ――他の護衛が声を上げる間もない。



 いつしかレフィールは一等先へ。

 そして閃く、彼女の身の丈を優に超える大剣。そのリーチと力のこもった振り抜きで、向かってきた内の三体の魔族が一気に斬り飛ばされた。



 着地、そして対峙する魔族とレフィール。



 先手で、出足を挫いた。

 これは、護衛や魔族どちらにもこの上ない、ファーストインプレッションだった。



 護衛達の間から「おお!」と、驚きと歓喜の入り交じったどよめきが走り、後ろにいるガレオや様子を窺っている幾人かの商人達は、興奮の声を上げている。



 ――と、レフィールがこの上ない先手を切ったその時だった。




「――!?」



 上空から、魔力の気配が降ってきたのは。



 それに気付いた何人かが、空を仰ぐ。



「上からきます!」



 鳴り渡る魔法使いの声。魔族の、遅れたタイミングでの真上からの奇襲だった。

 となるとこれは、最初の部隊にこちらの一部を寄せさせて、上からの奇襲でバラけさせる策。



(混戦狙いか! ち、寄せ集めじゃあ立て直せなくなるぞ……)



 見上げながらに、苦虫を噛み潰した。混戦に持ち込まれれば、最悪だ。魔法使いや弓使いは戦いにくくなり、一度敵味方入り交じった戦いになれば、恐らく最後までそのままだろう。

 訓練された軍隊のように、その場に対応したマニュアルを“全員が共有している”なら話は変わるが――。


 これはまずいか。

 そう、水明が魔術を発動しようとした――それはそのみぎりだった。



「ならば……」



 レフィールが、そう静かに冷たく呟いたのは。


 そして、その言葉に追随したのは、現象。



「な――!?」



 何をしたのか。

 突如としてレフィールの周りに赤い光りが煌めいた。

 そう、俗に言うオーラが外界に溢れたように、闇を開くようなただただ玲瓏たる輝きが、赤い少女を真紅へと湛え始める。


 合わせて、膨れ上がる魔力でもない何かしらの強い力。

 それが身体を、剣を、辺りの空気を輝かせ、そして――



「――はっ!!」




 斬った。空を、それこそ薙ぎ払うように。


 剣の長さでは敵へは届かぬ、ただ空を斬るだけの(つたな)い一撃あたかも。しかし弧を描く斬撃は、赤く巨大な煌めきの斬線の軌跡を引いて、上から舞い落ちる魔族たちを一刀の元に切り払った。


 そしてレフィールは、間断なく大剣を動かす。次の斬撃への予備動作である翻りが凪ぎを断ち、突風を呼んだのも束の間、前方に展開する魔族に向かって周囲を斬るような竜巻めいた斬撃を見舞った。



 斬撃の及ぼすところを予見できなかった数体の魔族。彼らにとっては吹いただけで死を免れぬ魔風が如くか。 一息で物言わぬ屍へと成り果てる。



「な……?」



 知らず上がった、驚きの声。

 あっと言う間。そんな言葉が脳裡をよぎるほど、一方的で圧倒的だった。

 それを実現させたのは言うまでもなく、あの赤い煌めきだろう。



「おい待てよあれって……!」



 あれは、そうあれの正体は、自身の知識では物質世界にあるはずのないものに該当する。

 通常、何らかの干渉が働かなければ、決して存在が有り得ないものなのだ、あれは。



 ――と、こちらとは違う意味で、同じくレフィールの動き追随できず、事の次第を見ているがままだった魔法使いと戦士が歓声を上げる。



「すごい!」



「おい、見たかよ!? レフィールの奴はこの前もあれでデカイ魔物をぶった斬ってたんだぜ!?」



「……あれでか? レフィールは前も同じ事をしてたのか?」



「あ? ああ、そうだが……どうした?」



 冒険者は愕然と訊ねたこちらに対し、眉をひそめる。彼はおそらく、驚き過ぎか、場違いと思ったに違いない。

 ……デカイ魔物とは、つまり話にあった巨人種だろう。それを倒したのにも、あの力があったからか。ならば合点がいく。いや、そもあんな力を使えば大抵の敵など簡単に倒してしまえるだろう。


 あんな風に。



「……あの、どうかしたんですか? 何か悪い事でも?」



「い、いや。そんな事は全くないんだが……」



 驚きが強すぎて、思考や身体が上手く働かないだけだ。恐るべき事だが。恐るべき事なのだが。

 そんな自身を尻目に、冒険者の戦士は思い出したように仲間に号令を掛ける。



「おっと、こうしちゃいれねぇ! 俺たちも援護するぞ!」



「はい!」



 追って上がる、応じの声。彼らのパーティーとそれに加えて、周囲の冒険者や傭兵も呼応する。


 その間も、レフィールはあの赤く清浄な煌めきをまとい、魔族を一気呵成に斬り飛ばしていた。


「…………」



 それに対比して、水明はほとんど棒立ちの状態だった。まるで、動いていない。

 だがこの場合、棒立ちだろうが構わないだろう。

 レフィールが最初、援護が必要なら頼むと言ったが、そんなもの全く必要がなかった。



 その答えが、彼女を包む、あの赤い煌めきだ。 彼女が発するあの力、向こうの世界では、スピリット、テレズマ、精霊の力と呼ばれる類いの力である。

 それらは魔力やエーテリックなどとはまた違うもので、その源にいわゆる天使や悪魔などの精霊が関わる力であり、行使したそれは、人間の運動が起こす力を飛び越えて、高次的な力に分類される。



