第84話「晶の精神世界-1」
そこには白と青、二つの色しかなかった。
より具体的に言うのなら、地面は地平線の向こうまで一切の凹凸を確認できない形で雪に覆われており、空は一辺の雲どころか太陽も無く何処までも青い空が続いていた。
「うん。どう考えてもおかしいだろこれ」
俺は周囲に誰も居ない事を理解しつつも思わずそう呟いてしまう。
何がおかしいかと言えば、まず太陽が無いのに空が明るいと言う有り得ない光景がおかしいし、そもそも俺は直前までベイタ達と戦っていたはずだ。
それに今の俺は足首まで直に雪に触れているはずなのに、この雪からはまるで冷たさと言うものを感じない。
何と言うか、何処か現実味が無く、夢や幻に近い雰囲気をこの場にある物は出していると俺は感じていた。
「まあ、実際此処は貴様のような人間が普段知覚している物質世界では無く、精神世界の一種ではあるな」
「お前は!?」
俺の耳に唐突に聞き覚えの無い少女の声が聞こえたために振り返るとそこには蘇芳色の上下が一体となった見慣れない様相の服を着た少女が立っていた。
だが俺はその服の色と、少女の放っている雰囲気が『軍』のそれに酷似しているのを感じ取ったために急いで臨戦態勢を取る。
少女はまるで『軍』をそのまま幼くしたような容姿だった。
「この場をより正確に表現するのならば、白氷アキラと言う人間の魂を構成する要素を主体として構築した固有精神領域であり、この領域から次元軸を少しずらせばイースとか言う神モドキの固有精神領域または両者の共有している精神領域に接続できる。次元軸のずらし方に関しては通常の三次元空間では四次元以上の空間は極限にまで圧縮されているために見えないわけだが……」
「…………」
しかし少女は俺のそんな行動なぞ気にする価値も無いと言わんばかりに言葉を紡ぎ始める。
「それから普通の人間には無理だが、深層に潜れば白氷アキラと言う人間の魂と同じ魂、または酷似した魂を持つ者達の抱く集合的無意識領域、あるいはジャポテラスと言う都市に住む人間が抱く集合的無意識領域にアクセスすることも可能であり、更にそこから潜って行けばやがては『ミラスト』と呼ばれる世界のアカシックレコードの閲覧と干渉を行ったりも出来るのだが……まあ、これも今回は関係ない話だな。どうやら折角私が教授してやっても理解出来ていないようだし。さて、私が何者かと言う話だが、その前に一つ言わせてもらっていいか?」
「な、なん……だ……?」
俺は少女の発するまるで意味の分からない単語の羅列に若干の頭痛を覚えつつも、一先ずこの少女に敵意が無い事だけは認識する。
仮に敵意があるのならとっくに攻撃を仕掛けて来ているだろうし。
いや、ある意味今の少女の話が攻撃だと認識してもいいかもしれないが、とにかく俺は改まった態度で少女の何処かこちらを馬鹿にしたような顔を見る。
「貴様は元男の癖に自分が精神世界で女の姿をしている事に疑問を持たないのか?後、気温はまだ設定していないがこの環境下で素っ裸で、しかも隠す気が無いと言うのは完全に痴女の行動だぞ」
「っつ!?ちょっま……」
俺は少女の言葉に今の自分の姿がどれだけ本来の俺から考えておかしいものであるかをようやく悟り、顔が赤くなっているのを自覚しつつ胸と股間を手で隠した上でその場にしゃがみ込もうとする。
「て!?ブハッ!?」
が、しゃがむ前に俺の視界の隅で少女の手が動いたと感じた次の瞬間、頬に叩かれたような衝撃が走ると同時に俺は吹き飛ばされ、雪を舞い上げながら何度も何度も雪原の上を跳ねてから動きが止まる。
「何を……っつ!?」
「私の話を遮って恥じらうとはいい度胸だな。貴様」
そして俺が少女の余りに理不尽な行動に抗議の言葉を投げかけようとして顔を上げた所で気づく、俺は少女に吹き飛ばされたはずなのに、いつの間にか手が届く距離にまで少女が近づいていた。
けれどそれは少女が近づいたのではない。
雪原に残る跡から考えて……俺の居る位置が移動させられていた。
いくら精神世界だからと言っても、あまりにも唐突で、不条理で、理解しがたい現象だった。
「はぁ、どうやら貴様は他人の話を聞くのが苦手なようだな。となれば、教育方針はこうするのが適当か」
「!?」
俺が戸惑っているのを分かっているのか分かっていないのかは分からないが、少女は溜め息を吐いた後に一度指を鳴らす。
すると雪が盛り上がるようにして視界に収まる限りでも数十本の尖塔が生え揃い、尖塔と尖塔の間には架け橋の様なものが塔の壁が水平方向に延びて架けられていく。
変化はそれだけではなかった。
気が付けば空は何時雪が降り始めてもおかしくない様な黒い雲で覆われており、無数の尖塔の何処からか獣の遠吠えの様なものから、何か重たいものが規則的にぶつかり合うような音が聞こえ始め、それと同時に俺の体に無数の視線……まるで肉食の獣が獲物を狙い定める様な視線と、体の芯まで凍らせる様な強烈な寒気が突き刺さり始める。
「さて、これから先この世界から抜け出すまでに貴様が最低限覚えておくべき事がいくつかある」
「なん……だ……」
その状況に俺が体を震えさせていると、少女は当然の様に空中に腰かけてから口を開く。
「一つ目。此処は貴様の精神世界だ。貴様が諦めなければここで死んだり滅びたりする事は無い。安心して戦え、そして死ね」
少女は右手の指を一本だけ立ててそう言う。
「二つ目。此処から脱出するには、私を倒してこの世界の主導権を己が手の内に収める必要がある。そうすれば貴様は元の世界に戻れる」
少女は二本目の指を立て、笑みを浮かべながらそう言う。
「三つ目。先ほども言ったが、此処は貴様の精神世界だ。故に此処では貴様には如何様に振る舞う事も許されている」
少女は三本目の指を立ててそう言うと、座ったような姿勢のまま空高く浮かび上がっていく。
そして俺の居る場所から見た場合、子供が持つ人形の様な大きさとして見える高さにまで浮かび上がると少女は両腕を大きく広げてまるで演説でもするかのように大きな声で話し始める。
「さあ!理論よりも実践派な貴様の為に実戦と寸分しか変わらない授業と行こうか!相手は貴様が内に秘められし原罪と影を練り上げて作られし雪の人形!目指すは外なる神に溢れしこの世界の内なる神として顕界する力!さあ!幾万の死と幾千の諦めを己が内なる可能性をもって乗り越え、我が元に辿り着いて見せるがいい!!」
少女がそう言った瞬間、空からは激しい吹雪が降り注ぎ始め、同時に無数の尖塔の影から大小様々な獣を模したと思しき雪像が現れる。
「これは……」
「修行開始だ!」
『『『ママダバンダルヴァァァァ!!』』』
そして一際大きな声が響くと同時に雪像の目に赤い光が宿り、寒さでその身を凍えさせて動きを鈍らせていた俺の首に狼型の雪像の牙が突き刺さり、俺の視界は暗転した。
わざと自己紹介を省いていますが、『塔』のお母様です。
凄く理不尽ですが。
08/21誤字訂正