さすれば、魔術師として
フェルメニアとの話を終え、夜も更けた頃。キャメリアの謁見の間にて、国王は扉の開く音を聞いた。
入って来たのはスイメイ・ヤカギ。勇者レイジの友人で、フェルメニア曰く向こうの世界の魔法使いである。
一見して平凡そうにしか見えない少年は、扉の前で一礼して、こちらに向かってゆったりと歩いてくる。
まとう雰囲気は初めて謁見の間に訪れた時となんら変わりないが、しかし以前ここで見た服装といま彼が身に付けている服は違っており、それは黒一色ながらその出で立ちはどこか洗練されたもの感じさせる逸品だった。
このような場はあまり慣れていないためか、些かぎこちなく跪くスイメイ。
「使いの方に伺い、参上いたしました」
「夜分の召喚、あい済まぬ。初めに礼を取らせておいてすまぬが、今日は私とそなたの二人だけしかいない。そう畏まらず楽にして欲しい」
「…………」
「いかがなされた?」
「……は」
訊ねると、少しの間のあと、スイメイは了解の意を短く表して
その表情はまだ僅かに固い。
そんな彼に、すぐさま本題とは行かずその容姿の事を訊ねてみる。
「スイメイ殿。その服はいかがなされた? 見慣れぬ格好だが」
「はい、あちらの世界から持ってきた服です。手持ちだった手提げの鞄に入れていたので、こちらに持ってこれた数少ない私物となっています」
「勇者殿と揃いの服とは、また違う趣がある」
「あちらの世界では正装として扱われている衣服の一つです。このような場には誂え向きの格好かと」
スイメイの言葉を聞き、もう一度彼の衣服に視線を向ける。黒い衣服にはシワの一つもなく、首から垂らした飾り布が中に着た白と外に着た黒と相俟って、得も言われぬ趣を醸し出していた。
「うむ。よく似合っている」
「ありがとうございます」
スイメイはそう口にしてから、跪いたまま器用に、何やら服の襟を正し、袖の間隔を直して、居住まいを整える。その仕草に、一瞬今まであったぎこちなさが消えたような気がしたが束の間、何を思ったか唐突に頭を下げた。
「遅ればせながら、先日はお見苦しいところを見せ、申し訳ございません」
畏まっての謝意。
――そう、それはあの英傑召喚を行った日にあった事の謝罪であった。あの日、スイメイは戻れぬと自身の口から聞き、大いに取り乱した。それは、至極当たり前の反応だろう。
聞いた瞬間、俄に立ち上がり、ふざけるな、有り得ないと、戻せないのに呼ぶな、と。こちらにとって最も痛い言葉をぶつけてきたのだ。
それに対し周囲の者はあまりに不遜な態度だと激昂したが、事情が事情。自身がとりなして、その場は収めたが、まさか後になって謝罪を受ける事になるとは思ってもみなかった。
「あ、いや、うむ。良いのだ。そなたの気持ちも尤もなもの。一方的にそなた達を呼び出しておいて、そのうえ戻せぬと言ったのだ。そなたが謝罪を申す謂れは一切ない。どうか頭を上げてほしい」
「では……」
正直に罪はないと口にすると、再び面を上げるスイメイ。表情から見るに、彼もあの場で騒いだ事についてはどちらが悪いのかは関係なしに、気にしていたのだろう。表情にバツの悪さが浮いている。
そして前回の件の話を終えると、スイメイの方から話を切り出してきた。
「俺と二人だけで話がしたい、との事でしたが……」
「うむ。どうしてもスイメイ殿に聞いて置かなければならない事があってな」
「……はあ」
聞こえたのは、困ったような声。血の巡りの悪そうな困惑顔は、それは果たして本物なのか。
「フェルメニアの件について、スイメイ殿にお訊きしたい事がある」
「フェルメニア……さんですか? 確か黎二や水樹に魔法を教えてくれている方だったと聞き及んでいますが、その方が何か?」
「いや、あの者が以前、部屋を出歩き城をうろつくそなたを見たと言っていてな」
かかわり合いの薄い相手だと白々しく言うスイメイに、前にフェルメニアから聞いた話を持ち出す。
すると、彼はまずいところでも見られた時のように、弱ったような苦笑いを見せた。
「あ、あはは……。城の中を見て回るのは自由だと伺っていましたので、気晴らしに出歩いていたのですが、何か不都合でもありましたか?」
「うむ。それについては何も問題はない。私がそう下命したからな。無論、その事でそなたに罰を与えるという話でもない」
