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第93話「霧は語る」

「コイツがそうか……」

「凄く複雑な術式だねー流石お母様」

「どうだい?どうにか出来そうかな?」

 ツクヨミに連れてこられた『クイノマギリ』とイズミの前には巨大な氷塊……アキラが封印されている氷が聳え立っていた。

 なお、氷の周囲で作業していた神たちは、機密保持の観点から現在はウカノミタマを除いて全員退室済みであり、部屋の中には先ほど会談を行っていた五柱含めて六人分の人影しかなく、アマテラスとスサノオが結界を張っているために、外部からこの部屋の中を覗き見る事は著しく難しくなっている。


「まあ、どうにか出来るか出来ないかで言えばたぶん出来るな。俺が使ってる術式にいくらかは近いし」

「それは良かった」

 『クイノマギリ』はそう言うと氷の前に置かれてあった椅子に座ると左目の目尻を二度軽く叩く。

 その後、空中でせわしなく、けれど一定の規則性があるかのように指を動かし始める。


「ただ、この俺は分体だから能力の関係上それなりに時間は掛かるし、あの手紙で言われたように完全解除……と言うか『狂正者』の干渉を完全に排除するのは俺には無理だな。対象の魂自体を変質させる形で干渉されてるから、中の子の元を知らない俺にはどうしようもない。出来るのは精神世界から現実世界に引き戻すまでだな」

「ふうん。分かった。そう言う事なら支配権を取り戻せるようになる一歩手前で止めておいてくれるかい。こっちの調査で、今この子の精神世界では『狂正者』による訓練が行われているのは確認済みだから」

 『クイノマギリ』は気だるげな表情を見せつつも激しく指を動かし、時折何かの言葉を口にしつつ作業を進めていく。


「へいへいっと。ついでだから報酬の支払を今の内にしてもらってもいいか?会話をしていた方が精神干渉系の罠にかかった時に気づきやすいからさ。ったく『S3/9D』に『6Pコンパス』を時限式に組み合わせるとかどんなキチガイ術式だっての……」

「ああ、その話か……一応聞くけど『クイノマギリ』。君はどの程度まで知っているんだい?」

「「……」」

「うーん……そうだな。イズミも居るし、一から説明していった方が良いか」

「どういう事?クロキリ兄ちゃん」

 ツクヨミの言葉を受けて『クイノマギリ』は自分が知っている事を一から話し始める。


「まず初めに此処ジャポテラスに住む神々は、この世界(『ミラスト』)に来る前は俺たちの世界……それも俺たちが産まれた国に居て、この世界でやっているのとは多少違うが、基本的には信仰を対価として人々に祝福を与えていた」

「え?」

「僕らの目から見ればもうだいぶ昔の話だけどね」

「ただいつの頃か……正確な時期は分からないが、『魔神』……いや、『模造品(イミテート)』の奴が俺たちの世界に目を付ける数年から数十年前には間違いなくここに居る神たちは自分たちの信者である人間を見捨ててこの世界に移住している」

「見捨てた……か」

「……」

「えーと、それの何が問題なの?」

「イズミ。こいつ等神の仕事には人々に祝福を与える以外も有ったんだよ。と言うか、その仕事の方が俺たちに祝福を与えるよりも遥かに重要な仕事だと断言できるぐらいだ」

 そこまで言って『クイノマギリ』は何処か遠くを見る様な、または何かを懐かしむような目をする。


「簡単に言ってしまえば、こいつらを始めとして俺たちの世界に居る神が悉く居なくなったために俺たちの世界は『模造品』の様な害意ある外の存在に対して酷く弱くなった。その結果が今の俺たちの世界だ」

「!?」

「「…………」」

 『クイノマギリ』の言葉にイズミは耳を立てて驚きの感情を露わにし、アマテラスは何処か申し訳なさそうな表情を、スサノオは顔色一つ立てずに、けれど僅かに怒気を露わにする。


「でも『クイノマギリ』。君はどうして僕らがあの世界を去ったのか既に知っているんじゃないか?」

「まあな。イズミ。お前は人間だった頃自分の家の近くに神社とかあったか?」

「それは……在ったと思うけど……」

「じゃあ、そこにどんな神様が祀られていたかは知っているか?」

「……。ごめんなさい。知らないです。でもそれがこの話に繋がるの?クロキリ兄ちゃん」

「簡単に言ってしまえば『食糧問題』さ。神々の多くが去った時期って言うのはイズミがそうであるように人間の心から信仰が失われ、それぞれの憑代でもある自然が大きく破壊され始めた時期でもあった。それはこいつ等みたいな人間の信仰を糧にしていた神にとっては致命傷と言ってもいいダメージを負わせることになった。中には人間で言うなら餓死するように消えちまった神もいるだろう。だから……」