 ――しかし高次と、一口に言っても、分かりにくいだろう。ここで表す高い低いの違いは威力の大小ではなく、干渉できるものかできないものかを判別する物差しだ。



 無論威力の強さを否定するものではない。だが――大雑把に言えば、物理的な力では干渉できないものが、攻撃できたり、攻撃を受け付けなかったりするのだ。これは、そんな出鱈目な力。



 魔術も方向性は違うが、高度なものは高次的なものと分類され、術者の能力に依存する。

 だが、スピリットはそのままの状態で高い位階にある力なのである。



 そう完全に、あれは――



(精霊化している? だがレフィールは人間だし……いやまて、そうじゃなくて元々彼女の肉体や精神が精霊寄りなのか――?)


 あの状態。精霊の力を借り受けているのではなく、どう見てもレフィール自体が精霊の力を発しているようにしか見えない。

 そこが、自身が驚きから戻れない所以なのだ。



 向こうの魔術知識では、精霊が物質世界――つまり生物が存在している世界に現界している状態というのはまずあり得ない事なのだ。



 確かに向こうの世界でも、昔は存在していたらしい。神話や伝承などの文献でそれらは確かに居たものだと伝えられている。

 しかし現在、悪魔、天使、精霊それら一括りに精霊と呼ばれる存在や神、邪神などは、科学文明が発展するにつれて、あちらの世界では“存在のソース”の大半を人間に奪われてしまい、古の時代のように名前の付いたものは一柱も存在せず、世界の外側に“それと同じような力を持った似たようなもの”が。もしくは名前を持つ例外として、支配者か外なる神しか存在しない。


 そして、それらの力を使うにも、その一端でさえ特殊な技術を用いて交信し、契約してやっと少しだけ現界させる事ができるものなのだ。



 故に、その力を目の前で、何の制限もなく自分の力として行使しているから、こちらの驚きも甚だしい。



 考察するに彼女の場合、確固として人間の姿を持っているため、半分人間で半分精霊という、かなり変わったケースなのだろう。

 ……いや、無茶苦茶な推量なのは分かってはいるが、されど。

 こんな事が何の問題もなしに存在しているとは、さすが異界の理、ファンタジーというべきか。


 だが――



「いくらなんでも存在自体スピリットとかチート過ぎるだろ……」




 驚きを通り越して、半ば呆れてしまう。

 この世の神秘を探求する自身がそんな状態に陥っているのだ。それだけ、目の前の状況はとんでもないことなのである。



「この程度かっ!!」



 魔族の大半を吹き飛ばして、レフィールが吼える。攻めの意気をここで一気に刈り取るつもりか。

 一方魔族は、戦意は失わぬものの攻め手に躊躇が見え始めた。



「よし! レフィールに続け! このまま倒しちまうぞ!」



 それを目の当たりにした護衛達は、戦士の号令と共に(とき)の声を上げた。



 優勢。誰が見てもこちらの勝ちと手放しで言えるようなそんな状況。

 あと数体斬り倒せば、今度こそ戦いから解放される。



 そんな時だった。



「ま、待て! 何か来るぞ! すごい勢いだ!」


 魔力の移動を感知したのか、誰かが焦りに叫ぶ。それに次いで、魔法使いの少女が驚愕しつつ、注意を促す声を上げた。



「な、なにこれ!? 大きい! 皆さん気を付けて下さい! 巨大な魔力の気配が飛んできます!」



 今いる魔族達の背後、その奥から響く、暴力的な音。まるで力任せに重量物をぶっ飛ばしているようなそんな破壊の音が、段々と近付いてくる。


 危険な気配だ。魔力も感じられる存在の大きさも、今までの比ではない。



(っ、勘弁してくれよ。穏便に終わりそうだったのに……)



 くそ、と心の中で毒づきつつ、ここに来て未だないほど濃密な危うさに苦味を感じていると、レフィールが顔だけ振り向いた。



「全員下がれ! もうじき来るぞ!」




 そして、その直後。こちらの勝利を脅かすそれが、木々をなぎ倒し叩き折り吹き飛ばして、戦いの場に現れた。



 轟音を先行させ、地を揺るがし、さながら大地を殴り付けるが如く眼前へと落着した魔族、それは――




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