「では、一体?」
「いや、な」
「?」
スイメイの顔は戸惑いの顔だ。だが実際、その表情は真意ではあるまい。フェルメニアの名前を出したのだ。それでも何も言い出さないのは、こちらの訊ねの意味するところに気付いていてなお、とぼけに掛かっているのだろう。
思えば呼んだ時もそう。呼び出しが掛かった時点で、懸念くらいはしているはずだ。自分がスイメイならばそれなりの用意もするだろう。具体的には、実力を持っての脅しかけ。こちらにはフェルメニアを倒した魔法使いを御する術はないのだ。簡単だろう。
しかし、この期に及んでも彼がそこまでしないのは恐らく、見てみぬ振りをすれば穏便に終わるのだと言うことを、暗に自分に示唆しているのだ。
危険は承知。だがそれでも、自分は踏み込まなければならない。
「そなた、フェルメニアに一体何をした?」
「何を、とはよく意味が分かりませんが」
「スイメイ殿。そなたが知らないはずはないであろう? 正直に――」
「失礼ながら、その先を口にして本当によろしいので?」
言い掛けた折り、スイメイはこちらの声に被せるように、今までとはまるで違う鋭い声音でそんな諫言を浴びせてきた。
警告に息を飲む。しかし――
「スイメイ殿。私は聞きたいのだ」
警告を受けてなお口にすると、スイメイは跪くのを止め、おもむろに立ち上がった。
そして、腕を後ろに向かって振ると同時に、いずこからか出現したコートがばさりと音を立て、翻る。
何をしたのかまるで分からなかったが、考えるに、恐らくはスイメイの魔法。こちらの魔法使いには術理の分からない、彼の扱う魔法だろう。
斯くしてスイメイその表情は、先程までの面影を幾分も残してはいなかった。優しげだった目付きは鋭く変わり、今まで幾度も目にした魔法使い特有の傲然さが滲んでいた。
普段の謁見の間ならば不遜だと口にする者も居ようが、今はそれを言える人間は誰一人としていない。
初めて見る魔法使い然とした態度に目を奪われていると、スイメイはため息のように口にする。
「――やれやれ、あの女がくたばった形跡はないのに、そこまで知られているとはな」
「やはりそなたが……」
「ええ、その通りです。初めてここに呼ばれた折りに、あの女に魔術師という事がバレたらしく、何かしら口を塞ぐ機会を窺った結果がアレなのです――が、あの女が話せない今、どうして国王陛下が俺が何かした事をご存知なので?」
「私があの者に問うたのだ。話せぬのなら、沈黙するだけでよいとな」
事の次第を簡潔に話すと、スイメイはああと小さく合点のいったような声を出す。
「なるほど。それは考えていませんでした。確かにあの女に認めさせた誓約は、話さなければいいということだけだった」
思い出すような穏やか声で口にして一転、鋭い視線が飛んで来る。
「ですが何故俺をここにお呼びになったのです? 俺はあの女の命を握った男だ。それが分かるならば、護衛の一人も付けずに呼ぶ事の危うさは、すぐに分かる事だと思いますが」
そうだ。分かっている。この呼び出しは危険だと。危険だと知っていながら、それでも何の対策もなしに呼んだのか。彼の問いは当然だ。だが、自身にもそれが出来ない理由はあった。
「――確かに懸念はあった。だがスイメイ殿も勇者殿と同じく、私がこの地に呼んでしまった客人なのだ。それは何があっても変わることのない、私の咎でもある。世界も、その世界の理も違う者にこちらの道理と無理を押し付けようとする、というな」
そう。だから牙は向けてはいけないのだ。向けた瞬間に、自身は優しさの皮を被った獣に成り下がってしまうのだから。それではあまりに勝手に過ぎる。
「…………」
「スイメイ殿。こんな見も知らぬ場所に呼び出し、部下の不始末を知りつつも看過しておいて、その上頼みごとなど烏滸がましいが、どうか話してはくれまいか」
「なぜ、そこまで聞きたいのです? 聞かなくても陛下には何の痛痒もないことでしょう?」
「確かにそうかもしれぬ。だが、その不始末に見てみぬ振りをして、もしそれであの者が命を落としたら悔やみ切れぬのだ」
「――あのような慢心女でも?」
「そうだ。私の臣下だ。だから、私が守らねばならぬ」
すると、スイメイは一度ため息を吐いて答える。