 だが、そこで『クイノマギリ』の言葉を遮るように感情を抑えきれなくなったのかスサノオが声を荒げる。


「ああそうだ!だから俺たちはお前らを見限ったんだ!だがそれの何が悪い!先に神と人間の関係を悪化させたのはお前らだ!お前らが俺たちを忘れなければ、俺たちだってお前らを見捨てたりはしなかった!!」

「スサノオ様!?」

「ふぅ……」

「スサノオちゃん……そ」

「スサノオ。少し黙っていてくれないかな。今は彼が話す場だ」

「っつ!?兄貴……!?悪い……」

 しかし、そんな熱くなったスサノオですら一瞬で冷静に帰るほどの冷たい言葉がツクヨミから発せられ、ツクヨミは目だけで『クイノマギリ』に言葉の続きを促す。

 そして『クイノマギリ』はやれやれと言った様子で話を続ける。


「その後、神たちはこの世界に移住。前の世界と同じ轍を踏まないようにより積極的に人間に関わると同時に、その発展の方向性を制御、制限するようにもなり、俺たちの世界は『模造品』の実験に使われ、今では『模造品』を倒した俺が筆頭となって新しい秩序が形成されることとなった。俺が把握しているのはだいたいこれぐらいだな」

「なるほどね。それで『クイノマギリ』。そこまで知っておきながら、この件について君は何を知りたいんだい?」

「誰が主導で移住を進めたのかとかの情報を聞きたいと思っていたんだが……、今の話をしている間の反応で大体分かった。アマテラスは最後の最後まで粘ろうとして、スサノオはどちらかと言えば推し進める側だったんだろ。ツクヨミ師匠は……分かり辛いが、どちらかと言えば推進派だったみたいだな」

 『クイノマギリ』の言葉にツクヨミは大正解だ。と言わんばかりの笑みを浮かべる。

 一方でイズミとアマテラスは何処か気まずそうにし、最早スサノオは不満の表情を隠そうとする気もないようだった。


「一つ聞いておくけど、君はこの事で僕らの事を酷だとか、薄情だとかそう言う風に思うかい?」

「いいや、上に立つ者としては至極妥当な判断だと思う。実際、俺も同じ立場に置かれたなら同じような選択を取るだろうしな」

「では怨みは?私たちが居なくなったために『模造品』は事件を起こした。その中で貴方は多くの苦難に遭遇したはずです。その事で私たちに恨みを抱いているのではないですか?」

「そっちも俺個人としては無いな。確かに嫌な事や辛い事もそれなりに在ったが、正直な話として俺自身は今の世界になったおかげで幸せになれた側の人間だからな。それに今となっては『模造品』の事件が起こる前の世界を知っている人間の方が圧倒的に少数派ではあるしな。今更だろう」

「なら、どうしてこんな話を聞きに来た。お前は何が起こったのかを把握していたんだろ」

「あの時何があったのか、何故俺たちの世界が狙われたのか、それらを知る手がかりの一つとしてこの件については知りたかった。理由としてはそんなところだな。下の者に教えるにしても証拠は多角的に揃っていた方が良いし、知識ってのは多くて損になる事は無いと俺は考えているからな」

 『三貴子』の言葉に『クイノマギリ』は何でも無いかのように軽快に答えていく。

 その表情には何かを悔いたりするような感情は見えない。

 ちなみにこれだけの話をしている中でも、流石は神と言うべきか部屋に張られた結界は小揺るぎもせず、『クイノマギリ』の手は淀みなく動き続けている。


「ああそうそう。アンタらにもう一つ聞いておきたい事があったんだけどさ」

「何だい?」

「移住前にこの世界(『ミラスト』)の話をアンタらに伝えたのって誰?どうにも俺が知っている神様が結構な数で居るみたいだしさ」

「それは姉貴の友人……ってそんな事を聞いてどうするんだ?」

「ふうん……いや、どうにもその誰かさんとこの術式の術者さんは裏で色々とやっているみたいだから警戒だけはしておいた方が良いと思ってさ。たぶん、これからも関わることになるだろうし」

 そう言うと『クイノマギリ』は右目だけを何処か気まずそうにしているイズミとアマテラスに向けるが、あくまでも飄々とした態度のまま作業を続けていく。


「さて、固定と維持を含めた作業完了まで適当に進めていきますかね。狐ひ……じゃなかった、ウカノミタマさんだっけ?ちょっとそっちの方から俺の指示通り弄ってくれるか。流石に手が足りなくなってきた」

「あー、はい。分かりました」

 が、直ぐに視線を戻して、微妙に居る場が無さそうにしていたウカノミタマと共に作業に没頭し始めるのだった。

さて、『クイノマギリ』が色々と言っていましたが、敢えて聞きましょう。


貴方は自分の家に一番近い神社の名前と、そこで祀られている神様の名前を知っていますか?

そして……


それは本当に貴方の家に一番近い神社ですか?


09/30 誤字訂正

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