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接敵するは……

長くなったため、分割。次話更新は、できたら明後日くらいに。




 水明達の同行する商隊が王都メテールを離れてより数日。

 旅程は穏やかであり順風満帆。野盗や魔物、旅の足に直接響くような規模の大きな雨にも見舞われることなく、街道沿いにある小さな村や宿場の世話になりながら、進んでいた。



 難があったと言えば、食事の質くらいのものだったが、それは元より予想していた事なので取り立てて挙げるべきものでもないか。



 そして道のりの間にった難関である山越えも無事に果たした水明達は、まだ少し険しい道の半ばにあった。

 商隊の人間の話では、クラント市まであと全体の三分の一程度の距離。裾野と盆地を抜ければ、クラント市まですぐらしい。



 ――だが、世界が変わっても、その根本は同じらしい。どうやらこちらの世界も向こうと同じく、変わり目と言うものは往々にしてそう簡単には過ごさせてくれないようだった。



 裾野を下りきったあとの林の中。

 木々の密集度合いも疎らであり、普段なら晴れ間のように木漏れ日が射すような場所なのだが、今は曇り空なためどんよりと重苦しい雰囲気。

 灰がかった情景は、気持ち見通しは良くない。



 そんな状況下で、まさに狙ったと言わんばかりに、剣呑な気配が辺りから漂ってきていた。



 ……隣を歩くレフィールが声を掛けてくる。




「……スイメイくん。気付いているか?」



「まあ、一応」



 と、口にできるくらいは、自身とて周囲の気配を感じる機微はあった。

 そう、裾野を下り、この林に入った辺りから、首筋が良からぬ予感に炙られている。そして、魔力を臨戦状態まで高めた時に発生する魔力場が、剥き出しの状態で存在している。

 否、それは正しくないか。正確には、その力場が近付いて来ているのだ。



 察するに、完全に魔力を持つ何らかが、こちらに対して仕掛けてくるような気配なのだが……。



 横合いへの警戒を解かぬまま、レフィールに訊ねる。



「……なあ、これは魔物なのか? どうも人間のような感じはしないんだが……」



 そんな疑問の出所は、いま感じている魔力の動きのみだが、それの挙動があまりに人間の動きと違い過ぎていた。



 すると、レフィールには思い当たるものがあったらしく。



「いや、これは魔物じゃあない。魔族だ」



「む……」



 ここでその名称が出てくるか。旅立つ前にもそんな話は出たが、やはり関連があったのかもしれない。



 しかし。



「……今の、ずいぶんと断定的な物言いだったが、魔族かもしれないじゃないのか?」



「ああ」



「何故?」



「奴らの事は良く知っているからね。間違いないよ」



「……そうなのか?」




「……ああ」




 重ねて問うと、何かしら思うのか、さっきよりもぎこちない返事をするレフィール。


 そんな風に先ほどから些か剣呑さが増している彼女がそう口にしたそのすぐあと、この追随してくるような気配に他にも気付いた者がいたか、商隊の動きが急に止まった。



 そして間もなく、前方から足音に気を付けながら駆けてくる戦士然とした風体の冒険者。顔色に苦みが滲み出、芳しくないのは状況を察知しているが故か。


 こちらに向かって手を挙げた。




「おい――」



 と、そんな発するや否やの声がけの段階で、レフィールが首肯する。



「ああ、気付いている」


「え――? お、そ、そうなのか?」




「ああ」



 レフィールが二言で肯定すると、手間が省けたと言わんばかりに早速本題を口にする冒険者。



「――なら話は早えな。魔法使いの見立てだと、近付いてきてるのは魔物らしい。それで、ガレオさんの意向でここで迎え撃つ事になった」



 ……どうやらレフィールと違い、彼らは気配の正体を魔物だと認識しているらしい。

 何れにせよ、向かってきている時点で知れることだろうが。



 しかし、それとは別に冒険者の言葉に疑問が湧く。



「ここで迎え撃つ?」



「ああ、そうだが? 護衛が戦うのになにか問題でもあるか?」