「話さなければ命に関わる事ではありません。それは絶対です。これでこの話は終わりでしょう」
「いや、まだだ」
「これ以上、話す事は何もないと思いますが?」
怪訝な顔の訊ねが入る。しかし、そんな事はないのだ。事務的なやり取りは終わったとしても、まだ、聞くべき事が確かに残っているのだ。
「スイメイ殿。私はそなたの事について何も知らない。呼び出した者の責任として、聞いておきたいのだ。そなたが一体何者なのかを、これからどうしたいのかを。腹を割って話がしたい。できる事なら、蟠りをなくしたいのだ」
そう、それは偽りのない本心だった。
確かにこの話も、フェルメニアや自身が口を閉ざせば終わる。スイメイの事を知るのは自身と彼女のみ。そうすれば以前のような日々が戻ってくる。勇者を異世界から呼んで、勇者を魔王討伐に送り出すということだけが。
だがそれでは、呼び出した責任すら投げ出してしまうのではないか。呼び出しておいて何か不都合が起きたからと言って、我が身可愛さに全て放置するのは、例え巻き込まれた本人にこの逆境を跳ね返す力が備わっているのだとしても勝手すぎるのではないか。彼がどうしたいのかを全て知った上でこちらに出来うる限りの事をするのが、道理だろう。
ただ――
「……無論、無理に聞くつもりはない。スイメイ殿が話したくない事を無理に訊くのもまた、こちらの勝手。差し支えがなければでよいのだ。この通りだ。どうか」
玉座に座ったままであったが、頭を下げる。一国の王にはあるまじき事だが、自身が自身の誇りを失わないために、示す。
しばらくして頭を上げると、そこにあったのは驚愕の顔であった。何故そんな事をするのかと、何故そんな事までするのかとそう一驚を喫したような、そんな。
そして、何かを諦めたように吐息を吐くスイメイ。
「いえ、先ほどまでの不遜な物言いの非礼をお詫びしたい。どうぞ、陛下がお訊きになりたい事は結社の末席を汚す“私”が答えられる範囲でお答えしましょう」
――跪きもしないのは、誰しも非礼だとなじるだろう。だがそれでも、先程からのどこか傲岸な雰囲気は露と消え、口調もどことなく変わった。恐らくはこれが本当の彼なのだろう。勇者レイジ達と一緒にいる普段の彼でもなく、敵と相対し傲岸に徹する先程の彼でもなく、一個の魔法使いであるスイメイ・ヤカギ。
そしてこれが、その彼の取れる最大の礼。
腹を割ると諾意を示してくれた彼へ、訊ねる。
「そなたは何者だ」
「向こうの世界で魔術師と呼ばれる、神秘を探究を命題とする学者のようなものです。概ね、魔法使いと呼んで差し支えないものかと存じます」
「魔術師……」
聞こえた言葉を、ふと口にする。今まで英傑召喚の影響により魔法使いとしか聞こえていなかった言葉は、何故かそう新しく聞こえた。それは、スイメイの口から正しく語られ、根源のような物を聞いた故か。魔法使いとは違うものと、いま自分の耳に正しく届いた。
追って訊ねる。
「そなたはなぜ、それを隠しているのだ? 私達はともかく、勇者殿やミズキ殿にまで」
「向こうの世界がこちらの世界とは違って科学という技術が発達していることは、もう黎二達から聞き及んでいるかも知れませんが、あちらは魔術が世界の裏側に追いやられた世界であり、魔術師はあらゆる勢力から淘汰の対象になっているのです。ですから、表向き魔術師という存在はいない。表に出てくれば、世界の流れに沿わないからと他方から叩き潰されて終りなのです。表立って魔術師と名乗れないのにはそう言う理由があるのです」
口にして、それから「ここで隠していたのも、そう言う理由から、慎重になっていたんです」と付け加えるスイメイ。
「それで、勇者殿やミズキ殿は知らぬと。フェルメニアに正体が露見した時も」
「はい。あの時もあの女に完全に察知されたという確信があったわけではありませんでしたので、知っているのか、知っていればその口をどうするか、と言うのが問題に上がりました。それで、調べ物をする一方搦め手を講じて誘い出そうと種を蒔いていたのですが、なにやら物騒な自動人形やらを仕掛けられたりもしまして、――まあ、向こうは話し合いには応じないかな、と考えたのです」
その一文に、気になる物があった。
「自動人形だと?」
