第82話「焚きつける」
「田鹿様……」
「失礼します。オオリさんは?」
「自室でずっと泣いておられます」
「分かりました」
長官室を後にした私は穂乃さんの屋敷にやって来ていた。
穂乃さんの家の侍女曰く穂乃さんは食事も碌に取らず、自室に引きこもって泣き続けているそうだ。
「ここがそうですね」
「うっう……」
私が穂乃さんの部屋の前に立つと中から穂乃さんのものと思しき泣き声が聞こえてきます。
やはりと言うべきか、布縫さんたちも言っていたようにまだ立ち直れていないようですね。
当然と言えば当然ですが。
「嫌われるでしょうね……それでもやらせてもらいますが」
私は一度溜息を吐き、上手くいかなかった時の事は敢えて考えず、穂乃さんの部屋に通じる扉を少々強めにノックする。
「誰……ですの?」
「私です。田鹿トキです」
「っつ!?トキさん!?」
すると中から穂乃さんの掠れた声が聞こえてくる。
が、中で穂乃さんが動く気配は有っても、出てくる気配はありません。
まあ、別に私がこれからする事には関係ないですが。
「今日は穂乃さんに伝えておくべき事があったのでそれだけ伝えておきます。なので別に部屋の外に出てこなくても構いません」
「……」
私は気を使ってくれたのかただ見えない場所に居るだけなのかは分かりませんが、周囲に穂乃さんの家の人間が居ない事を確認すると話を始めます。
「まず二飄長官から私を特務班総班長の代理として、穂乃さんを含めた特務班で真旗カッコウたちの対策を講じるように言われました」
「そんなの……」
「ただ、私としてはアキラさんを守れる場に居る事すら出来なかったからと自室に引き籠っているような自称ライバルなら出て来なくても構いません。そこに居るだけの人材なんて案山子としても使えませんから。一生そこで自分の事を自分で好きなだけ責めていればいいでしょう」
「っつ!?」
私は穂乃さんに嫌われるような言葉をワザと選んで語りかけていきます。
本当なら医者や家族の手を借りて時間をかけてゆっくりと持ち直させるのが正しいのでしょう。
ですが、今の状況ではそうも言っていられないために私は敢えて穂乃さんを突き放します。
穂乃さんならこの言葉をきっかけとして持ち直せると信じて。
「泣くほど悔しいのなら、泣かなくても済むように力を付ければいいでしょう。後悔の念があると言うのなら、その後悔を反省に変えて学び取ればいいでしょう。奪われたのなら奪い返せばいいでしょう。大切な誰かを傷つけられたなら、その誰かを癒してもいいし、傷つけた相手にそれ以上の傷を負わせたっていいでしょう。正負関係なくただその場で諦めて蹲るよりかはマシな行動何てものはそれこそ腐るほど有るんです」
「でもアキラ様は……」
扉の向こうから聞こえてくる穂乃さんの声にはアキラさんの事で何も出来なかった悔しさがにじみ出ています。
でもだからこそこの言葉が救いになるはずです。
「アキラさんは今タカマガハラに居て、近い内に必ず帰ってくるそうです。その時に穂乃さんが今のままだったとしてもアキラさんの事ですから別に何も言わないでしょう。それどころか自分のせいだと必死になって慰めてくれるかも知れませんね」
「っつ!?」
穂乃さんの驚くような顔が目に浮かぶようですね。
これで後必要なのは……
「貴方は別にそれでもいいでしょうね。けれどはっきり言ってそんな人間はアキラさんの邪魔でしかありません。なのでアキラさんが居ない今の内に言わせてもらいます」
「何です……の?」
穂乃さんの心を燃え上がらせる一言。
だから、
「そこから立ち上がってアキラさんの横に並ぶ気が無いのなら潔く身を引いて今後一切私たちに関わらないでください。アキラさんの横は私のものですから」
「!?」
穂乃さんを挑発するように、嘲笑う様に、侮辱するようにそう言い放ってやります。
「では、御機嫌よう。穂乃お嬢様」
「…………」
そして私は穂乃さんの部屋の前を後にし、屋敷の敷地と外を分ける門を越えた辺りで穂乃さんの部屋を発信源とした微かな爆音を耳で捉えました。
さて、もう一人の問題児はここに来る前に聞いた声が確かならあの方が相手をしてくださっているでしょうけど、どうなっているでしょうね?
