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京から来た偉い人


 俺は岩原いわはら新之助しんのすけ


 ミ●タードーナッツのオールドファッションがお気に入りの男である。


「ポ●・デ・リンクのほうが美味くないか?」


あるじ様。

 食の好みはそれぞれ。

 好きな物を食べればいいのです」


“これが好き”はかまわないが、“これが至高”などと言い出せば戦だ。


 食は争うものではなく、楽しむものだと俺は思っている。


 主にも、そのあたりを早く理解してもらいたいものだ。


「ポ●・デ・黒糖こくとうは至高だぞ」


 ……


 主の手元にあった三つのポ●・デ・黒糖を奪い、一気に食べてやった。


 主が騒がしくしたので、店員さんに怒られた。


 申し訳ない。


 だが、反省はしていない。



 さて、持ち帰りで頼んだ十個のドーナッツを持って俺は上総介殿の屋敷に向かう。


 ご機嫌(うかが)いではなく、上総介殿に頼まれていたからだ。


 なんでも京から偉い人が来るらしく、今日は屋敷から出られない。


 なので、俺に買って来てほしいと頼まれたのだ。


 上総介殿は自由奔放(ほんぽう)なように見えるが、ちゃんとするところはちゃんとしている。


 公私の区分がしっかりしているということだろう。


 尊敬できるところだ。


 まあ、今日は諦めて明日にという選択をしないのは……英雄の資質なのかもしれない。



 俺が屋敷を訪ねたところ、偉い人は到着しているが、まだ話が終わっていないとのこと。


 ドーナッツを上総介殿の小姓こしょうに預けて、おいとましようとしたら小姓に止められた。


「上総介様からうかがっております。

 こちらにどうぞ」


 なんだろ?


 そう思って小姓のあとについていくと、こちらに向かって歩いてくる上総介殿がいた。


「ようやく来たか」


「はい。

 上総介殿のほうは終わったのですか?」


「いや、まだ続いておるが休憩だ。

 つき合え」


 上総介殿に言われて断れる者がいるだろうか?


 いや、いない。


 俺をここまで連れて来てくれた小姓に頭を下げ、俺は上総介殿のあとを追った。


 到着したのは広めの客間。


 そこには見慣れぬ公家らしき格好の男性。


 あれ?


 どうみても彼が京から来た偉い人だろう。


「休憩ではなかったのですか?」


「格式ばった話ではらちが明かぬでな。

 休憩という体裁で腹を割って話す」


「なぜその場に俺が?

 なにも知りませんよ」


「事情をよく知らぬから呼んだのだ。

 まあ、気楽に話を聞いて、適当に意見を言ってくれ。

 的外れでも怒らぬ」


 そう言われるのであれば。


 ところで、この羊羹ようかんは?


 ドーナッツじゃないので?


「あれはワシのオヤツだ。

 この羊羹は『と●や』のだ。

 美味いぞ」


『と●や』の羊羹が美味いのは知っている。


 ただ、羊羹というのは小皿に二切れぐらいを乗せて出すものだ。


 切っていない羊羹をそのままドンッと、一人に一(さお)で出すものではない。


 俺は部屋の外に控えている小姓に、まな板と包丁を頼んだ。


 羊羹は薄すぎず、厚すぎず。


 ほどよい幅に切る。


 うん。


 あとは熱くて渋いお茶。


 お茶は完璧だな。


 あ、京から来た偉い人からも、切ってもらえないかとお願いされた。


 やっぱり、一棹をかじるのはちょっと行儀が悪いからね。


 上総介殿はむしゃむしゃと食べてるけど。


 ちなみに、『と●や』はすでに創業しているが、羊羹が作られるのはもう少し先だそうだ。


 未来人に教えてもらった。



 それで、京から来た偉い人はどういった目的で?


「織田家の力は、京でも噂になっておる。

 その力を、広く知らしめてもらえぬであろうか?」


 京から来た偉い人がそう言うと、上総介殿がごほんっと咳払せきばらいをした。


 腹を割って話すのであろうと。


 京から来た偉い人はすまぬと謝罪して、言いなおした。


「織田家には京に登り、朝廷を守ってほしい」


 わかりやすい。


 それに対して、上総介殿の返事。


「大変、名誉な話なれど、こちらは東国の田舎者。

 おだてられて都に登り、笑い者にされる気はない。

 ご遠慮、申し上げる」


 これも、わかりやすい。


「これ、腹を割って話すのであろう。

 さきほどと同じ返事ではないか」


「だから、こちらはずっと腹を割って本音で話している。

 なにも求めていない。

 ほうっておいてくれ」


「そうはいかん。

 力ある者は、それに相応しい振る舞いを求められる。

 おかしな話ではなかろう?」


「おかしな話だ。

 まずもって朝廷の守護は将軍職の責務。

 将軍家に話を通すべきであろう」


「将軍は弑逆しいぎゃくされて不在だ。

 通す相手がおらん」


「将軍を決めるのは朝廷の役割。

 さっさと次を決めればよい話であろう」


「現在、手を挙げているのは先代将軍の弟である一乗院いちじょういん覚慶かくけいと、三好家が推す平島ひらじま公方くぼうの足利義栄(よしひで)