「はい。重騎兵の格好をした、かなり出来のいいものです。襲われたので術式ごと壊しました」
「魔導師スラマスのゴーレムか……」
スイメイを襲ったゴーレムには、思い当たる物があった。城内に現存しているゴーレムは、スラマスの作った物しか残っていないのだ。当然、自動で動く人形と言えば彼の作品しかない。
スラマスの作ったゴーレムは出来がよく、強力だ。それを持ち出したとなれば、スイメイに打ち倒される前のフェルメニアの強硬さがよく伺える。
しかし。
「だが、これはフェルメニアにも言える事だが、些か実力行使が性急過ぎたのではないか?」
やはり、争いに発展するには理性的ではないと思えた。まだ、話し合いの余地はあった、と。
手を出したのはフェルメニアからではあるが、苦言を口にせずにはいれなかった。
それに、スイメイは至極真面目な顔で。
「少しばかり調子に乗った事については否定できません。ですが、私も魔導を道とする者。魔術師には魔術師の流儀がありますし、単純に天狗を――いえ、慢心した者の鼻っ柱をへしおって、凶行への意趣返しをしたくなったというのもあります。後はまあ、無理矢理呼ばれた鬱憤の溜まりに溜まった俺の八つ当たりですかね」
最後に、歳相応の笑い顔を見せたスイメイに、ため息を吐く。
「……悪ガキだな」
「魔術師など得てしてそんなものでしょう。利己的で自分の目指すものにしか興味がない生き物です。周りの事など考えない。それに、看過したと仰られた陛下は文句を言える立場ではないはずだと存じますが?」
「確かにな」
そう、自身はフェルメニアの思惑を甘く見て見逃した責がある。スイメイに強く言える立場ではないだろうし、結果から見れば彼の対応は理性的だったと言える。魔法を自制なく使えば悪さなど数えきれぬほどできるし、己の欲を満たそうとするならばそれこそ自由に出来たはずなのだから。 それでも、部屋に引きこもって誰にも迷惑をかけず大人しくしていた。調べさせた時も、宝物殿、執務室、金庫などに保管された重大な物には一切変動がなかった。
そしてフェルメニアの凶行に対しても、あの対応はまだ情けがあったと言える。あちらの世界ではどうかは分からないが、あのタイプのゴーレムをけしかけたのはこちらでは殺されても文句は言えない手の出し方だ。
すると、スイメイはおもむろに横の柱を向く。まさか。そして。
「……と言う訳だ。あれは八つ当たりの延長線上のものだから、あんたも安心しとけ。これ以上俺があんたに何か注文をつけるつもりはない」
自身ではない誰かに言うように、否、濁すこともない。スイメイが述べた内の対象はフェルメニアだ。そして、あの柱の影には確かに。
「………」
フェルメニアが顔に驚愕を滲ませて柱の影から出てくる。
それに対しスイメイは面白くもないものでも見たように、一瞥しただけで再びこちらに向き直った。
スイメイに問う。
「……いつから気付いておったのだ?」
「逆にお訊ねしますが、何故私が気付かないとお思いに?」
「…………」
確かにそうだ。スイメイは魔法使い。気付かない前提で事を運ぶよりも、気付くこと前提で事を運ぶべきであった。
だが。
「スイメイ殿。これについては――」
「仰らずとも結構です。先ほど二人だけと仰った時にはまあ胡乱にも思いましたが、大事な臣下とそれほどあの女の事を考えているのなら理解できない話ではありません」
「すまぬ」
正直に謝罪する。フェルメニアを控えさせていたのは、自衛のためではなく単に彼女のためであった。スイメイはフェルメニアが居れば話さない事もあるだろうし、同席しなければそれはそれで彼女も事情を知らぬまま終わってしまう。だから、隠れさせていたのだ。
結局スイメイは見透かされてなお話してくれたが。
フェルメニアが青ざめた顔でスイメイの名を呼ぶ。
「す、スイメイ殿……」
「何もしないって言ってるだろうが、青くなってんじゃねえよ。ヘタレかあんたは。あんたも魔術師なら死ぬ寸前までどっしり構えとけ、俺より年上なんだろ?」
「あぅ……」
振り向きもしないスイメイのその辛辣な言葉に、閉口するフェルメニア。その通り過ぎて、何も言い返せないか。
質問を待っているスイメイに、改めて訊ねる。
「そなたが召喚陣を調べていたのはやはり……」
意志は変わらないということか。