「いえ、それは良いですけど、商人の方達はどうするんです?」



 訝しげに訊ねてきた冒険者に訊ねる。そう、疑問はそれだった。

 護衛で来たゆえ、当然戦闘は構わない。

 だが、問題はそうなった場合の自分達が守る商人たちの扱いだ。



 普通に考えれば、非戦闘員である彼らは戦いには巻き込めないため、一時安全な場所に退避してもらう事になる。適当、適切を考えればだが、そうなった場合、この辺りでは一体どこに動かすのが最善なのか。

 裾野を下りたばかりの林の中。地面は緩やかだが道はまだ荒れていて、身を隠すにも隠れ易い場所が然程ない。



 その辺を鑑みれば、どうするのか。それを含め、今度はレフィールが問い掛ける。



「もしや、先に行かせて要撃という算段か?」



「いや、そうじゃない」


「なら、林の奥にでも行かせるんですか?」



「それも違うんだ」



「……?」



 冒険者はどちらの答えにも頷かない。

 策としては、レフィールの言う通り要撃――つまり足を止めての迎撃、待ち伏せが現時点でベストのはずだが。


 その疑問は固い面持ちの冒険者の言葉によって、氷解した。



「……どうやら俺達の前方にも魔物はいるらしい。これで横合いにもいるなら、後ろにもいるかもしれないし、最悪もう取り囲まれている可能性もある。それなら下手に商人たちを動かすよりは、見える範囲に集めて迎え撃った方が良いだろう……そういう判断だそうだ」



 なるほど。行く手にもいるならば、守りの一手しかないか。納得はいく。


 すると、レフィールが。



「攻め役は?」




「ん? いや、いないが……?」



「何故だ? 囲まれてるという憶測があるなら、それを踏まえて陣を食い破る必要があるはずだろう?




「は? べ、別に俺たちは強攻突破する訳じゃない。守りを硬くすれば魔物くらいどうという事はないだろ?」



「……そうか」



 冒険者の反論に、レフィールは大人しく引き下がる。あっさり退いたのは不毛な論争を避けた故か。しかし、どこか失意の混じった声に聞こえた気もした。



(囲いと突破ね……)



 ふと、そんな場面を思い描く。囲みを崩す最善手と言えば一点突破だ。囲まれたまま迎撃するのはそもそもが相手の思惑通りなのだから、効果の有無に関わらずまず相手側の策を打ち破るために、必ずその手が使われる。



 今回の場合、強攻突破をするにしろしないにしろ、遊撃部隊が包囲を食い破って自由になれば、陣形を崩しやすくできるという事だ。

 レフィールの考えとしては、それを含めた提案なのだろう。



 ……効果的だが、しかしそれにはそれだけ人手があればという前提が必要になる。

 無い袖は振れないとの言葉がある通り、十分な守りを確保できなければ攻めを考える事はできない。



「話はもういいな。じゃあ俺は持ち場へ戻る。アンタ達は荷を頼んだぞ」

 そして、話すことは話したと、踵を返し去ろうとする冒険者。

 そんな彼をレフィールが引き留める。



「一つ良いだろうか?」


「……どうした?」



「前から来るのについては分からないが、横合いから来るのは魔物ではなく魔族だ。その旨、ガレオ殿にも伝えておいてくれ」




「は? アンタ、どうしてそんな事が分かる?」



「経験則だ。これは魔物の気配じゃない」



 その断言に冒険者は訝しげに小さく唸る。

 そして、眇めるような視線をしばし呉れたあと。



「……わかった。一応そうかもしれないと呼び掛けておく」



 冒険者はそう無難な返事をすると、今度こそ、と足早に離れて行った。



 去り行く彼を見送って、水明はため息を吐くようにひとりごちる。



「……魔族とかと戦うのは御免だからって、付いてかなかったんだけどなぁ」



 思い出すのはキャメリアでの選択だ。あれは無理に未知の敵と戦わず、無謀な戦いを避けるという、安全に向こうの世界に帰る手段を見つけるための別れだった。



 だが、結局は戦う羽目になるとは。

 魔族なのかどうなのかはまだ判然としないが、そうだとすればこれ以上の皮肉はないのではないか。運命からは逃れられないのだと、こちらの行く手を邪魔されているかのように何かしらの見えない悪意を感じる。