■■■■■
「グスッ……アキラお姉様……」
アタシは特務班の寮にある自室でひたすら泣いていた。
トキ姉ちゃんが何処かに行ったのには気づいていたけど、そんな事はどうでもよかった。
心の中に浮かぶのはアキラお姉様の事ばかり。
それもどうしてアキラお姉様を守れなかったのか、どうしてアキラお姉様と一緒に居なかったのか、どうしてアキラお姉様を閉じ込めていたあの氷を砕けなかったのか、そもそもどうしてあの『迷宮』の入り口を開かせる行動を妨害しなかったのか。
と、後悔の念ばかりが浮かび上がってくる。
『ソーーーーーますか?』
「サーベイラオリ様?」
サーベイラオリ様の声が聞こえてくる。
きっと今回の件でアタシを叱責しにきたのだろう。けれどサーベイラオリ様に怒られる以前に私は私の事が許せない。
アキラお姉様を助けられなかった自分自身が許せない。
けれどこの気持ちをどこに向ければいいのかは分からないし、これからどうすればいいのかも分からなかった。
まるであの夜の時みたいに。
『アキラー生きーーーす』
「っつ!?」
けれどサーベイラオリ様が紡いだ言葉は私の予想する物とは大きく異なっていた。
「それはどういう……!?」
『そのままの意味です。彼女は生きています。今はただ眠っている時なだけです』
そしてあの時と……幼い頃暗い森の中で迷子になって彷徨っていた時と同じように鮮明にサーベイラオリ様の声が私の耳に届き、アタシはその言葉の意味を自分の頭の中で反芻していく。
アキラお姉様が生きていると言うその言葉の意味を。
やがて私は全身で喜びの意を表そうとするが、
『落ち着きなさい。彼女が目覚めるまでしばらくの時を必要としています』
「あ、はい……」
その前にサーベイラオリ様に止められる。
加えてサーベイラオリ様にはまだ何か話が有るらしく、続けて虚空から言葉が発せられる。
『今回の件で貴女自身が力の不足を大いに感じた事でしょう。ですから、やるやらないは貴女が選ぶことですが、彼女が帰ってくるまでの間に修行を積み、次は違う結果を出せる様になることを私は勧めます。私の依頼を遂行する為では無く、今後も彼女の横に並び、彼女の前で戦い、彼女を助けたいと願うのなら』
「でも、修行と言っても何からすればいいのか……」
アタシの弱音に対してサーベイラオリ様は予めその言葉を予期していたと言わんばかりにまるで赤子をあやすかのように優しく言葉を繋げる。
『『マリス』とツクヨミ様が名付けた者たちを相手取るために、貴女の姉が策を講じ始めています。それに実戦形式での修業が始まれば、今まで貴女に教えていなかった事を教える事も出来るでしょう。つまり貴女も貴女の姉も、貴女の友も、そして貴女が慕う彼女もまだまだ強くなることが出来ます。だから今は……』
サーベイラオリ様はそこで一度間を置くとただ一言告げる。
『立ち上がりなさい』
「はい」
アタシは神妙な面持ちでベッドから起き上がると、サーベイラオリ様の声がはっきりと聞こえる様にして貰っていたためなのか多少頭が痛む感覚を覚えつつも目元を一度拭って涙を払う。
そして一度自分の両頬を思いっきり叩いて気合を入れ直すと部屋の外に出た。
待っていてくださいアキラお姉様。
次は必ず貴女をお助けして見せますから。
トキさんとサーベイラオリ様の奮闘回でした
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