「私は帰りたいと言ったはずです。私には向こうでやらなければならない事があるのです。それに――」
「それに?」
「……私はもし黎二達が帰りたいと望んだ時、その帰るための道を作らなければ行けません。友人が危険と知って付いていかないのです。魔術師として、それくらいの事はしなければ」
ああと、思わず感嘆が漏れる。無論その目的は彼自身のためのものだ。帰りたいと、そう口にしたのだから。だが、彼らの事も考えている。機会は用意すると、そう。
そして、それに輪を掛けて驚きだったのは――
「そなたには解析できるのか、あれを」
「ある程度時間を掛ければ、不可能ではないでしょう」
「ま、まことか……!」
誰にも紐解く事が出来ないと言われている英傑召喚の魔法陣を、解析できると口にしたことだった。
何時の時代より伝わっているかもよく知れないあの召喚陣。寸分違わず描けば魔力を通し、伝えられている呪文を唱えるだけで発動できるが、編まれた術式があまりに難解過ぎて、未だ誰もあの召喚陣の術理を理解できていないのだ。
それをできると口にした少年は、彼自身も予想だにしていなかったという口調で。
「降霊術や降神術を勉強したありがたみが、こんなところで出てくるとは思いませんでした。全く分からないものです」
だが、そこまで僥倖だと言うのなら。
「しかしそなたがそれほどにレイジ殿らに心を配っているのなら、なぜ彼らに全て話そうとしないのだ? 別に知られても、勇者殿ならば……」
「陛下。もし私の素性を知ってあちらに戻った時、彼らにも危害が及ぶ可能性があるのです」
間髪入れずに、スイメイは言う。彼らに素性を教えぬ理由を。我が身の危険以外にも、危惧する事があるのだとして。
「それは心の内に秘めておけばよいものではないのか?」
「陛下。こちらの世界はどうかは分かりませんが、あちらの世界は魔窟にございます」
「魔窟、と?」
「はい。あちらの世界では、例え人の口に戸口が立てられようとも、知っているだけで危険なことはいくらでもあるのです。相手の記憶を聞き出す術や奪う術は元より、意識しない内に自分の記憶を口にさせてしまう術。魔術を絡めればそれこそ枚挙に暇がないほどに。そんなところで迂闊に正体を打ち明ければ、その危うさにどれほどの代償を購う事になりましょう。魔術師という事を知っているだけの者にまでも刃を向ける狂人共も、向こうには存在します」
「そなたの世界にある魔導は、それほどにまで業が深いのか」
「はい」
きっぱりと頷くスイメイを見て、思う。
真に信が置けるのならば正直に話すのが正道と考えたのだが、そうもいかないのか。それだけ、あちらの世界の魔導はこちらの世界の魔導より、浸かった闇も引き連れる闇も深いのだろう。外敵が多く、その危機に常に晒されながら決して日の当たらぬ場所を進んで追い求めるのだ。この慎重さも無理ないものなのかもしれない。
「彼らが帰りたいと言った時は、結局話さなければならなくなるのでしょうが……今まで隠していた手前どうにも言いにくい話です」
「だろうな」
彼の言う通り、送還の陣を見せた時にその説明をしなくてはならないし、魔法を覚えて帰るのなら向こうの世界での心得も必要だ。話す必要はある。だが、彼の心情を汲むと簡単に話せる事ではないとも言える。
それを踏まえてこぼすのは、残念さの混じった言葉。
「……と言うことは、やはり付いては行かないのだな」
「前にも似たような事を言いましたが、無謀な事はしたくはありません」
「フェルメニアを打ち倒したそなたなら、私は無謀な事ではないと思うが? それに、スイメイ殿なら勇者殿の力になれるだろう?」
「かもしれませんが、いずれにせよ必要のない事でしょう」
「何故そのような事が言える?」
「あの時は言い争いにもなりましたが、黎二は決して浅はかな男ではありません。突拍子もないことをよくする男ですが、深く考える事やここぞというときの判断、慎重さは決して忘れないですし、それに加え今は勇者として呼ばれたため凄まじい力を持っている。なら、俺のここでの心配は、外を歩いている彼らが道端の小石に躓くか躓かないかを懊悩するようなもの。魔王討伐を絶対にできるとは言いませんが、むざむざ死に行くようなことはしないでしょう」
「そうか」