 呟きの端っこでも聞こえたか。



「どうかしたのか?」



「いや。旅行くらい、平穏無事に過ごさせて欲しいってさ」



 すると、レフィールは。



「スイメイくん。旅は危険が付き物だ。都合よくは進まない。それに今のご時世だからな、こういう事は必ずあると心掛けていた方がいい」



「……嫌になるくらい物騒だ。どこもかしこも」



「それを振り払うために、私たちがいるんだろう?」



「確かにな。そういう依頼受けたんだもんな」




 レフィールの問いに、全くその通りだと素直に言葉を認めると、彼女はふっと不敵に笑みを浮かべた。

 戦いに赴く前に、戦友に掛けるようなそんな笑みを。



 そんな僅かな会話の幕間が終わると、彼女は背中の得物を取り、その包みを慣れた手つきで解いていく。



 そこから現れたのは長大な剣だった。

 長さは切っ先から柄頭まで目測百八十センチ。柄は湾曲を引いた三角形の巨大な鍔に保護されており、それと一体になった刀身は十五センチ近い幅を持つ。ツヴァイハンダーの長さとクレイモアの広刃を足したような型だが、西洋風、和風、中華風、そのどれともつかないまさに異世界風の作りで、華美に走らず、しかし美しい赤と銀。


 それを片手で軽々と振り回して、刀身に曇天から射す僅かな陽光を滑らせる。振り回した力の出所は何なのか、どういう所業なのか、それは分からないが剣を持つ手は慣れたもの。



 そしてレフィールは、どうしてかそのまま横合いへ――魔族らしきが詰めてきている方向へ、歩き出す。



 こんな大きな得物だ。戦うため、商隊と多少距離を取るのか。

 しかしこちらのそんな予測とは裏腹に、彼女はそのままずんずんと離れていく。



「お、おい、レフィール?」



「――スイメイくん。すまないが、私は先手をとるためここで仕掛けに行く事にする」



「行くってそんな、……勝手にやって良いのか? まだ奴らとは距離があるし、それならせめてガレオさんとかと相談してからの方がいいんじゃないか?」



 そう提案すると、レフィールは瞑目しながら首を横に振った。



「いや、周りを見ろ」



 その言葉と視線を追って、こちらも周囲に目を向ける。

 そこには、危うい事態に忙しなく動く商人や護衛の姿があった。



「……?」



「他の冒険者や傭兵達は完全に守りに入るつもりだ。それは分かるな?」



「ああ、だろうよ。さっきそう言ってたしな」




「それではダメだ」




「む……」



 商隊の取ろうとする策を根元から要らぬと腐す、それは唐突な否定だった。

 そんな物言いに、先ほどのレフィールの案が思い浮かぶ。



「……それは、魔族とやらを食い破るかどうかの話か」




「そうだ」



 そう頷いたレフィールは、合間も置かず直ぐ口にする。



「魔族というのは、奪い、壊し、殺すのを正道とする生き物だ。それ故総じて攻めの観念が強く、こちらが防御の体勢に入れば必ず勢いづく。奴らをどうにかしたいのなら、守りに徹しては駄目なんだ」



「駄目って、そりゃあ守りの危うさは俺だって承知の上だ。だけど、飛び込むのが良いかってもそうじゃない。守りに危うさがあるように、攻めにだって危うさはあるだろ? 囲われているのを想定して動くのは俺も良いとは思うが、道理が通るからって言ってそれが最善になる訳でもない」