 血筋では覚慶だが、力が足りぬ。

 しかし、三好家が推す義栄を将軍にしては、先代将軍を弑逆した三好家を許すことになってしまう。

 決められんのだ」


 先代将軍は、三好家によって殺害されたからなぁ。


「朝廷を守るという目的ならば、三好家を許して守ってもらうのが一番では?」


「将軍を弑逆するような者に守られて、心が休まるとでも?」


「力がない者に守られるよりは、マシであろう?」


「だから、その力のない者に手を貸してやってくれと言っているのだ」


「ふんっ。

 やっと腹を割ったな。

 力のない者に手を貸せとは、初めて聞いたぞ」


 ああ、なるほど。


 この京から来た偉い人の目的は、少し前の俺や主と同じ。


 織田家に上洛してもらい、覚慶を将軍にしてほしいのだ。


 いや、少し違うか。


 三好家の推す者を将軍にしたくないだけか。


「では、上洛してもらえるな?」


「断る!」


「なぜだ!」


「なぜだもなにも、そちが言ったではないか。

 覚慶を力のない者だと。

 なぜ、そんなやつを将軍にえねばならん」


「だから、織田家に後ろ盾になってもらいたいのだ」


「当家が後ろ盾になったところで、敵は減らん。

 逆に周囲が全て敵になるだけよ」


「それを打ち倒す力が織田家にはあると見ておる」


「力はある。

 だが、地位がない」


「地位が望みか?

 いかようにも用意するぞ」


「違う。

 そうではない」


「どういうことだ?」


「当家がどれだけ戦で勝とうが、どれだけ高い地位を得ようが、反発心しか生まれんということだ。

 東国の田舎者が調子に乗りよってとな」


 今の織田家は尾張と美濃の二国を支配するが、少し前までは尾張半国もなかった。


 織田家は尾張の守護代ではあるが、上総介殿の家は分家筋。


 もとは守護代の下で働く三人の奉行家の一つになる。


 少しずつ力をつけて大きくなったのを見ていた尾張や美濃では反発は少ないだろうが、他国になれば話は違う。


 低き出自しゅつじの家が偉そうに、当家と対等になったつもりか? などと、なにをやっても反発されるだろう。


 俺でも予想ができる。


「そして、そんな当家が勝てば勝つだけ、将軍に据えられた覚慶の機嫌が悪くなる。

 自身の力のなさを痛感するからな。

 血筋だけの将軍と大人しくするならやりようがあるが、覚慶はそうではあるまい。

 京が戦場になるぞ」


「そ、それは……」


「当家はわざわざ京にのぼって戦乱の中心となる気はない。

 上洛の件、改めてお断りする」


「ぬ……ぬう」


 上総介殿がそう簡単に上洛に動いたりはしないか。


 京から来た偉い人も、この場での説得は無理と判断したようだ。


 しかし、俺。


 意見を言う隙がなかった。


 横で聞いているだけだったけど、よかったのかな?


「大丈夫だ。

 お主には大事な役目がある」


 上総介殿が悪い微笑みをしているが、どういうことだろう?



 京から来た偉い人は、上総介殿に挨拶をして屋敷を出るようだが、俺に声をかけてきた。


「そこの岩原なるもの。

 武衛ぶえい殿にも挨拶をしたいのだが、どちらにおられるかな?

 直答じきとうを許す」


 武衛殿とは、斯波しば義銀よしかね様のこと。


 斯波家は、尾張の守護職を持っている。


 尾張守護職はすでに力を失って名だけになっているが、それでも形は残っている。


 形の上では武衛殿は上総介殿の上司だ。


 なるほど。


 京から来た偉い人は、武衛殿から上総介殿に圧を与えたいようだ。


 悪くない手だと思う。


 そして気づいた。


 これが、俺の大事な役目か。


「武衛殿なら、ミ●タードーナッツで働いてます。

 今日は昼番と言ってましたから、話をするなら夕暮れ時に行ったほうがいいでしょう。

 なんでしたら、案内しますよ」


 ひょっとして、朝にミ●タードーナッツを俺に頼んだときから、こうなると読んでいたのかな?


 さすが上総介殿。


 甘い物が大好きでも、尾張と美濃の支配者だ。





●ざっくりとした用語説明


守護大名  幕府から任命されたその地域の担当者。

      でも、近畿や近畿に近いの地域の守護大名はだいたい幕府(京)にいる。


守護代   守護大名が幕府(京)にいる場合、現場に行って監督する人。

      一つの地域に複数いることも。


奉行    現場で実際に差配する人。




●簡単な説明


織田信長の家(弾正忠家)は、もとは奉行の家です。

その上の守護代(織田清州家、南尾張を監督)を倒して、清州家を潰しました。

清州家は守護代でありながら、守護大名である斯波義銀の父を暗殺しているので、それが大義名分となっています。

その後、信長は斯波義銀を保護しつつ尾張を統一し、実質的な守護大名となっています。





武衛殿「この前、星が二つ(優秀なバイトの証)になりました。実権のない守護職より嬉しい」

京から来た偉い人「……」




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