気にしていないと、口元に笑みを浮かべて言ったスイメイ。彼も、レイジ達の事を信頼しているのだ。
やがて悪びれずこぼした「たまに痛い目を見ろとも思いますが」という言葉も、彼らの事を思ってのものだろう。決して酷い目に遭えばいいと考えたものではない。
そんなスイメイに向かって確認のように訊ねる。
「再三になるが、フェルメニアの事は」
「先ほども申した通り、話さなければ何事もありませんが――そうですね。もう、いいでしょう」
と、心得顔のスイメイは一枚の真っ白な紙を取り出した。初雪のように美しい白が映える以外は何の変哲もない紙と思ったが、よくよく見ると表側には文字と血印のようなものがある。
そしてスイメイはそれに、まるで引き裂かんと手を掛ける。
「す、スイメイ殿っ!? ま、まて――」
一瞬で顔を青くしたフェルメニアがスイメイに制止の叫びを浴びせるが、その声は届かなかった。
容赦ない、紙を裂く音。フェルメニアの耳には、それはどう届いたのか。
彼女が何らかの感情に飲まれ床に膝を落としたと同時に、幾度も引き裂かれた紙そのばらばらとした紙片が謁見の間に散り落ちた。
紙を引き裂き、全てを手の内から落としたスイメイ。彼が指を鳴らすと、紙片は全て瞬きの紅蓮に飲まれ消えてしまった。
「あ……」
「宮廷魔導師。これであんたに掛かった呪いはなくなった。今日命を懸けてくれた陛下に死ぬまで感謝しとけよ?」
半ば呆然となるフェルメニアを他所に、鼻を鳴らしたスイメイへ訊ねる。
「よいのか?」
「陛下は私との蟠りをなくしたいのでしょう? なら、これは蟠りの最たるものだ。陛下と私の間には必要のないものです」
と、口にして、また。
「ただ、黎二達には話さない事、話させない事、悟られるような行為をしない事を約束していただきたい。よろしいかと聞くまでもない事ではありましょうが……」
「わかった。よしなにしよう」
スイメイの言葉に諾意を示す。ここまで譲ってくれたのだ、今更断る由はなかった。
そしてもう一つ、今後のため聞きたかった事を訊ねる。
「この後はどうするのだ? 帰還の目処がつくまで王城にいるのなら、構わぬが……」
彼は、自分達が異世界から無理矢理呼んだ客人だ。その責は消えずにある事実。筋を通すならばこのまま王城に住んでもらい、送還の陣が完成するまで彼の面倒を見るのが道理に適う処置だろう。それは、スイメイ自身がここに居たいと考えているのであればの話で、その限りでないのならば訊ねておかなければならないこと。
そしてスイメイはその問いに対し、首を横に振った。
「いえ、黎二達が城を発った後、私も城を出ようかと」
「城を出てどうするのだ?」
「ネルフェリア帝国に行こうと考えています。帝国は三つの国と隣接する要衝の地。様々な情報や私が望む物資を手に入れるには最適な場所かと」
スイメイの考えに、唸る。確かにネルフェリア帝国はアステルを含めた三国を行き来するための衝路でもあり、ここよりも流通が発達している。アステルとも強固な同盟があり比較的入国しやすく、アステルでは手に入りにくい品や、あらゆる方面の情報を求めるならば最適な場所とも言える。
正直なところ、スイメイほどの使い手には国を出て欲しくはないが、だからといって彼の行動を制限するのは不可能であろうし、それを強いていいものではないだろう。
「……そうか。ならば何か入り用が有れば申すがいい。私にできる事は恐らくはそなたに取ってはささやかなものだろうが、可能な限り叶えよう」
これから出ていく彼のため、支援の意を提示する。しかし、どうしてスイメイは頷かなかった。
「お心遣い感謝致します。ですが、私の事はお気になさらず」
「何故だ? これから貴公は見も知らぬ土地に下るのだ。何らかの援助は必要だろう?」
スイメイは異世界の人間だ。こちらの世界とは持っている文化も風習も違うはず。そして、頼る伝手もない。ならば、生活にも苦労があるだろうし、助けも必要となってくるはずであった。
だが。
「よろしいのです。私はこれから、この城での生活が居た堪れなくなり勝手な考えの下、飛び出す身。そのような者に寛大なお気遣いをすることもないでしょう。私よりも、陛下は沽券と言うものを大事になさって下さい」
「しかし……」