 先走りを抑えろと今はそう訴える。レフィールが拘るのは突破する策だ。それは先ほど冒険者が難色を示した通り、数がいなければ元より成り立たない話である。

 確かに異世界出身の自身には魔族という未知の相手と寄せ集めの護衛の戦いは予想がつかないため、どこにどれだけ数を回せばいいかという的確な見通しはない。


 判断は素人意見なのかもしれないがしかし、今レフィールが行おうとしている事はそれ以前の問題である。



 だが、レフィールは否定的で。



「だから、守りに徹しろと? それは悪手だ」



「違う。いくらなんでもレフィール一人で切り込むのはないだろって話だ」



 そう、彼女の実力を舐めている訳ではない。

 だが、詳しく知らないのもまた事実。自身は魔術師ゆえ、剣士の強さを一目で計れるような剣士の目を持ち合わせいないのだ。

 実力も分からない。敵の規模も強さも分からない。ないないだらけなのだから、落ち着いてくれと言いたくもなる。


 すると、レフィールはこちらの気持ちが分かったか頷いた――のだが。



「確かに君の言い分は尤もだ。だが、私は言ったはずだ。奴らの事はよく分かっていると。今更実力を見誤るような相手ではないし、それに――」



「それに?」



 そんな合いの手を入れた瞬間だった。

 降って湧いたどす黒い気配に、一瞬総毛立った。



「……それでは奴らを一匹残らず倒せない」




 ――凛とした美貌に一瞬翳りがさしたのは、曇り空のせいでは決してない。いま露になった面差しは、正しきを胸に持つ剣士の暗い側面。

 いつしか陰影に身をひそめていない方の片目は怒りや憎しみに赤く輝き、ここにいない仇敵を貫く切っ先へと変わっていた。



 ……まただ。何があるのか。魔族という存在は彼女にとってそれほどの因縁を持つのか。




「……連中はそんな、どうしょうもない手合いなのか?」



「そうだ。あれは悪だ。生まれてより死ぬまで決して正になどなり得ない悪なんだ。弱者をいたぶり、悲哀を笑い、絶望を肴にする救いのない生き物。だから斬らねばならない。私が全て」



「…………」



 暗い決意の言葉が、こちらの反論を叩き潰す。

 何時だったか、魔族は容赦などないと聞いた覚えがある。北方の国を一つ落とし、捕虜の一人も作らず、そこにいたほとんどの人間の命を踏みにじったと。



「そう言う事だ」



「お、おい」



 そう慌てて呼び止めると一転、レフィールは暗い雰囲気にしてしまったことを詫びるかのように、朗らかに笑って。



「ありがとうスイメイくん。だが、私の事は心配しなくていい。君は言われた通り荷を頼む。ではな」



 再度呼び止める間もなく、彼女は林の中を行ってしまった。

 一人で向かう事が出来るのは経験則に裏付けされた自信があるからなのか。

 その判断の正否を今は言うまい。出来るにしろ出来ないにしろ、どのみち結果論にしかなりはしないのだから。



(……速えな)



 だが、あの動きを見る限り、大丈夫という気持ちの方が大きい。悪い足場、重量物、速さ、それを加味してなお狂わない体幹の均整さ。滅多事では負けないだろう。




 ……レフィールが視界から消える。彼女が切り込むのを見た他の人間が、困惑や怒りに少し騒がしかったが、それも僅かばかりの時間だった。



「来るぞ!」



 木々の不自然な揺れと魔力の気配に、冒険者の一人が声を上げる。


 そして、こちらを追い詰めんとしているその存在が、ついに姿を現した。



「ま、魔族だ……魔族だっ!」



 誰かが、叫んだ。それと同時に、どよめきが走る。



「こいつらが……」




 魔族。

 自身がこの世界に連れてこられる事になった原因の一つ。




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