「前回のここでの騒ぎや、部屋に引き籠っていたせいで私の風聞もだいぶ悪くなりました。そんな者の勝手な行いに対して支援するとあれば、確かにそれを寛大なご処置を讃える者もおりましょうが、文句を言う者の方が大半でしょう。それは陛下にとって都合のいいものではないはずだ」
それについては、スイメイの言う通りだった。彼が城を出るとあれば、今までの彼の表向きの行いから鑑みて、自分が何を言っても彼の口にした通り、勝手に飛び出したと風説が流れるはずだ。まず、間違いない。なら、そこに援助などの話を持ってくれば、不満が出てくるのは必定。国王は何故そこまで何もしない者に気を遣うのかと、気にし過ぎだと、悪い風評が立ってしまう。
「だが、それでもと言ったら?」
「そのお心遣い、感謝します。ですが、くどいですな」
「む……」
俄に発せられた厳しい物言いに、言葉に詰まる。スイメイは頑なだった。構わないと。己には構わないと言えるのだと。
それは根拠のない自信とも取れる発言だったがしかし、それを裏打ちする気迫が、今ここにはあった。
差し向けられた黒い瞳は何を見据えるのか。自分ではないまだ先の、もっと先の困難を目指そうと挑む者の眼差し。
まとう風格はこの年の少年が持つ物とは到底思えないような、重圧。
そして――
「……この世を生きる内は、必ず障害という壁が立ちはだかるもの。それがどれ程大きくても、どれ程高くても、それを軽く踏み越えられない者が、なぜ魔術師と名乗れましょう。私は魔術師、八鍵水明。この世に存在する神秘という名の困難に立ち向かう者なのです。故に陛下、再度申し上げます。私めをお気遣って頂けるそのお気持ちだけで十分、ありがたく受け取らせて頂きます」
厳格に言い放った少年には、隙も瑕疵もなかった。ただひたすらに不可能を打開しようと追い求める者だけが持つ、巌の如き強さがあった。
やはり、別物だ。この少年は、“決して英傑召喚に巻き込まれてはいけない類いの人間”だった。
今更ながらに固唾を飲んで見据えると、スイメイはふっと厳しかった面持ちを崩して、自嘲気味に口にする。
「……とは格好付けましたが、命を惜しんで戦いに向かわない男の言う台詞ではありませんね」
「それを言うのなら、そなたに限った話ではない。魔王の恐怖に怯え、無関係な者に事の全てを押し付けた者達は総じて、その呵責に晒されるべきだろう。この私も含めてな……」
そう、あの豪語が過分だと、誰が言えよう。魔王討伐に行かない事に文句をつけられる資格があるのは、魔王を討伐に向かう者のみ。命を惜しみ、安全な場所にいる者が言える言葉ではないし、スイメイはその身一つで野に下り困難に立ち向かうのだ。誰にも彼を責める資格はない。
見果てぬものを追い求めるそんな少年に、この妨げはどれ程の停滞なのか。自身には知る由もないが、きっと彼には大きな痛手であっただろう。あの時彼がここで喚いた気持ちが心に痛い。
ならばそう感じられると言うことは、それ程に自身は彼に共感を持ったのか。親子ほども年が離れているのに、分からないものである。
そんな不思議な所懐に浸っていると、おもむろにスイメイが口を開いた。
「まだ何かお聞きたい事は?」
「では――」
彼の好意に甘え、この後いくつかの質問を放った。彼のこと、レイジのこと、ミズキのこと。魔術師の話に限らず、勇者達との他愛ない話まで。
彼とはこの日、遅くまで語らう事となった。
……そして時が経ち、スイメイが部屋に戻った後。彼が出ていった扉を眺めながら、横に控える臣下に声を掛ける。
「……フェルメニア」
「は」
「なかなか、興味深い話であったな。勇者殿からはあのような話など聞けなかっただろう?」
「仰る通りで」
戒めから解かれたためか、顔色も元に戻ったフェルメニアは静かにそう同意する。彼女も勇者の師としてレイジに関わっていたが、そこまで彼と密な話はしていないはずだ。その話を、また別の人間から聞けるのは新鮮であっただろう。
これで和解は成り、蟠りはなくなったか。後に残ったであろう懸念や杞憂も、今はない。
「……もしやすれば、スイメイ殿は最初からこうするつもりだったのかも知れんな」
その言葉に、眉を潜めるフェルメニア。
「ですがそうであったのなら、彼は些か不用心だったと思います。見積もった和解の予測が外れれば間違いなく不都合を被るのに、それに対する策がない」
そう、確かに彼女の言う通り、こちらが頭を下げずに強硬に出れば、スイメイの思惑は瓦解し決定的な亀裂を生む。それをフェルメニアは不用心だと言うのだが、和解を見越していたからと言って断絶を見越していないと言う道理はない。その証拠にスイメイは。
「フェルメニア。スイメイ殿の着ていた服を、そなたは知っているか?」
「服ですか? あれは確か戦闘礼服と……あ」
それでフェルメニアも気付いたか。しかし、戦闘礼服とは、やはりそう言うことか。
答えたフェルメニアが敬服の眼差しを向ける。
「さすがのご慧眼。スイメイ殿は一言も言わなかったのに、よくお分かりに」
「ここに入って来たスイメイ殿と、戦場から帰ってきた将軍達の雰囲気と立ち姿が、どこか重なったのだ。だから、もしやすればと思ったのだ」
いつかの過去と先程とを、二つ思い起こすように口にする。
スイメイが上着をどこからともなく出して纏ったあの時、戦場から帰った将軍達のまだ血の匂いも落としきれないような姿が思い出された。だからそう直感したのだ。あれは、彼が戦いに赴く時の装束なのだと。
故に、見越していない道理はないのだ。起こる事が和解でも、決定的な亀裂でも――
「……恐らくスイメイ殿にとってはどちらに転んでも良かったはずだ。敵に回れば敵に、味方に回れば味方に。どちらに転んでも良かったからこそ、我らに付け入る隙があった。付け入る隙を残したのだ。その上で私が自主的に和解を模索すれば信に足りると判断できるし、危害を加えたのならスイメイ殿はあのままの態度を押し通せばよいこと」
「ですが、今回の召喚がもし罠であれば」
「だから良いのだ。スイメイ殿は記憶を操作する術があると口にしていた。例え事態が悪い方に流れても、勇者殿やミズキ殿に話されぬ限りは、どうにでもしようがある。もしスイメイ殿に危害を加えようと言うつもりが私にあったのなら、いずれにせよ勇者殿には話せない。悟られるような大きな動きもできない。ならば、少数精鋭でスイメイ殿を叩く策しかなくなるが――それすら予め見越したスイメイ殿を我らで打ち倒す事が果たしてできるか?」
戒めより解かれた故に、この問いにも答えられるだろう。スイメイの強さは、城の精鋭を集めた奇襲を凌駕できるほどのものか。否か。
暫しの逡巡のあと、フェルメニアは重い口を開く。
「……不可能です」
「そうか。だろうな」
フェルメニアの断言に、不思議と衝撃はなかった。そんなものなのだろうとすんなり、受け止めることができた。
「しかし陛下。本当にそうだったのでしょうか?」
「さあ、どうなのだろうな」
「え……?」
「私はもしもの話をしただけだ。箱の中を見るまでは中身に確実性がないように、いくら今の話に符合する箇所が多々あろうと、スイメイ殿が言わない限りは私の想像でしかない」
そう、今までの話はあくまでも推測でしかないのだ。いくら合致する部分はあろうとも、単に偶然そうなったのかもしれないのだ。
「は、はぁ」
血の巡りの悪そうに眉間にシワを寄せ、フェルメニアが返事をする。分からないか。分かるはずもない。それを口にした自分もそこまで理解が深い訳ではないのだから。
だが――
「スイメイ殿も、私が頭を下げたのは予測していなかったようだがな」
そう、恐らくはそこだけは確実に、スイメイにとって予想だにしていなかった部分と言えるだろう。下げられるはずのない頭を下げたのが衝撃だったからこそ、信じてくれたはずなのだ。
「……私には分かりかねます」
「よい。気にするな」
跪くフェルメニアに言葉を掛け、そして改めて厳粛な声を放つ。
「――さて、フェルメニア。そなたには罰を与えねばならんな」
その言葉に、フェルメニアは異議を放つこともない。スイメイが呼ばれる前に、罰は受けると自分から口にしたのだ。表情も真剣に、下知を待つ。
「……は。どのような罰も甘んじて受け入れる次第でございます」
「では宮廷魔導師フェルメニア・スティングレイよ。そなたの宮廷魔術師としての任を剥奪、そして――」
そして、長かった魔術師と王の夜は、終わりを告げたのだった。
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